第6話『たじたじ』

 俺は一瞬動く事ができなかった。


 俺に取っては長い一瞬だった。何をどうすればいいのかわからなくなってしまい、とりあえず本を紙袋に戻して、トイレに行かなければと思った頃には、もう三〇分以上を費やしたのではないだろうかと思ったほどだ。


 結局、それは三〇分どころか三〇秒ですらなかったのだが。


「トイレ、行かないのかい?」


 シバケンから借りた物を紙袋に戻し終えて、しかし梢が何をどう思ったのかがわからないままなので、俺は動く事ができなかったのだが、千尋のそんな言葉に反応して、「お、おう」と立ち上がった。


 今度は紙袋を蹴飛ばさない様に、千尋とテーブルの間を抜けて、俺はトイレへと向かった。


 店の隅にあるトイレへと入り、小便器に向かって用を足す。


「……どうするかな」


 梢がただ、『あー、またシバケンから妙なの借りてる』と思ってくれたなら、それが一番だ。しかし、俺は梢が成績悪いのを知っているけれど、それでもヤツがバカだとは思わない。


 あいつは異常に勘のいいやつだ。


 女の勘という物の存在を俺が信じているのは、梢がいるからだ。

 やつは人を見る目がある。


 ミステリで言えば、やつは閃きで事件を解決するタイプの名探偵だろう。


「バレてるのなら、対策を打たなきゃな……」


 梢に言わないでくれと頼むか?


 でも梢が雫の本当の顔に気付いていなければ、それはただの自爆にしかならない。

 結局梢が動くのを待つ事になる。


 俺は、すべて出し切った事を確認してから、モノをしまって手を洗う。


 手を洗う、という行為がなんとなく好きだ。実際にやる事はないと思うが、一時間くらい洗っとけと言われたら全然やる。二時間は嫌だと言うが、その程度には好きだ。


 エアタオルで手を乾かし、トイレを出た。


 席に戻り、シバケンと千尋の前を通って、自分の位置に座る。


 どうやら俺がいない間も話が盛り上がっていたらしい。野々村と西岡、千尋とシバケンで何かバカな話をしていた。俺が混じれる話がやってくるまで、俺は自分の和風御膳を楽しむ事にした。ほうれん草のおひたしをごはんに乗せて、食べる。


 この味が染みた葉っぱのなんとも言えない歯触りがいい。


 その味がごはんにも染みて来ると、これはもうごちそうなのである。飯は美味しく食べなくてはならない。人間の使命だ。


「ねえ、志郎?」


 梢は、半分ほどになったカレーを一旦置き、紙ナプキンで口元を拭くと、それを丸めてテーブルの隅に置き、テーブルに肘をついてニヤニヤと笑っていた。


「なんだ?」


 俺は飯を食べながら、梢の言葉に返事をする。


「あんたって、危ない女が好みなの?」


 俺の食指が止まった。

 もう確定的だった。こいつは、気付いている。


 いや、だが、まだわからない。シバケンの本を見て、俺の嗜好がそういう方向に行っているだけだと思っているだけなんだ。

 半ば現実逃避みたいに、俺はそう思った。


 梢がそんなに鈍い切れ味の勘を持っていたとしたら、俺は梢をここまで警戒していないというのに。


「……さあ、どうだかな。見当中」

「あたしさぁ、やっぱり、あんたが山桜先輩と付き合うのは反対だわ」

「なんだよ突然」

「最近、あんた変よ。あたしの冗談に過敏に反応したり、授業中泣き出したり。全部山桜先輩と付き合い出してからの奇行よね?」


 奇行だとは思うが、奇行って言うのはやめてほしい。その言葉にはもれなく頭がおかしいというニュアンスが含まれている気がするので。


「……しかも、期間が短すぎる。まだ付き合う様になってから実質二日しか経ってない。山桜先輩との間に何かあったのは明白。それも、先輩側になんの変化も見られない以上、あんただけに変化があったと見るべき。—―それはつまり、あんたが山桜先輩の『何か』を見つけてしまったからだと考えるのが自然」


 ちょっと俺の予想を越えて、梢の頭がキレすぎるんですけど。

 嵐の山荘とかにいけば、立派に名探偵できそうなほどだ。思わず「私がやりました」とやってもいない罪を白状しそうになる。


「そして、あんたがさっき落とした本……。山桜先輩は、『ヤバい女』だっていう線がもっとも濃厚だと思うんだけど、どう?」


 梢の言葉は、表情は、先ほどまでの飄々としたモノではなく、真剣そのモノだった。

 俺はそんな梢に、本当の事を答えたくなった。きっと、こいつは真剣に考えてくれるだろう。そう思った。


 けど、それがダメなのだ。梢を巻き込む事は、絶対にあり得ない。


 そう結論が出ているのに、俺は言おうかどうか迷ってしまった。何も言わない俺に、梢は


「……ここまで言っても、あたしはあんたを心配してるんだって、わかってもらえない?」


 心に、小さな針が刺さった。いや、自分で刺したのかもしれなかった。心の柔らかい部分に、ぶすり。罪悪感という名の針。


 俺はそれを聞いたら、余計梢を巻き込みたくなかった。友達だから。


「心配されるような事はしてねえよ。安心しろ。彼女が出来て舞い上がっただけさ」


 俺は肩を竦めて、『何を的外れな事言ってるんだ』と体で言った。決して的外れなんかではなく、どころか、ダーツならブルズアイだったが、それでも強がった。


「……そう」溜め息を漏らす梢。「いつでも、言ってよね」それだけ言うと、予想外に話が盛り上がっていた四人に、「あたし、そろそろ帰るわ」と自然な笑顔を見せた。


 結局、主催者である梢が帰るということで、いい頃合いという判断になり、その日は帰る事になった。




  ■




 帰宅して、俺は、風呂に入ってすぐベットに体を預けた。


 最近心の疲弊が激しく、寝付きがよくなった気がする。なんでもいいから、安らぎが欲しいのだろう。本来それは彼女に求める物なのだろうが、生憎と、俺の彼女(偽物だけど)が安らぎを求める原因なので、はたしてこの安寧を求める心はどこへ向かえばいいのか。


 ベットに転がって、天井を眺めながら、その天井に雫を描いた。


 雫の事は嫌いじゃない。しかし、恋愛感情は正直わからない。彼女にしたら、きっといい子だと思う。


 でもさ、でも。だからって、アレはない。


 俺は、あの思い出と一緒に執念も閉じ込めたアルバムを思い出していた。今日の事は雫にバレていない。カラオケボックスだったし、ついてきている雫もいなかったはず。


 彼女役というポジションを獲得できたことで、多少なりとも落ち着きが出たのかもしれない。


 眠い。


 目を閉じた。このままじゃ、寝てしまう。そう思ったけれど、睡眠欲には勝てない。

 ブラックアウト。



  ■




 翌日。土曜日だった。


 つまり、休みである。

 友人から誘いが無ければ、俺は部屋で音楽を聞きながら、読書に勤しむ。


 読書と音楽以外に趣味はなく、あとは飯が食えれば事足りるので、俺は家が大好きだ。


 最近はネット通販、電子書籍、家にいながら本を買う事ができる。素晴らしい。


 やっぱり自分の部屋は癒される。

 そうしていたら、スマホが鳴った。


 誰だくそったれ。俺の癒しを邪魔しやがって。


 発信者は、雫だった。


 出ない……ワケにはいかんよなぁ……。

 俺は渋々電話を取り、リモコンでプレーヤーを止めてから「もしもし」と電話に出る。


『あ、志郎ちゃん? 私、雫だよ』

「ああ。どうした?」

『デート、しようよ』


 含みたっぷりな彼女の声に、俺は思わず背筋が震えた。


 確かに今度行こうとは言ったが、まさか翌日即とは思わなかった。

 そう言って断ってもいいのだが、しかし雫の誘いを断って、爆発させるわけにもいかないし……。


 俺は、仕方なく「わかったよ」と言った。


『ホント!? —―じゃ、志郎ちゃん。まだお昼食べてないよね』

「ああ。……そういや、腹減ってきたなぁ」

『じゃ、一緒に食べようよ。今から……三〇分後くらいに、駅前来れる?』


 俺は壁にかかった時計を見た。時刻は一二時を少し越えた辺り。


「わかった。すぐ行く」

『うん、待ってるね』


 電話を切り、俺はクローゼットに飛びつくみたいに急いでパジャマから私服に着替えた。白字に英字のロゴが入ったTシャツと黒いジレ、そしてジーパン。


 急がねば。待たせるというのもあまりしたくない。何がきっかけで爆発するかわからんし。


 ……いや、その前に、すべき事があった。


 俺は転がり落ちるみたいに階段を降り、リビングでせんべいとお茶を楽しみながら、二時間サスペンスの再放送を見ていた母さんの前に立った。


「金貸してくれ!」


 母さんはせんべいをもぐもぐやりながら、


「いいけど」


 と言ってくれた。

 昨日のカラオケと飯で、今月の小遣い使い切ってたんだよ。




  ■




 軍資金は充分。俺はママチャリを走らせて、モノの一〇分もしない内に待ち合わせ場所である駅前についた。


「どうだ……。世界記録出ただろ……」


 あまりにも早く着きすぎたおかげでテンションが上がってしまい、妙な事を言い出した俺。


 近くの駐輪場に自転車を停め、駅前の円形広場へと入った。

 駅前には円形の噴水広場があり、「駅前で待ち合わせ」と言ったらそこで待ち合わせするのが、我が校生徒の通例である。


 つまり、ここで待っていれば雫が来るはず。


 俺は、缶コーヒーでも買って、ベンチで読書しながら飲もうかと思っていたら、俺は噴水の縁に座る雫を見つけてしまった。


 しかも、ナンパされてる。


「なんであいつもう来てんの……」


 俺は思わず絶句した。あいつ、準備を先に済ませてから俺に電話して、俺が了承したらすぐに出たんだな……?


「ねえねえ、暇してるんでしょ? 付き合ってよ。ここで三〇分も動いてないじゃん」


 爽やかな風貌の――おそらく大学生だろうか? 茶髪の、おそらくは美容師が丹念にカットしたと思わしき、ヘアカタログから飛び出してきたような髪型。


 黒いジャケットに灰色のVネックと、黒のスラックス。革靴もばっちり磨かれていて、見た目もいいしナンパの成功率は高そうだな、と思った。


 ……いや、ちょっと待て。三〇分前だと?


 あ、あいつまさか! ここから俺に電話したのか!?

 俺が来るかどうかなんてまだわかってない段階で!?


「すいません。暇じゃないです。そろそろ彼氏が来ますし」


 俺の驚きなど知らず、雫は淡々とそう言った。


「えー、でも、待ち合わせに三〇分も遅れて来る男なんて、彼氏としてどうなの? 僕ならさ、五分前行動どころか、一〇分前には来ちゃうね」


 残念ながら、俺は指定された二〇分前に来たぞ。


「……」


 まずいっ!

 俺は、雫の目から光が消えるのを見てしまった。そして、立ち上がろうとして—―

 そこから先、雫がどうしようとしたのかはわからない。何かする前に、俺が止めたから。


「おまたせっ! 悪いな!」


 そう言って、ナンパ男と雫の間に割って入る。

 ナンパ男は、意外そうに目を丸くして俺を見ている。だが、雫の嬉しそうな表情で俺が彼氏であると悟ったのか、


「よかったね。彼氏、ちゃんと来たんだ」

 そう言って、笑いながら去っていった。さすが成功率高そうなイケメンだけあり、去り際もかっこいい。


 よくマンガとかであるヤンキーみたいに殴りかかられたらどうしようかと思ったぜ。


 原始人じゃないんだから、法律には従わないとな。


「志郎ちゃん、早いね?」

「俺よりもっと早く来てるお前に言われたかねーぜ……」


 俺を呼び出す前から待ってたんだろ、と言うつもりだったが、やめた。

 そういう、雫の普通じゃない所には触れない方がいいんじゃないかと思ったのだ。


「いやぁ、今来たとこだよ?」


 俺さっきの話ばっちり聞いてたんだけど。

 ……何も言うまい。今来た段階でも早いっていう事は。


「そいで……どこ行くんだ?」

「まずは、お昼行こう、お昼。何食べよう?」

「ファミ……」ファミレスでいいだろ。そう言おうとしたが、俺は昨日もファミレスを利用している。


 そりゃあメニュー豊富だが、二日連続でっていうのも、なんだかなぁ……。

 だからと言って、ファストフードっつーのも、味気ないっつうか。


「俺は特に行きたいトコねーなぁ」

「だったら行ってみたいとこあるんだけど、いいかな?」

「ああ、どこでもいいぞ」

 あんまり高いとこはやめてね、とは言えなかった。

 だってほら。こういうのは男のアホな見栄じゃん?



  ■




 最寄り駅は、正直言ってかなり大きい。まず、駅ビルだけでなくショッピングモールが隣接している。


 なので、駅だけで相当遊べるのだが、今回は駅ビルの中、一階にある喫茶店『カンパーニュ』に入った。


 木目調の家具と暖色の照明で、実家の様な安らぎを感じる内装。

 俺と雫は、店員に案内されて席へと座り、メニューを開いた。


 喫茶店らしい。俺は喫茶店来たらナポリタン食べなきゃ気が済まないタチなのだ。


「雫は決まったか?」

「うん。フルーツサンドとコーヒーにしようかな」


 俺は手を挙げ、「すんませーん」と店員さんを呼ぶ。女子大生ほどだろうか。茶髪を後頭部で留めた美人さんが、ギャルソンの恰好をしている。


「ナポリタンとフルーツサンド。それから、コーヒー二つで」

「コーヒーは先にお持ちしますか?」


 俺は雫をちらりと覗き見た。首を縦に振る。


「お願いします」

「かしこまりました」


 にこりと笑い、店員さんは奥へと引っ込んで行った。

 その後、俺達は適当な話をして、時間を潰す。もっぱら、ヤツがどれだけ今日の事を楽しみにしていたか、という事だったが。


 そこへ、「お待たせしましたー」と、にこやかにコーヒーを持って来るさっきの店員さん。


 さっきからコーヒーのいい匂いが店の中に溢れていて、楽しみにしていたんだよな。


 しかし、そのコーヒーが俺達のテーブルに置かれる事はなかった。お姉さんの足に、小さな子供がぶつかったのだ。


「あ」


 親が見ていない所為で、善悪の区別がついていない子供。

 その子供の所為で、お姉さんはバランスを崩し、俺の元へ二つのコーヒーが飛んで来た。


 足へ吸い込まれる様に落ちるコーヒーは、俺のジーパンにしみ込み、皮膚を焼いた。


「あっちぃ!!」


 がたん、と跳ねる俺。カップの割れる音。

 何故か足にぶつかった子供は泣いてやがる。泣きたいのは俺だくそっ。


「す、すいませんっ。すぐ、お拭きします」


 と、お姉さんが俺の足下にやってきて、持っていたハンカチを俺のズボンに押し付けようとした。

 だが、


「どいてっ!!」


 いつの間にかお姉さんの隣に立っていた雫が、ものすごい声を上げると同時にお姉さんを突き飛ばした。


「志郎ちゃんに触らないでッ!!」


 俺の足下に座って俺のズボンにハンカチを圧し当てる。


「大丈夫? 志郎ちゃん。酷い事されたね」

「お、お前なっ。さすがに言い過ぎだし、俺は別に大丈夫だ! す、すいません店員さん。俺は大丈夫ですし、気にしないでください!」


 そう言うと、店員のお姉さんは「す、すいませんでした」と頭を下げて、去って行った。

 ……涙目でした。


 俺はどうにも、雫の事を甘く見ていたようだ。もうこの店来れねえよ。

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