第9話『ざわざわ』
翌日。朝学校にやってきてまずする事は、千尋にジョーのCDを渡す事だった。
「ほれ、金払え」
教室でシバケンとダベっていた千尋にCDを差し出し、やつは受け取って、「ありがとう」と爽やかスマイル。なんかのCMみたい。
「いくらだっけ?」
「二〇〇〇円」
千尋は財布から札を二枚抜いて、俺に手渡した。
「どうだった? 聴いたんだろ、ジョーのCD」
「最高。今回は基本的に上品な感じのが多かったが、やっぱ下品でうるさいのがジョーの持ち味だし、そっちの曲の方がいいよな。相変わらずギターもかっこよくってさぁー」
「プレイヤーにもう入れてるんだろ? 貸してよ」
「ふざけろ。俺は今から授業をさぼって、屋上で本を読む」
「あぁ……病気か……」
シバケンは溜め息混じりに呟いた。
「ジョーのCD出たらいっつもだもんな」
屋上で本を読みながら音楽を聴く。これが俺のくつろぎスタイルである。最近はいろいろと大変だったし、いいタイミングだ。
「代返とノートよろしくー」
そう言って、俺は自分の机に鞄を置き、教室を出た。
屋上に行くのは、非常階段からだ。元から入れる気がない設計だったのか、校舎内に屋上へ行く為の扉がなく、あとからつけられたらしい簡単な非常用階段が外につけられているだけ。
かつて何代か前の先輩方が、「屋上に入れないなんて青春をなんだと思ってるんだ」と抗議した結果、その非常階段が出来て入れる様になったらしいが、その先輩方が屋上で大暴れした結果、入れなくなったのだ。
だが非常階段でやっと入れるようになったくらいの屋上である。フェンスに南京錠がかけられている程度なので、侵入しようと思えばいくらでも出来る。
俺は、南京錠の裏にはっつけてある針金(俺が貼付けた)を使い、ピッキングして屋上に侵入する。
適当な場所に腰を下ろして、イヤホンを填めて音楽を流す。そして、小説を取り出した。
暖かい日差しの中、いい音楽を聴きながら本を読むなんて、こんなに幸せな事はそうないだろう。
今読んでいるのは、シバケンから借りた資料ではなく、買ってまだ読んでなかったミステリ小説である。懐かしい香りのするクローズドサークル。
作家と読者の勝負みたいで、ミステリっていうのは本当に面白い。
「お、いたいた」
嵐の山荘。そこで行われる連続殺人。それを止めようとする探偵。様式美と言ってもいいほどの推理の場である。
「おーい、志郎。……無視すんなー」
探偵はもう犯人に目星をつけているらしい。この作家は、犯人が早々にわかるのだが、しかしどうやってやったのかがわからないのだ。俺はまだ、この作家に勝った事が無い。
……ん? 待てよ、さっきこの人変な事言ってたような。
「志郎ぉー!! 返事しろぉー!!」
イヤホンを取られ、耳元で叫ばれた。
「うぉー!?」
耳がキーンとなった。慌てて振り向くと、俺の隣には梢が座っていた。
「て、てめえ! 人が読書してる最中に邪魔するなっていう法律知らねえのか!?」
「や、そんな法律ないから」
途端にテンションを落とし、真顔で首を振る梢。
「いきなりテンション下げんのやめろよ……。どう反応していいのかわかんねえだろうが」
「あはははー」
笑いながら、梢は「はい」と言って、紙パックのコーヒー牛乳を渡してくれた。
「んだよ、気が効くじゃねえか」
「あたしもたまには授業サボろっかなーと思って」
そう言って、自分の分のコーヒー牛乳と、いくつかのパンをポケットから取り出した。
「お前、本格的だなぁ」
「へっへ。やるからには徹底的に、がポリシーなんで」
「そのパンくれたら、サボりにつきあってやってもいいぜ」
いまなら雫も授業中で、見てないだろうしな。
「おー、やっちゃってやっちゃって。たくさんあるから」
そう言って、梢は俺にアンパンを差し出した。それを受け取り、一口頬張ってコーヒー牛乳で流し込む。この甘さの怒濤攻め。雑な味。たまんない。
「にしても、いいもんだねぇー……。サボりって。四時間目で帰った小学校時代を思い出すよー」
そう言いながら背筋を伸ばし、遠くの景色に目をやる梢。
「下じゃまだ、みんな授業やってるっていうのにねえー」
梢は妙に楽しそうだった。俺はプレイヤーのスイッチを切って、イヤホンを本体に巻いてポケットにしまった。
「お前がサボりとは、珍しいな。授業聴いてないとはいえ、教室にはいつもいるお前が」
「高校の内に一回くらいはやっときたいじゃない? ……ま、それよりも、一つ訊きたい事があったっていうのがあるけどねー」
「なんだよ?」
「山桜先輩の事」
俺の心が、一瞬考える事を放棄した。だから俺は反射的に「なにか変なことでもあったっけ?」ととぼけるしかなかったわけで。
「千尋と私で、山桜先輩とそれに関する志郎の行動、言動を推測したんだけど、どうもクサいのよね」
「……俺が屁こいたのバレた?」
梢のグーパンチが俺の頬を射抜いた。歯が折れるかと思った。
「茶化すなあんぽんたん!」
赤くなった自分の拳を摩りながら怒鳴る梢に、俺は頬を摩りながら「冗談だよ。こいてねーよ」と不貞腐れたように言った。
「冗談禁止! マジ話!」
あんま大声出すと、下に聞こえるぞ。
言う前に気付いたらしい梢は、「あ」と一言呟いて、手で口を押さえた。そして一つ咳払いをし、
「アンタさ、山桜先輩好きじゃないんでしょ? ……とっとと別れた方がいいよ」
「女の勘ってやつか?」
俺は吹き出すみたいに笑った。しかし、どうも梢はマジらしい。
「女の勘。でも、かなり確信めいてる。アンタがシバケンから借りてた本、言動、あたしが感じた山桜先輩の印象。その全部が、アンタと山桜先輩は付き合うべきじゃないと告げてる」
「お前の勘はいつでもすごいからな。……でも、この事には口出しすんな。俺が望んでやってる事だ」
「じゃあ、やっぱりアンタも付き合ってたらまずいとは思ってるのね」
俺は黙った。
梢も黙った。
互いに決め手が無いのだ。自分の意思を押し通す言葉が見つからない。
俺の意思だって、相当堅い。しかし、何がそうさせているのかは知らないが、梢の意思も相当堅い。
俺は、溜め息を吐いた。
「アンタは山桜先輩と、罰ゲームで付き合ってるだけなんでしょ? 別れなよ。その方がいい。そんなの不健全だし、相手が悪いよ」
「……雫をああしたのは俺だ」
「は?」
突然外国語を喋り出した人間を見るみたいに、梢の表情が変わった。
「お前が山桜雫を良く思っていないなら、その雫を作ったのは俺だって言ってるんだ」
「なによそれ。だって、アンタと山桜先輩は、その時が初対面だったんでしょ?」
「違うんだ。……誰にも言ってなかった事だが、雫と俺は幼馴染なんだ。昔はああじゃなかった。大人しくて、地味で、俺の後を年上なのにずっと着いて来るようなヤツでさ。今でも、あいつがマドンナとか呼ばれてんの聞くとすげえ違和感がある。……そんなあいつを、俺は拒んだ。責任感じてるんだよ」
「ば、バッカじゃないの!?」
梢は、立ち上がった。
俺はそれを見もしないで、まっすぐ前を向いていた。梢の方なんて、見れないから。
「そんなの、アンタの責任でもなんでもないわよ!」
梢の言葉はいつだって正しい。こいつはいつだって真っ直ぐだった。
でも、正しい言葉が本当に間違っていないかと言われれば、それは違う。正しい言葉は、ただ正しいだけで、それだけじゃ人の心は揺さぶれない。
納得がいる。納得がなきゃ、人の心は傾かない。納得こそが言葉の重さであり、説得力だ。
俺の心は梢の言葉じゃ納得しない。俺は雫を元の雫に戻してやりたい。そうじゃなきゃ、俺に縛られたままじゃ、雫が可哀想だから。
「……志郎、アンタ。自分に何ができると思ってんのよ。あたしよりアンタの方が、山桜先輩の重大さわかってるでしょ?」
「ああ。でも、それで諦める理由にはならない。俺はやるしかないんだよ。そうじゃなきゃ、俺が俺を許せない。雫に納得できない言葉を押し付けちまった俺の、ケジメだからな」
今度は梢が溜め息を吐く番だった。
「……わかった。アンタの決意が堅い事。それだけが山桜先輩と付き合う理由なの?」
「まあ、そういう事になるな」
梢はまた、俺の隣に腰を降ろした。
「聞いちゃった以上、あたしも協力する。山桜先輩を真人間に戻すの」
「はぁ? なんでお前までやんだよ。つーか、お前に出張られちゃ困るんだ——」
俺は梢を怒鳴るために、梢と目を合わせた。しかし、ヤツの顔は何故か笑っていた。
「アンタ、好きな人っていんの?」
「なんだよ突然。いねーよ」
関係がまったくないという話ではないが、しかし今話す必要性はまったく感じられない。話が落ち着いてきたのを察して、俺はコーヒー牛乳を一口飲んだ。
「なら、まだチャンスはあるって事ね」
「チャンス? ……お前、なんか今言っちゃいけない事言おうとしてない?」
俺は、察した。けど、それからすぐに目を逸らした。まるで、テレビに嫌いな動物でも映ったみたいに。
それに気付いてはいけない。それに気付いてしまったら、俺が雫を戻すという動機の芯が違う風に見えてしまう。
「アンタはあたしが守る。アンタだけを傷つかせない」
「ば、バカやろっ。俺が、なんの為に一人でやってると思ってんだ。お前が危ないから——」
そこまで言って、俺は慌てて口をつぐんだ。それは言っちゃいけない事だ。梢に知られてはならない事だ。
けど、こぼしたミルクを瓶に戻す事はできない。漏れた言葉をなかった事にはできない。
「やっぱり。そうだと思った。もし山桜先輩が危ない女なら、まず間違いなく危ないのはあたしだって。あたしが山桜先輩の立場にいたら、きっとあたしを真っ先になんとかすると思うから」
舌打ちして、さっきの言葉は忘れてほしいという風に、俺は忌々しげな顔を作った。
「そういうのこそ、早めに言ってよ。あたしにも覚悟を決めさせてよ。あたしだって立派な当事者じゃない」
「まだなってねえだろ。俺はお前を巻き込みたくないし、雫にそんな事してほしくないんだよ。大事な友達と、大事な幼馴染だしさ」
「嬉しい事言うじゃん。……でも志郎、そんなんじゃダメだよ。甘やかすからつけあがるんだよ。少しくらい厳しくしなくっちゃ」
そう言って、梢は、俺の胸ぐらを掴んだ。
俺が何か言う間も無く、ヤツは俺を引っ張って、自分の唇を、俺の唇に押し付けた。
長い時間だった。下で、騒いでいるらしいクラスの喧噪が聞こえる。でもそれより、唇の感触の方がよっぽどうるさかった。
柔らかい。包み込まれるようだった。
温かい。安らぐようだった。
いい匂い。梢のシャンプーか。
美味しい。コーヒー牛乳の味か。
「んっ、んー!?」
俺は梢を引き剥がした。何秒、何分?
どれくらいキスをしていた。俺は、顔が赤くなるのを、全身が熱くなるのを感じた。ファーストキスを惜しむほどロマンチックでも乙女でもないが、まさかこんな形で終える事になるとは思わなかった。
「あたしの事は、もう少し甘やかしてくれると嬉しいな」
微笑んで、やつは俺の胸に頭を乗せた。まるで寄りかかる様に。
「バカ野郎! お前、なにしてんだ!」
怒鳴って、また梢を引き剥がした。
「覚悟、決めたんだよ」
なんのだよ。
なんの覚悟だって言うんだよ。
雫を元に戻す為、俺と一緒に頑張ってくれるっていう覚悟か?
それとも、何か違う——。
俺は頭を振った。
何かスイッチでも入れられたみたいに、俺の思考がおかしくなっている。
バカな事を言うな。バカな事をするな。
「『志郎ちゃん』って、呼んだ方がよかったりする?」
「お前……」
どうしていいかわからなくなった。でも、この場に居ない方がいい事だけはわかった。
だから、何も言わず、その場を後にした。
「志郎。頑張ろうね」
背中にそんな声をかけられても、返事はしなかった。
俺に何を頑張れっていうんだ。雫の事だけで、精一杯だってのに。
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