第26話 デートとお勉強
高際さんの仕事の都合であったり、わたしに用事が出来てしまったりと、日曜日にお互いの予定が合わなくて、結局『初めてのお家デート』はわたしが3年生に進級してからになってしまった。会えなかった間、LINEのやり取りはしていたけれど、やっぱり直接会える方が嬉しい。自分の部屋でそわそわしながら何度も鏡を見る。出かけるわけじゃないから、ちょっとラフな格好だけど……大丈夫だよね。髪型も、変にはねたりしてないよね。
コンコン、と部屋のドアをノックされて、わたしは首がとれるんじゃないかというくらいの勢いで振り返った。ドアが開いて、お母さんがひょこりと顔を出す。
「つばさ、高際さんいらしたわよ」
「はいっ!」
ドアが大きく開いて、高際さんが部屋にやってきた。ぺこりと頭を下げてから入るのが彼らしい。高際さんは、髪型はいつものようにオールバックだったけど、細いボーダーのニットシャツにデニムというラフな服装だった。久々に会うということもあって、姿を見ただけできゅん、と胸が高鳴る。
「つばさちゃん、久しぶり」
「……はい」
こころなしか、高際さんの表情も柔らかく感じる。あぁ、幸せ……!
「飲み物とか、持ってくる?」
「いえ、お構いなく」
「大丈夫だよ! もう準備してあるから!」
今から向かう、と連絡をもらった時から、既にお茶とコップは持ってきてある。鼻息を荒くしながらそれを指さすと、お母さんが半分呆れたように笑った。
「あら、まぁ。それは失礼しました。じゃあ高際さん、ごゆっくり」
お母さんが去って、やっと二人きりになった。その場で向かい合ったけれど、ちょっと恥ずかしくなって思わず照れ笑いが漏れる。
「新しいクラスには慣れたか?」
「はい。今年もしぃちゃんと同じクラスでしたし……先生も去年と同じ人だから、あんまり変わらない感じです。あっ、でも、今年はノベくんと同じクラスでした」
「……そうか」
って、立ちっぱなしで話しすぎた。私は慌てて、ベッドの上のクッションを床に敷いて、高際さんの場所を確保する。
「どうぞ!」
「ありがとう」
高際さんがわたしの隣に座る。ふわりといい匂いがする。柔軟剤かな、整髪料かな。きっちりと固められたその髪に、今は自由に触れられる。そっと手を伸ばそうとしたところで、高際さんが不意にこちらを向いた。驚いて、慌てて手を引く。
「……どうした?」
「な、何でもないです」
高際さんは不思議そうに首を傾げた。自分の行動が少し恥ずかしくなり、誤魔化すように話を振る。
「じ、じゃあ、何します? 映画とか見ますか? わたし、今日のためにレンタルしてきてて」
「いや……」
そう言うと高際さんは、バッグからペンポーチを取り出して、テーブルに置いた。
「勉強をしよう」
「へっ!?」
かなり素っ頓狂な声が出たと思う。いま、勉強って言った? せっかくのお家デートで? 久々に会ったのに? 確かに、わたしたちのデートはそういうていではあるけれど!
「な、何で……だって、家庭教師は、そういうていってだけで」
「それはそうだが。つばさちゃん、勉強も大事な時期だろう」
「そりゃそうですけど! でも、今、デートですよね!? わたし、今日すっごく楽しみにしてたのに……高際さんは、二人の時間、大事じゃないんですか……?」
せっかくの二人の時間なのに、勉強なんてそんなことをするのはもったいない。猛抗議するも、高際さんはシャープペンシルの芯をカチカチと出していて、準備する手は止めない。どうして止めてくれないの? だって、せっかく恋人と、二人の時間を過ごせるのに……。
高際さんは、明らかにしゅんとしたわたしのことを見て、ポンポン、と優しく頭を叩いた。触れる手に躊躇いがないのが少しだけ嬉しいけれど、今はそんなこと問題じゃない。
「もちろん、大事だよ。二人で過ごせばどんなことも特別になると思っているし、少しでも長い時間一緒にいたいと思っている」
「じゃあ、何で……」
だからといって、勉強することが特別になるとは思えないし、長い時間一緒にいたいと思うのなら、もうちょっと恋人らしい過ごし方があると思う。高際さんの言葉に納得ができなくて、唇を尖らせた。
「例えばの話だが」
「……はい」
「今後、君の成績が落ちたとして、ご両親から『僕と付き合い始めたせいだ』と思われないかな」
「……」
ない、とは言いきれない。お父さんはそうでもないけど、お母さんは成績に関してよく口出しをしてくる。
「他に理由があったとしても、そういう意識は出てくると思う。そうなった時、僕はご両親に言い訳ができない」
「……それは、そうですけど……」
「その結果、やっぱり付き合うのは反対だと言われてしまったらどうする? そこまでは言われなくても、成績が上がるまでこうして会うのも禁止、という事態にもなるかもしれない。つばさちゃんは、それでもいい?」
「……良くないです」
諭す言葉が、思いのほか優しくて。たぶん高際さんも、そうなりたくないと思ってくれている。そんなふうに言われてしまったら、くちごたえなんてできないじゃないか。
でも、だって、という気持ちも抜けない。せっかく付き合ったのだから、ちゃんと恋人らしいこともしたい。そこはどうしても曲げられなくて、いじいじと自分の指を絡ませていると、高際さんはまた優しく頭を撫でてくれた。
「1時間だけ頑張ろう。そうしたら、叶えられる範囲でつばさちゃんがしたいことをしてあげるから」
付き合って初めてのデートで、浮かれるだけ浮かれてたわたしと違って、ちゃんとその先のことまで考えてくれている。その上で、わたしの要望もちゃんと聞こうとしてくれている。そういうところ、誠実で、好き。
隣に座る高際さんの体に、こてん、ともたれかかった。高際さんは特に拒否するでもなく、わたしのことを受け入れてくれている。
「……じゃあ、」
「ん?」
「終わったら、髪の毛触らせてください……」
「……髪?」
流石に予想してなかった答えらしい。高際さんは少しだけ驚いた顔をしていたけど、小さく笑ってから、わたしの髪に指を絡ませた。
* * *
高際さんが成績優秀だった、というお父さんの言葉は間違いないらしい。わたしは特に数学が苦手で、何がわからないのかわからない、というレベルだったのだけど、高際さんはわたしのレベルに合わせて基礎の部分の復習からはじめてくれた。教え方もすごく上手くて、手付かずだった数学の宿題が終わった。
時計をチラリと見る。もうすぐ、約束の1時間だ。
「……そろそろ終わりにしようか?」
「はい!」
早く数学から離れたかった気持ちもあって、らんらんと目を輝かせて、ノートや教科書を乱雑にカバンにしまう。その様子を見て、高際さんは少しだけ目尻を下げた。
「そんなに慌てなくても、時間はまだあるよ」
「すみません、つい……」
ちょっと恥ずかしくなって、気持ちだけ丁寧にカバンを端に置いた。それぞれのコップにお茶を注ぎ足して、用意していたお菓子の袋を開ける。「ありがとう」と小さく礼を言った高際さんは、視線をあちらこちらに動かして部屋を眺めている。
「……女の子らしい部屋だな」
「そうですか?」
「あぁ。綺麗だし、よく友達も来るのか?」
「はい。……あ、でも、」
わたしは以前のことを思い出して、言葉を付け足す。
「お父さん以外の男の人が入るのは、高際さんがはじめて、ですよ?」
高際さんの顔をのぞき込むように伺うと、高際さんと目が合った。高際さんはバツが悪そうに目をそらして、もみあげのあたりを掻いた。……もしかして、照れてる?
「そう言えば……髪、触りたいんじゃなかったか」
「あっ、そうでした! じゃあ、失礼します」
高際さんは、わたしが触りやすいようにか、少し頭を傾けてくれている。許可も得ているので、躊躇うことなく高際さんの髪に触れる。
「わ……」
やっぱり思っていた通り、ちょっと固い。表面だけ固められているからか、撫でるように触ると、量が多い黒髪がふわりと押し返ってくる。面白い。整髪料をつけないと、どんな感じになるんだろう。それも触ってみたいなぁ、なんて。しばらく触っていると、高際さんが耐えかねてもぞりと動いた。
「……そろそろいいか?」
「あっ、すみません。わたしってば夢中で……」
慌てて手を離すと、その手を掴まれる。
「!」
「今度は、僕の番だな」
するり、と解かれた高際さんの手は、そのまま流れるようにわたしの手を握る。指と指が絡む──恋人繋ぎだ。
何度もそうしたいと思った。隣を歩く手を、こうして握れたら、と。でも、いざそうしてみると、温もりが直に伝わるからか、ドキドキして恥ずかしくて、体がこわばってしまう。
「……小さいな、君の手は」
独り言のように高際さんが言った。わたしの手が小さいんじゃなくて、高際さんの手が大きいんだと思う。大きくて、筋張ってて、頭を撫でてくれる時には、とびきり優しい手。手を繋ぐというだけなら、他の人といくらでもある。でも、相手が好きな人で、しかも指が絡んだだけでこんなにも違うなんて。
「……このまま、映画でも見ようか」
「へ、このまま?」
「初デートの時のリベンジだ」
そう言って、高際さんはギュッと力を強めた。
初デートの時、わたしは夢中で映画を見ていたけど。リベンジってことはもしかして、高際さんはあの時、こうして手を握りたいと思ってくれていたのかな。そう考えたら、高際さんのことが、とても愛おしく思えて。DVDを準備する一瞬の間手を離すことさえ、惜しいと思った。高際さんと同じく、少しでも長い時間一緒にいたいという気持ちがどんどん膨らんでいる。すごく、不思議だ。
苦手な勉強から始まったし、ドキドキして映画の内容は全然頭に入ってこなかったけど。お別れするまでの間、ずっと楽しくて、幸せで。初めて二人で出かけた時とはまた違って、すごく充実感に満ちたデートだった。
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