第14話『ブレーキ』
俺はもともと、雫と梢の二人が病んでいるのだと思っていた。
傷つけてしまったからこそ、俺には二人を癒やしてやる必要があるんだと思っていたのだ。
二人が涙を流さないようにするのは当然じゃないか。俺がどんな代償を払おうとも、その涙を止める義務がある。
「違うんだよ。普通、そんなことは考えない」
雫はまっすぐ、俺の目を見ながら行った。
なんでだ? だって……そうしないと、生きている資格がないようになってしまって、心が痒くなるような気がするじゃないか。
「まあ。あたしらも別に、人のこと言えたもんじゃないけど。でもまあ……志郎の向こう見ずには負けるよ。あんた……あたしらが何やらかしても、本気で怒らないんじゃないの」
お腹とか刺されても、許すんじゃない?
なんて言って肩をすくめている梢。
いやいや……さすがに腹刺されたら、即警察に通報するし大声で泣き叫ぶけどな……。
「いろいろ考えると、どうしても……志郎ちゃんはやっぱり、そういうところがあると思うの。私達二人を放って、困っている女性を助けたり、他の女の子と仲良くしたり、どうにも行動がおかしいっていうか……」
それをこの二人に言われるのは、どうにも腑に落ちないのだが。
俺のは、純然たる善意であり下心はない。というか……知らない人でも同じようにする。
「だからね、志郎ちゃん。私と梢ちゃんから……とっても大事なお願いがあるの」
「そう。あたし達、それを守ってくれるんなら全然仲良くするから。別に、二人を彼女にしたいって言い出しても、まあいいかな」
おいおい……それはまあ、願ったり叶ったりではあるんだけど(二人に彼女になってほしいわけじゃないが)。
しかし、こんだけ丁寧に前フリされりゃ、何を言われるか、よくわかる。
「私達以外の女の子に、優しくしないでほしいの」
俺は「もう付き合ってるみたいな言葉だなあ」と思い、それを言おうともした。
でも、その言葉を口に出すことはできない。雫は……いや、雫だけでなく、梢までもが、真剣な表情をしていた。
頷くべき、なんだろう。それくらいは俺にもわかったし、なにより……。
この二人はマジだ。本気で俺を心配しているんだ。
なら、無理でも頷くしかない。
俺にできることは、それしかないのだから。
「……努力はするよ。いくらなんでも、すぐ変わることができる、とは思わないでくれよな」
俺はそう言って、小さくため息を吐く。
わかったよ、と言えないのは、俺もそのことをどこか自覚しているからなんだろうか。
■
俺からそんな言葉が聞けたことに安心したのか、雫と梢は
とりあえず安心したらしく、その後はある程度普通にタコパを楽しむことができた。
まあ、さすがに恋敵同士(慣れないなあ、この呼び方)であることもあって、すこしぎこちない時もあったが、仲良くなってくれてよかった。
……仲良く、なったのか?
深く考えようとして、やめた。
傷つけ合わないのなら、仲良くなったと考えていいだろう。
なんだか妙に、自分の心の置所がわからなくなりながら、俺もたこ焼きを食べていると解散になり、雫と梢から「他の女に手出し無用!」と念を押されてしまう。
そんな気は毛頭ないが……。
まあ、多分、愛美ちゃんのことなんだろうなあ。
俺はそのことを思い出しながら、帰路を歩いていた。
なんだか騙されたような気分である。
シバケンも千尋も、言ってしまえば雫と梢とグルだったわけで。
俺が二人を落ち着けようと思ったら、俺のほうがたしなめられていたわけで。
こんな不意打ちってないだろ。
そんな風にぶつくさ言っていると、あっという間に家で、俺は母ちゃんの飯を食い(たこ焼きでは足りなかった。育ち盛りなんで)。
部屋に戻り、ベッドに寝転がって、図書室から借りてきた“サロメ”を読むことにした。
とても簡単に言うと。
ユダヤの王女、サロメは宴会を抜け出したときに出会った、囚われの男、ヨハナーンに一目惚れをする。
兵士に美しさをダシに、ヨハナーンを介抱するように願い、ヨハナーンへキスを願うも、にべもなく断られてしまう。
その美しさで大抵の男は言うことを聞いてくれるが、ヨハナーンはサロメになびかない。
何を頼んでも拒絶されてしまう、そんな他の男とは違うところが、彼女のヨハナーンへの気持ちは高めたのかもしれない。
結局、ヨハナーンは自ら囚われの身に戻る。
そしてそれが、サロメに何を思わせたのか。
俺にはどうしてもわからなかった。
彼女は、義理とはいえ、父ですらその色香で惑わせる女。
ユダヤの王であり、サロメの父であるヘロデは、サロメに踊りを要求し。
彼女はその踊りの対価に、ヨハナーンの首を要求した。
そして、彼女は銀の皿に乗せたヨハナーンの首を持ち上げ、口づけをし……。
ヘロデ王から命令された兵士たちに殺されてしまうのだった。
「……ふう」
俺は、枕元にサロメを置き、ため息を吐いて天井を見上げた。
俺にはどうしても、サロメの気持ちがわからない。
文化的な背景の違いもあるのだろうし、育ってきた環境も違いすぎるし、年も違う。
何もかも違うが、頭の中でサロメになりきった俺を想像しても、どうしてもヨハナーンを殺してまで、口づけをしたかったのか。
ただ、美しさにプライドを持っていたサロメが、拒絶されたから気に入らずにやった、という風にも思えない。
殺される、とまでは思わないまでも、少なくとも首を切ってまでやったら、それは周囲からの見る目も変わるとわかったはずだ。
それでも彼女はやった。
どうしても、ヨハナーンの唇が欲しかったのか?
ううん、わからん。
俺がそんなふうに考えていると、スマホがぶるりと一瞬
震えた。
どうやらメッセージらしく、そこには
『こんばんは、桃井です。もうサロメ、読みました? お返事は、読んだらで大丈夫です』
と記されていた。
そういえば、感想を愛美ちゃんに送るという約束をしていたな……。
そう思いながら、俺は雫と梢の「他の女の子に手出し無用!」の言葉を思い出していた。
いや、しかし、約束を破るっていうのは。
っていうか、これって別に手出しじゃないし……。
今回注意されたのは、女性を助けるみたいな行動のこと、だよね……?
別に、俺は愛美ちゃんと恋愛関係になりたいわけじゃあない。なら、いいですよね?
なので、俺は特に気にせず、愛美ちゃんに返事をすることにした。
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