第23話 チャイムとお迎え

 突然鳴り響いたチャイム。訪問者を知らせるその音に、わたしとしぃちゃんは顔を見合わせた。時間も時間だ。こんな時間にいったい誰が来たというのだろう。ぽかんとしていると、また同じように弱々しいチャイムの音が長く長く響く。2回も鳴らすということは、どうやらしぃちゃんの家に用があるのには間違いないらしい。


「今日は客が多いねぇ……よっこいしょ」


 このお家にはモニターフォンがついていないから、誰が来たのかは扉を開けるまでわからない。早苗さんはお客さんの対応をするべく立ち上がった。そのついでに、わたしとしぃちゃんの目の前にあった空のマグカップを台所のシンクに置いて、玄関へと向かう。そのスマートな動きに思わず見とれてしまう。


「つばさ……どうだったの、って、聞いてもいいの?」


 廊下へと続く扉が閉まったのを確認してから、しぃちゃんはおずおずとわたしに尋ねてきた。デートのことだというのはすぐに分かった。きっと、わたしがここへ来てからずっと気になっていただろう。私の行動は、友達であるしぃちゃんにもたくさん心配をかけているんだ。その事実にチクリと胸が痛む。


「デートはね、すっごく、楽しかったんだ。それでね……わたしも高際さんに、気持ち、伝えた」

「え!? そんで!? 付き合うってなったの?」

「それを、お母さんに反対されたの……」

「……あー。なるほどね。つながった。だから喧嘩して家に来たんだ」


 しぃちゃんの言葉に頷いて見せると、しぃちゃんは腕を組みながら納得した様子で頷いている。


「つばさのお母さん、確かに心配性っぽいもんね。それになんか、勝手なイメージだけど考え古そう」

「……そうかな」

「うん。それにつばさって一人っ子だし、余計にじゃない? あたしなんかキョーダイ多いからめっちゃ放置されてるし」

「いいなぁ。しぃちゃんちがうらやましい」

「あたしはつばさんちがうらやましいけど。部屋だって一人部屋でしょ?」

「うらやましいとこそこなの?」


 つい笑ってしまった。きっと、しぃちゃんなりに励ましてくれているのだろう。おどけた様子でいつもみたいに話してくれている。こうして話していたら、すこしだけいつもの調子を取り戻せた気がして、気持ちも落ち着いてきた。やっぱり持つべきものは友達だ。

 

「つーちゃん」

「え?」


 廊下へ続く扉を少しだけ開けて、顔だけ覗かせた早苗さんが、ちょいちょい、と手招きする。……なんだろう。立ち上がってパタパタと早苗さんのところに向かうと、早苗さんはちょっと困ったような、はにかむような顔をした。


「つーちゃんに、お迎え」

「え!?」


 うそ、だって、なんで。ここにいるって言ってないし。

 そんなわたしの動揺を察したのか、早苗さんはペロリと舌を出した。


「ごめんね、あたしがつーちゃんちに電話したの。さっきせりを寝かしつけた時」

「あ……!」


 あの時か! と理解するとともに、その手際の良さと大人のズルさに言葉をなくす。でも、早苗さんを責める資格はわたしにはない。


「で、つーちゃんパパが電話出てさ、『迎えに』って言ってたから、てっきりつーちゃんママが来るんだと思ってたんだけど……あれって、パパ? 何気にはじめましてなんだけど!」

「あー……」


 たしかにお父さんいつも仕事で忙しくて、早苗さんと会ったことないもんな。わからないのも無理ないか。

 迎えに行かせますとは言ったけど、お母さんが嫌だって言ったのかな。だから、お父さんが仕方なく……。そんな事情を推測したら、胸が痛んだ。

 早苗さんに促され、扉の間からそっと玄関を覗き込む。そして──息が止まるかと思った。


「たっ……!?」


 思わず声を上げてしまって、慌てて両手で口を塞いだけど、もう遅い。わたしの声に気づいた玄関の人影──高際さんは、ピンと伸びた背筋を一切曲げないまま、わたしに向かって小さく会釈をした。

 思考が追いつかない。

 え。なんでどうして高際さんが。しぃちゃんの家知ってたの? というか、お父さんは? お母さんは? 

 たくさんのハテナが頭の中を埋め尽くして、そのうち何も考えられなくなる。目の前の事実に、塗りつぶされる。


──高際さんが、いる。


 ついさっきまで会っていたのに、ずいぶん久しぶりに会ったみたいに感じる。憂鬱な気持ちのせいでさっきまでどこか濁っていた視界が、一気に明るくなる。お母さんと喧嘩してるところだっていうのに、どうしよう。嬉しい。ああ、高際さんだ。本当に本当の、高際さんだ──。


「え? 何? あの人つーちゃんパパじゃないの?」

「あ! えっと、その、」


 どうしよう。早苗さんになんて説明すれば? 恋人ですって? 言えないよそんなの! でも、ただの知り合いっていうのもおかしな話だし……! 


「僕はつばさちゃんのお父さんの知り合いです。さっきご自宅にお伺いしたのですが、取り込み中とのことで……。代わりに使いを頼まれまして」

「あらそうなの? たまたま親子喧嘩に巻き込まれちゃった系? ついてないねー、あんた」

「……そのようで」


 最初から最後までいたくせに、むしろ当事者なのに、とは言えない。あくまで自然に嘘をつく高際さんに、早苗さんはすっかり騙されたみたいだった。

 高際さんは早苗さんに相槌を打ちながら、視線はわたしを捕らえる。目が合って、2人の視線と秘密が、絡み合う。


「……っ!」


 急に恥ずかしくなってしまって、思い切り目をそらしてしまった。身体が強張って、思うように高際さんのことが見れない。恋をすると、身体が自分の身体ではなくなってしまうみたいだ。勝手に顔に熱が集まってくる。

 早苗さんは、高際さんから目をそらしたわたしを見て、帰りたくないからってそんな風にしていると思ったらしい。わたしの背中を優しく押して、高際さんとの距離を縮めてくる。

 とうとう高際さんの目の前まで連れて来られてしまったわたしは、観念して真っ赤な顔を上げた。これからお母さんと話し合わなきゃいけないことへの不安とか、興奮して家を飛び出してしまったことに対する恥ずかしさとか、いろいろ入り混じったぐちゃぐちゃな顔を。

 それを見た高際さんは、口元だけで小さく笑った。ひ、ひどい。笑うなんて。やっぱり顔を見られたくなくて、俯いてしまう。その刹那、ふわりと温かいものが頭に降ってきた。


「……帰ろう、つばさちゃん」


 わたしに柔らかく触れたもの。それは紛れもなく、高際さんの手のひらで。すぐに離れていってしまうわけでもなく、そっと頭を撫でてくれている。


「……高際、さん……?」

「帰ろう」


 もう一度諭すように告げられた言葉に、わたしはゆっくり頷いた。


「……はい」


 わたしが家出をしている間、お父さんとお母さんと高際さんが、どんな話をしたのかはわからない。けど、この行動が何を意味するのかはわかる。高際さんは、大人たちの話し合いを経て、わたしに触れられるようになったのだ。

 でも──それじゃ意味がない。当事者のわたしが置いてけぼりなんて、そんなの、ちゃんと胸を張って高際さんと付き合ってるって言えない。

 わたしはわたしで、お母さんとちゃんと向き合って、お互いが納得できる答えを見つけ出さなきゃいけない。さっきまではすごく不安で怖かったし、できっこないと思っていたけど──大丈夫。わたしは一人じゃない。


「早苗さん、しぃちゃん。ご迷惑おかけしました。帰ります」

「うん。気をつけてね」

「つばさ! また学校でね!」


 リビングから手を振るしぃちゃんと、玄関で微笑む早苗さんに手を振る。


「早苗さん、わたし、頑張ります」

「あはは! うん、頑張って!」


 早苗さんの激励をしっかりと受け取って、わたしと高際さんはしぃちゃんの家を後にした。早苗さんは扉が閉まるまで、わたしたちに手を振ってくれていた。


 * * *


「しぃちゃんち、どうやってわかったんですか」

「ご両親に住所を聞いた。あとは、地図を見ながら」


 そう言って高際さんは、ポケットに入っていたスマホを取り出して見せた。


「……すみません、迷惑かけて」

「迷惑だなんて思っていない。だから謝らなくていい」

「……でも、」

「僕は、嬉しかったんだ。君が僕を好きだと言ってくれたことも、奥さんに付き合いたいと申し出てくれたことも。だから、いいんだよ」


 もういいんだ、と言われてしまって、かける言葉もなくなってしまう。その結果、こじれて、たくさん迷惑かけてしまったのに。

 お母さんたちから、何を言われたんですか。どんな話をしたんですか。どうなったんですか。聞きたいけど、聞いたらそれも、優しくもういいんだ、って言われてしまう気がする。だからこれは自分で両親に確かめなきゃ。高際さんだけに背負わせちゃいけない、わたしたち2人の問題だから。そうして乗り越えていかなきゃいけないんだ。

 高際さんと、ちゃんと恋人になりたいから。


 高際さんと並んで歩く帰り道。会話こそないものの、最初に2人で帰ったあの日に比べたら、2人の距離がだいぶ近づいた。すこし手を伸ばせば、手を繋げる距離。


「……」

「どうした?」

「……いえ。なんでもないです」


 それでも、お母さんとちゃんと話し合って、高際さんと正式に付き合えるその時までは、手を繋いで歩くのは我慢。

 思わず伸ばしてしまいそうになる手を後ろ手に組んで、早足で歩き出した。

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