第10話『アドレス』
サロメを借りて、図書室を出ると、俺は久しぶりに普通の女の子と話せたことで、自分でも驚くくらい癒やしを感じていた。
いやぁ、なんだか久しぶりに他人と本の話ができたなぁ。読書家ならわかると思うんだけど、周囲に読書してる人間がいない上に、たまに出会っても波長とかタイミングが合わないと本の話とかしないんだよね。
キヌさんとは、そもそもそういう目的で話に行ってるからよくするけど、同年代とはしたことがないので、正直新鮮で面白かった。
若者よ、本を読もう。
帰ったら何よりも先にサロメを読んで、明日辺り愛美ちゃんと感想を言い合おっと。
「あーッ! いたぁ!」
教室にカバンを取りに行こうと廊下を歩いていたら、背後からいきなり大声がした。驚いて数センチくらい跳ねてしまい、振り返ると、雫を引っ張って梢が大股でこっちに向かってきた。
「よ、よう、お二人さん」
「よう、じゃない! ったく、放課後になった途端消えて、どこ行ってたのよ」
と、梢が俺の胸に拳をぶつけた。
図書室って、マジでこの学校のスイートスポットなのかもしれん。今後、使わせてもらおう。キヌさんの本屋と共に。
「秘密基地だよ。で、なんか用か?」
「はぁ!? なんか用って、あんた、私らがあんたのこと好きなの、忘れてんじゃないでしょうね」
そういう恥ずかしいこと、放課後とはいえ、学校の廊下で言うんじゃないよ。
「あのね、梢ちゃん……私も、大声で言われると、少し恥ずかしいかな……」
と、梢の背後で顔を赤くしてもじもじしている雫。
「とーにーかーくッ! 今日は、あたしと雫先輩に付き合ってもらうからね」
「あぁ。わかったよ」
どうも、これ以上二人を放っておいてもいいことはなさそうだし。
「ほ、ほんとに、志郎ちゃん?」
「あぁ。別に嘘なんて吐かないって」
この二人相手に冷たくするのは、さすがに勇気がいるし……。昨日は乗り気じゃなかったから断ったけど。
「ほいで、何をするんだよ。もうまあまあいい時間だが」
「別に、まだまだ
おいおい、高校生はもうちょっと早く帰らないと補導されちゃうんだぞ。
それに、俺は家に帰ると母ちゃんの飯があるし、できれば早く帰りたいんだ。
「なに無茶言ってんだ梢ちゃんよ。大体、雫はそんな時間までいれないだろうが」
「わ、私は大丈夫っ。頑張る」
と、雫は両拳を握り、鼻息荒く俺の顔を見ていた。
何がそこまで彼女のやる気を駆り立てるのか、遊ぶって頑張るようなもんじゃねえんだけどなとか、いろいろ言いたいことはあったが、俺はそのすべてをため息に込めた。
「つーか、そこまでいる気はねえぞさすがに。飯も食いてえし」
「んなもん、どこでだって食えるでしょーが」と、俺がどれだけ母ちゃんの飯が好きか知っている梢さんが言い出す。
なんて冷たいことを。
できるだけうまいもんが食いたいの! 俺は!
「それに、読みたい本があるんだよ」
「なんの本?」
雫にそう言われ、俺は先程図書室で借りてきたサロメを取り出した。
「さろ、め……? なにそれ、不気味な本ねえ。孔雀の羽?」
「名前だけは知ってるかな。でも、それ読んでなかったの? あれ?」
梢が知っているとは思えなかったので、予想通りのリアクションだが、雫は俺の言動が何かひっかかっているらしい。
マジで俺には思い当たることがなかったので、一体何に引っかかってるのかわからず、雫に「なんだ? 俺、なんか変なこと言った?」と訪ねてみた。
「いや、読んでなかった、っておかしいなって。本を読む時間なら、今日一日、いっぱいあったはずだし。新しく買ってきたのなら、そもそも学校から出てるはずだろうし。っていうことは、学校で借りたんだよね?」
と、雫は俺の手から本を取ると、背表紙を見る。そこには、学校の所有物であることを示すシールが貼ってあった。
うわ、やべえ。俺のスイートスポット、こんなにあっさりバレたぞ!?
「そっか、志郎ちゃん。今まで図書室にいたんだね」
「うわぁーっ。盲点だったぁー! そっか、本好きならそこいてもおかしくないもんなぁー。学校に図書室あるの、すっかり忘れてた」
「ううん、梢ちゃん。私が引っかかってるの、そこじゃないよ」
と、頭を抱えている梢の隣で、なぜか、雫がまっすぐ、冷静な目で、俺を見ていた。
あれ、なんだろう、この目……すごく見覚えがあるっつーか……雫の地雷を踏んでしまった時の目では……?
「私が引っかかってるのは、本を借りるのが嫌いな志郎ちゃんが、どうしてこの本を借りてきたのか、ってことだよ」
まるで、とても素晴らしい小説を読み進めている時のように、俺の背が粟立った。まずい、まずいっつーか、すごい。
俺は再会してからの雫にそんなこと言った覚えがないのに、なんで知ってるんだろう、という関心があったからだ。
しかし……梢との件と違い、俺に後ろめたいことなど何もない。
だから、安心させるように微笑んだ。
「なんの心配してるか、まあ予想はできるけど、安心しろって。ちょっと図書室で仲良くなった子がいて、おすすめだって言われてさ。それを無碍にできねえだろ? だから、借りてきたの」
「なぁーんだ。そっかそっかぁ」
と、梢は頷いて、納得しているようだったが、雫はまだ納得していないようだった。
あの目が全然治らない。あれぇ……?
「あのね、志郎ちゃん。また、女の子と仲良くなったの?」
さすがに、その一言で、俺は飛び跳ねるほど驚いた。
嘘だろ、なんで女の子だってわかった!?
驚いているのは、梢も同じらしく「ええっ! そうなの!?」と叫んで、雫の顔を見ていた。
「だって、男なら仲良くなったやつ、って言う。女の子だから、仲良くなった子、なんて言ったんでしょ」
俺は、あまりにも冴える雫の推理(つーか正解)に驚きっぱなしだが、いやいや。確かに女の子と仲良くなったよ? でも、嘘吐いたわけでもなければ、何か特別な関係になったわけでもないのだ。
「あぁ、まあ、女の子だけど。でも、お前らも知っての通り、俺モテないんだよ? ちょっと二、三日話したくらいの女の子が、いきなり俺のこと好きになるわけないじゃんか」
俺はそんなこと思っているやつがいたら、自意識過剰だって言う。
しかし、どうもその言葉では納得してもらえなかったらしく、ついには梢まで
「あんたこの状況で言う?」
自分と雫を交互に指差しながら、言った。
二人の女に迫られてる状態で言うことでは、まあ確かになかったけども。
「それに、志郎ちゃん結構モテてるよ」
「マジで!?」
俺は思わず、それを言ったのが雫だということも忘れて、その話をもっと詳しく聞かせてほしいとねだりかけた。ストーカーが言うんだから、説得力もダンチだし。
モテてるってお前。そんなん本人に言ってよ。
ねだらなかったが、態度にはばっちり出たらしく、雫と梢が、同時に俺の足を踏んだ。
「ほぁーっ!?」
痛みでたたらを踏み、俺は肩を落とした。
そんな、二人の女子に責められているときだ。
「来島さぁーん!」
と、背後から聞き覚えのある、さっきまで癒やされていた声がした。
今この場では悪魔の声に聞こえたが、それは彼女に――愛美ちゃんに罪があるわけではない。
俺は振り返ると、そこには、とことこと小走りで、俺のケータイを掲げて振りながらやってくる、やっぱり愛美ちゃんがいた。
なんで俺のケータイ? 普段ケータイを入れている右ポケットを叩くが、無い。図書室に忘れてきたのか。
「はぁ、よかったぁ。まだ帰ってなかったんですね。はい、これ」
「あ、あぁ。うん、ありがと……」
愛美ちゃんからケータイを受け取る。
ここで図書室のことまでならまだしも、愛美ちゃんについてまでバレるのだけは勘弁してほしかったが、もう俺のうかつさでは、二人に隠し事をするのは無理なんだろうと諦めた。
「あ、そうだ。帰ったら、サロメ読むんですよね」
「うん、読む気だけど」
「だったら……その、感想、スマホに送ってくれませんか? 私以外で読む人見たことなかったから、参考として、文字で残したくって」
「あ、あぁ。もちろん」
と、言うわけで。
俺は、愛美ちゃんと連絡先を交換した。
俺のことを好きだと言う、女二人の前で、である。
なんだかとっても悪いことをしている気分になり、背中が熱いんだか寒いんだ、よくわからない感覚に襲われてしまった。
母ちゃんに怒られるのが確定してるのに、学校から帰らなきゃいけないとき、こんな感覚を味わったなと、少しだけ懐かしくなる。
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