第21話 母と娘(1)

 芹那ちゃんが見ているテレビの音が耳に届く。日曜日の夜──楽しげな笑い声とは裏腹に、わたしたちの間に流れる空気はしんと静まり返っている。早苗さんが何を語るのか、想像ができないだけにすこし緊張している。それにつられてか、横にいるしぃちゃんの顔もこわばっている。

 早苗さんはマグカップのふちを指でなぞっている。当時のことを思い出しているのかな。


「あたしさぁ、昔はヤンチャしてたって言ったじゃない? って言っても、かわいいもんよ? 夜遅くまでふらふらしたり、髪の毛ちょーっと派手にしたり」


 そこで、横にいたしぃちゃんがこっそり耳打ちをした。


「ぜんっぜんかわいくないよ。昔の写真見たことあるけどめっちゃメイクけばいの。マジやばい」

「え」


 今の綺麗な姿からしたら想像できないけど。思わず早苗さんのことを見てしまうと、怖いくらいの満面の笑みでしぃちゃんを見ていた。そのあまりの迫力にわたしも思わず背筋を伸ばす。


「しぃ、なんか言った?」

「い、言ってない言ってない! 続けて!」


 早苗さんはしばらくじっとりとした目でしぃちゃんを見ていたけど、すこししてまた話を始めてくれた。


「……それが原因で、お母さん──あ、つまり、しぃのばあちゃんね。ばあちゃんとは、いろいろと小さな喧嘩はしてたんだ。けど、あたしが頑固なのもあって、最後にはいっつも折れてくれてた。だからあたしもそれに甘えて、好き勝手やってたんだよね」


 早苗さんが懐かしむように目を細めた。わたしはしぃちゃんのおばあちゃんに直接会ったことがないからイメージが湧かないけれど、しぃちゃんはうんうんと首を振っていた。


「あーなんかわかるわ。ばあちゃんお人好しそうだもん」

「そうなんだ」

「だからさ、ばあちゃんはあたしが何をしても許してくれて、応援してくれると思ってたんだよね」


 早苗さんは、そこで話をいったん切って、自分のマグカップのココアを飲んだ。マグカップをコトリと置いて、話を続ける。


「高校卒業しても、就職はしたくなかったから、適当にバイトして適当に遊んでたんだよね。それで草治そうじ……あ、パパと知り合ったの」

「へぇー」

「そんで、しばらくしてしぃができた。誕生日前だったから、18の時だね」

「え!」


 18歳って、わたしが今14歳だから……4年後!? まったく想像がつかない。自分が高校に行っているイメージもぼんやりとしか湧かないというのに、まして10代で子供を持つなんて。……ん? あれ? ちょっと待って? 


「その時、しぃちゃんのお父さんとは……」

「あは。気づいた? そう、いわゆるできちゃった婚ってやつ。だからそれまでは結婚なんて全く考えてなかった」


 衝撃的なことを聞かされて、話についていくのに必死だ。18、19で妊娠とか、結婚とか、出産とか。今のわたしには未知の世界過ぎて。


「今でこそ授かり婚だとか言うけど、あの頃は世間的にも印象最悪でさ。うちの親も例に漏れずだった。結婚と妊娠の報告したら、もうすごかったね。まして、その歳でだったし。相手もハタチそこらの若造だったしさ」

「え、その頃お父さんハタチ、ってことは、今……」

「んー、今年35か?」

「えっ……!」


 しぃちゃんからは、高際さんの歳はしぃちゃんのお父さんとあんまり変わらないと聞いていた。でも、実際は、しぃちゃんのお父さんの方がちょっと若いんじゃん! 

 驚きが隠せず、ゆっくりとしぃちゃんを見る。早苗さんからは見えないように「ごめん」と口を動かした。もう、しぃちゃんってば! 


「なーに? 思ってたより若かった?」

「えっ、あ、いえ! ……それより、ご両親からは反対されたんですか?」

「もちろん。反対反対。猛反対よ。それどころか、しぃのこともおろせって言われた」

「え!?」


 声を上げたのはしぃちゃんだ。それはそうだよね。自分の出生秘話を聞かされているのだ。しかも、自分のおじいちゃんおばあちゃんからそんな風に思われていて、もしかしたら自分が生まれていなかったかもしれないなんて。ショックを隠せていない様子のしぃちゃんを、早苗さんはなぜか柔らかい表情で見つめた。


「まぁ、その理由は後で話すよ。……で、あたしも反対はされるだろうとは思ってたけど、まさかそこまで言われるとは思ってなかったからショックだった。じいちゃんはともかく、ばあちゃんは最後には賛成してくれると思ってた。お腹に子を宿したことがある人なら、ここに命があるって愛おしさをわかってくれるはずだって。でも、そんなことなかった。お前には無理だ、おろせ、の一点張りで」

「でも、最後にはご両親を説得できたんですよね?」


 しぃちゃんがここにいるのが何よりの証拠だ。じゃなかったら、しぃちゃんは生まれていないんだから。


「いや? 説得なんかしないよ。できる状態じゃなかったし」

「え? それじゃあ……」

「駆け落ちした」

「えええ!?」


 またしても衝撃的な話だ。友達のお母さんたちが、そんなドラマでしか見たことのないような大恋愛をしているなんて。ちょっとドキドキだ。


「って言っても、そんな大層な話じゃないよ? 婚姻届だけ出して、2人で暮らしたの。生活はちょっと苦しかったけど、しぃのことおろすよりマシだった。ばあちゃんから何度も何度も連絡きてたけど、どうせおろせって言われるだけだし、全部シカトしてやった。住所も教えてなかった。完全に縁切ってやろうと思ってさ」

「そこまで……」

「だって、反対されるの目に見えてるじゃん。それに、あたしはもうガキじゃないって妙な意地もあって、絶対1人でどうにかしてやるって思ってたの。それで結局、親と一切連絡連絡取らないまま、しぃのこと産んだんだよね──」


 さらっと言ってのける早苗さん。全部1人でこなそうなんて、そんなのわたしだったら、不安でこわくて、絶対に無理だ。早苗さん、強いな。

 早苗さんは意地だと言っていたけど、その根底にはきっと、宿った命──しぃちゃんに対する愛情があったからこそなんだろう。わたしにも、いつかそんな時が来るのだろうか。母として、子供のことを心から思う時が。


「ママぁー、せり眠い……」

「あー、はいよ。今日いっぱい遊んだもんね。ちょっと待って。──ごめんねぇ、話途中で。ちょっと先にせりのこと寝かしつけてきちゃうからさ」

「いえ! こちらこそ、忙しい時にすみません」


 居座ってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。でも、まだ帰ろうという気持ちにはなれなくて、腰が重い。

 マグカップの中に、しゅんとした顔の自分が映る。よく目元がお母さんに似ていると言われる顔だ。……お母さんは、どんな気持ちでわたしを産んだのかな。早苗さんみたいに、大事に思ってくれてたのかな。

 そんなことを考えたら、またよくわからなくなってた。怒りの感情は確かにあるんだけど、それだけじゃなくて。高際さんへの気持ちと、お母さんへの気持ち。早苗さんの話と、お母さんの話。全部が頭の中で絡み合っていて。なんだか、パレットの上で絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜて頭の中に塗りたくっているような、そんな感覚。


「つばさ……大丈夫?」


 心配そうにしぃちゃんが尋ねてきたけれど、返事をする余裕がなくて、わたしはただ頷くことしか出来なかった。

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