【第7回】진실게임(チンシルケイム)

タイトル:진실게임(チンシルケイム)

運営開始日:2029/03/16

運営元:ゲーム中毒カウンセリングセンター


世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第七回目となる今回は、2029年サービス開始、ゲームに飽きる為に生み出されたゲーム「진실게임(チンシルケイム)」の紹介です。


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良いゲームを遊ぶと手が震えるという事は、何らおかしいことではありません。元来、人間は言葉を持たなかったんです。むしろ身体が震えるという感動表現こそ、人間という生き物の自然な感情の発露なわけで。心が震えるゲームを遊べば…、当然、身体も震えるべきでしょう。コントローラーを持つ手が震えもしないようなゲームを、あなたは遊びたいと思いますか!? …という話を、今回もまた担当の医師に懇切丁寧に説明したのですが、残念ながら、今回もまた分かっていただけませんでした。


分かっていただけなかっただけならまだマシだったんです。どうせ彼には私の気持ちなんか分かってもらえないとは思っていましたから。今回はそこへ「ゲームプレイ中に義手が震えたのであれば、即刻メディカルケアを受けていただかなければ困ります」という長々とした説教のオマケつき。当初は数分で終わる予定だった診察と施術で3時間以上も拘束され、私が話したゲームの話の三倍ほどの説教までいただいてしまって…。こんな事なら、本当、調子に乗ってペラペラ喋るんじゃなかった。まったくもって、救いがありません。


私もまだまだ若いものです。いや、単に捻くれているだけなのかもしれませんが。これだけ叱られしまった後だと言うのに、いざ腕のパーツを取り替えるとなったら…妙にワクワクしてしまって。新調する義手パーツを選んでいるうちに、「新型のサイバネの指先だと、旧式タブレットのゲームだと認識されなくなる可能性があるな」と、思わず独り言を言ってしまったんです。ゲームの為に腕を選んでいた本心が、医者にバレてしまった。今回もまた、あのお言葉をお土産に頂戴して帰ってきましたよ。


「ゲーム依存症のカウンセリングを受けてください」という、あの忌々しい言葉を。


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冗談はこれくらいにしておくとしても、(と医師からも言われたので不本意ながら「今までの話は冗談だった」ということで話を進めますが、)ゲーム依存症と言う名の不治の病は、我々ゲーマーにとってそう簡単に無視できるものではありません。ゲームはあまりに面白すぎるので、遊びすぎると人間は面白すぎて壊れてしまうことがあるんですよ。


ゲームが面白すぎて現実が嫌になってしまう病、ゲーム依存症。古くは120年前から認知され始めたこの「奇病」は、毎年少なくない人数のゲーマーを廃人へと追い込んできました。脳の制御技術が進んだこの現代においても、「ゲームに飽きるテクノロジー」なんて物騒なものは発明されてはいません。私にとっては…とてもありがたいことに。


ゲームが面白すぎるという事は、やはり罪なのでしょうか? 悲しいかな、私も含めゲーマーと言う生き物はどこか捻くれていて、やめろやめろと言われるほどに楽しもうとする者ばかりで。私の口から言えた事ではありませんが、「ゲームを遊ぶ為に生きる」と「生きる為にゲームを遊ぶ」の違いを、時にゲーマーは見誤ってしまうんです。


ゲームが面白すぎるという事が、罪であっていいわけがありません。だからこそ、ゲーム業界は歴史上、ありとあらゆる形で「ゲーム依存症」の解決に臨んできました。自分たちの作ったゲームを愛してくれた人が、ゲームを愛し過ぎたがゆえに人生を壊してしまうだなんて…、そんなの悲しすぎますから。


今回ご紹介するゲームは、ゲーム業界が「ゲーム依存症」と戦った、そんな輝かしい挑戦の1ページ。진실게임(チンシルケイム)は2029年サービス開始。ゲームが面白いから、それに依存してしまうゲーマーが出てしまう。それならば、ゲームを面白くしなければ良い。いっそ飽きるよう作ってしまえば良い。そんな机上の空論を世界で最も忠実に再現した、「ゲームに飽きる為に作られたゲーム」なのです。


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ちょっと大げさに見得を切ってしまいましたが、ゲーマーとゲームの百年の歴史をたどってみると、「ゲーム依存症対策の為に、ゲームをわざと面白くなくする」というアイディアは、実はそこまで珍しいものでもありません。


例えば、2007年頃に実施されたのは「疲労度システム」。これはゲームを連続で長時間遊ぶと経験値やアイテムドロップが減っていくというシステムで、熟練者がゲームを愛すれば愛するほどゲームが冷たくなっていくと言う小悪魔のような対策。


2010年頃に実施されたのは「シンデレラ法」。心躍るネーミングでしょう? 16歳以下の子供達は0時を過ぎるとゲームから締め出されてしまう、まるで全ては魔法だったかのようにゲームが消え去ってしまうという、心躍らない法律です。


当時のコアゲーマー達は「トイレに行く時間を惜しんで尿をペットボトルに貯めながらゲームを遊んだ」と都市伝説には語られていますが…、まぁ伝説の真偽はどうあれ、これらの対策には尿意を感じるほどの恐怖を感じたことでしょう。


ただ歴史を振り返って言えば、これらの対策はゲーム依存症の根本的な解決には至りませんでした。


捻くれ者のゲーマーである読者の皆さんにも…、恐らく既に、「対策」が思いついてしまっているんじゃありませんか? 複数のゲームをローテーションして時間をずらしすように遊べば、疲労度システムは切り抜けられる。親にでもアカウントを作ってもらってそれでゲームを遊ぶようにすれば、シンデレラ法も切り抜けられる。そうして当然、ゲーム中毒者達はあいもかわらずゲームに群がった。ゲーマーというのはどうしたって、「攻略法」を探してしまう捻くれた生き物なのですから。


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진실게임(チンシルケイム)は2029年、韓国(現在の朝鮮連邦南部)のゲーム中毒カウンセリングセンターによって運営が開始されたゲームです。正確に言えばこのチンシルケイム、韓国の大手ゲーム会社数社による業界団体と大学病院の協力によって発案された「ゲーム依存症更正プログラム」内のプロジェクトの一つで、ゲームを遊ぶ事を通じて徐々にゲーム中毒を克服する事を目的に開発された、言わば「ゲーム依存症更正ソフトウェア」と呼ぶべきタイトルでした。


朝鮮連邦は、2000年代前半からゲーム依存症に苦しめられてきた国の代表例です。100年前のゲーム依存症と言っても、皆さんの想像する「一日中ベッドの上で脳のクロックを高めているコアゲーマー」と、本質は同じようなものですよ。この当時の韓国社会も「一日中椅子の上でPCに噛り付いているコアゲーマー」の増加に、頭を悩ませていました。実は上記で例に挙げた疲労度システムやシンデレラ法は、どちらもかつての朝鮮連邦で実施されたゲーム依存症対策。チンシルケイムは、それらの対策の延長線上にあったゲームというわけです。


2010年代を通して、ゲームシステムの制限によるマクロな対策に限界がある事を感じた韓国政府は、2020年代から個々の依存症患者に向けた治療法へと政策をシフトしていました。特に重要視されたのは、当時既に運営されていた「ゲーム依存症更正施設」。ゲーム依存症患者を数週間ゲームやインターネットと無縁の施設に「入院」させ、規律正しく軍隊のような生活を送り、時には自然とふれあい、時には友と語り合い、ゲームへの依存度を軽減していく「治療」を施したのです。


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ゲーム依存症更正施設の強化は当初の狙い通り一定の成果を挙げ、ゲームに命を削る若者達の人生を多く救ってきましたが、もちろんいくつかの問題も生みました。


2029年12月、長期間の治療の途中であった10代のゲーム依存症患者数名が、江原道にあった更正施設から突如として脱走。一週間の潜伏を経てクリスマスの夜にソウルの実家に舞い戻り、施設で受けた「あまりにも恐ろしいゲーム体験」を両親に訴えた、という事件が発生したのです。


「独房に監禁されていたんだ。そこで一日中、真っ白な画面をひたすらクリックし続けるだけのゲームを、遊ばされていたんだ」


少年達の涙々の訴えは、一躍韓国のトップニュースを飾りました。愛する息子娘の逃亡劇は、両親達にはよほど堪える光景だったのでしょう。事件発生からすぐ、被害者家族は更正施設の提訴へ踏み切りました。


「高い治療費を払って入院させているのに、息子娘に非人道的なゲームを遊ばせていたばかりで、まったくゲーム依存症が改善されていない、これは詐欺ではないか」


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韓国中の注目の的となった施設運営元のゲーム中毒カウンセリングセンターは、事件後すぐに緊急記者会見を決定。多くのゲームメディアを相手に、「チンシルケイムは「真実ゲーム」という名前が示すとおり、ゲームを遊ぶ中で「ゲームの真実に気付いてもらう」という事を目的に開発された、依存症患者への配慮に溢れる非常に人道的なゲームである」と、世界に向けて威風堂々と宣言しました。


実際問題、2020年代に実施されていたゲーム依存症更正プログラムの大半は、患者を力ずくでゲームと引き離して人権団体から「非人道的である」と非難されたものばかり。ゲームを遊ぶことを通じて依存症を治療しようとしたチンシルケイムは、当時としては非常に先進的なアイディアだったと言えるでしょう。


「チンシルケイムを遊べば、ゲームを遊ぶという行為の真実が理解できる。真実を理解すれば…、どんな中毒患者も絶対にゲームなんかやめてしまうだろう」


あまりに自信に満ち溢れた会見中の顔に、世界中のゲーマーコミュニティは恐怖にうろたえました。


「こいつらは何故こうまで自信満々に、ゲームの真実を知ってしまったらゲームなんかやめてしまうと言いきれる? ゲームの真実とは、一体何なんだ?」


それから一ヵ月後の2030年1月。世界中のほとんどのゲーマー達が、いまだもって「ゲームの真実」を探りあぐねている最中のことでした。まるでゲーマーを挑発するかのような、「ゲームの真実を知ってください」とのメッセージのオマケつきで、本作は突如、フリーソフトとして世界中へ公開がはじまりました。


こうして、子供達にとっては遊びたくない治療法、両親にとってはゲーム依存症治療に無意味な洗脳、そしてゲーマー達にとっては…世にも恐ろしい「ゲームに飽きる為に生み出されたゲーム」(?)となった진실게임(チンシルケイム)は…、世に「ゲームの真実」を知らしめはじめたわけです。


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ここで改めて、チンシルケイムの基本的なシステムを説明しておきましょう。本作のゲームジャンルは、今は既に懐かしのジャンルとなったFPS。2020年代韓国に熱狂をもたらしていたeSports、その中でも熱い激戦が繰り広げられていたFPSは、この当時の全国民の共通言語だったとさえ言われているほどですから。治療ソフトとしてはまさに、誰しもに効く「万能薬」だったという事なのでしょう。


ゲームを評価する上でまず目に付く物といえば…やはり基礎基本であるUI部分ですが、まず皆さんへ断言させてください、本作の特筆すべき部分はまさにUI部分にあるという事を。当時のFPS愛好家であればチュートリアルなしで遊べるほど簡素化されたUIは見事の一言、視線認識技術を利用して常にプレイヤーの「見ている場所」をゲーム側がチェックしており、迷えるゲームプレイヤーを常に正しい方向へ誘導するようピクトグラムが表示されます。


「近未来の韓国ソウルを舞台に、グループAとグループBに分かれてサバイバルゲームを行う」という分かりやすい導入から始まり、文字通り手取り足とりでFPSの基礎基本を教えてくれるチュートリアルは、「このゲームを遊ぶよりこのゲームから脱落する方が難しい」と言うべき丁寧さ。FPSが苦手という方は、ぜひ本作を遊んでみてください。FPS初心者が遊ぶべき最初の一作として、本作は自信をもってオススメできる「FPSの教科書」のようなゲームですから。


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では肝心のゲーム部分はどうかと言うと…、こちらもまた、誰にとっても遊びやすく仕上げてもらっています。アサルトライフル、マシンガン、ロケットランチャー、スナイパーライフルの4種の武器をベースとして戦うシステムは、まさに古き良き正統派FPS。この当時のFPSによく見られた派手なシステム(※)の搭載をあえて無視したこのオーソドックスな構成は、戦闘システムに絶妙なバランスをもたらすよう調整されており、純粋な戦略バトルとしてのFPSを引き立てています。見た目の派手さなんて、所詮は飾りですよ。洗練されたシンプルなシステムは、むしろ派手な撃ち合いを思う存分味あわせてくれる事でしょう。


※派手なシステム

2027年狂奏の「重力反転システム」や2025年Violetの「空気感による気配システム」といった高難易度FPSが代表例とされる。カルトな人気が高まる一方FPSの高難易度化が進んだとされ、時に2030年代のFPSジャンル停滞の理由となったと評されるが、現在は停滞という事実そのものが懐疑的に見られている。


それもそのはず、本作の開発を担当したゲームスタジオ「RAIZIN」は、2020年代前半に競技性の高いFPSを数多くeSportsに提供した名ディベロッパーであり、この手のゲームの開発能力は折り紙つきなのです。開発スタジオとしての持ち味は…、ずばり、シンプルさ。シンプルさとはすなわち、ゲームの競技性の高さですよ。彼らは長い韓国eSportsの歴史の中で、ゲームから雑味を取り除く技術をひたすらに培ってきた。「ゲームの面白さ」を誰よりもよく知る、優れた開発者たちなのです。


本作が古き良きFPSであることは、古き良き時代を知るゲーマー達なら分かってしまうはずでしょう。実際、本作の無償公開後の多くのゲーマー達と言えば、まったくもって素直じゃない反応ばかりでした。当初は馬鹿にする気持ち丸出し集まってきていたにもかかわらず、「こんなゲームでゲーム依存症が治るわけがない」「ゲームに全く雑味がない」「流石は更生施設が開発したゲーム、派手さが全くないな」と褒めているのか貶しているのかよく分からないレビューを乱発。その実、本作のオンラインマッチ部屋を建てまくっていたわけなのですから。


ここで皆さんに、素直な私から、彼らに代わって真実を語らせてください。

チンシルケイムは単純に、とても面白いゲームだったのだと。


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しかしながら数日が経つと、当初は和気藹々としていたはずの本作の攻略コミュニティは、徐々にそれぞれプレイヤーの言動が食い違うようになります。


「グラフィック手を抜きすぎだろ」

「なんか音楽こんなつまらなかったっけ?」

「というか、いくらなんでも何にもなさすぎないかこのゲーム」


何故かは分からないが荒れ始め、何故かは分からないがすれ違う攻略情報の数々。そもそも公開された本作、楽しく遊んではみたものの、よくよく考えれば当初報道で言われていた「真っ白な画面に表示される四角をひたすらクリックするだけのゲーム」ですらない。遊ぶ事は出来るけど、騙されてるとしか思えない。興味本位でやってきただけのゲーマー達は、「こんなのに付き合うのは弁明の名を借りた無駄なPR活動に騙されてる奴だけ」と捨て台詞を残し、一人、また一人とこのゲームを去っていきました。


それでもなおこのゲームに残っていたプレイヤーたちが、あの当時何を考えていたのかは…、今となっては誰にも分かりません。ただまぁ、これは80年後の今でも容易に推測出来ることでしょう。運営元が語っていた「ゲームの真実」とは一体なんだったのか、それを知らずしてゲームを止めることは出来ない。それにこのゲームは…、認めたくはないが、面白い。捻くれたプライドが、撤退の邪魔をしたのです。


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せっかくの機会です。「ゲームの真実」に興味のある読者の皆さん。お手元に本作がある皆さんは、是非この場でチュートリアルを終えてレベル2まで上げてみてください。どうです、見事に表現された2040年代のソウルの街並みが美しいでしょう? そこに見えるのはかつての漢南の街並み。今じゃもう隙間なくビルが立ち並んでいますが、かつては穏やかな高級住宅街でした。あ、試合自体はロケットランチャーを連射していれば勝てると思います。初戦の「チーム仁川」を破ればレベル2ですね。


…さて、チュートリアルを終えた皆さん、おめでとうございます。これで皆さんは一歩、「ゲームの真実」へと近付きました。いかがでしょう、チュートリアルを終えて何かお気付きになったことはあったでしょうか。ゲームの真実に近付いた気分はいかがでしょう? お気づきにならない? では、分かりやすく言い換えましょう。背景にあるソウルの街並みの全てから、影という影がなくなった印象はいかがですか?


ゲームの真実に近づく喜びを得られた皆さんは、是非そのままレベル3、レベル4と次々に進めていってください。レベル3ではプレイアブルキャラクターのモーションが一気に半分に、レベル4ではゲーム中のUIのフォントが一種類になります! その調子でどんどんゲームを進めてゲームの真実に近付けば、レベル10にはほとんどのダメージ演出が消えてダメージが単に数字で表示されるようになるでしょう。どうです? ゲームの真実に近づく喜びに、胸が満ちてはきませんか?


レベル60ではBGMのすべてが単音になり、レベル70で色は全24色に、レベル80でテキストはなくなり、レベル90で数字と当たり判定の「四角」の表示を残してグラフィックの全ては消えます。とんとん拍子にレベルを上げすぎて、「このままレベル上限までいったらゲームが終わっちゃうんじゃ…」と心配する皆さん。ご安心ください。レベル100に到達すれば、「レベル」という概念すら無くなります。そこに表示されているのは、単なる数字でしかなくなる!ただひたすら画面に表示される数字を増やすだけの行為を、永遠に遊ぶことが可能になるのですから!


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遊べば遊ぶほど、ゲームから「演出」が消えていくゲームであるチンシルケイム。あなたがもし仮に、「ゲームの真実」を見たいと願うゲーマーであるのなら、あなたはこのゲームの果てにそれを見つけることが出来るでしょう。


グラフィックとサウンドが消えて真っ白になった画面、ユーザーインターフェースが消えて数字だけが浮かぶメニュー、姿が消えて四角い当たり判定だけが浮かぶ敵。消えてしまったのは「演出」だけですから、ゲームルールはかつてのチンシルケイムと全く同じ。遊ぶにあたっての心配はご無用です。真っ黒の四角が敵の当たり判定、灰色の四角が壁の当たり判定。画面右下の「1」でアサルトライフルだった機能を選択し、黒い四角の上部15%ほどをクリックできればヘッドショット!失礼、既にヘッドはこのゲームにはないわけですから、大きい数字が表示されるクリックと言ったほうがより正確ですね。


ゲーム全体の流れも何一つ変わってはいません。かつて「ダメージ」と認識していた一回クリックするごとに表示される数字を増やすために、かつて「フィールド」と認識していた真っ白な画面に向かい、かつて「敵」と認識していた当たり判定の四角をひたすらクリックし、かつて「ゲーム内通貨」と認識していた数字を増やす作業に没頭すればよい。そうすればかつて「武器」と認識していた数字を、コアゲーマーの皆さんが愛する、より大きな数字に変更することが可能です! かつて「自分」だった場所から拡散するように数字の波が放たれると、目に映る四角たちは大量の数字を残して消えていく! この爽快感こそ、ゲームの醍醐味とは思いませんか!


誰もがいつしかは、このゲームの真っ白な画面に、ゲームを遊ぶ自分の顔が映りこんでいるのを見る時が来るでしょう。そして誰もがその時、このゲームに用意されていた「ゲームの真実」を、理解してしまうはずなのです。演出が消えて姿は変わってしまっても、このチンシルケイムはレベル1の時に遊んだ時と「本質」は何も変わっていない。システムも、バランスも、プレイ感覚すらも、ゲームとして何も変わっていない。ただ、見た目が変わっただけだと。


もしかしたら…、今まで自分達が遊んできたゲームとも、何も変わっていないのかもしれない。これまで私達の遊んできた、たくさんのゲームたち。私たちが人生を捧げてきたその全てが、本質は「単に無価値な数字を増やしたり減らしたりするだけの行為」だったのかもしれないという、その真実について。


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「遊べば遊ぶほど演出が消えるゲーム」ことチンシルケイムは、実はもとをただせばある学術研究が開発の大元となった作品だと言われています。


事の発端になったのは、西江大学大学院の小さな小さな研究グループが行った、「何故人はゲームに飽きてしまうのかのメカニズム」という小さな小さな発表でした。非常に夢のある話でしょう? 若く実績もない研究者達が「どうやったら人はゲームに飽きないのか」という熱意溢れる研究を行い、それが突如として政府機関である女性家族部の目に留まったのですから! ただし、「どうやったら人はゲームに飽きるのか」という逆の見方で、だったのですが。


「これは単なる画像でしかない」

「ゲーム内通貨をいくら稼いでも意味がない」

「ゲームキャラに恋をしてもケツの一つも触れない」


あれほどまでに熱中していたゲームに、いつも突如として冷めてしまう捻くれたゲーマー達。若い研究者達は、そんな彼らの姿に、ゲームから離れていった自分の友人達の姿を重ね合わせていたのかもしれません。「ゲーマーが突如としてゲームに飽きてしまうのは、そこに価値があると信じさせてくれる演出がないからである」と、韓国へ、世界へ、そして友人達へ、彼らは震える声を絞って研究成果を披露しました。そして彼らの勇気あるその研究は、聴衆の心を大きく動かしました。


「つまり、そこに価値があると信じさせてくれる演出を無くせば、人をゲームに飽きさせる事ができるのか」という、彼らの意図とは、逆の意味で。


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こうして歪んだ理解の上に生み出された恐怖の「更正施設」は、ありとあらゆる面でゲームから演出を消し去った代わりに、ありとあらゆる面で「ゲームの真実」を患者に理解してもらうための演出が溢れていました。


施設の中に娯楽はこのチンシルケイムしかなく、このゲームでさえ遊ぶには真っ白な壁に閉ざされた部屋に入らないと遊べないという有様。後の報道の内容を見てみますと、本作を遊ぶか否か自体は患者の意思に委ねられていたようですが…。結局のところプレイヤーは全員ゲーム依存症患者なのですから、誰もが嫌でも本作を遊ばざるを得なかったという事は…、まぁ、不思議な話でもありません。


好きなゲームを好きなだけ遊ぶしかない状況に置かれた患者を待っていたのは、「真実」に目覚めるための手厚い治療の数々。なにせここは更正施設、各人のプレイ状況は監督官によって厳正に管理されていたわけですから。毎度プレイ後には「現在までのプレイ時間」と「かわりに得られた数字」をメモ用紙で手渡される心憎い配慮で、これを見た患者達はみな「これだけの時間を使ってこの無価値な数字を増やしていたのか…」と、感涙にメモを濡らしたと語られています。


普通のゲームでレベルが上がった時と同様に、レベルが上昇するたびに監督官から「数字が1上がっておめでとう」と書かれたコピー用紙を授与され、名札に現在のレベルがデカデカと明記される。普通のゲームでランキングが表示されるのと同様に、各プレイヤーの「現在までのプレイ時間」と「かわりに得られた数字」の順位が廊下にずらっと張り出される。こんな形で失った時間を周囲に公開されてしまっては…、誰だって、発狂寸前にも陥りますよ。


もう、お分かりかもしれません。つまりゲーム依存症更生プログラムの目的は、「ゲーム上の演出」は、現実世界に置き換えればこんな無価値な行為なのだと認識させること。我々がゲームに情熱を捧げてきたこの人生が、無価値で、無意味で、いかに無駄であったか。それをゲーム依存症の患者たちに、分かってもらう事にある。


ゲームとは、無価値な数字に、演出で価値を錯覚させているだけの行為である。


それが、カウンセリングセンターの言う「ゲームの真実」だったというわけです。


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裁判が進むにつれ、チンシルケイムの演出に対する恐怖は韓国を越えて世界に飛び火し、次第に「虐待」の問題から「人権」の問題としてクローズアップされるようになりました。不運だったのは、同業のゲーム依存症更正施設でしょう。自分達の戦いの場を、治療の名を借りた人体実験の場として利用されていたのですから。


今日に至るまで、本作が低評価を受け続けてきた原因は、たった一つしかありません。それはこのゲームが歴史上たった一つの、社会によって「遊ばせること自体が非人道的」と認定されたゲームであるから、という原因です。


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失礼、話がゲームから少し脱線してしまいました。それでは最後に話を本筋に戻し、本作が低評価になった経緯を聞いていただいた上で、皆さんに改めて一つ質問をしてみましょう。


皆さんは、「演出が消え去ったら、ゲームは虚しくなる」と、思われましたか?


論点を分かりやすくする為に、質問の仕方を少し変えてみましょう。


「単なる数字と化したゲーム内通貨を稼ぐのは虚しいですか?」

「単なる四角と化した敵を倒すのは虚しいですか?」

「単なるポイントクリックと化したFPSは虚しいですか?」


ゲーム中毒カウンセリングセンターに間違いがあったとするなら、それはゲームから演出を消し去ったことではなく、「ゲームから演出を取り去れば、人はゲームに飽きてしまうはず」と考えた事そのものにあるでしょう。


「演出が消え去ったら、ゲームは虚しくなるのか?」 答えは、NOです。


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本作の「真実」が世間に知れ渡り、社会が「これは非人道的である」とパニックを起こし、世界の名だたる人権団体が韓国に集結していた2030年年末。社会が本作の真実を騒がしく批判する一方で、本作を遊ぶプレイヤー達の攻略SNSもまた、一つの重要な「真実」に近づこうとしていました。


2030年末頃のチンシルケイムの状況と言えば、丁度長引く報道と共に流入してきた新参者の急激な増加がはじまりつつあった頃でした。これまで物好きしか残っていなかった本作のオンライン対戦は、数少ない上位勢と興味本位でやってきた多量の下位勢の人口バランスがあっという間に崩壊。報道のためにやってきたオッサンから教育ママまで参戦する状況に、上位勢は「初心者狩りの回数によってランキングが決められる事態に陥るだろう」と嘆き、悲しみにくれるばかりだったのです。


ただ結果的に言えば…、危惧されていた「初心者狩り」は、このゲームではほとんど起こりませんでした。もちろん初心者狩りを狙う上位勢は少なくはなかったのですが、演出が消えて予備動作や効果音すらない上位勢のプレイ環境では、演出を見聞きして直感的に判断できる初心者に返り討ちにあうこともしばしば。射撃モーションという演出を目視出来るか出来ないかですら大きなハンデになる事を考えれば、音も無くなればダメージエフェクトも無くなってしまう本作の環境では、生半可な腕では初心者にも太刀打ち出来なかったのでしょう。


特にヒットエフェクトが消えるレベル35、効果音の大半が消えるレベル65は鬼門と呼ばれ、「見えるもの聞こえるものに頼ることをやめて、ようやくゲームの本質にたどり着く」と、それぞれ中級者・上級者の壁と称されました。レベルが上がるごとに消える演出を、レベルが上がるごとに増えていくハンデと捉えれば、これはまさにゲーム全体のバランサー。最初は上級者をボコボコと倒せる爽快感に夢中になっていた初心者も、徐々に消え行く演出によってゲームの真実に気付き、その楽しみ方を変えていきました。


演出があることの意味を、そして無くなることの意味を。誰しもがようやく気付いたのです。初心者にボコボコにされて、少しばかり遅くはなってしまいましたが。


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2030年代前半、「派手なシステムを搭載したFPS」が全盛だったという時代背景を知っていれば、捻くれたゲーマーがこのゲームの真実にどういった反応を示したのかは、捻くれたゲーマーの読者の皆さんであればご想像の通りでしょう。


「派手な演出やシステムはいらない。むしろ演出が消えたことによってバランスは保たれ、シンプルな面白さはより際立った。これがゲームの真実」


おそらくは、この台詞を言った当時のゲーマー連中の顔つきすら、皆さんなら想像出来るかもしれませんね。 今なお続く百年間越しの世迷い言を、この当時のゲーマー達もまた、同じように呟いていたというだけの話ですから。


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2115年現在において、チンシルケイムは「通常のゲームに飽き飽きしていた一部のコアなユーザーが、他のゲームと比較したいがためにゲームの演出が失われたことをバランス調整と囃したてた」作品として、言わばカルト評価が高いだけの作品という見方が一般的です。そしてそれは一部、事実ではあるのでしょう。


ただ私の個人的な考えを述べるのであれば…、本作の真実はそんなものではない、とも思ってしまうのが正直なところではあります。捻くれたものの見方かもしれませんが、だってそうでしょう。そもそもの話、ゲームのバランスを調整するという作業は、普通にやったとしても非常に難しい作業ではありませんか。「演出が消えたことで偶然にもゲームバランスが調整された」と言うのは…、確かに面白い話なのですが。単に無作為に演出を消していっていただけで、そんなに都合よくゲームバランスが保たれるとは…、私には、夢にも思えないのです。


実は。本作の開発を担当したゲームスタジオRAIZINは、2033年にゲーム中毒カウンセリングセンターから本作に係わる債務不履行で提訴され、その数年後に倒産しています。関係者のFacebook(※)に残されたコメントを読み取るに、「ゲーム中毒カウンセリングセンターからの開発要件を無視して、不完全なゲームを納品して債権者に被害を与えた」という事が主な裁判の内容だったようなのですが、資料が少ない為、いまいちハッキリとしたことは分かりません。


※Facebook

2004年より開始された第一世代SNSの内、最も有名なSNS。現在はサービス終了。


ただ、なんとなくですが。真実は、実はそんな大したものではなく、いつの世も割と近くにあって、思いの外簡単に想像がつくものではないかな、と思うのです。


おそらく運営元のゲーム中毒カウンセリングセンターは…、本作を開発するにあたって、「ゲームに飽きさせる為につまらないゲームを開発しろ」と、開発元のRAIZINに指示をしていたはずでしょう。本作はゲーム依存症の治療に何ら効果はなく、彼らは患者から非難を浴びることになった。その責任の矛先は…、裁判を通じ開発元に向けられた。面白いゲームを作った開発元が訴えられているわけですから、運営元が「つまらないゲーム」の開発を望んでいたことは、疑いようがないと思います。


ではこの件において、RAIZINの債務不履行とは一体何にあたるのか。

それは普通に考えれば、一つしかありえません。


債権者の指示を無視して、本作を秘密裏に面白いゲームとして開発した罪です。


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つまらないゲームをわざと開発するなんて、出来るわけがない。人がつまらないと判断した要素で、むしろ面白いゲームを作ってやりたくなる。演出を消してつまらなくしろと言うのなら、演出を消してむしろ面白くしてやろうとする。人が否定したことでこそ、逆に楽しもうとしやがる。根性が、根本的に捻くれている。


私が知っているゲーマーとは、そんなうんざりするような連中ばかりですから。


2115/5/22 (Article written by Alamogordo)


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