第7話『エマージェンシー』

 翌朝、俺はなんだか痛む頭を引きずりながら、着替えを済ませて一階のリビングに降りた。そこでは、母ちゃんが朝飯を食べながら朝のニュース番組を見ていた。


「おはよう」

「ん、おはよう。今日の朝ごはんはなめこ汁と卵焼きにほうれん草のお浸しだよ」

「さすが母ちゃんだ」


 俺は軽く拍手しながら、母ちゃんの向かいに座って、いただきますと手を合わせる。

 さすが元料理人である。街の有名レストランで副料理長スー・シェフやっていたという経歴、信じてもいいな。イマイチ、母ちゃんがかつて何をしていたか、なんど聞いても話が飲み込めないのだ。


「はー、やれやれ。物騒な世の中よねえ」


 母ちゃんが、テレビを見ながらなにかつぶやいている。やはり、専業主婦として、家で一人テレビを見ていると、独り言が増えるんだろうか。


 そんな母ちゃんの独り言が気になってしまい、テレビを見ると、そこには二股をかけた末、相手の女に包丁で殺されている男のニュースが流れていた。


 ……朝から嫌なもん見ちゃったなぁ。


「ほんっと、二股かける男なんて、最低よねえ。志郎はほんと、モテなくてよかったわぁ」


 俺の中に『バカにすんなよぉ!』と『ほんとごめんなさい』という気持ちがごっちゃになって、逆に心の水面がビタッと止まった。


 仕方ないのだ。これはもう仕方ない。バレなきゃいいんだもの、母ちゃんにバレなきゃなんの問題もない。


「息子をモテないってイジメて楽しいか? 食欲失せちゃうよ」

「嘘つけ。あんた、風邪の時でさえステーキ食いてえだのとんかつ食いてえだの言ってたじゃない。そんなやつがその程度で食欲なくすか」


 ごもっとも。

 俺は食欲がなくなった事がないし、記憶にある限りでは食事を残した覚えがない。いったい、食欲が無いとはどういう気持ちなんだろうか。そろそろ味わう気がする……。


「モテないのは、お父さんと似てるけどねえ。その目つきだけはホント、誰に似たのかしら? それさえなきゃあ、もう少し親しみやすいんじゃない?」

「うっせえなぁ。これ生まれつきだろ、どうすりゃいいんだよ」

「んー……。サングラスでもしてみる?」


 お母さんが昔してたやつ、貸すわよと言われて、俺は断った。学校にしてけってか? 即没収だわ。


 そんなくだらない話をしながら、俺はささっと飯を平らげ、少しコーヒーで一服してから、学校に行く勇気を引っ張り出し、ダイニングから立ち上がる。


「んじゃあ、学校行ってくるわ……」

「はーい、行ってらっしゃい」


 キッチンで洗い物をしている母ちゃんに軽く手を振り、玄関で靴を履き、ドアを開けた。


「……えっ」


 家の前には、俺を待つ二人の制服女子。


「おはよっ、志郎ちゃん」

「はろはろー、志郎」


 雫と、梢だった。

 なっ、なんで二人が一緒に、笑顔で、俺の家の前にいんの?


「うっ……」


 胃、胃がいてぇ……。

 なんか、胃の中で竜巻でも起こってんのかってくらいかき回されてる気がする。


「ちょっと! なんでそんな嫌そうな顔なわけ? 美少女二人が迎えに来てんのよ!?」

「ちょ、梢さん……。美少女って……」

「いいじゃないですか。少なくとも、雫先輩は学園のマドンナなんですから」

「そのあだ名もちょっと……」


 雫が顔を赤くして、俯いている。意外と自己評価が低いんだよな、雫。そういうところは、子供のときから変わってない。


「つか、あれ?」


 いま、梢なんつった?

 雫先輩? 雫の事、名前で呼んだ?

 いや、それは雫もだ。梢の事を名前で呼んでたぞ?


「お、お前ら、いつの間に名前で呼び合うようになったんだ?」


 俺の言葉に、顔を見合わせる二人。なんだかその様は姉妹のようだった。


「昨日解散した後から、だよ?」


 と、首を傾げる雫。そりゃ、タイミングとしてはそれくらいしかないだろうが。俺はきっかけを聞きたいんだが。


「別にいいじゃん。一緒に出かけたらもう友達よ」


 そんなタイマン張ったらダチみたいな言い方で済むかよ。お前ら、恋敵じゃなかったの?(何度言っても慣れない恥ずかしさがある)


 仲良くなってくれればいいな、という目論見こそあったが、しかし、ここまであっさり仲良くなられると、さすがにそれは上手くいきすぎて疑ってしまう。


 考え込んだ所為でぼーっとしていたら、なぜか二人が俺の両側に立ち


「いいから行こう。まだ余裕あるけど、遅刻しちゃうよ」

「そうだよ、志郎ちゃん。早く行こ」


 と、俺の両腕をがっちりロックしてきた。

 要するに、二人の女の子と腕を組んでいる状態である。


「いや、あの、これはいったいどういう……?」


 左右から、なんだかふんわりと甘い匂い、果実に近い? ような匂いがして、すごく柔らかい物が俺を挟んでいる。


 なんだ、俺は前世でどういう善行を行ったんだ?

 最低な二股男になろうとしていたとは思えないラッキーだぞ? 素直に喜べないが。


 っていうか、これで学校行けってか!?

 ふざけんなよ!? 女子二人侍らせて学校行くって、俺どういうキャラだよ!


 一応これでも、学校では目立たない普通の男なのよ!?


「あの、これで学校行くんですか」


 俺がブレーキを踏んでいるのに、二人の力が強すぎて全然抵抗できてない。不登校児が無理矢理学校に連れて行かれそうになってるみたいな光景だ。


「そうよ。当たり前じゃない」

「うんうん」


 呆れたような梢と、頷く雫。

 なんでお前らがそんなに余裕なのか、俺にはわからん。これから学校に近づくにつれ、いろんな人に見られるだろうが。


 雫となら、まだわかるんだよ。俺は公では、雫と付き合っている事になっているんだから。そこに梢が加わると、変な事になるだろ。


「や、やめようぜそういうのは……。し、雫はこういう、変な目立ち方苦手だろ?」


 俺の知っている雫は、すごく恥ずかしがり屋だったはずだ。


「だ、大丈夫だよ志郎ちゃん。私、頑張るから」

「……いやいやいや」


 何が大丈夫で、どう頑張るのか。

 俺はちらりと梢を見るが、なぜか梢はふん、と鼻を鳴らし、「あんたが悪いのよ」と意味深な事を言ってきた。


 ……俺が何をしたってんだ?

 心当たりがないこともないのが、心苦しい。



  ■



 人間、なにか一つでも感情が許容量を超えると、リセットがかかるらしい。


 二人の女の子に腕を組まれて登校という、ちょっと悪趣味な夢を叶えた俺は、同じ学校の連中から奇異の目を見られながら、やっとこ自らの教室までたどり着いた。


 梢は下駄箱で雫と別れた辺りから腕を離してくれたので、学校内ではそれほどでもなかったが、なにせ雫が絡んでいるのだ。俺の噂はすぐ広まるだろう。


「おいおい……。どうしたんだ、こいつ」


 俺の前で、シバケンが親指で俺を差し、千尋と話していた。


「知らない。なんか最近、志郎の感情の振り幅大きいよね」


 疲れそうだよ、と、俺の前にイチゴ味の飴玉を置く千尋。ありがてえ。そいつをひょいっと一口食べて、甘さで脳を癒す。


 シバケンも、なぜか俺の前に封を開いたチョコウエハースの袋を起いてくれたので、俺はそれをぽりぽりかじった。


「なんかホスピスに入って余生を過ごしているじいさんみたいだな」

「その例えは洒落になってないんじゃないかな……」


 一歩間違えたらそうなりかねないかもしれない俺は、額を机につけて、深い深い溜め息を吐いた。


「なんなんだ一体……すげえ二人が仲良くなってんだよ……二人して俺の家に迎えに来て、腕組んでくるんだもん……すげえ目立ったよ……」


 顔を見合わせる千尋とシバケン。


「……なんかよぉ、俺、なんでこいつに協力してんだか、わかんなくなってきたんだけど」

「わかるぅー」


 ものすごく冷たい事を言い出している親友二人。俺はその言葉になんだかひどく泣きそうになり、嗚咽を漏らしてみた。


「うっ、ううう……親友二人が冷たい……。俺はやはり一人か……」

「いや、どっちにしても、現状だと一人ではねえだろ」


 マドンナ先輩と渋谷がいんじゃん、と冷静なツッコミを入れてくるシバケン。そりゃそうだけども。


「でも、こうなってくると、昨日の選択ミスが痛いかも。昨日、なにかあったのは間違いないし」

「あぁ、そうだな……。一体なにがあったんだろう……」


 千尋がうんうん唸りながら考えていて、一応真剣に考えてくれるのがいいやつだなぁ、という温かい気持ちにさせてくれる。シバケンも、考えてはくれているらしい。


 友達に恵まれたもんだ。俺なら、なんだお前贅沢者が、と言って、見捨てる可能性すらある。


 ……ほんと、二人に何があったんだろう。


 なんで急に、あんな距離が縮まったんだ?

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