第13話『ちくちく』

 ずっと昔の話だが、俺と雫はいつも一緒にいた。


 俺が自主的に一緒にいたわけじゃなく、雫が勝手に後ろをついてきていたのだが。

 当時——小学校、おそらく五年生。当時の友人(名前は覚えてないが、太ってて頬が赤かったから、ダルマと呼ばれていたのは覚えている)が、ニヤニヤと殴りたくなるくらいイヤらしい笑みを浮かべて、こう言った。


「お前と山桜って、付き合ってんの?」


 当時、付き合うとかセックスとか、そういう事を『恥ずかしい事』としか認識していなかっただろうに、小学生達は女子と仲良くしている男子を見れば、『付き合ってるのか』と訊き、小馬鹿にしたような態度を取る。


 今なら女の子と付き合うのは自然な事だし、そもそも雫と付き合えるっていうのは普通の男なら羨ましがるので、俺は『おう!』と笑顔でサムズアップ決めてやるくらいの余裕があるのだけれど、この頃は好きな女の子がバレるイコール死みたいな風潮があるので、俺は「は、はぁ!?」と慌てた。


 多分、顔は真っ赤だろう。


「なに言ってんだよダルマ。そんなんじゃねーよ」


 強がりを言う俺。

 ……強がり?


「でもさー、山桜といっつも一緒にいるじゃん。お前、山桜の事好きなんじゃねーの?」


「それは、あいつがいっつもついてくるからだ!」


 ダルマは、そのイヤらしい笑みを崩そうとしない。

 俺がもっと気性の荒い子供だったら、それこそ右ストレートを鼻っ柱に叩き付けていただろうが、俺は当時も今も、そんなに喧嘩っ早い性格じゃないので、それ以上は何も言わない。


 俺は、知ってる。


 この後に、ダルマがなんて言うか。そして俺が、その後どういう事態を引き起こすか。


「でも、お前が嫌がってないじゃん!」


 その後、ダルマがからかう台詞を何個か吐いた気もするが、俺は覚えていない。だから、その夢はそこで終わりだ。



  ■



 あれだけ飲めばそりゃなるよね、二日酔い。


 って事で、俺はベットに寝ていた。


 唸りながら天井を見つめて、このまま布団に溶けてしまいたいとか言いながら、休日の朝を潰していた。


 まあ、明日は休みだって事で飲んでたわけだが。


 ……しかし、さっきの夢、あれは俺が雫を拒むほんの数時間前の出来事だ。


 ダルマめ。もう顔とそのあだ名以外覚えていないが、あいつの所為で今の俺があるのか。ほんとクソみてーなヤツだな。あの笑顔からして碌なヤツじゃなかったんだろう。


 もう覚えていないからか、架空の仇敵みたいに罵倒してから、俺はなんだか罪悪感に包まれた。


 そうこうしていると昼になり、そろそろ母さんが飯を作っている頃だろうと思っていたら、チャイムが鳴った。


 まあ、母さんが応対しているだろう、と俺は二度寝を決め込むと、下から「志郎ぉー! お客さんよぉー!」と母さんの声が聞こえてきた。


 誰だろう。千尋かな、それともシバケンか。いや、あいつらも二日酔いになってるだろうし、他のヤツか?


 俺はそんな事を考えながら、灰色のスウェットのまま一階へと降りた。階段を降りてすぐの玄関には、母さんと話し込む雫がいた。


「うぇええッ!?」


 驚きのあまり、階段を踏み外して、転がり落ちそうになった。なんとかバランスを保ち、おめかしした雫を見た。


 胸元に白いリボンが結ばれたブラウスと、黒いサスペンダースカート。胸が目立つ服なので、雫の大きな胸がやたらと目立つ。しかも黒いオーバーニーソックスと、男好きしそうなファッション。


 事実、俺もちょっとドキっとした。


「あら、志郎やっと起きたの? まったく。雫ちゃんと再会してたんなら、言いなさいよ」


 俺は、思わず苦い顔をした。それを母さんと雫がどう受け取ったのか知らないが、母さんは苦笑し、雫も笑った。


「あははっ。まったく、照れちゃってもう。雫ちゃん、上がってって上がってって。積もる話もあるだろうし、ね」


「はい。お邪魔します、おばさま」


 小さく会釈をして、靴を脱ぐ雫。


「……じゃ、俺の部屋行こうぜ」


 多分、雫が来たのは本当に積もる話をする為だろう。まさかその話をリビングでするワケには行かないので、俺は雫を自分の部屋に案内する。横にいる母ちゃんがニヤニヤしてるのがちょっとムカついたが、仕方ない。きっと母ちゃんの中では、初めて息子の彼女(候補)がやってきたような図が成り立っているのだろう。


 階段を上がり、俺の部屋の扉を開けると、雫はぽつりと「す、すごいね……」と言った。なんて言っていいかわからず、やっとの事で絞り出した言葉みたい。


 まあ、俺の部屋は本が足の踏み場もないほど散乱しているので、雫がそんなリアクションになるのも仕方ない。


「あー、ちょっと待ってろ」


 客が入る事など想定していなかった俺は、本を一カ所に集めて、重ねて、雫が座るスペースを作り、そこに勉強机に置いていたクッションを放り、「ここに座ってくれ」と指示する。


 雫は恐る恐るそこに座り、俺はベットの上に腰を降ろす。


「あー、と……」


 二人きりになると、雫も何から話せばいいのかわからなくなったのか、目を数秒泳がせ、俺に視線を固定すると、「この間の、渋谷さんとの事、なんだけど」


「……ああ」


 その話はやめてくれ、とか拒否したかったけれど、そういうわけには行かないだろう。


「キス、してたよね」

「あぁ」


 何も言うつもりはなかった。梢が俺をどう思っているかとか、梢の所為なのか、とか。ここで梢を矢面に立たせるというのは、どうにも自分の所為じゃないと言い張るみたいで、情けないし嫌だ。


「言い訳するつもりはねえよ。確かにした」

「……志郎ちゃんは、絶対あの子の所為だとは言わないんだね」


 俺は黙った。というより、梢の所為じゃないという態度を示すと、正直何を言っていいのかわからなくなる。


「優しいね。志郎ちゃん。あんな女、庇う必要なんてないのに。……私には全部わかってるんだよ? あの女が全部悪いって、私にはわかってるんだから」


 黙っていると、どんどん梢がピンチになっていくような気がするので、さすがに口を開かなくてはとなり、


「いや、待て。悪いとか悪くないとかじゃないだろ」


 と言うのが精一杯。

 すると、雫の目から光が消える。ああ、スイッチが入ってしまった。


「言葉にするの? 言葉にするなら、もう私、我慢できないよ?」


 言葉にするなら我慢できない。

 その言葉の意味が、今の俺にはよくわかった。きっと、俺が明確に梢を庇わないから、雫はまだ梢に対する怒りを抑えられているのだ。


 言葉にして庇えば、それは梢を悪くは思っていない証拠になり、雫の最後の一線を越えさせてしまう事になる。


「お、俺は、お前にそういう事をしてほしくねーんだよ……」


 もっと、上手い言葉が出てくれば、鮮やかに雫を説得できるのだろうが、生憎とこんな場面で器用に振る舞える男じゃないので、陳腐な言葉しか言えない。


「私も、志郎ちゃんにはあの子と一緒にいてほしくないよ」


 結局、そうして話は平行線を辿って行くのだろう。

 悲しそうに目を伏せる雫の顔を見て、俺は何時間この話をするのか、覚悟を決めた。


 ……そんな時である。


 下からチャイムの音が鳴って、俺達の話が途切れた。


 これで空気が入れ替わって、なんとかいい方向へ持って行けないか考えなくては。


 俺が頭を必死に回そうとしていたのに、母親ってのは空気が読めないもんで(まあこの状況で読めってのが無理だけどさ)、下から「志郎ぉー! お客さーん!」と呼ばれた。


 おいおいマジかよ。なんだって今日に限って客多いんだよ。


 俺は雫に「わりぃ、ちょい行って来る」と立ち上がって、再び階段を降りる。


 玄関に立っていたのは、今最も会いたくない人物。


「やっほぉー志郎!」


 渋谷梢、その人である。


「……マジかよオメー」


 俺は、パチンコで最後の全財産スッたみたいに、玄関先で四つん這いになってくじけた。


「おぉ? どした、嬉しすぎ?」


 黄色地に英語で白く『私を見ろ』と書いてあるTシャツと、白いミニスカートに焦げ茶のオーバーニーブーツ。


「まったく、志郎ったら……。女の子こんなに連れ込むなんて」

「……女の子、連れ込んでる?」


 それを聞いて、梢は急いでブーツを脱ぎ、階段を上がって行った。


「あっ、ちょっ!!」


 四つん這いになっていた俺は止める事ができず、登って行く梢を見る事しかできなかった。隣に立つ母さんが、「……志郎、あんたをそんな子に育てた覚えはないわよ」とものすごく低い声を出す。


「そういうんじゃないから」


 じゃあどういうんだよ、と聞かれる前に、俺は梢を追って二階へ向かった。

 空きっぱなしだったドアを潜り、部屋を見ると、そこでは雫と梢が睨みあっていた。


「……どーも、山桜先輩」

「……チッ」


 離婚調停中の夫婦でもここまで氷点下の空気は作り出せないと思う。俺はここにいなきゃいけないんだ。そう思うだけで、胃がちくちくと痛む。


「ねぇー志郎。座るところ、無いんだけど」

「あ、ああ」


 俺は先ほどと同じように、梢の座るスペースを作ってやり、俺はベットの上に腰を降ろした。


「なんで山桜先輩が志郎の家に居るんですか?」

「……彼女だからに決まってるでしょ」

「彼女? へぇー……。罰ゲームで付き合ってるのが彼女、ですか。笑っちゃいますねえ」


 くすくすと静かに笑う梢。

 雫は悔しそうに鋭い目つきで梢を睨むが、その視線こそが彼女の勝利の証だと言わんばかりに、むしろ嬉しそうに視線を浴びている。


「……つい何年か前に志郎ちゃんと会ったような子が、知った風な口利かないでよ」

「そっちこそ、つい最近再会したクセに。知った風な事を」


 お互いに付き合いの長さは同じくらいなので、何も言えない。っていうか、ここで俺が下手に口を挟めば、確実に血が出る。まあ、挟まなくても出るとは思うけど……。


「ねえ、渋谷さん。志郎ちゃんの優しさに付け込まないでくれる?」

「それはそっちでしょ?」


 静かに睨み合う二人。

 どうしてこんな事になるのか、俺は甚だ疑問で、小さな頃から今までを思い出そうとしてみるも、友達とバカな遊びをしているという記憶しかなくて、こんな事になるきっかけがまったく掴めなかった。


 今占い師に「前世で女の子にひどいことをしたので女難の相が出ています」って言われたら、すぐに信じる。


 それくらい、今の俺は追いつめられていた。


「話は全部聞いたけどね。正直、今の山桜先輩に志郎はいらないはずじゃない?」


 梢の言葉に、雫の眉がぴくりと動く。


「……なんですって」

「だってそうでしょ。山桜先輩は、自立できなかった時に志郎によりかかっていただけで、今はもう学園のマドンナとか言われて、しっかり自立できてるし、男も選り取り見取りでしょ?」


 雫は、眉間に皺を集めた。

 そして小さく、「違う……」と呟いてから、立ち上がった。


「違うッ!! ……マドンナっていうあだ名も、その地位も、全部……志郎ちゃんの為に作った物……」

「はっ! そこまでしてるなんて、ちょっと引きますねえ」


 くすくすと笑う梢。

 どうやら、梢の方が精神的に優位らしい。


 俺の入る余地がない。というより、当事者ではあるが、他二人のレベルが違いすぎて、空中戦に入って行けないとう感じ。


 覚悟が、圧倒的に足りないのだろう。

 雫や梢と、俺の覚悟が。

 その人と一緒にいたいという、その覚悟。


「このッ——」


 雫が、手を振り上げる。

 まずいと思い、俺は梢の前に出た。


 鋭い頬打ちが、俺の顔面を右に弾く。


「あっ——」


 そのビンタを放った雫は、赤くなった俺の左頬を見て、顔を青ざめさせた。


「ごっ、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 何度も何度も謝罪の言葉を重ねる。


 俺は「気にすんなよ。痛くねーから」そう言ったが、雫はまるで俺が恐ろしい者に変貌した様に後ずさりして、部屋から出て行った。


「おいっ! どこ行くんだ雫!」


 呼び止めるも、雫を止められなかった。

 追いかけようとしたが、梢にズボンを掴まれて、行けなかった。


「……梢」

「やめときなよ。今手が出たってことは、もっと大事な局面でも出るよ。……それこそ、手には何か持ってるかもね」


 殺されるかもしれない。

 梢は言外にそう告げているのだろう。


「……かもしれねえな」

「それでも追うわけ?」

「ああ。前は拒絶しちまったからな」


 俺は、ドアノブに手をかけた。

 背後から聞こえる梢の声。


「ほんと、バカ」


 その声は、少しだけ震えていた気がした。

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