第19話 説得と喧嘩

「ごめんなさいね、お父さん今日は部活の練習試合があるとかでまだ帰ってきてなくて。多分、もうすぐ帰って来ると思うんですけど」


 そういえば朝、そんなこと言ってたかもしれない。高際さんとのことで頭がいっぱいですっかり忘れていた。ちゃんと話を聞いておけばよかった、と少し後悔。

 高際さんがわたしに触れるために、あと1つクリアしなきゃいけない問題──それは、両親が2人の交際を認めることだ。その説得のためにこうしてうちに来たのに、お母さんしかいないとなると、話が切り出せないじゃないか。

 コトリ、とテーブルの上に置かれた湯気の立つ湯呑みをただ見つめる。ついさっき、わたしは好きな人と結ばれた。お互いの好きという気持ちを確認しあって、すこしだけだけど触れ合った。そのことに対して、ちょっとだけ罪悪感を感じているのかもしれない。高際さんと付き合うことを認めてもらうことへの緊張も相まって、お母さんの顔が見れない。


「今日はプラネタリウムに行ったんでしょ? どうだった?」

「あ……えっと、すごい綺麗だったよ」

「そりゃあそうでしょうよ。あんた実は寝てたんじゃないでしょうね?」

「そ、そんなわけないでしょ!」


 慌てて否定する。せっかくのデートなのに寝てたなんて高際さんに思われたら嫌だ。ちらりと横にいる高際さんを伺うと、ショックを受けた風でもないいつもの仏頂面だった。どうやら勘違いはされなかったようだ。

 3人で当たり障りのない会話をしばらく続ける。お父さんが帰って来る気配はまだない。お父さん、いつ帰って来るんだろ。時計を見ると針は5時半過ぎを指していた。


「遅いわねぇお父さん。LINEも送ったけど既読にならないし。高際さん、お父さんに顔出しに寄ってくださったんでしょ? いつ戻るかわからないし、今日のところは……」

「えっ……!?」


 そんなの困る! せっかく両思いになったのに、両親の説得こんなことで足踏みをくらうなんて、絶対やだ! 

 慌てて立ち上がろうとすると、高際さんの腕が目の前に伸びてきて、わたしを制した。それに勢いを奪われてしゅるしゅると席に着く。高際さんはわたしではなく、真っ直ぐにお母さんを見ていた。


「いえ。今日は、先生と奥さんに……いえ、つばささんのご両親にお話があって伺ったんです。待たせて下さい」

「……わたしにも? そんな改まってお話なんて、まさか」


 何かに気づいた様子のお母さんが、恐々と尋ねる。


「はい。この度、つばささんと正式にお付き合いをさせていただきたく、ご両親に了承をと思いご挨拶に伺いました」


 淀みなく、凛とした声で言い放った高際さんに面食らったのか、おろおろとした視線をわたしに向けた。


「せ、正式にって。本気なの、つばさ」


 ここで、目を背けたらダメだ。高際さんが、誠心誠意お母さんと向き合ってくれてる。だからわたしも、しっかりしないと。お母さんの疑うような視線を跳ね返すくらいの力で、お母さんを見つめ返す。


「……うん。本気だよ。わたし、真剣に考えて、高際さんと付き合いたいって思った」


 高際さんと出会ってから今までの間、いろんなことを考えて、いろんな感情を知って、これからもこの人と一緒にいたいと思えた。わたしの中で育まれたこの気持ちは紛れもなく本物だ。

 お母さんは怒っているのか悲しんでいるのか驚いているのか分からない、複雑な表情のまま固まってしまっている。高際さんも次の言葉を考えてるのか何も言わない。しばらくして、お母さんは力が抜けたのか、へなへなとテーブルに肘をついた。俯いてしまってその表情は読めない。


「お、お母さん……?」

「わたしは、認めませんからね」

「……っ!」


 何かを言ったかと思えば、一言目にそれって。思わずカチンときて息がつまる。


「なんで? お父さんだって、付き合うのも、その先どうするのかを決めるのもわたしだって言ってたじゃん。わたしが考えてそう決めたのに、なんでそんなこと言うの?」


 するとお母さんは、長い長いため息をついた。その態度に、ますますムッとしてしまう。


「今はまだ、認められないって話よ。お父さんはああ言ってたけど、もともとわたしは賛成ってわけじゃなかったのよ。ちゃんと考えたって言うけど、つばさはまだ未成年だし、考えだって未熟でしょう。付き合うとかそういう話は、もう少しあなたが大人になってからでもいいんじゃないの? そもそも知り合ってからそんなに経ってないじゃない」


 否定的な言葉の羅列に苛立って唇を噛んだ。またそうやって子供扱いをする。大人になったらって、いつの話? お母さんはそうやって、わたしの行動を制限したいだけなんじゃないの。


「……確かに知り合ってから1ヶ月と少しくらいだけど、その間にLINEでたくさんお話ししたり会ったりしたし、どんな人かは分かる。だから好きになったんだよ」

「あのねぇ。好きだなんて言ってるけど、つばさくらいの歳の時って、歳上の素敵な人が側にいたら憧れみたいな気持ちを抱くものなのよ。つばさって鈍いし、そういう気持ちを恋だと勘違いしているんじゃないの?」


──何それ……! 


 さすがに頭に血が上った。感情的になって、思い切りテーブルを叩いてしまった。カシャン、と湯呑みが音を立てたけど、倒れるまでには至らなかった。チャプチャプと中のお茶が波を打つ。


「わたしの気持ちが嘘だって言いたいの!?」

「だから、それを確かめるためにも時間が必要なんじゃないかって言ってるの! あなたはまだ子供なんだから──」

「子供子供って、そればっかりじゃん! 子供だからって、なんでも親の言う通りにしなきゃいけないの!?」

「子供が間違った道に進まないようにするのは親の務めでしょう!? わたしはつばさのことを思って言ってるの!」

「高際さんと付き合うのが間違ったことなの!? もしそうなら、もういい! お母さんの許可なんていらない! こんな家、もう出て行くから!」


 じわりと涙が滲んだ。でもここで泣くのはなんだか癪だから、必死で我慢して席を立つ。


「つばさ!」

「つばさちゃん!」


 高際さんとお母さんの制止の声が重なった。それでもわたしは振り返ることなくリビングを飛び出す。廊下へ続く扉を開けたところで、大きな人影とぶつかった。顔を上げたら泣きそうなのがバレてしまうから見なかったけど、あれはきっとお父さんだ。いつの間にか帰ってきてたのだろう。わたしはお父さんにも目をくれず、一直線に玄関に向かった。お気に入りのスニーカーを履いて外へ駆け出した。

 立ち止まったら泣いてしまうと思ったから、とにかく走った。とにかくうちから離れたくて、がむしゃらに走った。めちゃくちゃに走ったからか、頭の中がもうぐちゃぐちゃで、どうしたらいいかわからなくなって、誰かに話を聞いて欲しくて。

 わたしの足は救いを求めるように、とある場所へと向かい始めた。


 * * *


 なんども足を運んだこの場所だけど、こんな時間に来るのは初めてで、恐る恐る玄関のチャイムを押した。扉の向こうでバタバタと駆けて来る音がして、勢いよく扉が開く。


「はーい! ……え? つばさ?」


 迎えてくれたのはしぃちゃんだった。ここはしぃちゃんの家なのだから、しぃちゃんが出て来るのは当たり前といえば当たり前なんだけど。

 しぃちゃんには、今日告白の返事をすると伝えていた。その結果どうなったかは、次の日学校で報告するはずだった。だからこそ、わたしがこうしてしぃちゃんの家に来たことは想定外だったらしく、しかもわたしが泣きそうな顔をしているもんだから、しぃちゃんは珍しく狼狽えた。


「やだ、どうしたの? とりあえず、家入りな?」


 しぃちゃんに優しく促され、こくりと頷く。背中に回されたしぃちゃんの手の温かさに妙に安心してしまって、とうとう涙が一粒こぼれてしまった。


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