第24話 仲直りと決まりごと

 しぃちゃんの家から帰ってきたわたしたちを出迎えたのは、お父さんだった。


「おかえり、つばさ」


 玄関先でまずわたしにそう言ったお父さんは、後ろにいる高際さんに視線を移し、「高際も、苦労かけてすまんな」と苦笑いした。


「中で話そう」


 お父さんに促され、リビングへと向かった。部屋に足を踏み入れるとすぐに、テーブルが視界に入る。出て行く前まで飲んでいたお茶がそのままになっている。徐々に視線を移していくと、端の席でしぼんでしまった風船のようにうな垂れるお母さんが目に入って、その様子に少し怯んでしまう。

 大人たちの話し合いの結果は、多分お母さんが望むものではなかった。だからあんなに元気がなさそうなのだ。


──わたしが、あんな顔をさせた。


 罪悪感がむくりと起き上がってきたのを慌てて抑え込む。お母さんと向き合うって、決めたはずなのに。ここで引いちゃダメだ。でも、押してもダメだ。

 迷いを打ち切るようにふるふると首を振った。気合いを入れ直して、お母さんの向かいの席に着く。高際さんはそれに続くように、わたしの隣に座った。

 高際さんが両親に挨拶をしに来た時には、わたしは向こう側にいた。あの日、真剣な顔をしていた高際さんの顔を、ただ見ていることしかできなかった。でも、今は違う。すぅっと息を吸い込んで、目の前に座る両親を見据える。


「……お母さん」

「……」


 お母さんは返事をしなかった。それでも、わたしは言葉を続ける。


「さっきは、ごめんなさい。お母さん、わたしのことちゃんと考えて言ってくれてたのに、つい、ムキになった」


 思っていたよりすんなりと、謝罪の言葉が口から出た。きっとそれは早苗さんのおかげだ。


「……わたしも、思わず感情的になってしまって、ごめんね」


 お母さんは小さな声で言った。その声は少し枯れていて、わたしが出て行った後、もしかしたらお母さんも泣いていたのかもしれない、と思った。


「……よし。じゃ、早速、本題にいこうか。つばさ、俺の目を見て答えろよ」


 お父さんが、テーブルに肘をついてわたしをじっと見た。その目にギクリとする。

 これは、嘘がないかを見抜く目だ。わたしは昔からこのお父さんの目がすこし苦手だった。お父さんは普段はおおらかで優しい。例えばわたしがいけないことをした時も、怒るというよりは諭す感じで、声を張り上げることはなかった。その代わりに、真剣な目でじぃっとこちらを見るのだ。すると、嘘をついていなくても、悪さをしていなくても、何かを見透かされそうで、居心地が悪くて、つい謝ってしまいそうになる。


「ちゃんと真剣に考えて、考え抜いて出した答えがそれなんだな?」


 でも、この想いに、出した答えに、やましい気持ちなんてない。だから、お父さんにその目で見られても、焦りもしないし動揺もしない。


「……うん。高際さんのことが好きになったから、高際さんと付き合いたい。だから、付き合いを認めて欲しいの」


 しばらくは、お互い目を逸らさなかった。やがて、お父さんの方がそっと目を閉じて、「そうか」と小さく呟いた。


「つばさももう中学生なんだし、人を好きになって、その人と付き合いたいって思うのは自然なことだ。しかも、相手もつばさのことを好きでいてくれている。それは奇跡に近いことだ。だから俺は、つばさがそうと決めたんだったら、反対はしないよ」

「……うん」

「こういうの、親がとやかく口出してもなんだろ? それなりに健全な付き合い方をしてくれればそれでいい。相手が高際ならその点は安心だしな」

「……信頼してくださってありがとうございます」


 数時間前まで、お母さんと交際を巡って言い合いしたことが嘘のように、円滑に話が進んでいる。初めからお父さんはわたしたちのことは公認ムードだったから、当たり前と言ったらそうなのかもしれないけれど。


──でも。


 横目でお母さんを見る。お母さんは相変わらずシュンとしている。

 その様子を見て、大人たちの話し合いの構図がなんとなく見えてきた。昔からお母さんは、お父さんの斜め後ろをついて歩くような人だった。お父さんの強引さに小言を言うことはあったけど、最終的にはいつもお父さんが決めたことには従っていた。そんなお母さんだから、きっと思うところはたくさんあったはずなのに、それを押し殺しているんだ。


──それじゃ、意味がない。


「……お母さんは、どうなの?」


 高際さんも、お父さんも、そしてお母さんも。まとまりかけた話にわたしが口を挟んだことに驚いていたようだった。


「わたし、高際さんが好きだよ。だからお付き合いを認めて欲しいと思ってる」


 何をどんなに言われたって、それだけは絶対に揺らがない。でも、同じようにずっと、揺らがないものがある。きっとそれは、これからも、この先も、揺らぐことがないもの。


「でも、それと同じくらい、お父さんもお母さんも好きなの」

「……っ、つばさ……」


 お母さんが、絞り出すようにわたしの名前を呼んだ。わたしは返事をする代わりに、ゆっくりと頷いてみせる。


「わたしが選んだ道で、お父さんやお母さんが悲しむのは嫌だよ。ここにいるみんなが納得できる形で、みんなが幸せになれる選択があるんなら、わたしはそれを選びたい」


 まっすぐお母さんを見る。お母さんの口は何かを言おうと開きかけて、結局何も言わなかった。お母さんの目線は上下に行ったり来たりして、やがて膝の上に落ち着いた。


「……さっきは、」

「……うん」

「つばさの気持ちを疑うようなことを言って、ごめんね……。つばさが思わず家を飛び出してしまうくらい、本物の気持ちだったのよね……」


 お母さんの声が少しかすれているのにつられて、鼻の奥がつんとする。確かに、怒られたり喧嘩をしたりしたとき、部屋に閉じこもることはあったけど、あんなことをしたのは初めてだった。お母さんが驚くのも無理はない。わたしも今冷静になってみて、自分の行動に驚いているんだから。


「さっきお父さんたちとも話をしてね。つばさの気持ちや高際さんの人柄を疑う気持ちはもうないの。高際さんも真剣にあなたのことを思ってくれているみたいだし。わたしだって、最終的には、あなたたちの交際を認めてあげたいとは思っているの。でもね……やっぱり不安なの。あなたたちは歳の差もあるでしょう。交際が公になったら、いわれのない噂をささやかれたり、好奇な目で見られたりするかもしれない」

「そんなの……わたし、平気だよ」


 ノベくんに冗談でエンコーだと言われたこともある。デートの時は親子に見られていると思ったけれど、わたしたちの距離感次第では、そういうふうに見えてしまうこともあること、理解はしているつもりだ。そんなこと全く気にならない、と言ったら嘘になるけれど、それよりも高際さんと一緒にいたいって気持ちが大きくて。


「つばさが平気でも、わたしが嫌なのよ。勝手なのはわかってる。でも、つばさはわたしの自慢の娘だから……そんな風に思われて、悲しむつばさを見たくないの」

「お母さん……」


 その言葉を聞いて、ちょっと笑ってしまった。その様子を見て、お母さんも、そして母娘の会話を聞いていた2人も、きょとんとしている。


「……つばさ?」

「えへへ……違うの。わたしたち、やっぱり親子なんだなぁって思ったの」

「え……?」

「だって、わたしとお母さん、おんなじこと言ってる」


 お互いがお互いに、『悲しんでほしくない』だなんて。そんな風に思うのは、お互いのことが大切だからで。大切だからこそ、自分の気持ちをわかってほしいと躍起になって。そんな単純なことだったのだ。


「やだ……ほんとね」


 泣き笑いみたいな顔で、お母さんが言った。その顔は少し穏やかに見えて、さっき謝罪の言葉を交わしたときよりもちゃんと、仲直りができた気がした。お母さんとしっかり向き合って、心を通わせられたような。

 すると、お父さんが一つ咳払いをして、場をとりなすようにお母さんの頭をポン、と優しく叩いた。仲直りムードになって、リビングに和やかな雰囲気が流れる。さぁ、今度は解決策を導き出さなきゃいけない。大人たちだけじゃなくて、みんなで。


「じゃあ……お母さんは付き合うこと自体は、許してくれるんだよね?」

「だって、ダメって言われて止まるものじゃないでしょう、人の気持ちなんて」


 ちらり、とお母さんがお父さんを見た。お父さんは返事をする代わりに困ったような、照れたようなそんな顔をした。わたしが生まれるずっと前、お父さんとお母さんにも、そういう経験があったのかもしれない。……なんか、わたしのほうが恥ずかしくなってしまう。


「奥さんが望むなら、交際について公言するつもりはありませんし、交際を認めていただけるなら、外でつばささんと会うことも控えます」

「えっ! じゃあ、せっかく付き合えても、会ったり、デートしたり出来ないってことですか!?」

「それは……そういうことになるが……」

「そんなぁ! そんなの意味がないです……」

「あははは! まぁ、そうしてくれたら1番だろうけど、そうしたらつばさがむくれそうだな。たまーに、遠くでデートするくらいは許してもいいんじゃないか? なぁ?」

「……でも……」


 お母さんが険しい顔をする。それを見て、お父さんが腕を組んで唸った。


「……なら、うちで会うのはどうだ? 人目につくリスクもないし、母さんだって家にいるんだから、その方が何かと安心だろ?」

「……まぁ、そうよね……」

「な、つばさ。しばらくは家でデートってことで、納得できない?」

「……全然会えないよりは、いい……」

「……あっ!? でも待てよ、そしたらご近所は、こことの仲を疑うか?」


 お父さんは、お母さんと高際さんを交互に指差しながら苦笑いした。最初はどういう意味か分からなかったけど、少し考えたらお父さんの言葉の意味がわかった。


「やっ……! ダメダメダメ! そんなのやだっ!」

「バカ言え、俺だって嫌だよそんなの!」

「ちょっと……変な喧嘩しないでちょうだいよ……」


 真剣に、だけど和やかに、わたしたちの話し合いは進んだ。しっかりとお互いに向き合って、みんなが納得できるように。そういう答えを見つけ出そうと、わたしたち家族と高際さんは、ご飯を食べるのも忘れて話し合った。全員のお腹の虫が鳴き出す頃に、ようやく話し合いはまとまったのだ。


 * * *


「本当に、駅まで送っていかなくてもいいんですか?」

「ああ、大丈夫だよ。結局夕飯までご馳走になってしまって、申し訳ない」


 玄関先で尋ねると、高際さんは表情を和らげた。こちらこそ、夕飯の時間がとってもとっても遅くなってしまったことが申し訳ない。


「次会えるのは、来週だな」


 思わずにやけてしまいそうになるのを必死で堪える。でも多分、堪えきれてない。それを見透かされているのか、高際さんが緩んだ頬に触れた。

 週に1回(お互いに用事があればその限りではないけれど)、高際さんがわたしの家庭教師をしてくれる、というで、わたしたちはお家デートをする。外でのデートは今後は要相談。他にも色々と制約はあるけど……でも、会えるならいい。高際さんとお付き合いができるなら、それでも。


「これからもよろしく」

「……はい!」


 高際さんとの『これから』があることが、ただひたすらに嬉しくて。


「高際さん」

「ん?」

「大好きです。おやすみなさい」


 そう告げると、高際さんは頬に触れていた手でわたしの頭をくしゃりと撫でて、口元を緩ませた。

 高際さんの優しい手のひらが、わたしに触れる。ああ──今日からこの人は、本当にわたしの恋人なのだ。これ以上に幸せなことはきっとない。そう思えるくらい、わたしの心は満ち足りていた。

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