第12話『わいわい』

 その日は、梢からも雫からも、話しかけられる事はなかった。


 珍しく雫は俺に弁当を渡しに来なかったので、クラスメイトから「喧嘩したのか?」と心配そうな顔して訊かれたので、「そんなんじゃない」と言うのが精一杯。


 本当の事なんて話すわけにはいかないし、な。

 だが正直言って、今日話しかけられなかったのはありがたいと思っていた。話しかけられたらトラブルと向かい合わなきゃならんし。


 今日は男友達だけで遊ぶし、気分転換でもあるので、そういう日に陰鬱な気分にはなりたくない。


 そんなわけで、俺達三人は、シバケンの家に居た。学校から近くて、娯楽が適度にあるそこは、たまり場にはもってこい。


 シバケンの家は、住宅街にある普通の一軒家。やつの部屋はその二階にある六畳間。そこには所狭しと、漫画やゲームなんかが散らかっていて、俺はその内の一冊を読んでいた。


 シバケンは千尋に教えられ、ギターを練習していた。


『ギターやってるやつはモテるんだろ?』という、なんとも単純な動機から、シバケンは千尋に勧められたギターを買い、こうして千尋に教えてもらっている。

 ……まあ、千尋は『そうやって始めるヤツ多いけど、結局音楽そのものにハマれないと続かないよ』と渋っていたが。


「あぁー、ちがうちがう。中指はこっちで、素早く右にスライドするんだよ」

「指動かねえよ!」


 そんなやり取りをしている二人を見て、俺は吹き出した。シバケンはかれこれ一ヶ月くらいギターを教わっているが、一向に上手くなる気配がなく、千尋に教わった簡単な課題曲さえこなせていないのだ。


「これは簡単な曲だって、ホントに。シバケンが覚えやすい様にと思って、アニソンで選んできたんだからさ。頑張ろうよ」

「お前の言う『簡単』はマジで信用できねえ。まず、音が変わる時、指を正確に弦の上に置けねえんだよ」

「それは慣れてもらうしかないよ。ちょっと貸して」


 シバケンからギターを受け取り、千尋は先ほどからシバケンが苦戦しているフレーズをあっさり弾いてみせた。


「ね?」

「ね? じゃねえよ! できねえって!」


 シバケンが不器用なのもあると思うが、千尋が器用すぎるのも問題があると思う。っていうか、千尋は物を教えるのに向いてない。ヤツはどちらかと言えば天才肌で、なんでも器用にこなしてしまうのだ。


「これはパワーコードだから、指をスッスッって動かすだけで弾けるんだよ?」

「そのお買い得だから今買っとかないとまずいよ、みたいな口調やめろ! できねえから!」


 俺はギターをまったくやってないので、こいつらが何を言っているのかわからないが、『ギター弾きなら簡単だが、素人には難しい』事を要求されて、シバケンが戸惑っているのだろうと察する事はできた。


「あー、もういいや今日は! ゲームやろうぜ、ゲーム!」


 不貞腐れた様に大声を出しながら、シバケンはギターを部屋の隅にあったスタンドに立てかける。


「別にいいけど、それよりもさ、僕は志郎に訊きたい事があるんだよ」

「あぁ? なんだよ」


 俺は読んでいた漫画を本棚に戻す。


「渋谷と喧嘩でもしたの?」


 まるで手足が貼付けにされたように、俺の体は固まった。その言葉を言われた瞬間、心臓が高鳴ったし、顔が熱くなるのを感じた。


「なんで、そんな事を言うんだよ?」


 たまらず、誤摩化そうとしたが、俺はその程度の事しか言えなかった。


「気付くさ、そりゃ。志郎と渋谷、仲いいのに、今日は一言も話さない。不自然すぎでしょ」

「……よく気付くもんだな」

「友達だからね」


 千尋の後ろで、シバケンが『え、喧嘩してたの?』と言いたげな顔をしているが、ヤツも友達である。まったく理由になっていないのが証明されてしまったが、それについて俺は何も言わない。


「何があったんだよ? お前ら、仲よかったじゃん。俺さー、実は渋谷と来島が付き合うと思ってたんだぜー?」


 シバケンが、そう言って床に腰を降ろした。どうやらゲームよりも、俺の話を優先させるつもりらしかった。


「だったらなんで俺に告白なんてさせんだよ」


 最もな疑問だったが、シバケンにとっては訊くまでもない事だったらしく、怒ったように眉間に皺を寄せ、


「んなもん、お前がマドンナ先輩と付き合うなんてありえねーと思ってたからに決まってんじゃん」


 と言った。ついでに千尋が「それは僕も」と手を挙げたのが妙に腹立たしかったが、実際過去の俺がこの話を聞いてたら、『それそうだ』となったはずなので、何も言えない。


「まぁ、間違いなく渋谷は志郎の事が好きだったからねー。マドンナ先輩と付き合って、心中荒れてたって可能性も考えられなくはないよね」


 千尋の言葉に驚いて、とっさに反応できなかった。その代わりに、シバケンが「おー、そうそう! もしかしたら嫉妬してたのかもな」と手を叩き千尋を指差す。


「ちょ、待って。え、何? 梢が俺の事好きなの、お前ら知ってたの?」


 困惑して舌が回らなかったが、なんとか正しく発音する事ができた。


「まあな。俺ら相談受けてたし」シバケンは腕を組んで、訳知り顔。本当にこれを今言ってもよかったのか、と悩んでいるようでさえある。


「中学の時から、らしいね。一途だよね、あいつも」


 そう言って、千尋は何度も頷いている。


「……っていうか、知ってたの、って事は、志郎も知ってたんだ?」


 千尋は言葉尻を捕まえるのが上手いので、こうして下手に発言すると秘密がどんどんバレて行く。しかし、こればっかりはもうしょうがないだろう。千尋と会話する時点で、嘘なんて吐かない方がいい。


「……こないだ聞いた」

「へぇー。罪な女だねー渋谷も」


 他人事みたいに言うシバケンに若干イラッとしたが、俺は無視して「知ってたんなら言ってくれてもよくねえ?」と二人に言う。


「いやあ、いくら俺でもよぉ。本人が言う前に「あいつお前の事好きなんだってよ」って言えるほどデリカシーの無い性格してねえし」


 シバケンが、何故か胸を張る。言われてみれば当たり前なんだが、もっと早く知ってたらこうも事態が悪化してなかったんじゃないかと思うと、やるせない物がある。


「なぁ、志郎。そろそろ話してくれない? マドンナ先輩と、渋谷と、何があったのか」


 俺は正直迷った。


 ここで二人に打ち明けてしまってもいいのか、と。話すとなれば、雫の本性を言及するのは避けられない。


 ……でも正直、もう俺一人の力ではどうにもならないというか、誰かに助けてほしいという感じはしてきた。俺にとって、雫も梢も大事な存在だし、どちらかしか救えなかったとか、どちらも救えなかったとか、そういうわけにはいかない。


 俺は意を決して、話す事にした。


 今までの成果を見ると、俺一人だと余計に事態を悪化させてしまうかもしれないし、何より二人は友達だ。友達を信用しなくちゃと思ったのだ。


 雫と幼馴染だった事、雫にストーカーされていた事、梢にキスをされた事、今まであった事をすべて二人に話した。


 意外にも真面目に聞いてくれたので、話はすぐに終わった。


「……嘘だろ?」


 シバケンの言葉に、俺は黙って首を振る。そう言いたい気持ちはわかるし、つーか俺が一番嘘であってほしいと思ってる。


「まあ、それならいろいろ納得がいくね。シバケンから突然借りた本とか、マドンナ先輩に対する言葉とか」

「それよりも、俺は渋谷の追いつめ方が怖いんだけど。あいつってツンデレだと思ってた」

「人ってのは、一筋縄じゃいかないんもんだね」


 シバケンと千尋が、二人で話しながら頷いていた。俺をほっといて納得しないでくれ。

 話の中心人物なのに、何故か蚊帳の外みたいになってるので、俺はなんとか話題に食い込もうとしたのだが、突然千尋が俺を見て、一言。


「で、志郎ってどっちが好きなの?」

「……なんだと?」

「あー、それ俺も疑問だわ。結局よー、志郎ってどっちなん? マドンナ先輩か、梢か」


 シバケンまで俺に疑問をぶつけてきて、俺は悩んだ。


「どっちが好き、って言われてもな……」


 付き合いは正直言って、雫の方が長い事になる。あまり差はないが。

 しかしよく知っているのは梢の方だろう。なにせ、中学の時から一緒だったんだし。

 まあ、どっちも俺の知らない一面をここ最近で知る事になってしまったのだが……。

 渋い顔をして悩んでいる俺が二人にどう映ったのかはしらないが、なぜかやつらも悩んでいた。


「マドンナ先輩はストーカーだろ? でも、それって逆に言えば浮気する心配がないとも言えねえ?」シバケンは、まるで夏休みの宿題が終わったように明るい顔で言う。


「そんな事言ったら、渋谷の押しの強さだって半分くらいストーカーみたいなもんだよ」しれっと、澄ました顔で失礼な事を言う千尋。俺もそう思ったけど、だからって口にはするな。


「まぁ、そうなると、双方浮気の心配は無いってことかぁ?」

「浮気だけ心配すればいいってもんじゃないでしょ。どっちかを選んだ後の、選ばれなかった方のアクションも心配だし」

「あぁー、ゲームだとさぁ、後ろからいきなりぶすっとやられたり、駅のホームで突き飛ばされたり、目の前で自殺とかされんだよなー」

「怖いから実例を出さないでくんねえ!?」


 シバケンと千尋の、あまりにも迫真すぎる会話に、俺はたまらず口を挟んだ。いくらなんでもそれはありえない、と言いたいが、正直雫も、今の梢も、やらかしそうだし……。


「まあ、考えすぎって事はないでしょ。どっちも異常だよ、異常。たかが恋愛に、そこまで体張れるってのはさ。志郎も罪な男だ」


 くすくすと笑う千尋。

 確かに何があるかわからない以上、最悪のパターンを想定しておいても損にはならないだろう。


「マドンナ先輩と付き合ったって聞いた時ゃ、羨ましいと思ったもんだが、さすがにここまでの惨状になると羨ましくねえなあ……。俺じゃなくてよかった、とさえ思うぜ」


 シバケンはそう言って、帰り道で買っていたコーラのペットボトルをラッパ飲みする。


「まあ、それは僕も思うけどね……。彼女作る気はないし、羨ましいとは思わないけど、僕じゃなくてよかったって」

「今からでも変わってほしい、マジで」


 俺の言葉がよほど真剣味を帯びていたのか、二人も真剣な顔で「やだ」と声を重ねた。


「変わるつったって、どうすんだよ?」

「整形すんだよ。顔入れ替えるんだ。俺が費用全持ちしてやる」


 シバケンの疑問に即答えた俺に、何故かシバケンは引いていた。


「お前……よっぽど今の状況イヤなんだな……」

「割と本気で言ってる程度にはな」

「僕らじゃ、全員体型違うから、無理だけどね」


 シバケンは太っているし、千尋は痩せ過ぎなくらいで、俺は中肉中背。全員がこうも体型違うっていうのは、すげえと思う。


「そうなんだよなぁ。まあ、元々んなことできる金はねーけど」

「お前まで病むなよなー。病んだ友達の相手とか、めっちゃめんどくさそう」


 シバケンは冗談めかしてそう言った。まあ、俺が病むという事はないだろう。病んだヤツを見てるんだし。


「そこはお前、必死で看病するとか言ってくれてもいいんじゃねえの?」

「お前が美少女ならそうしたよ」


 男に冷たい男、というのは、男ならだれでも気持ちがわかるだろう。俺だってわかるんだから、シバケンに文句を言う気にもならない。


「話逸れてるから、戻すけどさ」


 千尋はそう言って、わざとらしく咳払いをした。


「結局、志郎がどっちかを選ばない限り、どうにもならないと思うよ」


 俺もそれはわかるし、やっぱりそこに落ち着くか、という感じで、頷いた。


「酷な話だけどね。どっちかしか選べないってのも。普通に、振った振られたとは種類が違うし」

「二股なんて普通の恋愛でも許されねえのに、来島のケースでやったら血は間違いなく出るだろ」


 シバケンはそう言って、自分の人差し指を包丁に見立て、腹に突き刺し、わざとらしく「ぐえぇ」と悲鳴を上げてみせた。お遊びの動作だというのに、俺の背筋が粟立った。リアリティがあるから、だろうか。


「まあ、今すぐここで選ぶ必要なんてないんだし、今日は気分転換しなよ」

「ん、ああ……」


 千尋は励まそうとしてくれているのか、俺の肩を軽く二、三度叩いた。

 けれど、俺の頭には一つだけ、どうしても捨てきれない考えがあって、けど、それを口にしても反対されるのが目に見えていたし、やめた。


「今、気分転換つったな!? うっしゃ、いいもん持って来る!」


 そう言って、シバケンが部屋から出て行った。

 俺と千尋は、なんだあいつと思いながら、先ほどまでの暗い話題をふっきるみたいに、明るい話題を話す。

 そうしていたら、どたどた廊下から足音が聞こえてきて、シバケンが部屋に入ってきた。


「気分転換つったら、これだろ!」


 と、シバケンが床に置いたのは、缶ビールだった。それもいくつかあって、全部キンキンに冷えているらしい。


「アルコールは確かに、気分転換にもってこいだね」


 そう言って、千尋はなんの遠慮もなく、一本のビールを取って、プルタブを開いた。


「わっ、冷たい」

「シバケン、お前これ、どうしたんだよ?」

「親父のくすねた。んまぁー、親父はビール溜め込んでる割りに量に無頓着だから、どうってこたあねえな」


 と言って、ヤツも一本ビールを開いた。

 ここまで来て飲まないほど、俺は空気を読めないヤツでも優等生でもないので、俺も一本もらって、プルタブを開いた。掌にじんわりと冷たさが伝わって来る。


「んじゃ、かんぱーい!」


 シバケンの音頭で、俺達は乾杯をして、ビールをあおった。すっきりとした苦みと冷たさが喉を潤してくれる。


 その後、俺達はアルコールの力で、辛い事を全部忘れてはしゃいだ。今は雫の事も、梢の事も、忘れたかった。

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