第11話 駅伝ともやもや

「はぁぁ~……」


 先日の高際さんとのデートの話を聞き終わるや否や、しぃちゃんは長くて大きなため息をついた。感嘆の意味ではない、つくづく呆れ返ったような、そんなため息。

 ホームルームが始まる前の朝の教室は少し騒がしい。わたしたちの会話はその喧騒に紛れ込んでしまっていて、話題が36歳の男の人とのデートのことだとはきっと気づかれまい。


「気づかなかっただけで、本当はヤラシー目で見られてたんじゃないの? ほら、つばさって鈍感だし」

「うっ……鈍感なのは……まぁ、そうだけど」


 しぃちゃんに言われてしまっては、グゥの音も出ない。わたしは学校でも部活でも、しっかり者のしぃちゃんに助けてもらってばかりなのだ。言葉を詰まらせたからか、しぃちゃんはわたしに詰め寄った。


「ほらー! やっぱり!」

「ちっ、違うよ。だって、ヤラシー目で見てたらひざ掛けなんてくれないし、それに……」


 『今は君と少しでも長くいたい、大切にしたい』って、言ってくれたんだよ。──そう言ったら、しぃちゃんはなんて思うのだろう。でも、とてもじゃないけどそんなこと、恥ずかしくてわたしの口からは言えなくて、言葉を続けることができなかった。


「いーよもう。イマイチ信じられないんだよなー、あたしは」


 椅子の背もたれに肘をかけて、足をバタバタとさせるしぃちゃんは、なんだか面白くなさそうな顔をしている。


「だぁーってさぁー、36だよ? おっさんだよ? うちのお父さんとそんな変わんないって言ったけどさ、聞いてみたら34だった。うちのお父さんより上だよ!?」

「う……うちのお父さんよりは年下だよ?」

「そーいう問題じゃないから!」


 しぃちゃんのお父さんより上、と聞いてちょっとだけショックを受ける。そうだよね。高際さんくらいの年なら、わたしくらいの子供がいてもおかしくないくらいなのだ。昨日のデートだって、映画館のお姉さんに、100%親子だと思われたはずだ。

 昨日はちょっとだけ縮まったかと思った距離が、また少しずつ離れていくような気がする。わたしがどんなに頑張ったって、その22年の隔たりは埋まるはずがない。チクリ、と胸に小さなトゲが刺さったような感じがする。そんなこと、当たり前のことなのに。


「年はまぁそうだけどさ。ほら、人柄は……しぃちゃんは、高際さんに直接会ったことないからだよ。見た目でわかるよ。真面目な人だって」

「って言ってもさぁ、あたしが高際さんに会う機会なんて……」


 言いながら、しぃちゃんは天を仰いだ。しばらく天井を見上げていたしぃちゃんは、しばらくしてからがばりとわたしに向き直る。


「ある!」

「へ!?」

「来週、駅伝あんじゃん!」

「ある……けど」


 来週、中学校体育連盟主催の駅伝大会が行われる。わたしたちの学校はそれに出場することが決まっていた。わたしは短距離だから駅伝には出ないけど、しぃちゃんを含む長距離の子たちが、来週に向けて毎日練習を頑張っていることを知っているから、応援に行くのを楽しみにしている。だけど、駅伝と高際さんが結びつかなくて、わたしは首をかしげた。

 そんなわたしの様子を見て、しぃちゃんは「だ~か~らぁ~」と言いながらバンバンと机を叩く。


「見に来させてよ! 結構一般の人見に来るし!」

「あぁ、なるほど……って、え!?」


 駅伝に? 高際さんを? 口実としては理にかなってはいるけど……。


「い、いきなりすぎない……? まして、わたし出ないのに」

「そこは、なんかうまいこと言って連れ出してよ。大丈夫だよ、真面目なんでしょ、高際さん」

「むちゃくちゃだよ、しぃちゃん!」


 抵抗虚しく、しぃちゃんはデートの時同様ノリノリだ。なんて言って誘えばいいのか。わたしがぐるぐると考えている間、しぃちゃんは「正体暴くぞー!」なんてガッツポーズをしていたのだった。


 * * *


 急な話だし、通話のがいいよね。そう思って『電話してもいいですか』とメッセージを送ると、すぐにコールがなる。やっぱりマメだなぁと思いながら画面をスライドさせた。


「あ、高際さん。ごめんなさい、急に」

《いや、大丈夫だよ。どうした?》


 電話越しの高際さんの声は優しい。それを聞いてなんだか安心する。


「えっと、来週の土曜日はお仕事ですか?」

《来週?》


 そう言いながら、すぐにガサゴソと音をさせている。そのあとすぐに、パラパラとページをめくっているような音がした。予定を確認してくれているんだろうか。


《空いてるな。何かあるのか?》

「実は、その日に部活の駅伝大会があるんです」

《……? つばさちゃんは短距離じゃなかったか?》

「あっ、そうなんですけど。わたしも応援に行くので」

《そうか。陸上のことはあまり詳しくないが、大変なんだな》


 高際さんはぱたりと手帳を閉じたらしい。まずい、そこに書き込んで欲しい予定があるのだ。


「わたしは出ないんですけど、来てくれませんか?」


 強引すぎる誘いに、高際さんはびっくりしているようだった。返事がない。慌てて言葉を付け足す。しぃちゃんはうまくやれと言っていたけれど、わたしにそんな芸当はできないので正直に。


「部活の友達が、高際さんに会いたがってるんです」

《……僕に?》

「はい」


 高際さんは少し考えているようで、少し間がある。返事を待つ間、わたしは断られないかドキドキしていた。


《その、『友達』というのは……》

「はい?」

《……女の子?》

「はい、そうですけど……」

《そうか、ならいいんだ》


 なぜだかほっとしたように息をつく高際さんに、なんでそんなことを聞くんだろうとなんだかとてももやっとする。


《つばさちゃんの友達なら、いい子なんだろうな》

「はい。明るくて、すっごくしっかり者でいい子ですよ」

《そうか。楽しみだな》


 言いながら、もやもやの原因を探る。


『ぜっ……たい、ロリコンだよその人!』


 いつかのしぃちゃんの言葉が頭をよぎった。デートの時は、わたしと高際さんの2人しかいなくて、周りにも中学生はあんまりいなかった。でも、今回のは中学校の部活の大会で、それで女の子ならいいって、それって。それって──


《──つばさちゃん?》

「え……? あ、はい!」

《それで、時間は何時頃? 会場に直接行けばいいか?》

「あ、はい。えっと、時間は9時からで、場所は──」


 わたしの言葉に合わせて、さらさらとペンが動く音がする。確かに、高際さんがロリコンなんかじゃないことを証明するためにも、しぃちゃんには会わせたかったし、わたしたちがどんなことをしているか知ってもらうためにも、大会に来てほしかった。そこへ書き込んでほしかったことがまさに今、書かれているんだけれど。


《じゃあ、土曜日は直接会場に向かうよ。誘ってくれてありがとう。楽しみにしているよ》

「……はい」


 なんだかもやもやが取れない。デートの時は、そんな感じしなかったのに、どうして? もしかして、やっぱりしぃちゃんの言う通り、隠してただけでほんとうはロリコンなんだろうか。それに、しぃちゃんに会うの、楽しみって言ってた。

 ……やっぱりしぃちゃんには会ってほしくないかもしれない。なんて今更言えなくて、スマホをぎゅっと握り締めた。

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