第30話 結婚と条件


 日曜日。高際さんは正装でうちにやってきた。今日、わたしたちは、両親を説得する。結婚を許してもらうために。高校に行かないという選択を納得してもらうために。

 そのために、高際さんとたくさん話し合った。上手く両親に伝えられるか分からないけど──何日かかってでも説得するって決めたのだ。大丈夫、ひとりじゃない。高際さんと目を合わせて、ゆっくり頷く。いつもならそのままわたしの部屋に通すのだけど、今日は一旦リビングに来てもらう。


「おお、高際。よく来たな」


 リビングでくつろいでいたお父さんが高際さんの姿を見るなり嬉しそうに言った。キッチンで洗い物をしていたお母さんは、会釈だけする。……そう、今日はお父さんが家にいるのだ。もちろん、お母さんも。


「って、どうした、その格好。今日は勉強するんじゃなかったのか」

「いえ。今日は大切な話をしに来ました」

「……とりあえず、こっち座ったらどうだ?」


 高際さんの真剣な目に、お父さんは何かを感じとったのかもしれない。声のトーンを少し落としたお父さんに促され、わたしたちは席に着いた。


「お母さん。ちょっとこっちに来て座って」


 お父さんがキッチンのお母さんに声をかけた。お母さんはパタパタとスリッパの音をさせてこちらにやって来て、お父さんの隣に腰掛けた。いつかと同じような光景。両親に向かい合う形でわたしと高際さんが並んだ。


「……お忙しいところ、お時間頂いてありがとうございます」


 高際さんが深々と頭を下げたので、わたしも同じように頭を下げた。


「今日は、僕と、つばささんの結婚を認めて貰うために来ました」

「結婚って……」

「僕とつばささんは、つばささんが16歳の誕生日を迎えたら直ぐに、入籍したいと考えています」

「え!?」


 大きな声を上げたのはお母さんだった。驚くのも無理はない。今年の春にわたしは15歳になった。16歳までもう1年もない。


「……そりゃあ、お前が結婚前提でいるって話は聞いてたけど……いくらなんでも、早過ぎないか? つばさ。お前も同じ気持ちなのか?」

「……うん。わたし、高際さんと結婚したいと思ってる」

「結婚って、高校はどうするつもりなんだ?」


 きた。

 もちろん避けて通れないと思っていたその話題に緊張して、口の中が急速に乾いてしまう。それをどうにかして落ち着かせようと、ごくり、と唾を飲み込んだ。


「……高校には、行かない。高校生でいるより、一分一秒でも長く、高際さんと家族でいたいから」


 空気が凍るとはこういうことを言うのだ、と思った。誰か一人でも身じろぎをしようものなら、世界ごとひび割れて粉々に壊れてしまいそうな、そんな雰囲気だ。自分でそんな空気を作っておいて、息が詰まりそうになった。バクバクと、自分の心臓が鳴っている感覚だけがする。


「行かない、って……あなた、高校行かないで、どうするつもりなの?」


 ようやくお母さんが口を開いた。その声は、小さく震えている。


「そりゃあ高際さんだったら、しっかりしたお仕事に就いてらっしゃるし、専業主婦でも食べていけると思うわよ。でも、その後は? 嫌なことを言うけど、先に亡くなるのは高際さんでしょう? その時どうするの? その時あなたがいくつになってるか分からないけど、中卒で、職歴もなくて、働き口なんて見つけられる? 路頭に迷うのはあなたなのよ?」


 高際さんが、一瞬険しい顔をした。それは、彼が一番気にしていることだった。

 だからこそ──わたしは、わたしたちは、たくさん考えた。どうすることがわたしたちにとって、1番理想的な道なのか。


「お母さん、これ見て」


 わたしは、用意していた資料を机の上に置いた。


「これは……?」

「通信制の高校のこととか、高卒認定試験について調べてみたの。ちょっとマーカーだらけで読みづらいかもしれないけど……」


 お父さんは、その中のひとつに手を伸ばして、まじまじと眺めている。お母さんも、こんな資料が出てくると思ってなかったのか、目を丸くしていた。


「確かに、お母さんの言う通り、何もしないままだったらわたしは路頭に迷うと思う。そうならないためにも、数年のうちに高卒認定試験を受けようと思ってる。通信制の高校とも迷ったけど、高卒認定だったら、高際さんに勉強を教わりながら家で勉強出来るし」

「……確かに、下手な学校の教員より教えるの上手いかもしれないなぁ」

「あなた!」


 お母さんが、お父さんのことをキッと睨む。お父さんは苦笑いして、持っていた資料を机の上に置いた。


「あと、これも見て」


 もう1つ、用意していた資料を机に置いた。今度は、高卒認定でも取れる資格について調べたものだ。


「色々調べたんだけどね、20代のうちに介護の資格も取ろうと思ってる。こっちは、通学の必要があるから少し時間がかかっちゃうかもしれないけど……。資格があれば、もしもの時に働き口も見つけやすいだろうし、介護系ならこの先も需要が増えそうでしょう? それに何より、介護の資格を持っていれば、高際さんがいつかなった時に、役に立つだろうから」

「生命保険の受取人は彼女に変更する予定です。あとに残される彼女が不自由しないような金額を残せると思います」


 お別れはいつか絶対に来る。その時までにどう過ごすか。それまでに何が出来るかを2人で考えて、その結論に至った。

 それが正解か不正解かなんて分からない。いや、きっと不正解なんだろうけど。それでも、その道を歩いていくと決めたのだ。


「高校に行かない分、出来る限りのことはする。だから……わたしたちのこと、認めてほしいの」

「お願いします──」


 また、深々と頭を下げた。机に頭がついてしまうのではないかと思うくらい。

 キッチンで水が垂れた音がやたら大きく聞こえたのは、リビングがあまりにもしんと静まり返っているからだろう。顔を上げるのが怖い。両親はどんな顔をしているのだろう。怒っている? 呆れている? それとも……。不安でいっぱいになっていると、机の下で高際さんが私の手を包んだ。いつもの優しい手だ。それだけで、涙腺が緩みそうになる。誰よりも大好きな手。不安な気持ちが、すっと消えて無くなっていく気がする。

 やがて、お父さんが大きな咳払いをした。ぱっと顔を上げると、お父さんとお母さんは真剣な眼差しでわたしたちを見ていた。


「……とりあえず、さっきの話で、お前たちが一時の感情だけで言ってるんじゃないっていうのが分かったよ」

「お父さん……」


 ほっとしたのもつかの間、お父さんは眉を寄せて腕組みをした。


「でもな。やっぱり俺もお母さんも、つばさが悲しんだり後悔したりする所は見たくないんだ。つばさはまだ10代だから分からないだろうけど、10代の時間っていうのは、すごく貴重なんだ。10代で過ごした時間は、必ず輝かしい思い出になる。高校だって、友達や先生と過ごした何気ない日々が、いつか宝物になるんだよ」


 いつか宝物に。その感覚はわたしにはまだ分からない。高際さんの顔を見ると、ぐ、と唇を噛んでいた。きっと、どこか思い当たる節があったのだろう。


「その10代の日々はな、あとから取り戻そうと思っても一生戻ってこないんだよ。後々『やっぱり高校に行っておけば良かった』って思ってももう遅いんだ。分かるか?」

「……うん、分かってる」

「もう一度聞くぞ。つばさは、高校に行かないという選択をしたことを、絶対に後悔しないと言いきれるか?」


 お父さんに、わたしが苦手なあの目で見つめられた。でも、答えはひとつしかない。


「わたしね。将来の夢とかなりたいものとか、ずっとよく分からなかったし、何となくで今まで生きてきた。でも、高際さんと知り合って、お付き合いをしてから、初めて強く思ったの。『高際さんと一緒にいたい』『高際さんと家族になりたい』って。きっとその気持ちに嘘をついて、高際さんから離れる方が、後悔する」

「……そうか……」


 そう言ったきり、お父さんは黙り込んでしまった。お母さんはお父さんの顔色を伺うようにしている。

 許してもらえなかったら、許してもらえるまで何度だって説得するつもりだ。その気持ちは変わらない。でもやっぱり、親に反対されるのは、悲しいし怖いよ。


「……条件がある」

「条件?」


 許してもらえるんなら、どんな条件だってのむつもりだ。でも、何を言われるか分からないから、緊張が走る。唾をゴクリと飲み込んだ。でもお父さんの口から出たのは、難しい事じゃなかった。


「つばさの気持ちを疑う訳じゃないが、この先どうなるか分からないだろ。普通高校の受験はしなさい。ただ受けるだけじゃだめだぞ。必ず合格すること」

「……お父さん」

「言っただろ、つばさが悲しむところは見たくないんだ」


 その『条件』が、お父さんの優しさであることは直ぐにわかった。お父さんは、わたしの未来がどうなってもいいように、どうなっても支えてくれるように、考えてくれているのだ。

 お父さんは俯いて、額の前で手を組みながらはは、と小さく笑う。


「色恋にのぼせて勢いに任せて言ってるんだったらさすがに俺だって反対したよ。でもなぁ、そんな先々のことまで考えて、真剣に考えてるなんて……なぁ?」


 お父さんは、お母さんに同意を求めた。お母さんは神妙な面持ちで、小さく頷く。

 ずずっ、と、お父さんが鼻をすすった。生まれて初めて、お父さんが泣いているところを見た気がする。高際さんも少し動揺しているようで、目を見開いてお父さんを見ていた。


「いや、すまん。嬉しいんだか、悲しいんだか、ちょっと分からん。娘を嫁に出すって、こんな気持ちなんだな。思ってたよりだいぶ早かったけどな」

「……あなた」


 お母さんが、つられて泣きそうになりながら、お父さんの肩に手を添える。お父さんは気持ちを入れ替えるよう、ぐい、と涙を手で拭うと、まっすぐにわたしたちを見据えた。


「あと一つ、条件追加だ。高際、つばさ。そう決めたからには、絶対に、幸せになれよ。これを破ったら、許さないからな」


 わたしと高際さんはお互いに目を合わせた。大きく頷いて、その条件をのむ。


「「はい……!」」


 歳の差があるから、普通の恋人や夫婦より、大変なことも多いと思う。両親の説得だって、数ある困難の中の一つだって、分かっている。それでも、二人で歩いていくと決めた。一日一日を大切に、愛おしい日々を重ねていこうと。

 これから結婚に至るまでの間にも、乗り越えなきゃ行けない壁がたくさんある。高際さんのご両親にだって挨拶に行かなきゃいけないし、入籍するまでに色々準備もあるだろうし、何より受験に合格しないと結婚さえも出来ないのだから、勉強だって頑張らなきゃだし。

 そんなことを考えていると、机の下でこっそりと手を握られた。小さな声で高際さんに耳打ちされる。


「婚約指輪、買いに行かないとな」


 ああそっか、それもあった。

 婚約指輪。自分にはまだ遠い存在だと思っていたそれを、こんなに近くに感じるなんて。

 今日から高際さんは、恋人じゃなくて婚約者なのだ。左手に感じる温もりから、それを確かに感じていた。

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