第2話『あなたのそこが好き』

 図書委員は、みんな真面目そうな格好で、校則違反しているような制服を着ているのは、私だけだった(いや、まあ、ド派手な改造制服とかなじゃくて、ただスカートが短いとか、胸元が開いてるとかですよ)。


 なので、びっくりするくらい肩身が狭かった。


 他の女子からの、「あの子本読まなさそう」みたいな視線。いや、確かに読んだことないよ? 小説なんてさ。


 っていうか、図書室に入ったのも今日が初めてだし! すごい本がいっぱいあるし!


「えーと、まあ今日は初めての人もいるし、とりあえず自己紹介とかしとこうか」


 と、長い机の上座に座っている、おそらくは委員長だろう、真面目そうなメガネの先輩が温和な笑みを浮かべてそう言った。


「大変だって聞いてるかもしれないけど、他の委員会より本を運んだりして、ちょっと肉体労働があるだけだから、平気だし、みんなフレンドリーだから。一年生は気を張らなくて大丈夫だからね。それじゃ、そっちのキミから」


 と、端っこの席に座っている女子が指さされる。そして、彼女はちょっと緊張で重くなった視線を下に向けたまま、頭の中で作った原稿を読み上げる。

 この女子が、問題だったのだ。

 いや、決して、本来なら問題にならないはずだった。


 その子が「好きな本は村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』です」と言ったのだ。


 未だに読んだことはないが、この作者名と題名だけは覚えている。これのおかげで、ちょっとした恥をかいたのだから(後で志郎に訊いたところによると、「狭い世界をぶっ壊そうとするパワーがある小説」らしい。ちょっと読んでみたい)。


 一人がテンプレを作ると、それに乗っかるのが集団自己紹介の鉄則。


 その後自己紹介したみんなが、好きな本を言い出して、「わかる―!」「面白いよねー」「あれはこういうところがいいんだよ」とか言い出すのだ。


 もちろん、私は読んだことがない。文字しかない本なんて読むと頭痛くなるし!


 軽く焦っていると、志郎の番になって、志郎が自己紹介を始める。


「来島志郎っす。一年D組。好きな本は『銀河鉄道の夜』です」


「あ、それあたしも聞いたことある」と、マヌケなことを言いそうになったが、黙った。教科書に載ってる本でもいいんだ? とも思ったが、それも当然言わない。


『銀河鉄道の夜』の感想でしばし盛り上がった後、あたしの番になり、立ち上がった瞬間、遠慮とかそういう感情がぽろりと壊れた様な、というか、立ち上がってみんなの顔を見た瞬間、いろいろどうでもいいか、となって、


「渋谷梢です。文字だけの本は好きじゃないので読んでないです」


 できるだけ嫌味にならないよう、笑いながら言った。

 ――でもこれ、なんか、普通に感じ悪くない? 言ってから、そう後悔した。


 誰かが何かを言おうとした、んだと思う。


 今思うと、「じゃあなんで入ったの?」だ。口が滑ったとはいえ、それを言われてしまえば「志郎と一緒の委員会に入りたかったから」と言えないあたしは「委員会が決まらなくて数合わせで」と言うしかなくなる。


 それは非常にまずかった。ドツボだ。もうここで好意的に見られる事はないだろう。



 あたしが一瞬でそんな後悔をしている間に、志郎が口を開いていた。


「だったらよ『エルマーのぼうけん』とかどうだ? ありゃーいいぞ」

「『エルマーのぼうけん』って、あたしでも知ってる子供向けのやつじゃん! さすがにそこまで馬鹿じゃないし!」

「馬鹿言ってんなよ! 俺あれめっちゃ好きなんだからな! 今ちょっと言わなかったけど! あれに影響されてみかんの皮食ったんだからな俺!」

「なに馬鹿やってんの!? なんでみかんの皮!?」


 と、口喧嘩に発展しそうだったが、委員長の「ほ、放課後でも図書室では静かにね」という注意で、あたしたちは黙って座った。


 志郎が意図したかは知らない。けど、あたしはそこで、言いたくない言葉を言わずに済んだのだった。


 そしてその後三年間。私達は、図書委員に所属していた。言うほど大変じゃなかったし、みんなが私の読書嫌いを解消しようといろいろな本を教えてくれるのも楽しかった。


 いい友達もできたし、中学は楽しい日々だった。




  ■




 志郎が「俺は家から近いから、あっこの高校行く」と適当に進路希望を書いていたのを目の前で見ていたあたしは、偏差値的にも無理がなかったし、家からもそんなに距離がなかったので、そこに行く事を決意した。


 卒業間近の放課後、志郎は長編シリーズの小説を徹夜で読んでいたとかで、授業を全部寝て、教室からみんながいなくなるまで寝過ごしていた。


 そして、あたしはそんな志郎をなんとなしにずっと眺めていたのだが、起きた志郎に「あたしは用事があったから残ってた」と嘘を吐いて、軽く話すことになった。


 卒業間近ともなれば、進路の話題が出てくるのは自然な流れ。


「お前、俺とおんなじ高校かよ?」


 ちょっとだけ嬉しそうに笑う志郎。

 高校三年間で、「いてくれると嬉しい」レベルにまで漕ぎ着けたか、と内心ガッツポーズをした。


 なんて悠長な、と同時に少しだけ自分にびっくりしていた。


 なんせ初恋である。


 自分はそれまで、「好きになったらバッと告白しちゃえばいいじゃん」とさえ思っていたので、まさか中学三年間告白できないままとは。


 しかも、同じ高校に行く事を決意してる時点で、中学の段階では言わないって決意してるも同義だし……。


 呆れて言葉も出てこない。


 いや、でも、もう言うタイミングなんて無いしなぁ……。


 そう、思った時だ。今、まさに、ベストタイミングなんじゃないの、と思った。


 誰も居ない夕暮れの教室。告白するにはベストタイミング。志郎は、まあ少なくとも、あたしが嫌いというわけではないはずだ。


 だったら、言うしかない。高校になって気まずい思いをしてもいい。


「あのさ、志郎」


 志郎の目を見ようとして、でもできなかった。

 まるで、志郎の顔周辺に視線を防ぐバリアでもあるみたいだった。


「あん? なんだよ。金ならねえぞ。昨日、ジョーが二〇周年アルバム出したから、買っちまってよ」

「あんた大事な話しようとすると、絶対金無いって言うわよね」

「音楽と本は金の掛かる趣味だからなぁ。んで? 大事な話ってなに」


 うっ、と喉の奥で言葉が詰まった。

 顔が熱い。きっと、真っ赤になっているんだろう。あたしがこんなに尋常じゃない空気を出しているというのに、志郎はさっぱり「お前もしかして告白しようとしてない?」とか言い出さないし。


 もし言ってもらえれば、それに乗っかったりできるのに。


「あ、あたしさ」

「おう」


 なんでさっさと言わないんだろう、みたいな顔をしている志郎。さっさと言えれば、苦労はない。しかし、このまま黙っていてバレるのも情けない。でも、さっぱり言える気配がない。


 ただ、「好きだから付き合ってほしい」と言うだけが、どうして言えないんだろう?


 現実逃避のように、それを頭の片隅で考えていた。


「あ、あたし。志郎の事――」


 その時。甲高い音が教室の中で鳴った。

 音の正体はすぐにわかった。志郎がブレザーの胸ポケットから、ケータイを取り出したから。


「やべっ。マナーモードにし忘れた。ちょっとごめんな」


 そう言って、ケータイを耳に当てる志郎。電話出るんだ!?

 ――って、志郎は告白するタイミングだと思ってないから、当然か……。


「はい志郎。おう、母ちゃんどした。マジか。親父帰ってくんの。え、今日外食で寿司!? ネギたっぷりの和風ハンバーグじゃねえのかよぉー……。父ちゃんが食いたいって? 寿司なんかどこでだって食えるだろうがよぉー……。わかったよ、行くよ。行きゃいいんだろ」


 志郎は、通話を切って、ポケットに手をしまうと、あたしに両手を合わせて謝ってきた。


「すまん! 今から急いで帰らなきゃならなくなった! 理由は――」

「――単身赴任中の志郎のお父さんが帰ってくるから、そのお祝いでお寿司に行くんでしょ。んで、それの所為で大好物のネギ料理の晩ごはんが流れたと」

「なんでわかった!?」

「わかるわ」


 あたしは思わず吹き出していた。志郎って、こういう、妙に間を外すところがある。間が悪いとかじゃなくて、間を外す。


「大事な話ってくらいだから、腰を据えて話す必要があるってことだろ。また今度でいいか?」

「ん。いいよ、また今度で。大事だけど、急ぐモノじゃないから」

「そか。ほんと、悪いな」


 カバンを持って、教室から飛び出して行く志郎。その背中を見送り、あたしは「ま、高校もあるからいっか」なんて、悠長な事を思っていた。


 ――ほんとに、悠長だった。


 山桜雫。あの女が現れるまで、あたしはゆっくりこの思いを育てようと思っていたのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る