第16話 嫉妬とヤキモチ

 駅伝大会は、しぃちゃんの健闘の甲斐あり2位で幕を閉じた。長距離の子たちは1位を取れず悔しがっていたけれど、2位でも十分すごいと思う。

 閉会式の後、正顧問の先生からの締めの挨拶があって、各自解散となる。解散とは言われたものの、みんなだらだらとおしゃべりをしたり反省会をしたりで、すぐに帰ろうとする人はあまりいない。それでもわたしは身支度を整えて、そわそわと辺りを見回した。


「あ!」


 高際さんの姿を見つけて声をあげた。高際さんもこちらに気づいて小さく手を振る。やっぱり、終わるの待っててくれたんだ。そんな小さなことにも感動を覚えて、胸がキュンと高鳴る。恋ってすごい。

 しぃちゃんも高際さんに気づいたようだった。しぃちゃんはちらりと高際さんを見るやいなや、わたしの手を取って高際さんのほうへ向かった。


「しぃちゃん!?」

「みんなに見られるとややこしいでしょ」


 あ、そうか。後ろを見ると、おしゃべりに夢中になっている陸上部の面々。さっきノベくんに見つかった時も説明に困ったのに、あんな大人数に説明できる気がしない。増して、彼は今はもうただの『お父さんの教え子』ではない。『わたしの好きな人』でもあるのだ。


「高際さん、最後までいてくれてありがとうございました」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。有意義な休日を過ごせたよ」


 高際さんはそう言うと、わたしの後方──陸上部の子たちの方を見て尋ねた。


「君たちはこの後、何かあるのかな」

「あ、えっと」


 いつもだったら、わたしもみんなと残っておしゃべりに興じたり、そのまま遊びに行ったりするんだけど、今日はそういうわけにもいかない。せっかくの休日に会いにきてくれた高際さんと、もう少し一緒にいたい。だから言わなくては。せめて「一緒に帰りましょう」って! わたしは思わずカバンの紐をぎゅっと握りしめる。

 でも、おかしい。たったのそれだけのことなのに、変に緊張してしまって、言葉が出てこない。高際さんは不思議そうにわたしを見つめた。


「……あたしはこの後長距離のみんなと反省会行っちゃうんで、つばさのこと送ってあげてください。ね、つばさ」


 しぃちゃん……! いつも輝いているしぃちゃんが、より一層眩しく見える。まさかの助け舟に驚いてしぃちゃんを見ると、やれやれといった風に笑っていた。ありがとうしぃちゃん、あとでお礼は絶対にする! 


「僕は構わないが。つばさちゃんはそれでいいのか?」

「はい、お願いします」


 ぺこりと頭を下げて、小走りで高際さんの隣に並ぶ。


「じゃあ、行くか」

「はい」


 そう言って高際さんは背を向けて歩き出した。それを追いかける前にしぃちゃんに手を振ろうとしたタイミングで、わたしに声がかかった。


「遠嶋ぁー! 今からみんなで飯食いに行くけど、お前も行かねー? なっちゃんのおごり!」


 ノベくん、声でか……。そして、タイミング悪い。高際さんは振り返りはしなかったものの、足を止めた。ノベくんたちは高際さんの存在に気づいていないみたいだった。

 夏ちゃんはうちの部活の副顧問で、フルネームは芹沢夏海というんだけど、みんなには夏ちゃんと呼ばれている。陸上についての知識は全くないけど、大会の時にはこうしてみんなを労ってくれる。若くて生徒と年が近いこともあって、みんなから大人気の先生。夏ちゃんのこと好きだし、いつもなら行くって言ってるけど。


「ごめん! 今日は帰るー!」

「まじかよ、もったいねー!」

「いーの! また学校でね!」


 今のわたしからしたら、せっかく高際さんが来てくれたのにご飯に行く方がもったいない。ノベくんたちに大きく手を振ると、少し先で待っていてくれた高際さんが心配そうに尋ねて来た。


「本当に、友達はいいのか?」

「いいんです。どうせ学校でまた会えるし」

「……そうか」


 それに引き換え、高際さんとは学校では会えない。優先するべきことは明らかだ。高際さんはまた少し複雑そうな表情を浮かべたけれど、いつものキリッとした顔にすぐ戻って、また歩き出した。


 * * *


 好きだと気づいたそのあとは、一体どうしたら良いのだろう。多分きっとこんな風に、黙っててくてくと横を歩くだけじゃダメなんだと思う。何かを話そうとしても、なんだか息が詰まってしまう。今までどんな風に会話をしていたのだろう。わからない。

 好きだと気付いたあとの『となり』は、こんなにも息苦しくて、こんなにも心地いい。高際さんを見上げると、形のいい耳とか、きっちりとしたもみあげが見える。……告白の返事、するなら今かもしれない。さっきから何も言わない高際さんの表情を、こっそり覗き見る。


──あれ? 


「高際さん、具合悪いですか?」

「何故?」

「険しい顔をしていたので」


 覗き見た高際さんは、少しだけ(本当に少しだけなんだけど)眉を寄せていて、口元も硬く結んでいた。いつもの表情とは少し違う気がして、思わず尋ねてしまったけれど、思い違いだったらどうしよう。実際聞き返されてしまった。

 高際さんは少し考えてから、「……そうか」と呟いた。


「僕もまだまだ未熟だな」


 未熟? どういう意味なのかわからなくて、聞き返したかったけれど、高際さんがまた黙ってしまったから聞けなかった。具合が悪いわけじゃないのかな。それならいいんだけど……。

 しばらくまた沈黙が続いた。高際さんも、もともとおしゃべりな人ではないけど、こんなに黙っているのはやっぱり少し変だ。とにかく何かを喋らなくては。今日の駅伝のことでも話題にあげようと口を開きかけたところで、高際さんがこちらを向いた。


「あの男子とは、仲がいいのか?」

「あの男子?」

「朝君たちを呼びに来た、少しやんちゃそうな男の子」

「あぁ、ノベくんのことですか? そうですね。同じ短距離だし、結構よく話しますよ。お調子者で面白いですし」


 話題を振ってもらえたことに安心してしまって、聞かれてもないことをペラペラと喋る。高際さんはわたしの話に相槌を打つこともなく、手をあごに添えて何かを考え込んでいた。


「……高際さん?」


 返事がないことに不安を覚えて、思わず高際さんに手を伸ばした。それに気付いた高際さんが、ハッとしたように身を引く。行き場のなくなったわたしの手は空を切った。

 高際さんは、わたしに触れない。誓約書にもしっかり書いてある。わかっていたはずなのに、拒否をされたみたいで、思い切りショックを受けてしまった。それに気付いた高際さんも、同じように傷ついた顔をした。


「……すまない。そんな顔、させるつもりじゃなかった」


 大丈夫ですよ、わかってますよ。そう言わなきゃいけないのに声が出なくて、わたしはふるふると首を振るしか出来ない。

 高際さんは眉間を抑えるようなそぶりをして、言葉に迷いながらポツリポツリと呟いた。


「どうしたらいいのかわからないんだ。こんな気持ちを抱くのは初めてで」

「……こんな、気持ち?」


 聞き返すと、高際さんはより一層眉間にしわを寄せた。しばらく難しい顔をしていたけれど、考えがまとまったのか、話し始めた。その声音は、懺悔をするように、暗く悲しげだ。


「ノベくん、と言ったか。僕は、彼に嫉妬をしたんだ。君と親しげに会話をしたり、気軽に触れ合えるその距離に、立場に、若さに。中学生の男の子相手にだ。大の大人が、みっともない。そんな感情を抱いて、彼に羨望の目を向けたところで、何かが変わるわけでもないのに──」


 高際さんは、相変わらず眉間に手を当てながら、悔しいような、悲しいような、複雑な顔をして語っている。嫉妬とか羨望とか、難しい言葉を使っているけど──高際さん、それって、つまり。


「それって、ヤキモチ、ですか?」

「ヤッ……!?」


 普段あんまり大きな声を出さない高際さんが、小さく叫んだ。あんぐりと口を開けて驚いた顔を見て、思わぬところでまた新しい表情を発見できたと、真面目な会話をしていたのに思う。しばらく愕然とした表情のまま固まっていた高際さんが、ゴホンと咳払いをして気を取り直した。


「ま、まぁ……可愛らしい言い方をすれば、そうかもしれないが……」

「そっか……ヤキモチ、そっかぁ……えへへ」


 ニヤケてしまうのを必死で抑えようとしたけれど、抑えられない。高際さんもヤキモチ、やくんだ。いつもキリッとしてて、なんでもできちゃう高際さんでも。

 一緒だったんだ。大人も子供も何も変わらない。わたしが高際さんとしぃちゃんに対してモヤモヤしていたり、親友であるはずのしぃちゃんにヤキモチをやいたりしていたのと同じ。高際さんもわたしとノベくんの姿を見てモヤモヤしたり、ノベくんにヤキモチやいてたりしたんだ。


 ニヤニヤするわたしを見て、高際さんは困ったように口元を手のひらで隠した。それほどまでに『ヤキモチ』というワードが衝撃的だったようだ。もしかして、照れてるのもあるのかな。それがまた嬉しくて、愛おしく思える。あぁ、この人のこと、好きだなぁ。


「大丈夫ですよ。わたし、ノベくんの好きな子知ってます。誰だと思いますか?」

「……君じゃないのか?」

「そんなわけありませんよ! 実は、しぃちゃんなんです。だからノベくん、やたらとわたしに絡んでくるんですよ。わたし、しぃちゃんと一番仲良しだから」

「そう、なのか?」

「そうですよ。今日のだって──」


 そんな会話をしていたら、高際さんの顔からはいつの間にか険しさは消えていた。誤解も解けて会話も弾むようになってきて、いつもの帰り道が違って見える。嬉しくて楽しくて、家に着かなければいいのにって思った。


 わたしと高際さん、おんなじ気持ちで並んで歩く帰り道。となりを歩く彼の手が触れそうになるのをもどかしく感じながら、わたしはなるべくゆっくりと家まで歩いたのだった。

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