第13話 恋バナと鈍痛
スターターピストルの音が鳴り響き、第一走者が一斉に走り出した。その瞬間から、沿道に待機していた人々の声援が飛び交う。
しぃちゃんは第二走者だ。おそらくスタート地点で準備運動に勤しんでいるところだろうけど、ここからはその様子は見えない。スタートから離れた折り返し地点だから、第一走者の子もまだまだ来る気配はない。
あたりをキョロキョロと見渡した。本当に高際さん、どこに行っちゃったんだろ。勝手に帰るような人ではないから、多分どこかから見ているとは思うんだけど……。なかなかそれらしき人は見つけられず、ため息をつく。
「なー、遠嶋」
「なに、ノベくん」
走者の子が近づいてくるまで、言ってしまえばわたしたちは暇なのだ。ここからだとどこの学校が先頭なのかわかんないし、みんなコースを熱心に見るふりをしながら、少し退屈している。ノベくんは、あんまりおしゃべりしてると先生に怒られるからか、コソコソと話しかけてきた。
「杉崎は教えてくんなかったけど、マジであのおっさん誰なの? 知り合い?」
そういえば、さっきもしつこく聞いていたな、と思い出す。しぃちゃんは適当にはぐらかしてくれていたけど、嘘をつくようなことではないしなぁ……。少し考えて、ありのままを答えた。
「うちのお父さんの元教え子。お父さんの知り合いだよ」
「なんだー、そっかー」
ノベくんはわたしの話を聞いて、ニカッと笑う。運動部って感じの、爽やかな笑顔だ。ノベくん、やんちゃな顔つきしてるけど、笑顔は人懐っこいんだよね。見るたびに思う。
「さっきちょっとびびった。おまえらが知らねーおっさんといるし、しかも握手とかしちゃってるしさ。エンコーでもしてんのかと思ったよ」
「援こ……!?」
「なんだよ、じょーだんだろ、冗談。顔怖ぇーよ、遠嶋ー」
ノベくんはこういう人だ。裏表がない性格だから、思ったことをすぐ口に出す。デリカシーって物がないのだ、ノベくんには!
怒りを抑えつつ、仕返しのつもりで言い返す。
「そんな心配しなくても、しぃちゃん今好きな人いるし」
「え!? うそ、マジで!? な、それ、誰」
「教えない」
本当は好きな人がいるなんて話は聞いてないけど。悔しいから嘘をついてやる。わたしは嘘をつくのが上手い方ではないけれど、しぃちゃん関係の嘘なら騙されてくれるはずだ。
ノベくんがしぃちゃんを好きなことは、部内でも有名な話だ。知らない人はいないと思う。当人のしぃちゃんでさえ知っているのだから。まぁ、わたしはしぃちゃんから聞くまで気づかなかったんだけど。
案の定、ノベくんは完全に騙されて、わたしの肩を掴みながら「それ誰?」と繰り返している。存在しない人を答えるわけにはいかないから、だんまりを決め込んだ。精々悩めばいいよ、ノベくんのバカ。
それにしても、よりにもよって援交だなんて。しぃちゃんも散々ロリコンロリコン言ってたけど、それよりタチが悪い! わたしはぎゅっと拳を握り締める。
──でも。
当たり前だけど、高際さんがわたしのお父さんではないことを知っている人から見れば、わたしと高際さんの関係は変に見えるんだな。デートの時は、わたしと高際さんが他人だということが端から見ればわからなかったから、なにも突っ込まれなかっただけで。お父さんの知り合いとその娘が、親密な関係になること自体、やっぱりおかしい。普通だったら、ノベくんみたいに、同年代で、しかも仲がいいとか、距離が近い子のことを好きになるはずだ。でも、高際さんは──。
あたりが騒がしくなって、顔を上げた。先頭集団が近づいてきたらしく、わたしも慌ててコースを見る。うちの学校は今、3位だった。すごい、調子いい! おしゃべりを一旦やめて、第一走者の子が通り過ぎるまで、頑張れと声をはりあげる。折り返し地点を過ぎても2位の子を追い抜くことはできなかったけど、第一走者の子はいいペースで走り去っていった。
「調子良さげだな。杉崎ならあれ抜けんだろ」
「そうだね」
わたしもそう思う。しぃちゃんは脚も長いし体も軽い優秀な選手なのだ。多分、次にここを通るしぃちゃんは2位か1位かになっているに違いない。
第一走者の子が見えなくなってから、また小声でノベくんに話しかける。
「ノベくんって、」
「んぁ?」
「しぃちゃんのどこが好きなの?」
「なっ……に言ってんの急に!」
「いや、なんとなく。聞きたくなって」
ノベくんは、冬だというのに顔を真っ赤にさせている。わかりやすいなぁ。これでしぃちゃんにバレてないと思ってるんだからすごい。しぃちゃんはわたしよりはるかに敏感だよ?
「やだよ、言わねーよそんなの!」
「いーじゃん、ケチ」
べーっと舌を出すとノベくんはぷい、とそっぽを向いてしまった。ノベくんは少なからず、わたしより恋を知っている人だ。だからせっかく色々聞き出そうと思ったのに、意外に心狭い。
「教えてよー」
「やだ。普通にはずいし言わない」
「じゃあさ、しぃちゃんのこと考えてモヤモヤすることってある?」
「なんだよ、モヤモヤって」
ノベくんは目をパチクリさせた。なんだよ、と言われてもうまく説明できない。モヤモヤはモヤモヤだ。
「うまく言えないけど……なんか、ちょっと嫌だなって思ったり、気になることがあってすっきりしなかったり、なんか、嫌な感じ」
「なんだそれ。あるに決まってんじゃん、そんなの」
「え?」
さぞ当たり前のように言われて、今度はわたしが面食らう。ノベくんは「だって、」と言葉を続けた。
「好きだから気になるんじゃん」
「……そう、なの?」
そう言うもんなの? わたし、人を好きになるのって、楽しいことばかりだと思ってた。だって、少女漫画には、ドキドキしたり、ワクワクしたり、楽しいところしか載ってない。失恋や行き違いでズキッと胸が痛むことはあっても、チクチク針で刺すような痛みとか、友達に対して嫌な気持ちになるような、そんな描写はあんまりなかったのに。
少女漫画も、所詮はフィクションだということかな。ノベくんの言う通りだとしたら、この間から感じているモヤモヤは、そういうことだ。
──わたしがこんなにモヤモヤしているのは、高際さんのことが、好き、だから?
確証が持てないのは、わたしの経験値の少なさからか。自問自答をしていると、ノベくんが教えてあげた交換条件に、と言わんばかりの顔で言う。
「だからさ、俺今すっごいモヤモヤしてんだよ。杉崎の好きな奴って誰なん? まじで」
「……」
「なぁおい遠嶋ぁー」
ゆさゆさと肩を揺らされながら、気まずくて目をそらす。するとそらした先に見覚えのあるミリタリーコートとオールバックを見つけた。……なんだ。高際さん、あっちの方にいたんだ。コースを挟んで反対側の沿道。少し距離はあるけど、わたしからそう遠くないところに居てくれたんだな。なんだかホッとした。
その時、高際さんと目が合った気がした。こっそりと手を振ったけど、高際さんはふい、と顔を背けてしまった。
──あれ?
目が合ったと思ったのは、気のせいだったのだろうか。それとも、手の振り方が微妙すぎた? どちらにせよ、目が合ったのに視線を外されて、それこそ少女漫画の効果音みたいに、ズキリ、と鈍い痛みが胸にきた。
わたしのそんな痛みなど露知らず、相変わらず肩を揺らし続けるノベくんの手をいい加減払うと、沿道の人たちがざわめき始めた。先頭集団がやってきたのだ。
「杉崎抜いてる! 2位じゃん!」
「え、うそ!」
予想通り、しぃちゃんはあの時2位だった学校の子を抜いていた。やっぱりしぃちゃんはすごい。高際さん、しぃちゃんが2位なの気づいてるかな。またちらりと高際さんのほうを伺うと、その視線はしっかりとしぃちゃんを見つめていた。わたしをまっすぐ見てくれていた時みたいな、真剣な瞳で。
──あ……。
なんだか見ていたくなくて、うつむいた。みんな先頭集団に釘付けで、たぶんわたしがひとりうつむいていることはバレていないはずだ。
さっき目をそらされたことがよほどショックだったのか、あの瞳で見つめるのはわたしのことだけじゃなかったと気づいてしまったからか、黒いもやで覆われた心は、次々に嫌なことを考えてしまう。しぃちゃんは頑張ってるのに。そういう名目で高際さんを呼んだのに。そんなこと、考えたらだめなのに。
しぃちゃんを、見ないで。
いろいろな気持ちが、言葉が、つっかえて大渋滞を起こしてしまっていて、しぃちゃんがわたしたちの目の前を走り抜けていくときでさえ、わたしは「頑張れ」と言えなかった。
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