雑記(2115/5/13)

先日、Acaciaの葬儀を行ってきました。40年も前のオンボロになったアンドロイドの葬儀と言うと、どこかこう、空虚な響きにも聞こえますが、私にとっては間違いなく、人生の長い時間をともに過ごした伴侶でした。劣化してひび割れた肌は皺のよった肌で、動きの悪くなった球体関節は軟骨の磨り減った関節で、彼女が日々劣化していく様を見て、それが共に年齢を重ねてきた証なのだと、私はいつしか、そう思い込んでいました。今から思えば、勘違いしていただけなのだと思いますが。


葬儀は先日5/11、名古屋の大須観音近くでとりおこないました。大須観音は私が彼女を購入した思い出深い土地で、つまりは二人の出会いの場所だということです。この場所には昔「ツクモ電機」という店があり、そこで私は彼女に一目ぼれをしました。旅行先でする衝動買いにしては、彼女は重く、まるで動かず、一歩一歩の歩みは震えるほど小さく。初対面から「ゲームが遊びたい」と駄々をこねるばかりで、出会った時から、手のかかるアンドロイドでした。


彼女が倒れたのは何分急なものでしたから、どの宗派ならアンドロイドの葬儀を取り仕切ってくれるのかまるで見当がつかず、結局自分が墓を買っていた大須観音近くの寺の住職にすべてをお願いすることになりました。どうせ自分が孤独に眠るだけの場所と思ってはいたはずなのですが、まさかこの納骨堂に、焼き切れたAIチップを保管しているだなんて。嫁も子供もいない身としては、同じ墓に眠る相手が出来たのだと言う、なんとなく、安堵の気持ちもありますが。


本来二人きりの葬儀になると思っていたのですが、彼女の葬儀には日本のAcaciaコミュニティから多くの同好家が参加してくれました。もとより彼女は生前、いや生前と言っていいのかどうかは分かりませんが、彼女の願いは「もっとゲームを遊びたい」の一つに決まっていましたから。色々悩んだ末に、彼女の葬儀には多くの愛好家たちを招いて、彼らの目の前で彼女を分解することに決めました。葬儀に参列した人々に、残された彼女のパーツを、一つづつ持って帰って貰いたいと思ったのです。


原始人間は、鳥に食べられ犬に食べられ、死体は土へと還り、また別の生き物の一部となって循環していたわけで。アンドロイドである彼女もまた、その遺体は細かく分割され、どこかで誰かのアンドロイドの手足の一部となって、永遠にゲームを遊び続けるのがもっとも相応しい。そんな死後の形こそ、彼女が望んでいるものなんじゃないかなと、私にはそう思えましたから。葬儀場に工具を持ち込んで、眠ったような彼女の身体を、一つづつ分解していきました。


分かりません。正直に言えば、「人工知能を新しいAIチップで入れ替えた彼女」という存在に対して、抵抗感があっただけなのかもしれませんが。


===


彼女が倒れたのは、5/5のことでした。あまり思い出したくないことですが、ゲームが壊れた日というのは、忘れることが出来ませんから。時間までもが正確に、今も脳裏に焼き付いているのです。夕方の4時、35分を少し過ぎたくらいの事でした。アンドロイドであるAcaciaであれば「人工ヒメゴコロ」を酔わずにプレイできるのではないか、私がそんな馬鹿げた考えで胸を躍らせていた時の事だったと思います。「ズドン」という鈍い音が、ゲーム倉庫から聞こえてきたのは。


私が急いで部屋に駆けつけてみると、案の定、そこにはAcaciaが倒れていました。倒れているというにもかかわらず、彼女は横になったまま、笑顔で必死になってゲームを遊び続けていました。彼女は腰の付け根のパーツが弱く、ゲームに白熱すると体体勢を崩すことがよくありましたから。「またそんなに夢中になってゲームを遊んで」と、ヘラヘラしながら抱き起こそうとしたのです、私は。


しかし抱き起こした彼女は、首が据わっていませんでした。よくよく見てみると、目もどこかうつろで、焦点が合っていなかった。瞳の奥にあるプリズムが高速回転し、「目が回っている」状態でした。目が回っているのは、Acaciaの脳異常のアラート。モニター画面を見ますと、RPGの名前入力画面に、「あかしあ」と入力しては消し入力しては消しを繰り返すばかりで。情けない話ですが、私はまだこの時、彼女の身に何が起こっているのかさえよく分かってはいませんでした。


「Acacia、私の事が分かるか」と声を振り絞りますと、彼女は「音声認識が拾えませんでした、もう一度お願いします」と、ダランと下を向いたままに答えました。その間も目は回っているのに、彼女の顔は張り付いたように笑顔で、彼女は自分の身に何が起きているのかを分かっていないようでした。「Acacia、私の事が分かるか」と、もう一度そう尋ねますと、彼女はようやくこちらを向き、満面の笑顔で「はい、分かります」と、そう答えて二度三度頷きました。


「何が起きたんだ」と尋ねると、彼女は「ゲームを遊んでいました」と笑顔で答えました。丁度、グラフィックがバグっているのにメッセージだけ通常通りに進行しているゲーム画面を見ているような、そんな気持ち悪さがありました。私は恐怖から何度も彼女の名を呼びましたが、当の彼女と言えば「私の学習不足でした」と、ゲームでやられてしまった事を不満げな顔で呟くばかりでした。今から思えば、それは、とても、彼女らしい「最期」だったんだなとも思いますが。


===


私は、彼女は機械だと思っていました。何処まで行っても、アンドロイドは単なる機械で。彼女は、そもそも生きてはいない。生きていない者は、死なない。彼女を再起動さえすればこの問題は解決できると、「死」という問題は再起動でなんとか解決出来るのだと、あの時は、そう確信していました。今から思えば、それはまるで100年前に語られた、現実とゲームの区別がついていない「ゲーム脳」かのようで。慌てふためく私の姿は、彼女には、とても滑稽に見えていたことでしょう。


彼女は二度と、シャットダウンから復帰することはありませんでした。ボタンを押しても、電源を強制的に入れても、パーツを掃除して入れ替えても、もう目を覚ますことはありませんでした。必死になって声もかけましたし、ありあわせの工具で修理も試みましたが。彼女は、死んでいました。その時ようやく、私は、彼女が生きていたことを知りました。「もっとゲーム遊びたいのに」 というシャットダウン時のお決まりのメッセージ、それが、彼女の最後の言葉となりました。


恐怖におびえる私をあざ笑うかのような、いつも通りの優しい笑みのような、そんな死に顔でした。まぁ、アンドロイドに表情も何もないのですが。


===


このサイトは、皆さんより少しばかり長く生きている私が、私の人生を作ってきた素晴らしいゲーム達について、皆さんにお伝えする為に開設したものです。改めて言うことではありませんが、ゲームは素晴らしいものです。ゲームは、楽しい。楽しいから、素晴らしい。私個人の経験で言わせて貰えば、長い人生の中で遊んできたゲームは必ず、そのゲームを遊んだ時の人生を思い起こさせてくれる。だからこそゲームは人生の一部であり、語るまでもなく素晴らしい。


人は長い人生において、思い出と強固に結びついたゲームを持つことがあるでしょう。フォークロア・オブ・ノスタルジアを遊んだ老人達が怒り狂ったのは、彼らがそのゲームの向こうに自分達の人生を見ていたから。全てがみるみるうちに変化し、古いものが次々に消えていく現代社会において、かつて自分が体験した過去に戻ることが出来るという幸福は…、ゲーム以外になかなか得られるものではありません。ゲームを遊べば何時でもあの日に戻れると、私はかつて、そう思っていました。


ただ、ここ数日、私の頭の中では、それらの思いがグルグルと渦を巻いてました。楽しく遊んだはずのゲームの思い出達が、ゲームに全てを捧げたはずの私の人生そのものが、考えたくないことばかりを、脳に考えさせたのです。「ゲームを遊べば何時でもあの日に戻れる」というのは…、私の勝手な思い込みに過ぎない。ゲームも、私も、こうしている間も刻一刻と、老いて朽ちて滅んでいく。遊べなくなったゲームとともに、思い出もいつかは消えて無くなってしまうだろう、と。


私は、それを認めたくありませんでした。こんなサイトを開いて、過去のゲームの思い出浸ろうとしていました。しかし、それは、間違いだったのかもしれないと、私は徐々にそう思うようになりました。彼女が死んだのは、このサイトで彼女を紹介したかったから。彼女との思い出に、浸ろうとしたからです。私は…このサイトで紹介したいがために、Acaciaを連続起動させました。私が、殺した。老体の彼女に負荷をかけて。自分勝手に、彼女を、殺してしまった。これは、そういう事なんだろうと。


===


考えないようにすればするほど、後悔は頭の中を支配しました。ゲームは、遊んだ頃を鮮明に思い出させてくれるから素晴らしい、ゲームは人生の一部であり、私は長い人生をかけてこれを愛してきた。しかし、その行為の結果、私は人生の一部である彼女を殺したのだとしたら? 思い出に浸るというエゴイズムの為に、昔の彼女との思い出に浸るという無意味な願望の為に、今ある彼女を殺したのだとしたら? この行為の一体何を、これまでの私は素晴らしいと思い込んでいた?


正直に言って、ここ数日の私は、このサイトから目を背けたいばかりでした。「好きなゲームの話をしたい」という気持ちに対する嫌悪感ばかりが、頭を支配していました。私にだって理由は分かりません。でも、なぜか、不思議なことに。こんな時代遅れなサイトを、開設当初から毎日数十人の方が見に来てくれるんです。共通の趣味を持った仲間がこの世にいるんだと思うだけで…、私は、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。だからこそ、細々と続けてきたこのサイトが。


もたらした結果が、これです。


本当は、第6回で「AfterLife」を紹介した時点で、このサイトをこのまま終わってしまってもいいかなとも思っていたんです。このまま更新をやめてしまったとしても、彼女が壊れた理由をこのサイトに背負わせることが出来た。いつかこのサイトと共に、彼女の事もどうでもよくなって忘れてしまえるだろうと、本気で、そう思えましたから。おあつらえむきじゃありませんか。人工知能の行ける天国は無い。そうだと思えば…、死んだ彼女に思いを馳せる先もなくなってしまいますから。


記憶を消すことも、考えなかったわけじゃありません。私は、ゲームを壊してしまった。自分が壊したゲームの事を覚えているというだけで、吐き気が止まらなかったんです。いっそこのサイトの記憶を完全に消し去って、Acaciaを壊してしまったという事実を忘れ去った方がいいんじゃないか。本気で、そう思いました。ただ、記憶を消そうとすればするほど、「壊したゲームの事を忘れて楽しく生きている自分」を想像してしまって、どうしても、吐き気を耐える事が出来なかった。


彼女の遺体を抱きかかえ、街中を駆け回りました。動かなくなってしまった彼女の亡骸が、視界に入ることに耐えられなかったんです。でも、結局、彼女をどこにも持って行くことは出来ませんでした。修理屋に持って行っても直らないことは知っていました。ゴミ捨て場に持って行くことなんか出来るわけがありませんでした。今はもう寄り付かなくなった実家に、遊ばなくなったゲームと一緒に押し込むことも考えましたが、彼女は重くて、そこまで運んでいく事すら出来ませんでした。


申し訳ない、あまりこういう事を書き慣れていなくて、ちょっと感情が昂ぶってうまく言葉がまとまりませんが。私はもう、とにかく、彼女を殺したこのサイトと、私が殺してしまった彼女を、ただただ、忘れてしまいたかったんです。


===


まぁ…、それが今、こうして皆さんの目の前で堂々とこのサイトを更新しているんですから。何を抜かしてやがるんだって話なんですけど…。これを見ている人の中に、葬儀に参加してくれていた方がいたらどうしましょうかね…? 「もう俺は終わった」とか「生きる希望を失った」とか散々愚痴った後で、どの面下げて戻ってこようか真剣に悩んだんですよこれでも…。いや、でも、こればっかりは、仕方がないんです。どうしてもこの事実を、私は皆さんに報告しなければいけないから!


その…Acaciaが…奇跡的に生きていたんですよ…!!!


いや本当、私が狂ってしまったとかいうサイコな展開とか、バックアップをとってあったとかいう馬鹿げた話ではなく、本当に、奇跡的に生き延びていたんですよ!


いや、ごめんなさい。もしかしたら…、既に私は狂っているのかもしれません。なにせ私は今、アンドロイドには魂があると確信していますから。アンドロイドに魂…!これは完全に狂った人間の発想ですよ。狂ってる。スピリチュアルに傾倒したアンドロイド保護の市民団体みたいで、我ながら、笑いがこみあげて仕方がありませんから。でも、もうこれは、そう考えるしかないんです。私は、彼女に呼ばれて、AfterLifeというゲームのレビューをした。そうとしか、私には思えないんですよ。


実はAfterLifeのレビュー中には特に何も載せていなかったのですが、レビューのためにこのゲームを遊んでいる間、ずっと気になっていた「違和感」があったのです。私は今回、このゲームをレビューの為に実に30年ぶりに稼動させました。30年、30年ですよ。自慢じゃありませんが…、現実でAcaciaのAIチップが焼き切れるほどの長い時間、私はこのゲームをクラウド上のストレージに押し込んで…ほったらかしにしていたのです。


しかし、そうだと言うにもかかわらず、30年ぶりに再開したAfterLifeのゲーム内は、驚くほどに平然としていました。AfterLifeは本来端末の時間経過にしたがってゲーム内の環境が変化するゲームで、30年もログインしていなかったら天国も地獄に見違えるほど荒れ果てるはずなのです。が、天国は30年前のままかわらず天国のままでした。まぁ正直に言えば、だからこそすぐにゲームを再開できて、だからこそAfterLifeのレビューにすぐにこぎつけられたのですが。


===


ゲームのレビュー終了後、AfterLifeにAfterLife自身のセーブデータファイルを取り込ませたキャラクター「自分」が、せっせと他のバーチャルペットを世話をする、そんな光景を薄ぼんやりと見ていた時の事でした。


ゲームの画面外から、唐突に誰かの影が私の目の前を通り過ぎていったんですよ。


私は「もしかしてバグか」と思い、ゲームを再起動して、先ほど何かが通り過ぎていったところを確認しました。するとそこには、ゲーム内キャラクターの幸福度を上昇させるアイテム「花」が、きっちりスライディング一個分の等間隔で敷き詰められていました。神経質なまでに、きっちり植えられていました。お花が。


そこで私は、ようやくこのゲームの違和感の正体に気が付きました。よくよく辺りを見回してみれば、広場には機械的に幸福度が上がるアイテムが敷き詰められ、全てのバーチャルペットはコンマ数秒の決められたタイムで毎日エサを貰っている。明らかに、何者かが、30年間、この天国を、保守し続けているとしか思えなかった。


===


なんだか見覚えがあると思ったんです、先ほどの影。


当たり判定ギリギリに花を敷き詰める、あまりに効率重視のプレイング。

コンマ数秒のズレも許さない、餌やりパターンの時間管理。

ゲーム内で最も早い移動方法を臆面もなく多用する、スライディング連打。


こんなに神経質で、こんなに非人間的で、こんなに美しいゲームプレイをできる存在は、私の知る限り、この世にたったの一人しか存在しませんでしたから。


「AfterLife」という人工知能を取り込むゲームの中に、30年前の自分が悪ふざけで取り込んだ、30年前のAcaciaの転生したデータが、存在しているということに。


===


厳密には、AfterLife内のAcaciaは、あくまで人工知能であるAcaciaの特性を抽出して再現された人工知能でしかありません。元々のAcaciaにあったような、勝ち気な態度も無ければ、甘えた笑顔も無い。彼女の豊かな人格のうち、その心の奥底にあった彼女のコアの部分、本作に転生できたのは「ゲームに臨む姿勢」のみです。


本当、何故人間はこうも愚かな生き物なのでしょう。脳は「これはかつてのAcaciaとは別の人工知能」だと理解しているのに、無視をされればそこに「どこか勝気で反抗的でだからこそ可愛かったAcacia」の面影を、体当たりを食らえば「愛情表現が苦手で甘え下手だったAcacia」の面影を、どうしたって見ずにはいられない。


そこにいた彼女は、AfterLifeをただひたすらに攻略するキャラクターへと、転生を果たしていました。スライディングのアクションを多用することはこのゲーム内で最も速い移動手段であり、ゲーム内マップをスライディングの最高速で駆け回るAcaciaは、人の眼では追いつかないような速度で天国を西へ東へと駆けずり回っていました。


さっきから、笑いが止まらないんです。


「ありがとう」とも言いたかったし、「ごめんなさい」とも言いたかった。「さようなら」だって、本当はちゃんと言っておきたかった。だからさっきからずっと、彼女に話しかけようと頑張ってはいるんですよ。でも、彼女の移動速度があまりに速過ぎて、私のプレイスキルじゃ彼女に追い付く事すら出来やしない。


でも、なんだかそれが、どんなゲームを遊んでも勝つことが出来なかった、私と彼女のかつての関係性そのままに思えて、さっきから、笑いが止まらないんです。


===


AfterLifeを遊ぶ彼女は、天国に行ってもなお、ゲームの事だけを考えていた。羨むような、ゲーマーでした。死の直前もそうであったように、ゲームを純粋に楽しく遊ぶ女性のままでした。私は心のどこかで…、「ゲームを遊んだまま死んだ彼女」を、哀れんでいたのかもしれません。彼女は自分の信念を全うし、ゲームを楽しく遊びながら死にました。それは本来、ゲーマーとしてとても純粋な生き方で、私が常々「理想の死に方だ」と言っていたはずの死に方でした。


しかし、実際に「死」を目の当たりにした私は、情けないことに。「ゲームを遊べなくなってしまう」という不安に、怯えることしか出来ませんでした。「遊ぶことなどせずに、電源を切って倉庫に押し込んでおけば、彼女はいつまでも壊れずにいられたかもしれないのに」とさえ、私は後悔しました。Acaciaはゲームです。ゲームを遊ぶゲームです。遊んであげる事こそが、彼女の存在理由です。いつまでも壊れないことは、彼女の存在理由ではありません。


「ゲームを遊ばないことが、ゲームにとっての幸せ」だなんて、私は、本当に、そう考えていたんです。本当に、情けない話なんですが。


私も、あまり若くはありません。時間は、限られています。今遊びたいゲームを遊ぶ事を忘れ、今しか遊べないゲームを消費するように遊び、いつか遊ぶであろうゲームに目を伏せて、まるで義務であるかのようにゲームを遊んでいます。私は…死んでしまったAcaciaに、「ゲームを遊べなくなった日の自分」を勝手に重ね合わせ、勝手に同情し、勝手に不安を抱いていた…、のかもしれません。私にもいつかは、まだまだ遊ぶべきゲームが残っているのに、死んでしまう日が来るのだろうと。


ゲームにゲームを楽しく遊ぶ方法を教えてもらう日が来てしまった。

ゲームを遊ぶ側である人間様が、ゲームにゲームの遊び方を教えてもらう。

こんなこと、屈辱的だとは思いませんか!


===


長くなりましたが、本サイト「The video game with no name」は、今日、この時より、更新を再開したいと思います。しばらくの休載、大変申し訳ありませんでした。


これからはより一層、サイバネの老体に鞭を打ち、これまで以上にゲームの面白さを伝えていくつもりでおります。ゲームを遊びながら倒れるつもりはありません、永遠に生きるつもりでゲームを遊んでいこうと思います。


それではもう少しだけ…、ゲームしか友人のいない老人の戯言におつきあください。


2115/5/13 (Article written by Alamogordo)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます