とりかごと寵愛
天乃 彗
第1話 引越しとはじめまして
15歳、冬。学年でいうと中学3年生。周りの子たちが目の前に迫った受験に慌ただしくて、参考書とにらめっこしながら物語の登場人物の心情だったり、ごちゃごちゃとアルファベットが並んだ数式の答えだったりを必死に考えていた頃、わたしは一人ゼクシィとにらめっこして、結婚について考えていた。その頃みんなが○とか×とか問題の答えで埋めていただろう学習ノートには、試し書きした名前とか、落書きばっかり書いてある。
そして、春。みんなは晴れて女子高生になって、わたしは誰よりも早く16歳になった。みんなは真新しい制服に袖を通したけど、わたしは左手の薬指に小さな輪っかを通した。4月の誕生日──わたしは『人妻』になった。嘘みたいな本当の出来事である。
* * *
あんな重いものをすいすいと、よく運べるものだなぁと思う。トラックから運び出された大型家具は、引越し業者のお兄さんたちの手によってどんどんマンションの中に吸い込まれていく。実家から持ってきた大量の荷物は大量の段ボールになってしまった。お兄さんたちのお手間をとらせて申し訳ない。やっぱりぬいぐるみは何個かに厳選するべきだった、とちょっとだけ後悔。
「あのっ、何か手伝えることありますか」
思わずお兄さんたちの背中に声をかけた。だって、自分たちのことなのに見ているだけなんて歯痒いし申し訳ないもん。荷物くらいなら運べるはずだ。それなのにお兄さんたちは互いに目を合わせて、「えーっと、」と言葉を詰まらせた。
その微妙な反応はなんだろうと思っていると、頭にぽん、と温もりを感じた。
「気を使わなくていいから、君はおとなしくしていてくれ」
「千尋さん」
すこし遅れて車から降りてきた千尋さんは、わたしの頭を優しく撫でるように叩くと、お兄さんたちにテキパキと指示を出した。お兄さんたちはその指示ににこやかに応じて、さっきよりもスイスイと荷物を運び始めた。わたしのさっきの言葉なんかなかったように流されて、ムッとする。お兄さんたちも、わたしの出る幕がなくなって安心してるようだったし。
「荷物を運ぶくらいなら、わたしだってできます!」
「できるできないじゃないんだよ」
そう言うと、千尋さんはわたしの腕を掴んだ。もともとの体格差もあるけれど、わたしの腕は千尋さんの親指と人差し指とにすっぽりと入ってしまった。
「こんな細い腕──君に怪我をしてほしくないんだ」
「……はい」
そんな顔をされたら、なにも言えなくなってしまう。そんな切なげに、愛しそうに見つめられたら。わたしは抵抗するのをやめて、すっと腕を下ろした。それに気づいた千尋さんも、掴んでいた手の力を緩めて離す。千尋さんは過保護すぎなのだ。でも反論すると後が怖いから言わない。
「あらぁ、初めまして! 新しい方?」
明るい声がして、顔を上げた。このマンションの人であろう奥様方が三人、こちらににこやかに向かってくるのが見えた。引越し業者のトラックがあれば、それだけで注目されるんだろうな。早速のご近所付き合いに背筋が伸びる。
「初めまして。今日から903号室に入ります高際と申します。引越し作業で騒がしくしますが宜しくお願いします」
千尋さんが頭を下げるのを見て、わたしも慌てて頭を下げた。奥様方は千尋さんの丁寧な物言いに悪い気はしなかったようで、あらやだいいのよなんて繰り返した。
「今日からご近所なんだから、仲良くしましょ! 高際さん、今は奥様いらっしゃらないようだけど、上で作業中かしら?」
「いえ……」
一人の奥様がマンションのほうを見ながら尋ねた。千尋さんはわたしのことをちらりと見た。挨拶しなさい、と目が言っていたので、わたしは一歩前に出て奥様方に微笑んだ。
「わたしが、彼の奥さんです」
「……え?」
「高際つばさと申します。宜しくお願いします」
奥様方が、互いに目を合わせて、わたしと千尋さんを交互に見た。目を白黒させる、という表現がぴったり。やっぱりこの歳で結婚、ということ自体に偏見が付いてくる。相手が千尋さんのような大人の男性なら、さらに好奇の色が付く。その視線には慣れているので、今更なんとも思わないけれど。
「奥、さん? あなたが? 娘さんではなく?」
きた。よく聞かれること第1位である。やっぱりどれだけ背伸びをしても奥さんには見えないか、と、卒業を機に茶色に染めた髪の毛を触った。
「はい。2ヶ月前に籍を入れました」
「あなた、歳は?」
これも毎回聞かれるなぁ、と思いつつ、嘘をついても仕方ないから淡々と答える。
「16です」
「16って……学校は?」
「行ってません。中学卒業してわりとすぐに結婚したので」
こちらとしては事実を言っているだけなんだけど、奥様方の疑うような、軽蔑をするような瞳の色は消えない。困ったや。
「随分とお若い……奥様なのね。その……お子さんがいらっしゃる?」
言わんとしていることはわかるし、これもよく聞かれるけれど、無遠慮な質問だなぁ、と毎回思う。奥様方はそれぞれわたしのお腹のあたりとか、千尋さんを凝視している。なんて答えればいいか迷ったので、千尋さんに助けを求める視線を送った。
「今はまだ、二人の時間を楽しもうと思っているので」
「そ、そうなの……。奥様お若いけど、ご両親は反対されなかったのかしら? それとも、もともと仲はよろしくなかったとか?」
少しずつ探りを入れられているのを感じながら、その手には乗らないぞ、とこれまた事実を突きつける。
「いえ。両親は彼ともわたしとも仲良しです! 明日も引越し祝いに来てくれる予定です」
両親は健在で、さっきも車の中でメールのやり取りをしていたところだ。今日は両親は仕事の都合で手伝いには来れなかったけど、明日は二人とも来てくれるので外食に行く。楽しみだ。
「高際さーん。あらかた荷物運び終わりましたんで、中見てもらえますー?」
「はい、ありがとうございます。……行こう、つばさ」
「あっ、はーい。では、また後ほどご挨拶に伺うので、よろしくお願いします!」
業者のお兄さんたちに呼ばれて、わたしと千尋さんは奥様方にぺこりと頭を下げた。すぐに背を向けるのも失礼かな、と手を振ったその薬指に、光る指輪を見つけた奥様方は言葉を失っていたようだった。
* * *
物件を見て回った時にこの部屋は見ていたけれど、実際に家具が配置されると全く違った部屋に見える。実家の自分の部屋じゃない、新しい空間。今日からここがわたしたちの家になるんだ。そういう実感が湧いてきて、なんだかワクワクする。
「では、私たちはこれで失礼します~」
「はい、ありがとうございました」
業者のお兄さんたちも去り、騒がしかったこの部屋もしんと静まり返った。段ボールに囲まれた真新しい部屋。はやく荷ほどきをしなきゃいけないけれど、新生活が始まるこの感じを、もう少し味わっていたい。
すっと後ろから腕が伸びてきて、身体を包まれる。肩にかかった腕がわたしをぎゅっと抱きしめた。千尋さんのぬくもりを感じて、なんだか安心する。
「千尋さん、今日からここがわたしたちの愛の巣になるんですね」
「……まだ殺風景で、愛の巣というよりは鳥籠のようだが」
「えへへ、そうかもしれませんね」
段ボールの檻。このとりかごのような部屋に二人きり。感じる千尋さんの熱と吐息に、くらくらしてしまいそうで。すると、千尋さんがわたしを抱きしめる手に力が入って、きゅっと息が詰まった。
「ここが鳥籠なら、ずっと君を閉じ込めていたいくらいだ」
千尋さんの言葉に応じるように、わたしは千尋さんの手に触れた。左手にお揃いの指輪の感触。これをはめてから──ううん、それよりもっと前から、わたしは彼の虜なのだ。閉じ込められなくても、離れる気なんてさらさらない。
「わたし、どこにも行きませんよ。ずっと千尋さんのそばにいます。だいすきです、千尋さん」
わたしがそう言うと、千尋さんの腕がそっとわたしの髪を撫でた。言葉はくれなかったけど、それが同じ気持ちのお返事だということはわかる。あぁ幸せだなって、幸福感が胸を満たして苦しいくらいに、触れる指先から彼の愛情が伝わってくる。
ぐい、と正面を向かされる。するとそっと千尋さんの唇が近づいてきて、わたしは目を閉じた。唇が触れそうな距離に、千尋さんの吐息を感じたその時。
ぐぅ。
「……」
「……」
「……つばさ」
「そっ、そろそろご飯にしましょうか! 引越しといえばお蕎麦ですよね! 今準備しますね! えーと、食品はどこへ入れたかなっ」
空気を読まないお腹の虫が鳴いて、わたしたちの甘いひと時を台無しにしてしまった。もう、お腹の虫のばか。ちょっと恥ずかしかったのを誤魔化すようにあははと笑って、手当たり次第段ボールを開けていく。そんなわたしの様子に千尋さんは困ったような、それでも優しい笑みを浮かべて、一緒に荷ほどきをしてくれた。
* * *
16歳の誕生日に、わたしは人妻になった。相手は22歳年上の、とっても素敵な旦那様。
結婚して2ヶ月にして、同居生活1日め。愛の巣とはまだまだ言えないこのとりかごのような部屋の中で、わたしたち夫婦の時間はゆるやかに過ぎていく。
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