雑記(2115/6/26)

現在、医者の目を盗んで病室を抜け出し、この文章を更新しております。


いや、年寄りの心臓には良くない脱出劇でしたが、年甲斐もなくはしゃいでしまいました。入院とは暇なものだと分かっていましたが、まさかここまで暇なものだったとは。想像以上です。体内に埋め込んだBMIの機能も止められてインターネットの接続すらままならない、古い電話回線を探して病院内をコソコソ這いずり回るというこのザマですよ。退屈で退屈で、まったくもって笑うしかありません!


毎日毎日寝てなきゃいけない事だけは聞いていましたが、まさか寝ても寝てもさらに寝足りないほどの暇さとは。いや我ながら、眠りながら遊べる「BEYOND THE INFINITE」を持ち込んだのは九死に一生でした。今となっては、こいつが私にとって唯一の心のよりどころ、唯一の娯楽、唯一の友人です。家に残してきた犬は心残りですが…、これもまた、このゲームを腰を据えてじっくり攻略する良い機会でしょう。とは言っても、結局は寝ているだけなんですけど!


それに絡んだ話ってわけじゃないんですがね。医者の目を盗んで無理にこの文章を更新しているのにも、実は訳があるんです。入院もたまにはしてみるもんですよ、ゲームを遊ぶためには。いや実はですね、大きな声じゃあ言えませんが、私、病院で長時間にわたってBEYOND THE INFINITEを遊んでいたらですね、…なんとこのゲームの新しい攻略法を見つけてしまったんですよ…!やっぱりゲームは最後の最後まで遊びつくさないと面白さが分からない!私の信念に、間違いはなかったという事です!


===


広島で瞑想の修行を積んでからというもの、私は毎晩このBEYOND THE INFINITEを遊んでいました。本作は「寝ている人間に夢を見させる」というシステムのゲームで、プレイヤーが絶対に目覚めない程度の面白さに夢を修正する、という内容のもの。まぁ詳しくは、以前のレビューを読んでいただくと良いでしょう。何度遊んでも何度遊んでも、プレイ中にゲームに興奮し過ぎてすぐ目が覚めてしまう私にとって、このゲームはいつまでたっても満足に遊ぶことが出来ない因縁の一本でした。


前回のレビューの時には特に書いてはいませんでしたが、このゲームのおまかせ設定を使うとですね、私はよく、自分が幼かったころの夢を見るんです。遠い昔、私にはたくさんの友人がいました。友達の家に集まって、みんなでゲームを持ち寄りましてね。シールだらけのコントローラーと、安い駄菓子と、得体のしれない誰かのゲーム。自分で言うのも情けない話かもしれませんが…、おそらく私にとっては、この時間こそが「幸福」の象徴なんでしょう。BEYOND THE INFINITEもそれを分かっているから、私の脳をスキャンするたびに、この夢ばかり見せてくるんです。


いや、本当お恥ずかしい話です。所詮は夢だと分かってはいるんですよ、私だって夢だと分かってはいるんです、分かっているはずなのに…、当時と同じように、夢の中でも私はみんなをゲームに誘っちゃうんですよ。「このゲームはこんなにも面白いぞー!」…って、押しつけがましく。ただ、私にとって、それはあまりに楽しすぎる記憶だったようで…。だいたいの場合、「さぁみんなとゲームを遊ぶぞ!」…という瞬間に、興奮しすぎて目が覚めてしまうんです。


私も努力はしてきたんです。なんとか心を抑えてゲームを遊ぼうと。でも、やっぱり無理な話なんですよ。楽しいゲームを遊んで興奮するなだなんて、そんな話は!


もちろん、夢から覚めずにプレイを続行できる場合もありましたよ。でも上述通り、本作には「プレイヤーが絶対に目覚めない程度の面白さに夢を修正する」機能がある。「さぁみんなとゲームを遊ぶぞ!」…という瞬間に、その機能が動作し、ゲームを無理やりにでも遊ばせない展開へ夢が修正されてしまうんです。仮に私が夢の中でみんなとゲームの話をしようとすると…、BEYOND THE INFINITEが興奮の予兆を察知し、ゲームを遊ばせない方向へ話を捻じ曲げてしまう。


私はただみんなとゲームを遊びたいだけなのに、いつまでたってもみんなとゲームは遊べない。どいつもこいつも、私がゲームの話を少しでも始めると、急に用事を思い出しただの、急に予定が出来ただのと言いやがるんです。誰かに呼ばれて、やることがあって、時間が無くて、あれやこれやと理由をつけて、みーんな私とのゲームを断る。いやむしろ、ゲームを遊ぶこと自体を避けていく…!それもこれも、私自身の脳が生み出した幻想なのだと分かっているはずなのに…!


私には、どうにかしてこのBEYOND THE INFINITEを攻略する必要があった。笑っていただいて大いに結構!なぜなら私は、みんなとゲームを遊びたかったからです!


===


攻略法を見つけたのは、本当にたまたま、運命のめぐりあわせでした。本作は寝ているプレイヤーの脳を常時監視しており、脳波が少しでも異常な数値に陥った場合に、プレイヤーの見ている夢の内容を修正するという仕組みになっています。つまり逆に言えば。どんな夢を見たとしても心の状態を一定に保つことが出来れば、本作は夢の修正を行わないということになります。夢の続きも、見ることが出来る。まあ、言葉にすれば簡単ですが、夢の中で意識的に感情を一定に保つだなんて、そんな事はできるわけがありません。


と、思っていたのです、私も。


出来るんですよ。ナノマシンで、感情を操作されている状態なら。


現在私の体内では、JPN000275540というナノマシンが動作を続けています。これは人間の感情を操作するナノマシンで、今現在は私の脳を何を見ても面白くてしょうがないという一定の感情に保ち続けています。起きている間も寝ている間も、今の私には笑えて仕方がない!脳の状態は異常だとしか言いようがありませんが、異常は異常でも、ずっと異常なまま安定しているのです!BEYOND THE INFINITEから見れば「なんだか常時テンションが高い人なんだな」としか見えません!


いや、もうもったいぶらなくても良いでしょう!何を隠そう今さっき、私は夢から目覚めたばかり!寝起きの頭で病室を抜け出し、夢か現かの状態で今、この文章を更新しています。寝ぼけた頭の文章なのは、どうか許して聞いてやってください。私はついに、BEYOND THE INFINITEというゲームの完全攻略法を編み出しました!この方法ならだれでも自由に、このゲームで夢を見続けることが出来ます!確認できたんです!確認できたんですよ!あの夢の続きが…!


===


私はよく、自分が幼かったころの夢を見るんです。遠い昔、私にはたくさんの友人がいました。友達の家に集まって、みんなでゲームを持ち寄ったりもしたんです。


ただ、いつの頃からだったかな。本当笑える話なんですけど、みーんな私の周りからはいなくなっちゃったんです。 夢の中で、私がみんなをゲームに誘うでしょう? するとゲームを一緒に遊んでいたはずの友達が、「いや、もうゲームやめるわ、途中だけどなんか飽きてきたし」とか言い出すわけですよ。それはおそらく、かつて本当に友達から言われた言葉なんでしょうけれど、夢の中の私はその言葉に何の反応も出来ない。去っていく友達の背中を、口を開けて見送るんですよ、夢の中の私は。


あくる日、学校で友達と会うじゃないですか。そしたら当然、「お前あのゲームクリアした?」って話になりますよね。しかしこれ、私の夢なんですよ! 私の夢の中だっていうのに、友人たちはみんな「いや、全然進めてない」などと平然とぬかしやがる。夢の中でくらい、和気あいあいとゲームの話させてくれたって良いはずなのに!「エンディングが近づいてきた事が分かると、なんかゲームにやる気なくなっちゃうんだよね」などと、みんな大人みたいな事を言いやがるんです!


私は長い間、この言葉の意味が全く分かりませんでした。ゲームはいつか終わる。全てのゲームには目標があり、そこには必ず何らかの結果が残る。だからこそ、ゲームは面白い。だからこそ、ゲームを遊びつくしたい。 途中で諦めてしまう事はあっても、保留にしておくことが最善だなんて、まるで理解が追い付かない。私はそうやって彼らに反論をしようとするのですが…、なぜか夢の中の私は口が開かない。口をポカンと開けて、「みんなに大人になったんだなあ」と言う事しか出来ませんでした。


===


夢の内容を思い出すだけで…、面白くて面白くて仕方がありません…!恋愛、結婚、出産、そして死を経て、友人たちは一人また一人と、ゲームを遊ばなくなっていきました。一方夢の中の私はと言うと…、彼らがゲームを離れるほどに、一人ぼっちになればなるほど、むしろ笑顔でゲームに熱中していく!当然でしょう。恋愛、結婚、出産、これら全部よりゲームの方が面白い、私の人生経験はそう言っていますから。それにしたって夢の中でも結局、他の何もかもを差し置いて一人でゲームを遊んでいるとは…、論理的すぎて笑えて来ますよ!


一人消え、二人消え、登場人物は誰もいなくなり、夢は最終的に、私が部屋で孤独にゲームを遊ぶだけの地味な夢になります。しかし私の脳にはナノマシンの効果が働いていますから、もう最初から最後まで笑えて笑えて仕方がない。年寄りが部屋で一人、モニターの照らされてゲームを遊んでいるという、その哀れな事実が客観的に見て笑えて笑えて仕方がない!途中「これ何が面白いの?」とも思ったんですが、私の感情はナノマシンでずーっと楽しいままでしたから、結局一度も目覚めることはありませんでした。いやはや、堪能してしまいましたね。


BEYOND THE INFINITEは一プレイ3時間くらいのゲームですから、大体夢の物語がここまで展開されると、強制的にエンディングが挟まれます。またこのエンディングが…面白くて…思い出すだけで…いや…あ…。ああ、ごめんなさい、思い出し笑いで脳が焼け付くかと思いました。


最後は…、ゲームを遊んでいる最中、私が笑顔で死んで終わりです。で、どこからともなくAcaciaが駆けつけてくる!私は彼女の胸の中で眠るように死ぬ!完!


もうね、はっきり言わせてください。こんなのギャグでしょう。


大体の話、「ゲームを遊んでいた友達は皆ゲームから去っていき、老いて一人ぼっちになっても笑顔でゲームを遊び続ける…」ってこれ…、単なる私の人生そのものじゃありませんか。 ゲームばっかり笑顔で遊んでいた男が、気づけば何の財産も持たずに死んでいった。 こんなの笑うなっていう方が難しいですよ。 卑怯! しかしお見事! いや実に笑えた。悲劇ってのは客観視すると笑えるもんですよ。


でも流石に、皮肉めいているという意味では、現実の方がもう少し面白いですかね。だって現実で私は夢より酷いんですもん!Acaciaは既に死んじゃってますからね!


===


もしかすると、ここまでちゃんとした形でBEYOND THE INFINITEを攻略できたのは、本当に運命のめぐりあわせなのかもしれません。実は今日の昼、ちょっと笑っちゃう出来事がありましてね。恥ずかしい話ではあるんですが、「ゲームに途中で飽きてしまう」って言っていた友人たちの気持ちが、この歳にしてちょっとだけ理解できたかな…?と思えることがあったんです。思えばそれがあったからこそ…、私はこの夢を見て、このゲームを攻略できたんじゃないかと。まぁ気のせいかもしれませんが。いや気のせいかな。ゲームに運命論を持ち込むとロクな事になりませんから。


===


不謹慎な話かもしれません。でも正直に言って、診察室の扉をノックする前から、もう笑えて笑えて仕方がなかったんです。ごめんなさい、あまり良い例えでないことは分かっているのですが、あるでしょう、「エンディングが近づいてきた事が分かる」ような、あのどうにも止められないワクワク感。不謹慎であっても、そうとしか言いようがないんです。精密検査の結果を医師からわざわざ一対一で告知されるという事は、あまり喜ばしい事でないことは、よくよく分かっていましたから。


本当はこんな機会ですから、もっと真面目に向かいたかった気持ちもあったんですけどね。でも、まず階段を下りた先にあったのが、これまた重苦しそうな扉で。もうこんなの見ちゃったら、絶対ラスボスが出てくるとしか思えませんでしたから。「自分の人生にも、ついに最終決戦がやってきたな」と自覚しただけで、もう笑いをこらえるのは無駄な努力だなと覚悟が付きましたから。結果的に言えば、無駄な足掻きをせずに済んだわけで。人生経験には感謝しないといけませんね。


気を取り直して扉をノックすると、中から先生の「どうぞ」と言う重い声が聞こえました。この声が、まさに終盤のシリアスな展開を想像させる重いトーンで、「おそらくここが最後のセーブポイントか」と、扉の前で一人ニヤついた事を覚えています。扉を開けると、そこにはお医者様が一人。こちらに気づいた先生は、「座ってください」と目の前にある椅子を手でさしました。その時の先生の佇まいたるや…全くゲームのラスボスそのもので、ここまでくると狙ってやってるのかとさえ思いましたよ。


いや、ああいう時って本当に、頭は茫然としていても身体は勝手に動いてしまうんですね。促されるままに椅子に座ってしまいましたけど、ラスボス前の強制イベントで勝手にキャラクターが動かされている感覚そのものでしたよ、あれは。


===


どこで覚えたのかは知りませんけど。そこからはじまった先生のお話は、生命倫理がどうだのこうだの、本当にゲームのラスボスの説教そのもので…、正直言ってほとんど内容は覚えていません。むしろ「あーこのパターンか」と、私は右手で会話スキップの時のボタン連打の真似をしていました。先生には申し訳ないのですが…、ゲームのラスボスの説教というものは、大体はたいしたこと話してませんから、会話は飛ばされても仕方ないんです。しかし先生は、そんな私の右手の動きを、見逃しはしませんでした。


ここ数か月、私のサイバネティクスの身体には、パーツが小刻みに震えてしまう「不具合」たびたびが発生していまして。この不具合のおかげで、時には昇竜拳のコマンドですら出せない時もありました。これは新しいサイバネティクスの義手せいだと口では言っていましたが、百回も千回も昇竜拳が暴発してジャンプパンチを繰り出していれば、原因が別にあることくらい私でも察しがつくというものです。


先生は、私の指が小刻みに動いているのを見て、これは典型的な「脳停止」の症状であると、私にそう告げました。いかに全身のパーツをサイバネティクスで代替しようとも、替えの利かない脳だけはいつか必ず衰えていく。薬で痴呆を抑えても、機能をBMIで補助しても、必ず限界は来る。そんな脳の衰えが、震えとなってサイバネティクスに現れる。脳が考えるのを止める時が近づいているのだと、先生は私にそう告げました。笑えるほど、無感情な顔をしていましたよ、先生は。


どう思います?「脳停止」、ラスボスとしては迫力のない名前だなと思いません?


===


「脳停止」とは、別にそんなに恐ろしい病じゃありません。


私たち高齢者は、日々老いていく身体をサイバネティクスの義体で代替して、毎日を生きながらえています。日々老いていく内臓をナノマシンで補助して、なんとか生きながらえています。日々老いていく記憶をBMIでバックアップして、やっと生きながらえています。そうして、本来人体が持っていないはずの寿命を生きています。サイボーグの年寄りが若者から評判が良くないことは知っていますが…、死ぬだけの踏ん切りがつかない年寄りは、少なくありませんから。


しかし、自分を自分たらしめている「脳」だけは、機械のパーツで替えがきくものじゃありません。脳まで機械と取り替えたら…、自分が自分でなくなってしまうような気がして。脳は、老いからは逃れることが出来ないのです。身体は元気で病気もしない、記憶も薄れることはない。しかし現実問題として、脳はいつか死を迎える。今ですら、機械の力で生きているだけ年寄りだというのに、もうすぐ機械の力で生きているだけの死体になるというわけですよ。


脳停止とは、そんな不相応な寿命を生きている人間たちの脳が、「衰え」によって機能を停止していくことを、まるで病かのように呼んでいるだけのものです。死ぬことはありません。心臓は代替可能です。忘れることはありません。記憶は外部媒体に保存可能です。そんな衰えた脳であっても、現代医療の力があれば思考ですら止まることはありません。つまり本当に、「生きていく」だけなら何の問題もない病でしかないんです、脳停止という病気は。


ただ、どれだけ機械の力で抗ったとしても、脳の衰えは止めることは出来ません。日に日に衰える脳からは、徐々に感情が失われていきます。何も感じない、何も思わない、何もしない、生きているのに死んでいる人間が生まれる。もう死ぬべきなのに死なずに生きている状態を、「脳停止」とまるで病であるかのように呼んで、世の年寄りたちは恐れているのです。恐ろしい話ですよ。楽しくも無ければつまらなくもないけれど、死のうと思わないって状態になるってわけですから。


===


私はその話を、ヘラヘラ笑って聞いていました。先生はそんな私を見て、さも当然という顔で一枚の画像を差し出しました。そこには数字がびっしり並べられていて、何が何だかよく分かりませんでしたが…、おそらく私という人間の内部パラメータであるという事は、なんとなく想像がつきました。「これのどこが良くないんです?」と尋ると、「ナノマシンによる脳負担がここ十数日で異常に上がっている」と、JPN000275540と書かれた部分に大きな赤いチェックがつけられました。


「このナノマシンが異常な数値を出したおかげで、精密検査で良くない兆候が見つけられました」と、先生は神妙な面持ちで言いました。まさか精密検査の初日ナノマシンチェックの後に、病院で「そしてまた去り行くあなたへ」を隠れて遊んでいたことが、こんな結果をもたらすだなんて。私、年甲斐もなく嬉しくなってしまいまして。「つまりこれは、このナノマシンが私の病気を発見して、私はこいつに命を救われたってことですか!?」と、思わず爆笑してしまったのです。


しかし先生は、無表情なままに首を横に振りました。「発見という意味ではそうかもしれませんが、この手のナノマシンは脳に著しく負担を与えます。脳停止の病状を加速させる。即刻、除去する必要があります。命にかかわりますから」と、ちっとも面白くないことを仰られる。よくよく見れば画像には確かに、「ナノマシン除去手術同意書」と、そう書かれていました。腹立たしいほどに用意がいいもので、私が名前を書く欄以外、もうびっしり記入済みになっていました。


何を馬鹿げた話を。せっかく再び手に入った幻のゲームを、何が楽しくて自分からわざわざ捨てなければいけないんですか。よく出来ているとは言え、先生だってアンドロイドですから、その辺りの細かい事情が分からなくても仕方がありません。安心してください、言ってやりましたよ。全ゲーマーを代表して、「このナノマシンは大変貴重なゲームで、捨てられません」と、間髪入れずに正論を叩きつけてやりましたよ。いや正確には、叩きつけてやった気になっていただけでしたが。


===


本当…もう…また思い出し笑いで脳が焼き付いてきた…。ああ、クソ。笑える。この脳が焼け付くように痛むのも、今から思えばナノマシンの悪影響なわけで。医者の言う事はいつもいつも正しいばっかりだから、腹が立つやら笑えるやらで困りますよ。まぁ、なんにしても笑えることに変わりはありませんが。もう何時間も前の事だというのに、今もはっきりと思い出せます。あの時の先生の、笑っているのだか憐れんでいるのだかよく分からない、心底笑えるあの仏頂面と来たら!


「あなたは今、ナノマシンによって精神が高揚しています。その効果が無くなった時、あなたの精神が現状に耐えられるかどうかは分かりません。ですので今、言わせてください。死を、覚悟しないといけない時に来ています」


いやあ、私のゲーマーとしての勘は、まだまだ衰えてはいなかったようですね。ゲームクリアは、やはり目の前に迫っていたか。分かっちゃうんですよ、これまでの人生、ゲームばかりを遊んできましたから。ゲームがエンディングに近づいてきた事を感じ取った時のような…、あの独特な「満足感」を、私はその時、感じました。笑っちゃいましたよ。これは、ナノマシンとは無関係に。だってそうでしょう。エンディングが近づいていることを悟って、ワクワクしないゲーマーはいないですから。


===


明日の朝一番で、私はナノマシン除去手術…いえ正確には「そしてまた去り行くあなたへ」の消去に、臨みます。私の無価値な寿命を延ばすために、私はこの価値あるゲームを、この手で壊さなくてはならなくなりました。


またか、って言うのが、素直な気持ちです。


この文章をどうにかして更新したいなと思ったのは、皆さんに、これからお話しすることを、どうしても伝えたかったためです。無様かもしれませんが、出来れば笑わずに聞いてやってください。私も、極力自分の話に笑わないように頑張ります。


もうお分かりでしょうが、私は皆さんほど若くはありません。そんな私が、今更子供の気持ちが分かるようになったと言うのは…、こんな滑稽な話もないのかもしれませんが。ただこの数時間で、私は昔、友人達がかつて「なんかエンディングが近づいてきた事が分かると、ゲームにやる気なくなっちゃうんだよね」と言っていたその意味を…、なんとなく、分かった気がするのです。


彼らはおそらく、ゲームの終わりが近づいていることが分かってしまうと、完全に終わらせてしまうには惜しくて、もうゲームのほとんどを楽しんでしまったような気がして。なんとなく、ゲームを続けることが出来なくなってしまったのでしょう。ゲームを終わることが面倒になると、ゲームを続けることが面倒になって。最後は、ゲームそのものが面倒になってしまった。彼らはみんな、いつの間にかゲームがどうでもよくなって、ゲームから去って行きました。


今、私が、人生の終わりが近づいてきたことを悟って、完全に終わらせてしまうには惜しくて、もう人生のほとんどを楽しんでしまったような気がして。なんとなく、この人生にあと何が残されているのだろうと、馬鹿な考えが頭をよぎったように。死ぬことが面倒になれば、生きることが面倒になって、最後は人生そのものが面倒になってしまうような。私もまた、いつの間にか人生がどうでもよくなって、人生から去って行ってしまうのか、と。


===


ゲームは、いつか終わる。全てのゲームには目標があり、そこには必ず何らかの結果が残る。だからこそ、ゲームは面白い。結果が良くても悪くても、ゲーム自体が面白いのだから、ゲームを遊びつくしたい。途中で諦めてしまう事はあっても、保留にしておくことが最善だなんて、そんな話は受け入れられるわけがない。理由は単に、なんとなく、そんな遊び方じゃ、ゲームに悪い気がするからです。


皆さん、本当にごめんなさい。


私は、生きて未来のゲームを遊ぶために、この人生というゲームを遊びきるために、「そしてまた去り行くあなたへ」というゲームを、消去します。


醜く余生にしがみついている、そう言われて仕方がないと思います。自分の都合で世界に一本しか残っていないゲームを殺そうとしている、そう言われてしかるべきだと思います。脳停止でもうすぐ死ぬはずの年寄りが、少しばかり延びるだけの命にみっともなくしがみついて、愛していると嘯いていたはずのゲームを、自分勝手に壊そうとしているのですから。こんな笑えない話は、ありませんよ。


===


私はゲーマーとして、もうすぐ終わりそうなゲームを、もうすぐ終わりそうだからという理由で、飽きてしまうような真似はしたくないのです。


さっき見た夢の中の私は…、それはもう幸せそうに笑顔を浮かべていました。過去に遊んだゲームに囲まれて、過去に遊んだ友達に囲まれて。もうすぐ自分が死ぬという事を知っていて、昔遊んだゲームの幸福な思い出に浸って、最後はもう遊べなくなったゲームに抱かれて、死んでいきました。


情けなさ過ぎて、笑えてきます。あいつはもう、ゲームなんて遊んでいませんでした。ただただ、終わりが近づく人生に飽きてしまって、過去の思い出に浸りながら笑顔で死んでいっただけでした。死ぬのが面倒になって、生きるのが面倒になって、最後は人生そのものが面倒になって、どうでもよくなっただけでした。


ゲームは、逃避のために遊ぶもんじゃありませんよ。ゲームは、楽しいから遊ぶものじゃありませんか。自分がゲームを終わりたくないからって、ゲームを遊ばずに放棄することが、正解であっていいわけがない。ゲームが終わることを恐れながらゲームを遊ぶゲーマーなんかいてたまるかって、そういう話です。


===


もうそろそろ時間がまずそうなので、病室に戻らなくてはいけません。

一方的にベラベラ自分語りをしてしまって、本当にお恥ずかしい。

今回限りの事だと思って、許してやってください。


私は朝まで、「そしてまた去り行くあなたへ」を遊ばなくちゃいけませんので。


それでは、この辺で。


2115/6/26 (Article written by Alamogordo)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る