第5話『ばればれ』
俺は授業を真面目に聞くタイプである。
突然なんだよ、と思う方もいるとは思うが、しかし世の中には授業を真面目に聞くタイプと聞かないタイプ、二通りの人間が居る事は真実。
教師の話を聞き、板書をしていれば、あっという間に時間は過ぎて行く。教員免許を取るには時間の盗み方をマスターしなければならないのかと思うほど早い。
ちなみに、千尋は基本的に音楽を聞きながら寝ているし、シバケンにいたっては堂々とマンガを読んでいる。梢は近くのお友達とおしゃべりだ。厳しい教師の時は、聞いているフリでぼんやり。
なので、俺はよくやつらにノートを貸し出しているのだが、今日はちょっとだけ事情が違った。
これ以上黒板に文字は書かれないな、と判断し、シバケンから借りた紙袋から一冊の本を取り出す。表紙が二次元美少女の小説であり、その表紙の少女は、黒髪のストレートにブラウンの瞳と、ブレザーを着ていた。瞳が顔の三割以上を占める大きさをしているのは、こういう絵の特徴だ。
どうして目が大きい方がいいんだろう? 俺達はワケもわかっていないのに、目の大きさをありがたがる。
そんな事を考えながら、俺は何も書かれていないルーズリーフを一枚取り出し、ブックカバーを作ってその本につけてから読書を始めた。
主人公と少女の出会いは、主人公が少女の窮地を救った事。そこから、少女は『私にはこの人しかいない』と思い込み、主人公を慕う。最初は可愛い物だった。彼女は必死に主人公の興味を引こうと頑張った。
しかし、主人公はそんな彼女の思いなど知らない。彼にとってはなんでもない行動から引き寄せられた好意だったからだ。
そして、次第に少女は思う。『この人はなぜ、こんなにも尽くしている私を愛してくれないのか』と。
少女には主人公しかいない。なのに、主人公はそんな事知らない。
何度も警告が出ていた。何度も少女は主人公にサインを出していた。
だが、主人公は気付かない。俺は何度も叫びそうになった。
しかし、彼に俺の叫びは届かない。主人公は、少女に殺された。首だけになり、永遠に少女だけに愛されるだけの器物になってしまった。
「うっ……ううぅ……」
俺は泣いていた。ぽたぽたと太ももに涙が落ちる。
なんてことだ。これが、失敗した俺の未来か。そう思ったら泣くしかなかった。雫だって、俺を殺すまではしないとは思うけれど、しかしそれは絶対じゃない。そう思ったら涙が出て来てしまった。
「お、おい、来島……?」
中年の男性教諭(古文の糸田先生)が、なんだか引いた様な顔で俺を見ていた。
しまった。授業中だった。
「お前、そんなにその本感動したのか……?」
俺はすぐに学ランの袖で涙を拭い、「いや、ちょっと感情移入しちゃって……。大事ですよね、感情移入」と言った。
本心だったのだが、糸田先生は「お、おう」と頭の回路が正常に働いていない人間を見る様に俺を見ていて、関わったらやばいとでも思ったようなスピーディさで授業へと戻った。
ちなみに、周囲のクラスメート達もどん引きしてた。
違う意味で泣きたい。
■
そんなこんなで、昼休み。
俺はその後、クラスメート達に泣いていた理由を問いつめられたりしたが、「糸田先生があまりにもご高説をするもんだから」と冗談を入れた後、「読んでた本が面白くって」と本当の事を言っておく。
笑ったという成果が得られたおかげか、それ以上の詮索はしてこなかった。千尋や梢がどうにも訝しげな視線を向けていたのは気になるが。
「……いやあ、来島でも泣くんだな」
俺と千尋とシバケンの三人が教室の隅で集まると、シバケンがそう口を開きながら自分の弁当を開いた。
「なんだよ。それだとまるで、俺が血も涙もない男みたいだろ」
その評価は結構不満だった。俺は普通に本で泣くぞ。
「っていうか、そもそも男子高校生が泣くってそう無いよね。しかも授業中に」
千尋はくすくすと笑っていた。こいつはどうも、笑い方が上品で、本当に下品と元気が売りな日本の男子高校生か、と疑ってしまうほどだ。
「俺の貸した本がそんな面白かったか?」
シバケンの言葉に、俺はなんとも曖昧な気持ちにさせられる。確かに面白かったのだが、泣いたのはどちらかと言えば『自分の置かれた状況が暗示されてるようだったから』という、人には言えない理由だし。
まあ、面白かったのだから、結局頷くが。
「なんの話?」
「わぁーお!」
俺は食べた餌が釣り餌だった魚みたいに飛び跳ね、背後に立った雫を見た。弁当と昨日はなかった水筒を持っていて、俺を昼飯に誘いにきたのだとわかる。
「い、いや、シバケンに貸してもらった本が面白いっつー話。あ、昼飯だよな。どっか落ち着けるとこで食おうぜ。二人っきりのがいいだろ?」
俺がそう言うと、雫は顔を赤くして頷いた。
「んじゃ、俺は雫と飯食ってくる!」
「おーおー、行っちまえ幸せモーン」
「男の友情より女を優先すると男から嫌われるぞー」
雫と一緒に教室から出ようとする俺の背中に、シバケンと千尋からそんな声がかけられる。
「うるせー」とだけ言って、俺達は教室を出て、二人廊下を歩く。
「それで、どこに行くの?」
雫は嬉しそうだった。こうしていると、普通の女の子だ。恋に浮かれている、という様子の。
「ああ、中庭にでも行こうぜ。……っと、その前に、弁当貸しな。持つから」
女に荷物持たせるってのは、偉そうであんまり好きじゃないので、俺は雫から弁当を受け取った。うん、ずっしり重い。これが俺の胃に入るのか。雫の愛もこんくらい重いんだろうか。
なんだかすでに胃もたれしそう……。
中庭はこの時間、それなりに人がいた。
もう春も半ば。暖かな日差しが体を包み、安心感すらある。俺達は空いているベンチに座り、二人の間に弁当という名の重箱を置いた。
そして、それが開かれると、中から昨日とは違う野菜と肉のバランスが整ったメニューが出て来た。
「おぉ、美味そう」
こればっかりは本音だ。雫の料理は何故か抜群に美味い。
「はい、志郎ちゃん」
俺は雫から割り箸を渡され、それを割り、いただきますを唱えて、唐揚げから手をつける。生姜の風味と醤油の香ばしさが俺の舌を叩く。唐揚げに大事なのは生姜なんだよな。
「美味いっ。この唐揚げいいな」
「えへへ。しっかりとタレに漬け込んだからね。あ、こっちのきんぴらも自信あるんだ」
俺は唐揚げと一緒におにぎりを食べてから、そのきんぴらにも手を付ける。この甘くてピリ辛な味! きんぴらはこういう小技が効いてると嬉しい。主役ではないが、しっかりと脇役の仕事をこなす。
これもまたごはんに合うんだな。
「……ねえ、志郎ちゃん」
俺が夢中で弁当を食べていたら、突然、雫はもじもじと指を弄ぶ。
「今日、暇かな……? デートしようよ。恋人なのにデートの一つもないなんて、変だよ」
その言葉には一理ある。だが、今日はあいにくと先約がある。
断ろうとしたのだが、俺は先ほど読んだ小説を思い出してしまう。
確か、主人公はヒロインからの誘いを断っていたな……。俺にとって、あの主人公がやったことイコール、やらない方がいいことだもんな……。
とはいえ、先約を断れるはずもないし。
「あ、その、実は今日、先約があるんだ」
「……彼女より優先するべき、先約なの」
そらきた。
雫の目から感情が、声から覇気が、同時になくなった。スイッチを入れてしまったらしい。
「だがちょっと待ってくれ。これはフリなんだろ? ここまで見せつけりゃ、効き目は絶大だろ。お前と遊びに行くのも、もちろん歓迎だけど、まずは先約だって。今度行こう。それに、俺は腹減ってるしさ。弁当、食べようぜ。そうだ、食わしてやろうか!」
少々まくしたてるみたいになってしまったが、俺は玉子焼きを一つ箸で取り、それを雫に差し出した。その玉子焼きを見つめ、徐々に顔を赤くして行く。そして雫は、意を決したみたいに玉子焼きを頬張った。
もぐもぐと咀嚼しながら、「お、おいしいよ、志郎ちゃん」と、まるで俺が作った物を食べたみたいに言う。その表情はなんとも幸せそうだ。夢が叶った時の表情と言われても納得する。
「美味しいのはお前の手柄ね」
俺はそれだけ言うと、また飯に戻った。
とりあえず、今日の事は大丈夫らしい。
俺は、あの主人公みたいにはなんねーぞ、と決意を新たにしていた。絶対雫を真人間に戻してやるんだ。
■
そんなワケで、俺はその後教室に戻り、あまりにも美味い飯だったので後は寝るだけみたいな満足感で、珍しく授業を寝てしまった。
美味い飯って、なんで満腹感が普通とは違うんだろう。それだけで人生の大仕事をやり遂げた、みたいな感じさえある。
「起きろ、志郎」
俺はそんな乱暴な声に起こされ、覚醒する意識の中、机に突っ伏していた顔を起こして目の前を見た。
「なんだ、梢か……おあよぅ……」あくび混じりに起床の挨拶をする。
「おはよ。約束、忘れてないでしょーね」
「晩飯食いに行くんだろ。忘れてねーよ。つか、晩飯にしちゃ時間あるが、遊びにでも行くのか」
「もち! カラオケ行こ、カラオケ」
「えー……。別にいいけど、お前、俺らと曲の趣味違いすぎんじゃん」
俺と千尋は洋楽が好きで、その縁もあり仲良くなった。シバケンは最近聞き始めたが、基本的にはアニソンが好みらしい。
この三人でカラオケに行く分には、趣味が合わなくても『どれだけ無茶な歌を唄えるか』『どれだけ面白く唄えるか』という遊びなんかをしているので、慣れた物なのだが。
「いいからいいから! 他のメンツはもう昇降口行ったよ」
「マジかよ。なんで俺置いてこうとすんのかね」
「気持ち良さそうに寝てるからじゃん? いーっつも眉間にシワ寄せてる志郎にしちゃさ」
どうも、俺は強面と言われる事が多い。決してそんなつもりはないのだが、睨んでいると思われる事もしばしば。さすがに実の母親から『浮気した覚えはないんだけどなぁ』と、両親のどちらにも似ていないと暗に言われた時はちょっと傷ついた。
「んなわけだから、ゴーゴー!」
俺の手を掴み、立ち上がらせようとする梢。
だが、俺はすぐにその手を素っ気なくならないよう慎重に払い、腰を回すフリしてさりげなく周囲を見回した。
大丈夫。周囲に雫はいない。どれだけ今日の事を許可してもらった言質があろうと、爆発されては困る。そもそも、雫の梢に対する恨みは相当な物があるはずだからな。
何故か梢は、俺の顔をジッと見ていた。俺がわけのわからない仮面でも被っている様に。
「……な、なんだよ」
「……いや、別に? それより、早く行こーよ。置いてかれるよ」
俺は、先に歩いて行く梢の後を歩く。
今の所は雫の心配もないし、普段通りで大丈夫だろう。これで怪しまれる事が減るといいんだが。
スマホを取り出し、歩きながら(ながらスマホが悪いとはわかっちゃいるが)母親に晩飯はいらないというメールを飛ばす。『もう材料買っちゃったから、あんたの明日の晩飯ね』という返事を確認して、下駄箱で待っていたシバケンに千尋、そして他の女子二名というメンツに合流する。
それなりに遊んだことのある二人だ。茶髪のボブが野々村で、黒髪のポニテが西岡。
「遅かったねー来島くん」
野々村がそう言うと、西岡も「気持ち良さそうに寝てたっしょ?」と笑った。
「夢見はばっちりだった」
それしか言う事がなく、俺はなんとなく料理の彩りが少ないからパセリ乗っけとこうみたいな気持ちで、サムズアップした。
そして、俺達は街へ繰り出した。
最寄り駅に行って、そこから近くのカラオケ店へ。帰りの学生が集まるそこは、平日夕方が忙しさのピークであり、順番をいくつか待ってから部屋へ通される。
六人もいるからそれなりに広い部屋で、小ステージまであった。
全員荷物を下ろして座り、誰が最初に歌うかというちょっとした迷いがあったが、こういう時「俺が行くぜ!」と即断できるシバケンは重宝するタイプのキャラである。
シバケンはそそくさとリモコンで曲を入力する。昔みんな見ていた有名なアニソンを入れて、それを下手だが思い切りのある声で歌っていた。
そして、その隙に飲み物やちょっと摘める物なんかを注文して、俺達は二時間ほど楽しんでいた。
なんか久々にカラオケなんて来たので、俺は千尋と一緒にデュエットしたり(千尋の声は女っぽいので、男女のデュエットとかすると受けがよかったりする)、女子が最近のアイドルソングを歌っているのに手拍子入れたり。
そうしているとあっという間に二時間が過ぎて、俺達はカラオケを出た。
何せ、今日のメインは晩飯。俺達はカラオケの近くにあったファミレスに入ると、団体席に座った。男女三人ずつ向かい合い、メニューとにらめっこする。
「俺はもちろんハンバーグステーキエビフライ添えのセットにするぞ。千尋はどうすんだ?」
シバケンがルンルン顔で、千尋へと視線をやる。通路側にシバケン、真ん中に千尋。そして隅に俺が座っていて、俺の前には梢が座っていた。
「僕はボンゴレ。志郎はどうする?」
「んー……俺は和風御膳」
メニューを閉じ、顔を上げる。目の前に座っている梢と目が合った。
「志郎って、和食好きだよねえ……」
「日本人だからな」
「意味わかんない」
いや、わかるだろ。考える事を放棄するな。我ら日本人は米から離れて生きてはいけんのだぞ。
そして、俺達はそれぞれ注文をする。
しばらく談笑していたら、注文した料理がやってきた。野々村がクリームパスタ、西岡は冷やし担々麺、梢はカレー。
それぞれが頼んだ料理を食べながら、俺達は談笑の続きをする。
なんだか、久しぶりに安寧とした気分だ。一仕事終えた後、いいソファに座って、コーヒーの味を楽しんでいるような。
「そういえばー。来島くんってぇ、山桜先輩と付き合ってるんだよねぇ?」
このどこかぶりっ子っぽい喋り方は野々村だった。俺はいい気分なので、あまり雫の話題は出されたくないのだけれど、「……まあ、一応」とぶっきらぼうに答えた。
「山桜先輩が誰かと付き合うのも驚きだったけど、それが自分のクラスメートってのも驚きだわ。それで、どうして付き合う事になったわけ」
ちょっと凛々しい感じの喋り方。これが西岡である。
俺は「さあ、一目惚れでもされたんじゃないか」と誤摩化す。そうか、そういう所、どうやって誤摩化すか考えなくっちゃな……。幼馴染だって知られるのもめんどくさい、というか、どこから雫の裏の顔がバレるかわからないから、できるだけ隠しておきたい。
「そうだよな。俺らが罰ゲーム提案しなきゃ、来島はマドンナ先輩と付き合えなかったんだもんな」
エビフライを食べながら、シバケンがそう言った。恋愛話ってのは、女の子の大好物。花でいう水みたいなもんで、野々村と西岡は目を輝かせた。
「罰ゲームってなぁに?」
野々村はどんどんつっこんでくるな。容赦ねえ。
「トランプで負けて、雫に告白しろって言われたんだよ。まさか成功するとは思わなかったが」
「罰ゲーム?」ぴくり。梢の眉が動いた。「志郎は、山桜先輩のこと好きじゃないの?」
そうか、そういう話題になるか!
どこまで嘘を吐いていいのかわからない俺は、内心で慌ててしまった。好きだ、というのもなんかこう、そこまで嘘をついていいのかっていう……なんか、罪悪感があるっていうか。俺はなんとも甘い事を考えている。
「嫌いじゃねえ。まだ、本当に好きかはわかんねえ」
それだけ言うのが精一杯。
梢は、「好きじゃないなら付き合うのやめなよ。そういうの、よくないよ」と言った。見た目に反して貞操観念の強いやつだ。小悪魔系な容姿をしているくせに。
「いいじゃん梢っちー。恋愛なんて好き好きだよー」
「梢は意外と真面目だからな」
野々村、そして西岡が梢をからかっていた。梢は、「人としての道徳だよ、どーとく!」と、無知をからかわれた小学生みたいに歯を見せて二人の友人を威嚇していた。
なんとも梢に似合わん言葉だ。道徳。
だが、言っている事は正しい。好きじゃないなら付き合わない。正式に付き合っているというわけじゃないけれど、それでも、梢の言う事は正しい。
「……わり、ちょい、お手洗い」
食事中だったので、できるだけ清潔感のある言葉を選んで、俺は立ち上がる。
「おら、どけどけ」
千尋とテーブルの間を通ろうとした時、俺は足下に置いておいた紙袋を蹴っ飛ばしてしまった。
「げっ!」
しまった。
俺は慌ててテーブルの下に潜った。
上では、「だいじょーぶ?」と野々村の声。「手伝おうか」と西岡の声。
「いや、大丈夫だ」
返事をする。俺は、本やゲームを拾い集めた。あの野郎、エロゲーまで貸してくれてやがった。
そして、一冊の本が、梢の足の間にあった。
おい、マジかよくそったれ。俺は梢の足の間に手を伸ばす。それをなんとか回収して、俺はふと、上を見上げた。
梢と、目があった。
やつは、小さく、とても小さく、唇で「や、ん、で、れ」と呟いていた。
しまった。
俺の本能が、告げていた。
バレた、かも。しれない。
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