第6話 アルバムと誓約書

 別れ際に、連絡先を交換した。LINEのIDも。ご丁寧に本名でやっているんだな、と、高際さんのページを見ながら思う。アイコンは設定してないみたいで、人のシルエットのデフォルトアイコン。それを押しては閉じて押しては閉じて。帰ってきてからずっと同じことを繰り返してる。わたしから何か送るべきなんだろうか、いやいや、でも何を送るんだ。少し迷って、まっさらなトーク画面を開く。このまっさらなページが、これから少しずつやりとりで埋まっていくのだろうか。なんだかイメージがわかない。送るでもなくスタンプを眺めていると、高際さんみたいな人でもスタンプとか使ったりするのかなとか、想像してちょっと笑ってしまった。


「あ」


 送るつもりなかったのに! 笑ってしまって触れた指が、スタンプに触れてしまった。しかもよりにもよってネタ系の変な奴。完璧に変な子だと思われた。送り間違えですと慌てて弁解しようとしたのに、すでに既読がついている。あああ! 高際さん既読早すぎ! どうしようどうしよう! 狼狽えていると、高際さんからメッセージが届いた。


『面白いスタンプがあるんだな。今度僕にも教えて欲しい』


 教えて欲しいって、スタンプを? 予想外の返答に困惑していると、連続で高際さんからメッセージ。


『今日は押しかけてすまなかった。ありがとう。これからもよろしく。それじゃあ、おやすみ』


 挨拶のオンパレードだ。どれに反応するべきか考えて、結局おやすみなさいのスタンプを返した。それもすぐに既読になったけど、返事は来なかった。

 かなり焦ったけどよかった。高際さんが引かずに返事くれて。返事もすごい早かったし。そこまで考えてふと思う。高際さんもわたしと同じく、何を送ろうか悩んでたのかな。もしかしたらまっさらなトーク画面を眺めて、何かを考えていたのだろうか──なんて、大人だもんそんなことないよね。わたしはふるふると首を振って、スマホを放り投げた。これからもよろしく、か。本当にわたし、この人と『これからも』『よろしく』するんだな、とやっぱりまだ信じきれてない頭で思った。

 おやすみ、とは言われたし送ったけれどまだ寝付けそうにない。そろりとベッドから起き出して、お父さんの部屋に向かう。コンコンとノックすると、中からお父さんの返事が聞こえた。よかった、まだ寝てなかった。


「おぅ、まだ起きてたか」

「お父さん。高際さんって、どんな人?」


 わたしの問いに、お父さんはかかかと笑った。


「だよな。いずれそうくると思って、卒アル出しといたぞ」

「卒アル!?」

「もう20年近く前のだけどな」


 お父さんが差し出してきたのは、少し埃っぽい卒業アルバムだった。箱から中身を取り出す。時代を感じる装丁のアルバムをぺらりとめくると、「5組な」とお父さんが付け足した。パラパラと3年5組を開く。クラスの名簿の一番上に、見覚えのある顔と名前を見つけて思わず声を上げた。


「わ! お父さん、若い……」

「まだ20代だからな。こん時はつばさもいなかったし。イケメンだろ?」

「……」


 イケメンかどうかはともかく。笑った顔に面影はあるな、とは思う。わたしの知らない20代の頃のお父さん。そこから上から順に目を滑らせて、ようやくた行にたどり着いて彼を見つけた。

 『高際千尋』という名前の上で、ぎこちないながら笑みを浮かべる男子高校生がそこにいた。わ、学ランだったんだ。不思議な感じ。当たり前だけどオールバックじゃないんだな。切れ長の目元にはこの頃からくっきりとしたシワがある。通った鼻筋に、薄い唇。確かに顔立ちは今の面影があって、きりりとした顔立ちをしていて確かにモテそう。


「どんな人だったの?」

「そうだな、あんまり今と変わんないぞ。とにかく真面目で誠実って感じだな。部活で部長もやってたし、生徒会長もやってたし、人気あったな」

「えっ……生徒会長?」

「すげーだろ。成績もすげーよかったからな。今だって会社で課長やってるって聞いたぞ」

「そう、なんだ。高際さん、今いくつ?」

「んー? そうだな……36か、たぶん」

「さんじゅう……」


 このアルバムが出来た頃、わたしは生まれてもいない。わたしは成績だってよくないし、特別美人でも人望があるわけでもない。写真の中の高際さんは今のわたしと歳はあまり変わらないはずなのに、やっぱり遠い。指で高際さんをなぞって見ても、距離は埋まるはずもない。知れば知るほど遠くに感じる気がするのは、なんでなんだろう。


「つばさがどう思うかはわからないけど、俺は高際なら大丈夫だと思ってるよ」

「大丈夫、って……?」

「つばさを安心して任せられる。昔からあいつを知ってる俺が言うんたから間違いない。母さんはまだ心配してるみたいだけど、今にわかる」


 今にわかる、と言ってもさっぱりわからない。お父さんの瞳は何か確証を得ている色をしている。年頃の娘が結婚を申し込まれているというのにここまで呑気でいるのは、『高際さんだから大丈夫』という確証からなんだろうか。


「なんならそれ、持ってていいぞ」

「あ、うん。ありがとう」


 わたしは一度アルバムを閉じて胸に抱いた。あまりお父さんの部屋に長居するのもよくないし、あとは部屋で読もう。わたしは立ち上がって、お父さんにおやすみと言って部屋をあとにした。


 部屋に戻って、ベッドに寝そべりながらアルバムをめくる。

 クラスでの写真はお友達とにこやかに肩を組んで写っている。わたしに向けた笑みとはまたちょっと違う顔だ。修学旅行、京都か。わたしも来年行くけど、楽しいのかな。あ、部活、剣道部だったんだ。道着似合うな。そういえばお父さん、生徒会長だったって言ってたよね。あ、本当に生徒会だ。へー、すごい。大変じゃなかったのかな。

 写真を一つ一つ眺めては、いろんなことを考えた。そうしているうちに、わたしはそのまま眠ってしまっていた。


 * * *


「あっはっはっはっはっは!」


 翌朝、下の階から聞こえたお父さんの笑い声で目を覚ました。……あっアルバム! 見ながら寝ちゃった! あととかよだれとか付いてないよね? 恐る恐る確認する。大丈夫そうだ。そっと閉じて机の上に置いてから下へ向かう。


「お父さん、どうしたの?」

「あぁ、つばさ。これ、見てみろ」


 そう言いながらお父さんはわたしに一枚の紙を手渡した。封筒の中に入ってたのだろう、三つ折りにされたその紙を広げると、なにやら難しい漢字がちらほらと書いてある。


「ちか……せ、せいやくしょ?」

「そうみたいだなぁ。だから言ったろ? あいつは心配ないって。クソ真面目な奴なんだよ、ほんと」


 くっくと笑いながら、お父さんはお母さんに目をやった。お母さんはバツが悪そうな顔で俯いている。内容を確認してみる。


『私高際千尋は、遠嶋つばささんに交際を申し込むにあたり、以下のことを誓います。

 一、つばささんの学校生活および日常生活に支障をきたすようなことは絶対にしないこと

 二、つばささんとご家族の方に交際を認めていただくまで、つばささんに指一本触れないこと

 三、外出の際は必ず行き先を明確にし、夜7時には自宅にお帰しすること。又、必要であれば外出時に1時間ごとに報告の連絡をすること  以上』


 その紙には高際さんの手書きの署名と、印鑑まで押してある。日付は昨日。あのLINEのやり取りの前だか後だかはわからないけれど、こんなものを数時間で用意して、なおかつ今日の朝一でうちのポストに入れるなんて、すごすぎじゃ……? 真面目で誠実だと言っていたお父さんの言葉がよくわかった。

 お父さんはまだ笑っているし、お母さんは「こんなことまでされちゃあ……」と言葉をなくしている。


「とりあえず、あれは俺が預かっておくよ。それでいいだろ?」

「そうねぇ……」


 納得はまだ出来ないけれど、認めざるを得ない、というような顔だ。わたしはもう一度その誓約書の内容を読み返して、そうか、と思う。

 告白をしてくれた時、高際さんはわたしに優しく触れた。しばらくはああやって触れてくれないんだなと、その誓約書を見て少し、ほんの少し、思ってしまった。

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