第5話 ご挨拶と帰り道

 またな、の意味がこんなに早くわかるとは思わなかった。高際さんは翌日、仕事終わりであろうその足でうちにやってきたのだ。


「娘さんと結婚を前提にお付き合いさせてください」


 高際さんの申し出に、お母さんは持っていたお盆を落っことした。お父さんは動きを止め、わたしはお父さんの隣で縮こまっている。そりゃ驚く。わたしも、驚いているもん。


「結婚って、うちの子まだ中学生なんですよ!?」

「存じております」

「なら、なんでそんなこと……自分が何を言っているかわかっているんですか!?」

「もちろん。僕は本気です」


 食いつかんばかりのお母さんに、一つ一つ冷静に淡々と答える。その瞳は真剣そのもので、お母さんもだんだん勢いがなくなる。お父さんに助けを求めるような視線を送ると、ようやくお父さんが口を開いた。


「下世話な話だけど、昔からお前モテたろ。お前くらいなら相手に困らんだろうに、なんでつばさなんだ?」


 やっぱりモテたんだ、高際さん。まぁかっこいいし、わかる気もする。ってことはさておき、わたしも気になっていたことを、お父さんは聞いてくれた。わたしも縮こまりながら、その答えに耳をすませる。


「うまく言葉に出来ないんですが、」


 そう前置きして、高際さんは少し黙った。恐る恐る顔を上げると、高際さんと目が合ってしまって、慌てて目線を下げる。


「昨日、僕たちの靴を整える小さな背中を見て、いい子だなと思うと共に、この子のそばにいたいと思いました。その背中を守りたいと思いました」


 う わ。

 ぶわりと顔に熱が集まるのがわかった。昨日のもだいぶ破壊力あったけど、こうストレートに言われると、ダメだ。


「この子が待っている家に帰りたいと思いました。結婚を前提にというのは、それが理由です」

「……だってよ、つばさ。お前は、どうしたい?」


 お父さんがわたしに問う。うちの親はいつもそうだった。例えば、部活を決めた時。わたしのためにいろいろ考えてくれて、でも最終的にはわたしの意見を尊重してくれた。そういう親だからこそ、わたしは今まで自由に、14年間楽しく過ごせていたんだと思う。


──わたしは、どうしたい。


 ちらりと高際さんを盗み見る。微動だにせず、お父さんを真剣な顔で見つめている。

 お友達の前での顔。お父さんの前での顔。昨日見せた優しい瞳。今見せている真剣な瞳。普段の表情、驚いた表情。昨日今日見たものだけじゃ、全然足りない。わたしはどうしたいのかと自問自答するのなら、わたしは──。


「……知りたい、高際さんのこと、もっと」


 一呼吸おいて、言葉を続ける。お父さんもお母さんも高際さんも、わたしの言葉を真剣に聞いてくれている。


「付き合うとか、結婚とか、まだわかんないけど。高際さんのこともっと知りたいとは、思う……」

「そうか。ありがとう、つばさ。そういうわけだから、高際」


 語尾が弱くなったのを、お父さんは優しく拾い上げて、高際さんへと返した。


「付き合うのも、その先どうするのかを決めるのも、つばさ自身だ。お前はしっかりつばさと向き合って、つばさの答えを待ってやれ。以上」

「……はい!」

「つばさ、駅まで高際を送ってやれ」

「は、はい!」


 わたしはドタバタと出かける準備(と言っても上着を羽織って鍵と携帯を持つくらいだけど)をして、玄関へと向かう。高際さんはリビングを出る際に振り返って、もう一度お父さんとお母さんに深々と頭を下げてから部屋を出た。ぱたん、と扉が閉まってから、部屋の中からお父さんに対するお母さんの呆れたような声が聞こえたけれど、聞こえないふりをしておこうと思った。


「……行きましょう」


 わたしは小さく呟いて、高際さんと家を出た。


 年はいくつなんだろうとか、何をしてる人なんだろうとか。何型なのかとか、どこに住んでるのとか。知りたい、と言ったからには、聞きたいことがたくさんあるのに、緊張からか言葉が出てこない。高際さんも何も言ってこなくて、しばらく沈黙が続いた。テクテクと二人の足音だけが響いて、どうしたらいいのかわからない。考えれば考えるほどこんがらがってしまう。考えながら歩くという器用な真似はできなくて、自然と歩みが遅くなる。ちらりと横を見ると、キリッとしたいつもの顔の高際さん。そこで気がついた。当たり前のように、高際さんはわたしの歩幅に合わせて横を歩いてくれていた。


「……高際さん」

「ん?」

「もしわたしが定期入れを届けなかったら、どうしてたんですか」


 部屋に戻るように言ったのは彼だ。わたしがそのまま部屋で過ごしていたら定期入れには気づかなかっただろうし、わたし以外の家族が見つける可能性も大いにあった。明日まで気づかれない可能性だってあったはずだ。それでも、彼は定期入れをわざと置いていった。


「その時はその時だったよ。その時は君を諦めて、他の誰かと恋をして、家庭を作ったかもしれないな」

「……」


 賭けをした、と高際さんは言っていた。負けたら負けたで、それでいいみたいな言い方にムッとする。こんな薄っぺらの定期入れ一枚で諦めがつくくらいの気持ちだったのかな。わたしがそういうの疎いから、からかっているだけなのかも。ていうか、こんなことでムッとしてしまうのは、やっぱり子供っぽい。


「でも」


 高際さんが、ピタリと足を止めた。わたしもつられて歩みを止める。


「君は、来てくれた」

「──……っ!」


 そう言って高際さんは、ふにゃりと笑った。また、初めて見る顔だった。緊張が解けた安心と、わたしが『来てくれた』ことの嬉しさが伝わってくる、そんな表情。そうやって嬉しそうに笑う顔を見たら、何も言えなくなってしまった。賭けとかもしもとか、どうでもよくなった。わたしが定期入れを届けることが、当たり前で、必然であったかと思えるほど。

 これから彼は、どんな顔を見せてくれるんだろう。少し楽しみに思えて、わたしも思わず口元が緩んだ。知りたいと思うのと、そばにいたいと思うのは、もしかしたら似ているのかもしれない。

 2人の運命を変えたのは、渋いグリーンの定期入れだった。あれを届けると決めたのも、彼を知りたいと言ったのも全部、自分の意思なのだ。付き合うとか、結婚とか、年とか、緊張とか。そういうの何も考えないで、自分の気持ちに従って、今はこの人の隣を歩こう──そう思った。

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