第4話『ぎすぎす』
しかし、晩飯を食べない事には俺の頭も働かない。
なので俺は、意を決して一回へと取り、家族と夕食を取った。今日の晩飯はカレーとシーザーサラダ。
サラダを先に片付けて、カレーだけを集中して味わってから、俺は風呂に入って部屋へと戻り、さっさと寝た。
腹が膨れると、今日はもういいやという気分になるのは、実に不思議。
そんなわけで、俺はたっぷりと睡眠を取った後、朝日で目を覚まし、ベットから起き上がる。
後は朝食を取り、顔と歯を磨いてから髪型を整え、制服に着替えてから家を出た。
「おはよう、志郎ちゃん」
すると、当たり前みたいに雫は家の前に立っていた。
俺はもちろん、やつに家を教えていないし、やつは俺の家を知らないはずだったのだが、しかしそれでも事実立っていた。
ストーカーしていたくらいだから知っていて当然だが、さすがに朝一で雫の顔を見るには覚悟が足りず、俺は驚いてしまった。
「お、お前……家の前にいるならいると言ってくれ……」
「え、でも彼女だもん。毎朝迎えに来るのは当然だよ」
そんなわけないだろ。っていうか、お前の家のが学校に近いじゃん。わざわざ遠回りしてきたって事になる。
そうなれば迎えにいくのは俺の役目だと思うのだが、雫と朝から会うのはでごめん被る。つまり迎えに来てもらうのもごめん被るのだが、俺がそれを否定したら、絶対雫の逆鱗に触れる。
だから俺は「む、無理はしなくていいぞ」と言うのが精一杯だった。
「無理なんてしてないよ。私も、志郎ちゃんに会いたかったし」
えへへ、と頬を赤くして微笑む雫。俺が雫の隠された顔を知らなければ、胸打たれていたかもしれんが、知っているので何か恐ろしい物に見える。
なんだか本当の彼女—―それも付き合いたてのバカップルみたいだ。
「んじゃ、行こうぜ」
「あ、うん」
俺と雫は、並んで学校へ向かい出す。どうでもいいのだが、こいつは俺へのストーキングを隠すつもりはあるんだろうか。
「今日のお弁当はね、昨日とはちょっと趣向を変えてみたんだ。志郎ちゃんの大好物で固めるのも悪くはないんだけど、それだと栄養バランスが偏るから。今日は栄養重視にしてみたんだ」
「弁当だって、別に無理して作らなくてもいいんだぞ」
確かに助かるのは事実。
昼飯代が浮くので、CDや本を買えるし。だが、あれだけの料理を作るのは大変だし、事実早起きしている。それを強いるほど金に困ってはいない。
肩の力を抜いてもいいんだぞ、という意味でそう言ったのだが、雫は突然立ち止まり、俯いた。
「え、なに。どした?」
少し遅れて立ち止まった俺は、振り返って雫を見る。
「……志郎ちゃん。さっきから無理するなばっかりだけど、私から何かされるの、嫌なの」
顔を上げた雫。
その瞳には、力が無かった。光も無かった。あるのはただ底深い深淵の黒。死んだ魚の様な瞳。
俺は思わず、気圧された。覇気もない、何も無い雫の瞳に、俺は何故か恐怖を抱いてしまったのだ。
「嫌なの。私が、お弁当作ったり、迎えに来たりしてるのに。それが嫌なの。私の事、嫌いなの。どうして。こんなに尽くしてるのに。なにが足りないの。言ってよ。全部言ってよ。私、ちゃんとするから。もうウザイ子にはならないから。志郎ちゃんの理想になるから。ちゃんと言ってよ。志郎ちゃんの理想を」
その言葉で、俺は雫が何を恐れているのか、わかってしまった。
雫は、あの時俺が言った『ウゼーよ!』という言葉。雫はあの言葉がトラウマになっていたのか。
軽い気持ちで言った言葉だったが、気持ちは軽くても言葉の重みが無くなるわけではない。
朝から深い反省をさせられてしまった。子供の時だったとはいえ、言ってはならない事だった。
「……安心しろよ」
俺は、赤ん坊に愛を語るように優しい口調に努めた。
「嫌じゃねーし、ウザイとは思ってねーよ」ごめん。ちょっと思った。けど、言わぬが花だ。「ただ、お前が大変なんじゃねーかと思っただけだ」
「……」雫は押し黙る。漬物石の下に潰されたぬか床みたいに静香だったが、すぐに笑顔が花開く。「そっか! ありがと、志郎ちゃん。心配してくれて」
ニコニコと笑い、また俺の隣に並ぶ雫。
よかった。雫爆発せずに済んだ。
……って、待てよ。え、俺、これをずっとやんの!? 爆弾処理みたいなもんじゃん! 赤と青どっちか切れって言われてる感じじゃん!
笑顔で雫との会話を楽しんでいる裏側で、俺はそんな事を考えていた。
俺が解放されるには、雫が俺以外に好きなヤツを作るか、それとも俺が雫に嫌われるか。
……どっちも無理じゃね?
■
学校につくと、下駄箱で靴を履き替え、階段で雫と別れてから(学年が違うので、雫は三階で俺は二階の教室だ)、俺は自分の教室である二年A組に入る。
「はよーっす……」
疲れた。言葉を選んで会話するってこんなにも心が疲れる事だったんだな……。
ふらふらと夢遊病患者みたいに頼りない足取りで自分の席に腰を下ろす。
「あぁー……。渋い茶が飲みてぇー」
俺がそう呟くと、俺の前に立った千尋が、「ほい」と緑色の缶を投げる。それを受け取り、お茶と書かれているのを確認した。
「なんでオメーはこういうのすぐ取り出せんだよ」
「こういうこともあろうかと思ってさ」
千尋はそう言いながら、俺の机に尻を乗せる。まあ、飲みたかったのはマジだし、俺は「ありがとよ」と言って、それを啜った。うめえ。染みる。
「どう? 彼女との登校は。幸せかい?」
「ははっ。最高」俺はニヒルに笑ってみせた。でも泣きたい。
「ふぅん。ここから見てたけど、すごい注目集めてたぜ。マドンナ先輩は人気者だからさ」
「ま、見た目はいいからな」
「……見た目は?」耳聡く、俺の言葉を拾う千尋。
しまった。こいつ、頭回るんだった。
「い、いや、ほら、結構アイツ、ドジなとこあるんだよ」
俺は誤摩化す為に、取り繕う言葉を口にする。
なんとなく、雫の本当の顔は隠しておきたかった。あの顔を作ったのは俺だし、きっと引かれるだろう。
それは俺が非難されている様な、そんな気がしてしまう。
雫が真人間に戻った時、それを知る人間は少ない方がいいんだ。
「ふぅーん。彼氏だけが知る顔、ってやつか。惚気るねぇー!」
千尋は、クラス中に大声で言った。
「来島ぁ! お前、マドンナ先輩と付き合えてるからってチョーシのんなよぉ!」
クラスの人気者ポジションである村田クンがそう言ってクラスの笑いを誘う。近くにいた女子に、「あんたじゃマドンナ先輩は無理」とかつっこまれてるし。くっそう。こいつら人の気も知らねえで。
俺は村田クンに「ははっ、うるせえ」と言いながら中指を立てた。俺は二割くらい本気だったが、みんな冗談だと思っているので、また笑いが起こる。
この俺とクラスの間にある温度差どうにかなんねえか。心にクる。
「調子くれてるみたいじゃん、来島」
と、そこにやってきたのは俺の悪友、渋谷梢だった。
バナナの皮で滑った間抜けを見る様なその顔に、俺は「そのムカつく面はやめろ」と言わざるを得なかった。
「んだよぅ。あたしにゃ冷たいじゃん。彼女にはどんだけ優しくしてんだか知らないけどさぁー。昨日家も行ってたんでしょ? どうだったん? 山桜先輩の部屋」
「いい匂いとかしたかい?」
千尋も、いたずらっぽい顔で笑って便乗してきた。そう言えば匂いは嗅いでねえや。……いや、意識して嗅ぐもんじゃねえよ。
「覚えてねえ。つか、その話題はやめろ。俺は彼女を自慢するような趣味なんぞ持ってねえし」
「自慢できる彼女だと思うけど。なんだか、志郎って妙にマドンナ先輩の話題出されるの嫌がらない?」
梢の言葉に、俺の心臓が跳ねる。
なんだってこいつらこんなに勘がいいんだよ! 俺が間抜けなのか?
「そんなことねえよ。まだ付き合ったばっかだから、話す事がないだけだし、仮にあってもそういう二人だけのノリをこういう場に出して来るほど野暮じゃねえんだ」
俺は粋な男だからな、と少しふざけた。
これで今後、俺が雫との事を話さなくても多少の説得力を生む事ができただろう。
「最後にふざけなきゃ、見直してたけどね」
梢は俺の肩をばしばしと叩く。
「え、見損なってたの?」
そこまで思われるような事はしてないわ。
「ういーっす!」
元気のいい声が教室に響く。入ってきたのは、シバケンだった。
やつはずんずんと恰幅のいい体を揺らしながら、まっすぐ俺の元へやってきた。そして、持っていた紙袋を俺に差し出す。
「ほれ! 俺の厳選したエグイの持ってきたぞ!」
「ちょっと、その言い方やめて。俺がアブノーマルな性癖のエロビデオ頼んだみたいになってる」
周囲で女子がひそひそやってるの見えてないのかこいつは。っていうか、梢も引いてんじゃん。体の距離だけじゃなくて心の距離も離れてるのわかるよ。
しかし、俺はそれでもその紙袋を受け取った。
「サンキュ。すぐ返す」
「おう!」
シバケンは親指を立てると、そそくさと席に鞄を置きに行った。
「シバケンに何頼んだの? まあ、シバケンに頼むものって言ったら、大体想像はつくけどね」
と、千尋は俺の紙袋を興味深そうに見つめる。
「エロ関係じゃねえよ。なんでもいいだろ」
「まあね。言いたくなさそうだし、言わなくていいよ」
「えーっ! あたしは聞きたいんだけど」
梢は納得していないらしい。なので俺は、紙袋を守る為に机の側面についているフックに紙袋を引っかけ、その上に鞄をさらに引っ掛ける。これで取り出すのが手間になった。
「気になる……」
まだ見る気満々らしい。勘のいい千尋や梢にこれを見られちゃ、気付かれる可能性がある。なので見せたくない。
「見るな見るな。見たらシバケンおすすめエロ本と同じ事をフルコースでしてやるからな」
「あははーっ。彼女の家に行ってキスもしてない志郎にそんな度胸があるならやってみなー」
「てっ、てめえ! なんでそれ知ってんだ!?」
俺は大声を上げて、立ち上がった。顔から血の気が引いて行くのがわかる。
まさか、梢も、俺のストーカーだったのか?
しかし、すぐに失敗したと思った。
こんなのカマかけだろうが。過敏に反応したら変に思われるだろ。
「し、志郎? なにさ、冗談だよ。決まってるっしょ?」
俺がそれ以上何も言わないことで、梢は俺が怒っているのか判断できなくなったらしく、機嫌を窺うみたいに、言葉を選んでいた。
「……わ、悪い。いや、ちょっと気にしてんだ。手出す出さないとか、デリケートだしさ」
もう一度「悪い」と言って、俺は頭を下げて座った。
ダメだ。完全に疑心暗鬼になってる。確かに、『俺ってストーカーされたにしちゃあんまり心にダメージ来てねえな』とか思ってたけど、ボディブローみたいに効いてきてる。
「……志郎、なんかあった?」
先ほどから、梢の言葉が俺の心臓を揺らし続ける。
俺の心臓は除夜の鐘じゃないんだから、そんなに揺らさないでほしい。
「なんもねえよ。彼女が出来て調子いいくらいだぜ」
ジッと、やつは俺の目を見つめた。
なんともキラキラした目だ。先ほどの雫とはちょうど反対に位置する、まっすぐに目の前の事だけに集中するような。スポットライトみたいな瞳。
「昨日はダメだったみたいだけど、今日は晩ご飯食べ行こーよ。疲れてる時はパーっとやるに限るよ」
梢が俺を心配してくれるのが伝わる。
優しいやつだ。俺は、少しだけ甘えたくなってしまった。
「……そだな。今日は行くか」
「彼女いるのに女の子と二人きりじゃ、心配させちゃうよ。僕とシバケンもいいだろ?」
「男三人〜? その中に女の子一人ってのはないでしょ。こっちも友達呼ぶか……」
めんどくさそうに、梢はそう言って、「んじゃ放課後にまた予定立てるよ」と席へ戻って行った。
「僕も戻るかなぁ。そろそろ授業だ」
梢の後に続いて戻って行く千尋。
俺はその背中に、人知れず礼を行った。もし梢と二人きりで食事に行って、その現場を雫に目撃されていたら、きっとヤツは爆発していただろう。
疲れを自覚した途端梢に甘えるとは、俺もヤキが回ったもんだ。
そんな独り言に、俺はナニモンだよ、というセルフつっこみを入れ、本を取り出して読み始めた。
本は自分の世界に引きこもる為の必需品だ。
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