第12話 晴れと曇り

 雨が降ればいいのに、と思う日に限って快晴だったりする。今日がまさにその日だ。窓から外の様子を見て、冬の澄んだ青空を眺める。こういう天気のことを、冬晴れというのだろうか。秋には秋晴れというもんね。

 もちろん、本当に雨が降って欲しかったわけではない。雨が降ったら予定も狂うし、今までこの日に向けて頑張ってきた部活のみんなだって悲しむ。だから晴れてよかったのだ。──でも。やっぱりほんのちょっとだけ、雨が降ればよかったと思うのは、なんでなんだろう。わたしは1人ため息をついた。

 このあいだの高際さんとのやり取りから、もやもやが取れない。あのやり取りの次の日、高際さんが来てくれるってことをしぃちゃんに伝えたら、それはそれは喜んでいた。やっぱり呼ぶのやめようなんて、その姿を見たら言えなくなってしまったんだ。憂鬱な気分のまま準備をしていると、スマホがメッセージを受信した。しかも2つも。慌ててメッセージを確認する。


『おっはよー! ロリコンさんと会うの、楽しみにしてるからね~!』

『おはよう。晴れてよかった。約束の時間に会場に向かうからよろしく』


 しぃちゃんと高際さん、2人からだった。なんで、同じタイミングで来るんだろう。胸にじわりと黒いシミが滲むみたいなそんな気分になって、なんだかメッセージを返す気にはなれない。そのままスマホをベッドに放り投げて、準備を続けた。


 * * *


 今回の駅伝は、河川敷がコースになっている。決められた川沿いの道をずーっと下って、折り返してまたスタートへと戻る。わたしたちや一般のお客さんたちは、沿道から応援をするのだ。

 準備を終えて集合場所……学校ごとに決められた応援スペースに向かうと、部活のメンバーはほとんど揃っていた。やば、ちょっと遅刻かな。慌てて駆け寄る。


「ちょっとつばさー! あんた朝既読スルーしたでしょ!」


 顔を合わせたしぃちゃんは、冗談っぽく怒っていた。わたしはその笑顔にすこしだけほっとしたけれど、心のもやが完全に晴れるわけではなかった。


「ご、ごめん」

「ま、いーけどさ。それより、高際さんはどこに来てるの? 見たい見たい!」


 もう直ぐ大会が始まるというのに、しぃちゃんは来ているであろう高際さんに興味津々だ。背伸びをしながらキョロキョロとお客さんたちを見渡す。


「遅刻するような人じゃないから、もう来てると思うけど……、あ」

「どれ!?」


 わたしが高際さんの姿を見つけるやいなや、しぃちゃんはわたしに飛びつかん勢いで抱きついた。好奇心から目を輝かせているしぃちゃんを制しながら、こちらへ向かって歩いてくる高際さんを指差した。

 ……このあいだより、ラフな格好だ。スニーカーにジーンズ。落ち着いた色のチェックのシャツ。その上にミリタリーコートを羽織っている。髪型はいつもと同じオールバックだったけど、服装が違うからかなんだか違った印象を受ける。これはこれで、すごく──。


「えっ!? うそ、ちょっとかっこいいじゃん! イケオジって感じで」

「う、うん……」


 思ったことを先回りで耳打ちされてしまって、何も言えなくなってしまう。このあいだの服もかっこよかったけれど、今日のも素敵だ。あんなにロリコンロリコン言ってたしぃちゃんも、びっくりしているようだし。


「つばさちゃん、やっと見つけた。結構人が多いんだな」

「あ、ご、ごめんなさい。」

「? なんで謝る?」

「いきなり呼んじゃいましたし、毎年これくらい混むって教えなかったですし……」

「別に気にしないよ。僕が来たくて来たんだ。まぁ、この賑わいは予想外だったが」


 高際さんが辺りを見渡しながら呟く。出場校の陸上部だったり、その保護者だったり、一般の方だったり、多くの人が沿道に集まるから、例年こんな感じなのだ。だからしぃちゃんも駅伝になら呼べると踏んだのだ。

 しぃちゃんは高際さんとわたしの会話を聞いているだけになってしまっていたけれど、しばらくして高際さんがわたしの隣にいるしぃちゃんに気がついた。高際さんはしぃちゃんをじっと見つめると、「そうか、」とひとりごちる。


「君が、つばさちゃんが言ってた友達だな。高際です。よろしく」

「あ、えっと、杉崎です」


 しぃちゃんがぺこりと頭をさげた。高際さんもつられて頭をさげる。しぃちゃんはしばらく高際さんをじっと見つめていたけれど、そのうち彼にすっと右手を差し出した。


「あたし、つばさから色々聞いてます。つばさの一番の親友なんです。あなたにはもっと色々聞きたいことがあるので、よろしくお願いします」


 高際さんはそれを聞いて、しばらく動きを止めた。ちらり、とわたしを見たけれど、さっと視線を外す。ごめんなさい、高際さん。


「筒抜けなんだな。まぁいいが。お手柔らかによろしく」


 高際さんは少しだけ苦笑いをして、差し出されたしぃちゃんの右手に握手をした。


──あ……。


 細い針で胸をチクチクと刺されているような、小さくて鈍い痛みが襲う。差し出された右手を無視するほど、高際さんは子供じゃない。大人の対応だ。でも、そのしっかりと握られた手を見ていたら、なんだか、すごく嫌な気持ちになって。


「……しぃちゃ、」

「おーい! 杉崎ぃ! 遠嶋ぁ! おまえら何してんだよ、そろそろ始まるぞー!」


 わたしが制する声よりも大きな声がして、2人はパッと手を離した。わたしたちは3人で、声のした方を見る。


「あれ? ノベじゃん」


 軽やかに走ってきたその子は、園部翔太そのべしょうたくん。短い黒髪と、目元にある大きな泣きぼくろが印象的な、わたしと同じ短距離の男の子だ。みんなからは『ノベ』という愛称で親しまれている。わたしはノベくんと呼んでいるんだけど。

 いつも明るくてお調子者の彼のことだから、おおかた先生にわたしたちを呼んでくるように頼まれたのだろう。やんちゃそうにつり上がった瞳が、わたしとしぃちゃんと高際さんをそれぞれ見て、きょとんとしている。


「あ……ちわっす……?」

「こんにちは」


 高際さんは突然現れたノベくんにも、会釈をした。ノベくんはやっぱり不思議そうな顔でいたけれど、本来の任務を思い出したのか、わたしとしぃちゃんに向き直る。


「集合だってよ。揃ってないのおまえらだけだよ。先生ちょっと怒ってんぞ」

「えっ、嘘、ごめんね。ノベくんも」

「ちょっとくらいいのに、先生ケチだな」

「遠嶋は素直に謝れて偉いな~。それに比べて杉崎は……」

「なんか言った? 聞こえなかったんだけど」

「いてててつねんなよ怪力!」


 ノベくんとしぃちゃん、相変わらず仲いいなぁ、とじゃれ合う2人を見ていたけれど、先生が怒ってるならこんなことをやっている場合じゃない。


「ていうか、行かなきゃなんでしょ? 急ごう!」


 わたしは2人の服の裾をつかんで、集合場所へと歩き出す。歩き出したところで、高際さんに一般と出場校の生徒とは応援の場所が違うって教えてあげてないことに気づいた。係員の人はいるから聞けばわかると思うけど、念のため教えてあげなければ、と振り返った。


「高際さ──」


 振り返ったけれど、高際さんはもうすでにそこにはいなかった。人の波に飲み込まれてしまっていて、姿さえも探せない。

 嘘、……いつから? 黙って行っちゃったの? ノベくんたちと3人で話してたから? 

 胸にズキリ、と一際大きな痛みが襲った。一声かけてくれればよかったのに。置いていったのはわたしの方なのに、置いていかれたような気持ちになる。こんなことを考えるのは勝手だってわかっているけど。

 デートの時はあんなにわたし優先でいてくれたのに、やっぱり、あれは嘘だったの? 


──だって、しぃちゃんにはあんなに簡単に触れるんだもんね。


 さっきの様子を思い出して、またじわりと黒い感情が広がる。天気は晴れているのに、わたしの気持ちは曇っていく一方で。いやなのに、こんなこと考えたくないのに。


「なー、さっきのおっさん誰なの?」

「ノベにはカンケーないでしょ」


 暗い気持ちのまま、駅伝大会が始まろうとしていた。

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