第2話 初めての朝と訪問者

 目が覚めて、いつもと違う天井の景色にあれ、と思う。そして隣に人がいることに驚いて、それが大好きな人だとわかってホッとした。あぁそうか、わたし、千尋さんと一緒に暮らし始めたのだ。やっぱりダブルベッドにして正解だった。新婚さんの朝って感じがして胸が踊る。

 籍を入れたのは2ヶ月前だけど、こうして一緒に朝を迎えたのは実は初めてだ。わたしはずっと実家で生活をしていて、千尋さんは頑なに実家に泊まっていかなかったし、わたしを夜に連れ出そうとしなかったから。

 千尋さんは昨日の引越し作業の疲れが残っているのかまだ寝ている。わたしはそっと千尋さんの髪に触れた。千尋さんの髪の毛は真っ黒で、太くて硬い。男の人の髪の毛って不思議だ。わたしと全然違う。こうして寝顔をまじまじと見るのも初めてかもしれない。奥さんの特権だ、えへへ、嬉しい。もうちょっと眺めていたいけれど、今日はそうゆっくりもしていられない。


「千尋さーん、朝ですよー、起きてくださーい」


 ゆさゆさと体を揺らすと、千尋さんが小さく唸った。起きるかな、と思った矢先、千尋さんの腕が伸びてきてわたしを抱き寄せた。


「あと5分……」


 そう言って、また寝息を立て始める。


──うわー! うわぁあ!


 千尋さんって、千尋さんって。いつもクールっぽくて、完璧っぽいのに、とっても寝起きが悪いみたいだ。抱きしめられて身動きが取れなくなってしまったまま、またの新発見にどぎまぎした。


 * * *


 結局、予定より15分遅く起きた。朝食の後片付けをしていると、ポケットに入れていたスマホがメッセージを受信した。スマホを取り出して、新着のメッセージを確認すると、待っていた人からのメッセージだったので、わたしは朝ごはんを食べている千尋さんににこにこと報告した。


「結構早めに着くみたいです、お父さんたち」

「あぁ……」


 まだ眠そうな千尋さんが、生返事をしながらトーストをかじった。サクッという耳心地のいい音がする。

 今日は、実家のお父さんとお母さんがこっちまで来てくれて、一緒に外食をするのだ。引越し祝いも兼ねて、とのことなので、全額両親持ちで。それなりにいいお店に連れて行ってくれるようだったから、おしゃれしていかないと。

 トーストを食べ終わった千尋さんが、椅子から立ち上がった。お皿なんてわたしが片付けるのに、流しにことりとお皿を置いて、寝室に向かう。わたしも慌てて千尋さんの後を追った。


「何を着ていけばいいでしょう?」

「僕はスーツを着るが」

「あっ、ずるい」


 お仕事でスーツをたくさん持っているし、ネクタイとか着こなし次第ではプライベートのフォーマルな場面で使えるから羨ましい。わたしはフォーマルと言ったら中学時代の制服くらいしか。うん、さすがに着れない。千尋さんはさっさとスーツを着て洗面台に向かってしまった。恨めしげにそれを眺めた後、自分のワードローブを眺める。

 散々迷って、わたしはちょっとキレイめの、ネイビーのワンピースを着ていくことにした。これならどこにでも通用しそうだし、……ネイビーだから、少しは大人っぽく見える気がする。


「さっきから、携帯鳴っているぞ。お義母さんのようだが」

「わあ、出ます出ます」


 洗面台から戻ってきて、髪の毛をしっかり後ろで固めた外行きの千尋さんが、わたしにスマホを手渡してくれた。服のことで完全に気を取られていた。慌てて着信画面をスライドすると、お母さんの明るい声が届いた。


《あっ、つばさ?》

「ごめんね、着替えてた。もう着いた?」

《もうすぐ着きそうよ。あと5分くらい? 千尋さんにも伝えておいてー》

「うん、わかった」


 あと5分って、結構すぐじゃないか。まだお昼には早いし、着いてすぐに出かけるわけじゃないだろうし、お茶の準備くらいはしないと……。慌ててキッチンへ向かうと、何もかもお見通しな千尋さんがすでにお湯を沸かしてくれていて、よくできた旦那さんっぷりに感嘆するほかなかった。


 * * *


 インターホンが鳴って、モニターを確認するとお母さんとお父さんが映った。何日ぶりかの両親の顔にやっぱりホッとしてしまうのは、親離れができていないからだろうか。


「今ロック解除するね」


 言いながら、あれ、どうやるんだっけ、と思っていると、後ろから伸びてきた手がロック解除をしてくれた。心配性の千尋さんがオートロックのマンションを選んだせいで、機械に疎いわたしはいっぱいいっぱいだ。これ多分、お家に入る時も一苦労だ。締め出されたらどうしよう。


「頼むから締め出されないでくれよ」


 読まれた。わたしはえへへと笑って精一杯ごまかした。締め出されないでくれよ、と言いつつ、わたしが締め出されて本当に困ったときはすぐに駆けつけてくれるんだろうなぁ。千尋さんがそういう人なのは知っている。

 そうこうしているうちに玄関前のチャイムが鳴った。パタパタと駆けていくわたしの後ろを千尋さんがついてきているのがわかる。わたしは急いで家のドアを開けて、両親を迎え入れた。


「お父さんお母さん、いらっしゃい。わざわざ来てくれてありがとう!」

「まさかつばさからいらっしゃいだなんて聞けるとはねぇ。どういたしまして」


 お母さんがそう言いながら、「はい、お土産」と言って紙袋を渡してくれた。紙袋でわかる、わたしが昔から大好きだった和菓子屋のお饅頭だ。引っ越したからたまにしか食べられないと思っていたから嬉しい。お茶にも合うからお茶請けにしよう。


「お父さんも運転お疲れ様!」

「ああ、聞いてたよりいいマンションだな」


 お父さんがキョロキョロと部屋を見渡して呟いた。お父さんのお墨付きということは、千尋さんのセンスは間違ってなかったってことだ。さすがは千尋さんである。


「良いところ見つけたな、千尋」


 お父さんの言葉に、千尋さんがぺこりと頭を下げた。そして、スリッパを2足分準備してから、ようやく二人に向かい合って言った。


「今日は来てくださってありがとうございます。お義母さんも、先生も」


 結婚してから、わたしのことは「つばさちゃん」から「つばさ」に、お母さんのことは「奥さん」から「お義母さん」へと呼び方が変わったけれど、お父さんのことはどうしても「お義父さん」とは呼べないらしい。そっちの方が慣れてるんだから仕方ないだろ、と言っていたけど、きっと慣れの問題ではないとはわたしは思っている。千尋さんがお父さんに会うときは、やっぱりどこか少し緊張している。

 年の差もあって、普通の生活を送っていれば出会わなかったであろうわたしと千尋さんとの縁を結んだのは、実はお父さんなのである。お父さんの仕事は高校教師で、まだまだ現役。昨日も部活の引率で来られなかったくらい。

 そう。千尋さんは昔、お父さんの教え子だったのだ。

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