第18話 好きとぬくもり

 プラネタリウムを出た後は、一緒にご飯を食べて、お店を見て回って、お買い物をして。前のデートとそんなに変わらないことをしているはずなのに、隣にいる高際さんの顔がよく見れなかった。それは、彼のことが好きだと気付いたからなのか、それとも、好きだと言おうと思っているからなのか。どちらなのかはわからないけれど。

 楽しい時間はやっぱりあっという間に過ぎ去ってしまう。今日一日、告白の返事をするタイミングが見つけられないまま、帰りの電車に揺られることになってしまった。ああもうわたしのバカ。

 でも、言い訳をさせてほしい。デート中は、2人きりになれるタイミングがなかったのだ。電車に乗ってる今でさえ、他の乗客もいるわけで。もうこうなったら、帰り際しかチャンスはない。そう思ったら緊張してしまって、わたしの家の最寄駅が近づくにつれて、心臓がドクンドクンと音を立てた。緊張しているのがバレないように、さりげなく俯く。自信なさげな爪先が目に映る。

 久々のデートがもうすぐ終わってしまうことが、寂しい。もうすこし一緒にいたい。そうしたら、すこしは緊張も和らぐかもしれないのに。そんなわたしの気持ちなどつゆ知らず、電車のアナウンスは駅への到着を知らせた。


「行こう」

「……はい」


 わたしは高際さんの後に続いて電車を降りた。5時前の駅構内は帰宅する人で賑わっている。わたしたちは人混みの間をすり抜けて、改札へ向かう。高際さんはこのまま電車に乗っていけば帰れるのだろうけど、それが当たり前のことのように改札を出て、わたしを家まで送ってくれるみたいだった。優しいな、高際さん。その背中を眺めたら、胸がキュンとした。


「あ。えーっと、そ、そういえば。今日本屋さんで買ってたのって、小説ですか?」

「そうだよ」

「わたし、小説ってあんまり読まないんですけど、何かオススメありますか?」

「そうだな……今日買った作家の小説はつばさちゃんには少し難しいかもしれないな。なんなら今度、いくつか読みやすいものを貸すよ」

「本当ですか?」

「共通の話題が増えるのは嬉しいからな。何人かオススメしたい作家はいるが、読みやすさから言えば──」


 ようやく2人きりになれた帰り道。言うなら今しかないのに、あんなに言葉を考えていたのに、口から出て来たのは全く関係ない話題だった。小説のことなんて、本当に聞きたかったわけじゃないのに、わたしの大バカ。だけど、好きな作家さんの話になってすこしだけ饒舌になった高際さんの話を途中で断ち切るわけにもいかない。自分で話を振ったくせに、この後どうやって返事に持って行こうってことばかり考えながら相槌を打った。


「……っと、少し話しすぎたな。それじゃあつばさちゃん、今度会うときにでも持って来るから」

「はい……って、え!?」

「ん?」


 辺りを見渡す。いつの間に、家に着いていたの!? 動揺のあまり挙動不審になったわたしを、高際さんは心配そうに見つめた。


「どうした?」

「あ……えと……何でも……」

「ならいいが……。じゃあ、また連絡する」

「あ……!」


 やだやだ、どうしよう。わたし、まだ何も伝えてない。言わなきゃなのに、好きって。向き合わなくちゃいけないのに、この人の気持ちに──! 


「ま、待って!」


 わたしは思わず、立ち去ろうとする高際さんの腕を掴んだ。想定外のことだったのか、高際さんの体は前につんのめったあと、慌てて振り返った。


「つばさちゃん?」

「わたし、言わなきゃいけないことがあるんです! 高際さんに! だから、そのっ……!」


 ぎゅっと高際さんの腕を握る。怖くて高際さんの顔は見れなかったけど、高際さんが身体ごとこちらを向いたのがわかった。

 なんて言おうとか、いつ言おうとか考えてたのに、頭の中はもう真っ白で。とにかく伝えなきゃって、そればっかりで。手も声も震えてて、みっともなかったと思うけど、でも、必死で。


「わかったから、その……手を離してくれないか? 僕はまだ君に触れられない。もし、見られでもしたら……」


 掴んだ高際さんの手が、やんわりと遠のこうとする。掴まれていない方の手も、遠慮がちにわたしの手を剥がそうとして躊躇った。彼はわたしに触れない。


──そんなのやだ。


「やだ、離しません!」

「だが、これでは約束が……」

「これはわたしから触ったからセーフです! だから、大丈夫なんです、見られても!」

「しかし……」


 困ったような顔をして、それでもわたしから逃れようとする高際さんの腕を、さらに強く掴んで引き寄せる。


「わたしは、高際さんに触って欲しいんです! 好きなんです、高際さんが!」

「……っ! つばさちゃ……」

「好きな人には触れたいって言ったの、高際さんじゃないですか! わたしだって、高際さんに触れたいんです! 触れられたいんです!」


 駅伝の帰り道、わたしに触れなかった高際さんを思い出して涙がこみ上げた。あの時みたいな思いはもうたくさんなのだ。勢い余ってこぼれた涙が、ポタリと地面に落ちた。


「だから、触ってください、あの時みたいに……っ! 好き、だから……」


 涙と感情と言葉が、大渋滞を起こしてるみたいだった。一度溢れた涙はなかなか止まらない。涙がどんどん表に出てくるもんだから、言葉と感情がわたしの中で行き場をなくしてぐるぐる回る。何かを言おうとしても喉がぎゅっと締まって、嗚咽のような情けない声が漏れるだけだった。


「……君っては……」


 高際さんが、小さく呟いた。刹那、頬に暖かい何かが触れた。それが高際さんの手のひらだと気づくのにそう時間はかからなかった。


「……これは君からだから、セーフなんだろう」


 どういう意味かはすぐにわかった。今、高際さんがわたしに触れている手は、さっきまでわたしが必死になって掴んでいた方の手だった。掴む力がなくなってほとんど添えるだけになっていたけれど。

 声が出なかったから小さく頷いて見せると、高際さんは小さくため息を吐いた。


「頼むから、僕以外の男の前でそういうことを言わないでくれよ」


 観念したようにわたしに触れた手は優しくて、柔らかくて、暖かくて。でも、なんだかすこしぎこちなくて。ようやく触れることが出来たそのぬくもりから、高際さんの気持ちが伝わってくるような気がして。それがこんなにも嬉しいなんて、わたし、やっぱり高際さんのことが、すごく好きだ。気持ちが溢れて、感情のコントロールがどうにも出来なくて、わたしはまた泣いてしまった。


 * * *


 わたしが泣き止むまで、高際さんはそうしてくれていた。ようやくわたしが落ち着きを取り戻すと、高際さんは「よし」と呟いて手を離す。もうすこし、そうしていたかった。


「……駅までついていっていいですか。手を繋いで帰りたいです」

「駄目だ」


 きっぱりと言い放たれてムッとする。せっかく両思いなのに、どうして。そう思ったのが伝わったのだろう。高際さんはバツが悪そうに言葉を足した。


「僕はまだ駅には行かない。することがある」

「することって?」


 わたしが尋ねると、高際さんはもともと乱れてはいなかった姿勢と髪の毛を正して、我が家の玄関に向き直った。


「さっきのはセーフだったかもしれないが、僕が君に堂々と触れるには、あと一つだけクリアしなければいけない問題があるからな」

「……あ、」


 誓約書に書かれていた、もう一つ。わたしが思い出すと同時に、高際さんはわたしの家の玄関チャイムを鳴らした。

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