第11話『諦めたら、何の為に』

「楽しかったみたいだね、志郎ちゃん」


 酷く小さな声。そんな雫の言葉は、デートに後ろから着いてきていた事を言外に語っていた。


「……まあな。楽しかったよ、やっぱ恋人がいると青春にも張りが出らぁ」


 雫と向かい合うと、なんだか心がざわつく。

 でも、俺はもうそのざわつきがなんなのか知っている。これはただの罪悪感だ。雫を傷つけ、彼女に努力させてしまったから、俺は彼女に対して罪悪感を抱いている。

 だからなんとかしようとしたのだが、それはよくないと思ったのだ。だって、俺は梢が好きで、彼女に向き合わなくてはいけないと思ったから。


 俺には俺の都合がある。雫にも、雫の都合はあるが、都合が合わない。

 ただそれだけの話だ。


 だから、俺は今から酷い事を言う。それでも、それは俺から雫に言える唯一の事だ。


「お前もさ、俺の後をつけるのはやめろよ。何度も言うけど、俺はお前の気持ちに応えることはできない。だから、お前はお前で、俺以外の男を見つけてくれ」


 俺に出来ることは、俺から離れた雫の幸せを願う事だけ。


「何、言ってるの、志郎ちゃん。私がそんなこと、許すと思ってるの……」

「許す許さないじゃねえだろ、俺はお前と付き合えないって言ったんだ」

「どうして、なんで!? なんであの子なの!? 私は志郎ちゃんに認めてもらえるように、たくさん努力したのに!」

「……あぁ、それはすごいありがたいと思う。でもさ、それでも、梢が好きになっちまったんだ。……頼むよ、雫。俺の事は忘れてくれ」


 じゃあな。

 そう言って、俺は雫に背中を向け、帰り道を再び歩き出す。


「諦めない……。志郎ちゃんを諦めたら、私は、何の為に……」


 そこから先、何か言ったんだ。

 俺はそれだけが聞こえなかった。だから、気になって振り返った。その時すでに、雫はいなかったけれど。


「……何の為に、か」


 そんなの、自分しかわからん。

 少なくとも俺は、雫の為にと思って突き放した。アイツに恋愛感情を抱けない自分の都合もあれど、だ。


「あーっ……」


 だっせえ、と心の中で誰かが呟いて、ため息が漏れる。

 俺は今、悲劇のヒーローぶってるんじゃねえのか、なんて思っちゃって。


 だから恋愛って嫌いなんだ。

 恋愛小説で主人公がサブのヒロイン振る時につらそうにしてんのも、かっこつけんなって思ってたし。

 それが自分で似たような事してるなんてな。


 なんだか無性に寂しくなった俺は、とっとと家に帰る事にした。

 母ちゃんが晩飯を作って待っている。


 ……結局のところ、俺ってヤツぁ、まだまだガキで、女の子をキチンと振ってやる事もできねえミジュクモノ、ってやつなんだろう。


「大人になりてえな……」


 今までで一番、本心からそう言った。

 大人になって、ダサくない男になりたかった。



  ■




 そんな風に悶々として過ごしていく中の、とある日曜日である。

 俺は最近梢にかかりきりだったこともあって、シバケンと千尋から「ダチをほったらかして女遊びたぁ、男子高校生の風上にも置けねえやつ」と言われたので、仕方なく梢に頭を下げて、シバケンの家に集まっていた。


 現在はシバケンが新しく買ったというゲームソフトのプレイを見ながら、ダラダラとしていたところだ。


 シバケン家は漫画とゲームが充実してていいよなぁ、俺は本とCDに全財産突っ込んでるから、この二つが気分じゃない時、どうしても難儀してしまうのだ。


 普通、子供ってのは漫画から本に移行してくのに、俺はなんでか漫画をすっ飛ばして小説行っちまったからな……。漫画がすげえおもしれえ。


「ねえねえ志郎、変わってよ。このボス強くてさぁ」

「けけっ、千尋はゲームだきゃ異常に下手くそだよなぁ、まだ序盤も序盤だろうが」


 と、隣で千尋のゲームを見ていたシバケンがごきげんそうに笑っていた。千尋は天才肌だから、大抵のことは上手くこなせるのに、ゲームはシバケンに全然勝てないのだ。


「俺だってそこまで上手かねえんだよ、それに今、漫画いいとこだから」

「……めずらしいね?」


 千尋が、首を傾げながら、俺の手元を見つめていた。

 持っていたのは、有名少年誌でちょっと前まで連載していたラブコメである。四人のヒロインの内から一人を選ぶ、という物で、そこに至るまでをお色気描写と濃厚な心理描写でバランス良く描いていく。


 あまり読んだことのないジャンルだったので手に取ったのだが、いいもんだな、こういうの。


「めずらしいって、なにがよ」

「おぉ、そういや珍しいじゃねえか」


 と、何故かシバケンまで俺の手に持っている漫画を指差して笑っていた。


「んだよ? 俺だって別に男だから、こういうお色気漫画好きだぜ」

「来島がラブコメ読んでるなんて、珍しいじゃんかよ。お前、恋愛がメインの創作は好きじゃねえんだろ?」


 言われて、ハッとした。

 俺はどんだけ引きずってんだ、と。まるで答えを求める様に漫画なんて手に持って、何やってんだ俺ぁ。


 漫画を本棚に戻そうとすると、シバケンが「いやいや、別にからかったわけじゃねえって。好きに読めよ」なんて言ってきた。


 しかし、どうにもこんな気分でラブコメが読めるわけもない。


「どうかした? 志郎。なんかあんなら聞くよ」


 少し迷った。

 別に話すことでもない。なぜなら、この件はもうカタがついてるからだ。俺は雫を振ったし、そうして梢と付き合っている。


 なんの問題もない。二股してるってんなら大問題だが、俺はスジをきっちりと通したはずだ。


 でも、一人で抱えておくには、ちょっと厳しい。


 友達にも、この重さを少しわかってもらいたかった。


「……いや、告白されてさ、それで付き合わないって相手を振るの、なかなかしんどいな、と思ってさ」

「あぁ? 彼女のいない俺たちへの自慢話かよ?」


 シバケンが顔を不機嫌そうに歪めて、テーブルに置いてあったコーラで唇を濡らす。別にそういうわけではないのだが……。


「俺と、山桜雫は幼馴染だったんだ、実は」


 顔を見合わせる千尋とシバケン。そして、何を言おうか喉の奥でモゴモゴやっていたら、千尋が「マジ?」と、恐る恐る尋ねてきた。


「あぁ、マジ。小学校くらいの時に疎遠になったけどな」

「……あっ、だから最初の告白の時、お前ら親しげだったのか!? ……んで、昔からお前が好きだったマドンナ先輩は、告白をOKしたってことか!」


 シバケンの飲み込みが早すぎる。が、それはそれで話が早くて助かるが。


「あぁ。最初は偽の恋人として、だったが。最初は俺もそれを信じてたけどよ、どうも雫は最初から本気で、小学校の頃、俺があいつから離れていったのを気にして、ずっと努力してきたらしいんだ。……俺があいつを嫌ったと思ったから、あいつは俺に好かれる為にずっと頑張ってきたって」


 二人は黙っていた。何を言うべきか、わからないのかもしれない。俺だって逆の立場ならなんと言葉をかけるべきか迷うけれど、それでも俺は迷っている側なのだ。相手の事を感がている余裕もなければ、正答を期待しているわけでもなかった。


「でも俺はあいつに恋愛感情はなかった。ただ、俺に縛られている状況ってのが見過ごせなかったから、あいつに立ち直ってほしかったから、そばにいたけど……」


「渋谷の事を好きになってしまった、と」


 千尋は「そっか」とだけ言って、また黙ってしまった。


「でも、俺が構えば構うだけ、あいつに気を持たせるんじゃないかと思って、俺は言ったんだ「俺はお前とは付き合えない」って。でもさ、こんな俺の為に努力してくれた雫には、すげえ悪いことしたよなって、胸ン中にモヤモヤが残っててさ」


 そんだけさ、そんだけ。

 俺は乾いた笑みを浮かべて、千尋の手元にあったコントローラーを取った。


「ここのボスぶっ倒しゃいいんだろ? 見とけって」

「……志郎って、すげえ不器用だよね」


 千尋がそう言って、何故か妙に温かい笑みで俺を見ていた。


「ホントだぜ。今時よぉ、そんな事気にすんなって。振った振られたなんて話、そこらにあるんだぜ。山桜先輩くらいの女なら、お前よりいい男なんざ余裕で見つかるぜ。そん時に、お前の言う、努力? ってやつだって実を結ぶはずなんだし、全部が全部無駄ってわけじゃねえさ」


 そう言って、シバケンが俺のコップにコーラを注いできた。


「努力は望んだ方向に伸びるとは限らねえが、どっかにゃ向かってんだ。決して無駄にはなるまいよ」


 そんな、シバケンの言葉に、俺と千尋は吹き出した。


「でゃーっはっはっはっはッ!! テメエ何かっこつけてんだよぉ!」

「似合ってないよシバケン!」

「てめえっ! 千尋はともかく来島は笑ってんじゃねえよ! いい事言ったろいま俺!」

「どーせあっこのどれかにある漫画のパクリだろ」


 俺が本棚を親指で差すと、シバケンが俺の手を掴んで「バカバカそんな事ないぞっ。俺の心から出てきた言葉だから!」と、餌をねだる子犬みたいな笑みを向けてきた。


「千尋ぉ、元ネタ本棚から探そうぜ」

「いいねえ」

「バカよせやめてっ! 俺の名言って事にしといて!」


 立ち上がった俺と千尋の足にすがりつくシバケン。それを振り払おうとする俺たち。


 こんなバカをやっていると、何もかもが大した事のないような気がしてくる。

 やっぱ落ち込んだ時は、友達とバカやんのが一番。


「ん……? ちょっ、待て待てシバケン、リアルに離して」


 ズボンのポケットに、入れていたスマホが震えていた。

 画面を見ると、そこには、雫からメールが来たことを知らせるサイン。


「雫……?」


 猛烈に、嫌な予感がした。

 全身の血の気が引く感覚。小学校の時、確実に怒られるとわかっているのに家に帰らなくてはいけないあの感覚だ。

 絶対にこれを開いたら、嫌な事と向き合わなくてはならないとわかる。


 でも、それでも、開かなくてはならなかった。



『志郎ちゃんに、私だけを見てもらうから、待っててね』



 その文面で、俺の本能が危機を告げていた。

 考えるより前に、俺は走り出していた。背後で二人が何か言っていたけれど、聞いていなかった。


 梢が危ない。


 確信を持って、そう言えた。

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