第15話 恋心と自覚

 しぃちゃんと高際さんが2人でいるところに遭遇して、会話を盗み聞きしている。我ながら最低なことをしているとは思うけれど、あの中に飛び込む勇気はなぜか湧かなかった。

 隠れてこんなことをしている罪悪感からか、ドクン、ドクン、と心臓が脈打つ。じわりと手のひらに汗もかいている。

 しぃちゃん、どうしてわたしに内緒で高際さんといるの? 高際さんも、どうしてわたしに声をかけないでこんなところにいるの? 自分勝手などうしてを胸に抱えたまま、2人の会話に耳を傾ける。


「君は足が速いんだな。見ていてとても気持ちよかったよ」

「えへへ。それだけが取り柄なので」

「そんなことはないと思うが」


 しぃちゃんと向かい合う高際さんの顔は見えない。ここからだと背中しか見えないのだ。高際さんの声が心なしか優しく聞こえて、胸が痛む。今、どんな顔をして、しぃちゃんのことを褒めているんだろう。


「それでですね、来てもらったのは、じっくりお話ししたからなんですけど」


 しぃちゃんは真剣な顔で高際さんを見ている。その声が何を語るのか、怖いけど、聞きたい。わたしはぎゅっと服の裾を掴んだ。


「単刀直入に聞きます。高際さんって、ロリコンなんですか?」

「……っ!」


 しぃちゃん! と思わず叫んでしまいそうになって、慌てて口を手で押さえた。な、な、な、なんてこと本人に直接聞くの! 

 そうは思ったけど、よく考えたらわたしも人のこと言えない。デートの時にそうとう恥ずかしいことを聞いてしまったし。

 高際さんはピクリとも動かない。あの時は少し動揺していたみたいだったけど、背中からは動揺の色は見えなかった。でも、顔が見えない分、答えの予測が全くつかない。高際さん、どうするの……? 


「そんなことだろうとは思ったよ。残念ながら、違うよ」


 高際さんはきっぱりとそう言った。違うんだ、よかった……じゃ、なくて! 胸を撫で下ろそうとしたのをやめて、しぃちゃんのことを見る。しぃちゃんは納得いかない様子で、高際さんを睨みつけていた。


「嘘! 信じられません。ロリコンじゃないなら、なんでつばさなんですか? あたしたちは子供で、高際さんは大人でしょ? 大人のくせに子供を好きになるなんて変です。大人には大人の相手がいるじゃないですか!」


 しぃちゃんの言葉はどれだって正論だ。わたしたちは子供で、高際さんは大人。揺るぐことのない事実にこんなにも胸がぎゅっと締め付けられる。

 高際さんと2人で並んで歩いた時、周りにはどう映った? デートしているように見えた? 答えは否だ。高際さんの隣にいた人がもっと大人で素敵な女の人だったら、もっと違って見えたはずだった。大人には大人の相手。当たり前で世の常なその言葉が、ずしりと重くのしかかった気がした。わたしが子供じゃなかったら、とわたしがあの時思ったように、高際さんも思ったのだろうか。


「それに、結婚を前提にとか、おかしいです。そりゃ高際さんは歳も歳だししたいのかもしれないけど、あたしたちまだ中2ですよ!? これから高校行ったり、大学とか専門とか行ったり、部活したり恋したりバイトしたりって、色々したいこととかたくさんあるんですよ? 高際さんは若者の未来を潰すつもりですか?」


 しぃちゃんは声を荒げている。

 人生の別れ道って、きっとたくさんあって。わたしやしぃちゃんは、これからたくさんの選択肢の中から、自分の人生を選んで歩いていく。そんな中、突如現れた『高際さんとの結婚』という選択肢。それを選んだらわたしは、1人だけ普通の子たちとは違う道を歩むことになってしまうから、だからしぃちゃんはこんなに心配してくれているんだと思う。普段からしぃちゃんはぼんやりしているわたしを導いて助けてくれるから。

 しぃちゃんは、高際さんから目を逸らさない。高際さんも多分、ピクリとも動かないから、じっとしぃちゃんを見ているのだと思う。しばらく沈黙が続いたあと、ようやく高際さんが口を開いた。


「大人には大人の相手、って言うのは、一理あるかもしれないな」


 どきり、とする。やっぱりそうなんだ。胸が苦しくなって、ぎゅっと胸元を握りしめる。


「……だが、僕はつばさちゃんが子供だから好きになったわけじゃない。つばさちゃんがつばさちゃんだから好きになったんだ」


 聞こえてきた言葉に驚いて、胸元を握りしめていた力が緩んだ。さっき、一理あるって言ったのに。高際さん、今、きっぱりはっきりわたしのことを好きだと言った。大人とか子供とか関係なく、『わたし』のことを。

 彼の背中をまっすぐ見る。いつ見ても、ピンと伸びた背筋。


「君らには未来があると言ったな。もちろんそうだ。だが、僕にだって君らよりは短いが未来がある。その短い未来を、他の誰でもない、つばさちゃんと共に生きたいと……そう思ったんだよ」

「──……っ!」


 他の誰でもない、わたしと。

 高際さんのそのたった一言で、ずっとかかっていた心のモヤがスッと消えて無くなっていく。高際さんは、他の大人の女の人とか、ましてやしぃちゃんではなく、と共に生きていきたいと思ってくれているのだ。それがどうしようもなく嬉しくて、こんなにもドキドキするなんて。

 それでようやく気がついた。


──あぁ、わたし、高際さんのことが、好きなんだ。


 しぃちゃんは、しばらく何も言わなかった。拳をぎゅっと握りしめて、高際さんを見つめる。


「……もっとどうしようもない大人だったらよかったのに」

「期待に添えず申し訳ない」


 本当に申し訳ないと思っているんだろうかと疑ってしまうような声音で言う高際さんに、笑いそうになる。しぃちゃんは少し俯いて、いじいじと足先で地面に円を書くようなそぶりを見せた後、もう一度高際さんを見上げた。


「最後に、一個いいですか」

「なんだ?」

「つばさのどこを好きになったんですか?」


 しぃちゃん、そんなことも聞くの!? 思わず身を乗り出した。そういえば高際さんは、お父さんたちに挨拶に来たあの日も、『どこが』とは言わなかった。き、気になる。聞きたい気持ちと、恥ずかしいから聞きたくない気持ちがせめぎ合い、ばくばくと心臓が太鼓のように鳴る。結局聞きたい気持ちのほうが大きくなってしまって、わたしはその場で息をひそめた。


「──それは、」

「……それは?」

「つばさちゃんと一番仲がいい君になら、分かるんじゃないかな」

「……っ!」


 しぃちゃんは息を詰めた。目を見開いてしばらくは高際さんを見つめていたけれど、そのうち観念したようにふにゃりと笑った。


「……そんなの、ずるい」


 高際さんの顔は見えないけれど、二人の間の空気は、最初より随分柔らかくなったような気がした。しぃちゃんになら分かるなんて、そんなわたしには分からない回答に腑に落ちないでいると、高際さんがこほん、と咳払いをした。


「さぁ、そろそろ戻らないと、みんな心配するんじゃないのか?」


 高際さんのその一言で、わたしも本来の役目を思い出した。わたし、ここにいたらまずい! とにかく、トイレの方に向かおう。そろりそろりと動き出す。

 しぃちゃんも思い出してすこし焦ったようで、「あっ!」と声を張った。


「そうだった、やばいかも。すみません、呼び出して。あたし、行きます!」


 まずい、こっち来ちゃう。急いで二人の死角に入って、そのままの勢いでトイレに向かう。このあたりならわたしの姿は見えないはずだ。するとしぃちゃんは、こちらに向かっていた足を止めて、高際さんの方にくるりと向き直った。


「あっ、高際さん! つばさとのこと──どうするかはつばさ次第だけど、それでも。もしつばさを悲しませたら、あたし、許しませんからね!」

「……っ、」


 しぃちゃんの言葉に、声が漏れそうになる。本当にしぃちゃんは、しっかりしていて、友達思いで、かっこよくて、自慢の友達だ。しぃちゃんに対してモヤモヤしていた自分が恥ずかしく思えるくらいに。思わず涙腺が緩みそうになったのを慌てて引き締める。だめだめ、変な顔してたら怪しまれる。

 とりあえずトイレに隠れてから、しぃちゃんの足音が近づいて来たタイミングでドアを開ける。走って来たしぃちゃんと目が合って、しぃちゃんが「あっ!?」と声をあげた。


「つばさ、なんでここに?」

「先生に頼まれて、しぃちゃんを探してたんだよ」

「えっまじで? そっか、ごめんつばさ!」


 怪しまれてないかとビクビクしていたけど、しぃちゃんは少しも疑っていないようだった。申し訳ないけど、ちょっとホッとした。戻ろっか、と声をかけて、そのまましぃちゃんと並んで歩いていく。


「……しぃちゃん、ごめんね」

「え? 何が?」


 しぃちゃんに抱いていたあの気持ちは、多分ヤキモチだったのだと、高際さんへの気持ちを理解して気づいた。しぃちゃんはわたしのことを心配してくれていたのに、ヤキモチなんてやいて。それに対する自己満足な謝罪。しぃちゃんはわけがわからずきょとんとするばかりだった。


「しぃちゃん。わたし、高際さんが好き」


 わたしの言葉に、しぃちゃんの動きが止まった。高際さんは22も歳上の人だし、並んで歩いてもカップルには見えないし。そんな人を好きになるなんて、この気持ちは普通じゃないのかもしれない。それでも、しぃちゃんは大切な友達だから、一番にこの気持ちを伝えたかった。

 しぃちゃんはしばらく驚いたような顔をしてわたしのことをじっと見つめていたけど、そのうちふっと優しく笑って、わたしの背中をバシンと叩いた。


「いたっ!?」

「やーっと、つばさと恋バナできるね!」


 何でもないようなことみたいに言って笑うしぃちゃんに拍子抜けだった。でも、それはしぃちゃんの優しさだったんだろう。わたしが引け目を感じずに、高際さんを好きだと思えるように。その優しさが嬉しくて、叩かれた背中と胸がジンジンと熱を持って、なんだか泣きそうになってしまった。


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