第8話 ミニスカと映画館
約束の時間はもう直ぐだというのに、わたしはというと鏡の前でうろうろとする。コーディネートを決めかねているのだ。しぃちゃんが言う『作戦』には、当日のコーデにも指定があった。だからそれを選んだつもりなのだけど、本当にこれでいいのかな。迷いに迷って、鏡の前で全身の写メを撮ってしぃちゃんに送る。しぃちゃんから返ってきたのはOKのスタンプのみだった。いい加減だなぁ、もう!
「つばさー! 高際さんいらしたわよー!」
「えっ!? もうちょっと待って!」
早くない? だってまだ10分前だよ? 完全に油断してた。ドタバタと荷物をまとめて、もう一度鏡の前に立つ。あ、お化粧とか、したほうがよかったのかな。デート初心者だから手際がすごく悪い自覚はある。お化粧しようにもやり方がわからないから、あと10分で一からお化粧の仕方を調べて完成させるのは到底無理だけど。でも完全に何もしないのはなんか違う気がして、学校のカバンからちょっとだけ色が付いている香り付きのリップクリームを塗った。それだけでも少し変わった気がする。リップクリームはそのままお出かけ用のカバンに詰めた。
「……よし!」
初デート。映画館。隣にいるのは高際さん。彼のことを(ロリコンなのかどうかを含めて)知るチャンス。気合い入れていこう。わたしはぐっと両手を握りしめて、上着を着込んで部屋を出た。
「お、お待たせしました……」
恐る恐る階段を下りていくと、玄関先に二つの人影が見えた。一つはお母さんで、一つは高際さんなんだけれど、わたしは驚いて思わず足を止めた。
──うわ、わ。
黒のPコートに、グレーのセーター。下は濃いブラウンのスキニーにエンジニアブーツ。中にワイシャツを着ているから、きちんと感はありつつ、おしゃれなオトナのオシャレって感じだ。私服、あんな感じなんだ。大人の私服なんてお父さんのくらいしか見ないから比較しようがないけれど、似合ってるしかっこいいと思う。髪の毛も、いつもはしっかり後ろで固めているみたいだけど、今日は前髪を真後ろではなく横に流してセットしていて、それだけでも雰囲気が違う。わたしが知っている高際さんは、スーツでオールバックで、スッと伸びた背筋は隙がない印象を与えて、なんとなく近寄りがたい雰囲気の人だ。今日の高際さんは、なんだか普通の男の人みたい。いや、高際さんはもちろん普通の男の人なんだけど、そうじゃなくって……。
「つばさ? 何してるの? 下りてらっしゃい」
「は、はい!」
お母さんの言葉に慌てて階段を駆け下りる。私服の高際さんを目の前にして、緊張で動作がぎこちなくなる。高際さんは、わたしのことを少しだけ見てから、お母さんに向き直った。
「それでは、行ってきます」
「ええ。行ってらっしゃい」
ぺこりと頭を下げた高際さんに相槌を打ったお母さんは、わたしにこっそり耳打ちをした。
「つばさがのんびり支度してる間に、本当に行き先も帰る時間も教えてくれたわよ。しっかりしてる人ね」
「……そうなんだ」
わたしが上にいる間に、何を話していたのだろう。高際さんがうちに挨拶をしてきた日はあんなに難色を示していたくせに、今わたしを送り出すその顔は安堵に満ちているような感じさえする。これも高際さんの力なのかな。お父さんが『お母さんも今にわかる』と言っていたのがそれ?
まあそんなこと、考えてもわからないし。とにかくわたしはわたしなりに今日1日高際さんを観察しよう。どういう人か見極めるんだ。
高際さんの車に乗り込む前に、車のボディに映り込んだ自分の私服を眺めた。モコモコのファー付きのモッズコートに、白いニットワンピ。足元はお気に入りのショートブーツに、黒いタイツにした。こう聞くと普通のコーデっぽいけど、実はそうでもない。ニットワンピはしぃちゃん命令で丈の短いワンピースなのだ。
本当は生足が良かったんだけどね、としぃちゃんは言っていた。さすがに生足は寒すぎるから断ったけど。ていうか黒タイツでも普通に寒い。しぃちゃんには後で文句を言おう。彼女曰く、剥き出しにされた年頃の女の子の足にロリコンが食いつかないはずがない、ガン見するし触ってくるに違いない、と。本当にそうだろうかと半信半疑でこのコーデにしたけど、どうだろう。効果はあるのかな。助手席からチラリと高際さんを見る。高際さんは車のエンジンをかけているところだった。
「……お仕事以外の時は、いつもその髪型ですか?」
聞いてから、もっと他に聞くことあったはずだな、と後悔した。それでも高際さんはわたしの言葉を無視せずに、真摯に拾って答えてくれる。
「大抵は面倒だから仕事の時と変わらなくセットするよ。でも今日は特別だ」
「! そ、そうですか……」
特別、という単語にどきりとするくらいには緊張している。高際さんみたいな男の人でも、デートの前に鏡の前でうろうろしたりとか、するのかな。こうじゃないあーじゃないって、悩んだりするのかな。さっきまでの自分の様子と重なって、なんだか笑えた。遠い存在だと思っていたけれど、実は意外にわたしとそんなに変わらないのかもしれなかった。
車はゆっくりと走り出して、目的地へと一直線に進んだ。目的地までは20分くらい。その間車の中で少しずつ会話をした。高際さんの高校の頃の話──ひいては、当時のお父さんの話を聞いたのはなかなか面白かった。
* * *
ショッピングモールの中に併設されている映画館。上映の時間もすぐだったので、まずは映画を見ることになった。チケットを買うために窓口に行く。
「いらっしゃいませ」
「この映画のチケットを、大人1枚と……」
高際さんは少しだけ、迷ったような目線をわたしに向けた。わたしに気を使ってくれているのだろうか。自分が大人に分類される歳ではないことも、その方が安くなることもわかっている。変なところで意地を張っても仕方がないから、わたしはこくりと頷いてみせた。
「……中学生1枚で」
「はい、かしこまりました」
にこりと微笑んだ窓口のお姉さんには、何も疑われなかった。学生証を出してくださいとも言われなかったし、何にもだ。大方、親子とかに思われたんだろう。変な関係に思われなくて、嬉しいような、悲しいような。
大人2枚で、と言えた方がスマートだったのにな。そう言えるようになるのはいつになるのかな……って、将来一緒に来るかもまだわからないのに何を考えているんだわたしは。
「つばさちゃん」
「っひゃい!?」
「飲み物はどれにする? ポップコーンも頼むか?」
「あっ、ほしい、です。ポップコーンも」
いつの間にか販売のカウンターに来ていたようで、わたしは慌ててメニューを見る。
「オレンジジュースと……ポップコーン、キャラメルがいいです」
「わかった。では、オレンジジュースとアイスコーヒーのポップコーンセットで。味はキャラメルでお願いします」
「かしこまりました~!」
出来上がるのを待つ間、わたしはぽかんと口を開けて高際さんを見た。ドリンク2つとポップコーンのセット、ポップコーンが2人用のバスケットで来るセットなんだけど……?
「高際さん、普段そういう甘いの食べるんですか?」
「いや、食べない。初めてだ」
「じゃあ、なんで2人用に? わたし、いくらなんでもそんなに食べられないです!」
「もちろん僕も食べるからそのサイズにしたんだが」
ますます分からず首をかしげる。すると、高際さんは少しだけ屈んでわたしの耳元で囁いた。
「せっかくのデートだから、同じものを共有したいと思ったんだよ」
「!」
高際さんからデート、という単語を聞いてぶわりと顔に熱が集まった。もちろんわたしだってそのつもりで来て覚悟もしていたはずなのに、こうも言葉にされると、変に意識してしまってダメになってしまいそう。しかも、そんな理由で、普段食べないものに挑戦するだなんて。
──わたし、すごく特別扱いされてる。
高際さんの所作一つ一つから、それを感じてしまう。息がつまるような、胸がぎゅっとするような。苦しくて、ちょっと切ない。唇をそっと噛み締めたけれど、リップを塗っていたことを思い出して慌ててやめた。
カウンターから飲み物とポップコーンを受け取って、半券を受け取って中に入る。劇場に入る前に、高際さんから何かを差し出された。
「暖房は効いているだろうけど、念のため」
「あ……」
受け取ったそれがひざかけだと気づいて、わたしは目線を下に向けた。ミニスカワンピに黒タイツ。確かに外ほどではないけど冷える。
ロリコンかどうか試してやろうとか、絶対食いつくはずだとか、そんな画策をしてこの服を選んだのがひどく恥ずかしい。あくまで紳士的に、わたしの体を気遣って、
──やっぱりこの人はそういうんじゃないよ、しぃちゃん。
確信を持ってしぃちゃんにはそう告げよう。だからしぃちゃんの作戦はもうおしまい。とにかく今は映画を楽しもうと、わたしは高際さんの後を追って劇場に入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます