【第11回】福井県鯖江市
タイトル:福井県鯖江市
運営開始日:2052/09/17
運営元:鯖江市役所
世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第十一回目となる今回は、2052年運用開始、死んだ者の目にしか見えない町「福井県鯖江市」の紹介です。
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時に皆さん…「幽霊」ってのは、信じますか。
いやいや、死んだ者の遺した思いってのは、そう馬鹿にしたもんじゃありませんよ。いくら科学が我が物顔で世を歩いていると言ったって、所詮奴らは「見えているもの」を「見えている通り」に解釈しているだけの連中ではありませんか。
生きている者にしか見えないものもあれば、死んでしまった者にしか見えないものもある。百年前の世の中じゃ、「いつかは科学で死後の世界が解明される」なんて馬鹿げた話が真面目に議論されていた。これから死んでいく私達の常識が、これから生まれる世代の非常識にならないとは…、私達には予想出来ないんですからねぇ…。
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夏も深まるこの季節ですから、今日は一つ、怪談話を皆さんに披露しましょう。
皆さん、福井県鯖江市って場所をご存知ですか。福井県の東部にある人口十万人くらいの町で、レッサーパンダと近松門左衛門が地元の名物っていう、まぁ古き良き日本の町の一つなんですが。かつてはメガネの生産、2050年代くらいからはスマートレンズの生産でも有名ですか。まぁ、あれこれ言っても仕方がないので、公式サイトでもご覧になっていただくとよいでしょう。
いえ、この町が何って言うわけじゃないんですがね…。知っている人も多いんじゃないかな…。どうです、丁度2080年代くらいからですか。この鯖江という町で、「心霊現象」騒ぎがよくよく起こるようになったんですよ。町の小学生に言わせれば、夜に路上から手が生えているのを見たとか、市民文化会館の壁から異音が聞こえたとか。ちょっと酷いものまで含めれば、神社の境内に火の玉が降ってくるのを見たなんて話まで。市街全域、恐ろしい話はとどまることを知らない!
噂が世に出回ってからというもの、日本中から怪しげな連中が町に流入してきましてね…。2090年代くらいからは、「見えてはいけないものが見える町」としてアングラなサイトで情報がやり取りされるようになった。噂は噂を呼び、今じゃ「目が赤く光る老人の幽霊が、深夜にめがねミュージアムの場所を聞いてくる」なんて馬鹿げた話まで囁かれる。名実共に、日本きっての心霊スポットの呼ばれる始末です。
いやね、私はそんな、よくある心霊話をしようっていうんじゃないんです。世にある鯖江の心霊話はどれもこれも、今紹介した程度で薄っぺらい内容で話が終わってしまっているでしょう? ここ数十年大きな事件は一つもない鯖江みたいな平和な町で、なんでそんな地縛霊やら目の光る老人やらが出現するのか、理屈の通った心霊話はついぞ聞いたことがない。
しかしながらね…、実は私…、知ってるんですよ。この土地の「因縁」ってやつを。
鯖江って町は、実は知る人ぞ知る「いわくつき」の町でしてね…。2053年くらいのことでしたか、この町を発端に大きな争いが勃発したんです。その争いの果てに、かかわった者たちが何人も行方知れずになってしまった。今じゃ墓標に手を合わせる人間すらいませんが…それは確かにあった。私はね、こう思うんです。今鯖江で起きてる心霊現象ってのは、おそらく争いで死んだ者たちの霊が、「俺たちのことを忘れるな」って、そう訴えかけてるんじゃないかってね…。
ちょっと皆さん、浮かばれない霊に、まず手を合わせてやってくれはしませんか。その争いってのは…「シェア争い」って名前でしてね。
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「シェア争い」ってのは、それはそれは恐ろしい争いでしてね…。ことゲームの歴史においては、数々の犠牲者を生み出してきた、悪い物の怪の類なんですよ。
我々が最も身近に感じているもので言えば…、オンライン上で続く「脳の浪費」ことBMI戦争をご存知ですか。いや、知らないとは言わせませんよ。このwwwのあらゆる場所で行われてきた、BMI機器の信者達による血なまぐさい煽りあいを。自身の愛するマシンの帰属意識故に、若者達が少ない脳を浪費した。オタクとオタクが貧しい知識を競い合う、あまりにも醜い争いの数々を。
今じゃ「若者達の過ち」とされている信者達による煽りあいですが、争いってのはなにも現代特有の病じゃありません。もうお迎えも近い皆さんには親しみのある話でしょうが、BMIが普及をはじめる前の世の中じゃ、人はスマートレンズという目に装着するレンズタイプの情報端末を利用していました。そしてそんな昔の世の中でも…、やはり人々は、お互いの目の色を罵り合っていたのです。
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ダラダラと前髪を伸ばしたオタク達が、互いの装着する端末のスペックを罵りあう、この世のものとは思えない醜さ…。 なにせスマートレンズはファッションアイテムとしての要素もある情報端末でしょう、オタクとオタクが互いのファッションセンスを煽りあう、その無様さときたら…。いや、やめておきましょう。争いの悲惨さなんざ、霊が語り継ぐものであって、生きた人間が語るようなもんじゃありません。
BMIの前は、互いのレンズで争い。ウェアラブルの前は、互いのタブレットで争い。ゲーマーの歴史ってのは空虚なもんじゃありませんか。今から123年前、メガドライブ「バトルマニア」にて、主人公が当時メガドライブとシェア争いをしていた任天堂のスーパーファミコンを踏みつけるという演出が搭載され、物議を生んだ事がありました。当時は冗談だったのでしょうが、今の我々には感慨深さが違います。これぞまさに、人類が百年進化をしていないという歴史的証明とは思いませんか。
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侵襲式BMIが社会に普及したと言われているのは、一般的には2080年代から。ただし、この不毛な争いがはじまったのは、30年前なんてつい最近の出来事じゃありませんよ。BMIの前時代、スマートレンズが世に普及し始めた2050年頃から開戦しています。既に煽りあっている連中ですら何のための争いなのか分からなくなっているでしょうがね…、実は拡張現実の世界的な「共通規格」を目指すシェア争い、そこから生じたスマートレンズ各社の信者同士の小競り合いが、その発端なんです。
当時スマートレンズのブランドで煽りあってた信者達なんか、今となってはどいつもこいつも死んだか死ぬ手前の年齢なはずだってのに、よもや60年後まで祟りが続くとは。そう考えれば、BMI機器の好き嫌いで煽りあっている奴らは…、60年前の怨霊に憑かれた、哀れな依代にすぎないのかもしれませんねえ…。
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…ところで皆さん、「Vidro」ってご存知ですか。見た事がない?「確定申告しながら、パズリオスが遊べちゃうなんて~!」というCMをあれだけ放送していたのに? では「ヴィードロくん第一体操!目を大きく見開いて装着の運動~!」はいかがです? これも見た事がない?
あっ…いやね…ごめんなさい…。なんだか私、ちょっと寒気がしましてね…。もしや皆さん、あれが見えてなかったって事は…ないですよね…? そんな、やめてくださいよ、幽霊なんて存在しないんですから…!
ホラ!振り返ってみてください!そこにちゃんといたでしょう…!かつて日本が目指した「日本発のAR世界共通規格」…。シェア争いに完膚なきまでに負けて死んでしまった、Vidroという名の「第四のAR世界共通規格」のスマートレンズが…!!
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AR(拡張現実)とは、物にチップを埋め込んでおき、コンピューターを通してそれらの物を見た時に、情報や画像といったあらゆる種類のデータを「目に見える形で」表示してくれる、という技術の総称を言います。簡単に言えば…、現実に存在しないものを見えるようにしてしまう、そんな仕組みのことを言うわけです。今じゃ当たり前の光景すぎて、わざわざ拡張現実という言葉を使ったりしないでしょうが。
オシャレなレストランに行けば、細かく書かれた添加物詳細が勝手に表示されるでしょう? 下品な飲み屋に行けば、「ポッキリ!」という卑猥な広告が表示されるでしょう? 何もない場所にコンピューターを通して現実に存在しない情報を表示している、あれぞ拡張現実の最たるもの。あれは何も、死んだ人間の残留思念って訳じゃありません。いや…、あれこそまさに、技術者達の残留思念なのかもしれませんが。
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思えばVidroという規格は、生まれた時からそれはそれは不幸な子でしてねぇ…。
開発のベースとなったのは、国立研究開発法人「脳科学情報技術産業機構」。最初期の段階から官主導での次世代の情報端末産業育成を目指してきた、つまるところ「国家プロジェクト」の産物でした。国家プロジェクトと言えば聞こえは良いですが、ようは雀の涙ほどの養育費を勝手に使われてしまう哀れな乳飲み子。その開発は常に予算の奪い合いに左右され、この子の成長は遅れに遅れていきました…。
後のスマートレンズ三大ブランドであるApollo・Galileo・千里眼がいずれも2050年のリリースですから、2052年リリースのVidroはもはや周回遅れと言うしかない生まれでしょう。開発段階では「いつになったら販売出来るのか」と罵られ続けてきたはずなのに、いざ販売が可能になったら「何故今頃販売するのか」と罵られはじめたというのですから…、これを不幸な生い立ちと呼ばずに何と呼ぶのか。
Vidroの初動に危機感を抱いた政府は「一億国民Vidroキャンペーン」として一大キャンペーンを始めたりもしたのですが…。本当、現実とは怖いもので。好かれようと努力すれば努力するほど、人はこの子から離れていった。えぇ、それも明確な理由もないんです。目に見えないものは誰も信じないはずなのに。「お役所臭い」から遊べないって、目には見えない理由でみーんなVidroを避けていったんですよ…!
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まずはVidroをアピールする為に作られた、眼球が直接スマートレンズを装着しているマスコット「ヴィードロ」くん。地方の駅前で「ヴィードロくん第一体操!目を大きく見開いてVidro装着の運動~!つける!二度と!外さない!つける!二度と!外さない!」と朝から声をあげ、サラリーマンに見て見ぬふりフリをされました…。
もちろんゲーム機として機能もあるスマートレンズですから、お役所系の広報としては異例のゲーム系CMもあったんですよ…?「確定申告しながら、パズリオスが出来ちゃうなんて~!?」ってフレーズ、本当にご存じありませんか? まぁ、皆さんが知らないのムリはないかもしれません。ゲーマー達は誰一人として、確定申告をしながらパズリオスを遊ぶ縛りプレイをしようともしませんでしたからねぇ…。
2053年3月22日には、高級官僚がVidroを装着した姿で揃って会見に臨み、お通夜みたいな雰囲気の「Vidro安全宣言」も行ったんですよ…?
いやあねぇ…、怖い話でしょう…。スマートレンズは目に入れるレンズですから、瞳の色が薄っすらレンズの色に染まるという特性があるのですがね…? Apolloは青、Galileoは緑、千里眼は紫が、それぞれのユーザーが持つイメージカラー。そこへ行くとなんです、会見の際に官僚の皆さんが目を真っ赤に光らせて起死回生を訴えたVidroの場合だと…、「目が血に濡れているのがVidroユーザー」というのが、ファンのパブリックイメージとなったって言うんですから…。
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ユーザーにとって不幸だったのは、Vidroが拡張現実の共通規格だった、という事に尽きるでしょう。拡張現実のシェア争いに負けるということはすなわち、世の中の人達に見えているものが自分には見えなくなっていく、という事に他なりません。事実シェア占有率の低いVidroは、世に増え続ける拡張現実コンテンツからあっという間に対応を切られていきました。ネットで語り継がれる怪談話の中のVidroユーザーと言えば…、全員が残酷な末路で死に絶えているのがお決まりですから。
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昔々ねぇ、30歳くらいかな、都内にVidroの熱心なユーザーがいたんですよ。ある日彼が町に繰り出すと、そこでは若い女性たちが真っ白な壁を見ながらキャーキャー騒いでいた。本来ならそこでは有名バンドのゲリラライブが行われているはずなんですがねぇ、Vidroユーザーの彼にはそこにあるはずの拡張現実が見えていない、狂った人たちが壁の染みに熱狂しているようにしか見えやしない!
異様な光景に嫌な汗が出てきた彼は、近くにあったレストランに逃げ込んだ。ただねぇ、ここも何やら様子がおかしい。周りの客には次々に料理が運ばれてくるのに、自分のところには水の一杯も配られて来ない。本来ならテーブルにメニュー一覧が表示されているはずなのに、Vidroユーザーの彼にはそこにあるはずの拡張現実が見えていない、自分が無視をされているようにしか思えやしない…。
みんな狂ってしまったのか。この町で正気を保っているのは、もう自分だけなんじゃないのか。怖くなった彼はおそるおそるウェイターに声をかけましてねぇ。「水を一杯貰えますか」と、こう尋ねたわけです。するとウェイターは、そんな彼の恐怖に歪んだ表情を見て、にっこりと笑顔を浮かべて。一言、こう言うのです。
「ああ、ごめんなさい、お客様はVidroユーザーなんですね?」
その一言で、彼は思い出しちゃったんですよ。この町が狂っていたのではなく、自分がVidroユーザーであったことを。死んでしまったVidroの目では、生きた世界が見れないということを…! 何も見えていなかったのは、死んだ自分のせいだった…!
めでたくもなければおしまいにもならないのが、この物語のオチなんですが。
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この物語が本当に恐ろしいのは…、むしろそんな恐ろしい体験をしたVidroユーザーは、ほとんどいなかったって事の方でしょう。
ユーザーの大半はあっという間にVidroに見切りをつけ、コアなユーザーを残して他社のスマートレンズに乗り換えていきましたし。建築物に埋め込まれてしまったチップは、ユーザーと違ってそうそう簡単に置き換えることはできませんでしたが…。そうであるはずのチップも実際には、世間からすぐに消えていきました。なんでしょうね…、種を明かせば不思議でも何でもないんですよ。そもそもVidroにちゃんと対応した場所なんて、都内ですら数十か所くらいしかなかったわけですから…。
技術が進歩したこの2115年の世の中では、死後の世界なんて言うのはオカルトに過ぎないのかもしれません。だってそうでしょう、死んだら、終わり。死んでしまったVidroの目に映るものは、ほとんど何も残らなかったのですから。
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時に皆さん…改めてお伺いしますが、「幽霊」ってのは、信じますか。
死んだ者の目にしか見えない存在ってのは、存在すると思われますか。過去の人間たちの思いが成仏しないまま現世に残り続け、誰の目にも見えないのにそこに存在し続けるなんて、そんな切ない話が。
もし仮に、もし仮に。過去に整備した古いAR規格のインフラが今も生き残っていて、死んでしまったAR規格を通してでしか見れない過去のゲームが、誰にも見れないのにずっとそこに存在し続けている。そんな場所があったら、そこは私たちの知る死後の世界と、何が違うって言うんでしょう?
私の目にはねぇ…、見えるんですよ…!この街の至るところで、「忘れないでくれ…」と嘆く、ゲーム達の悲しい姿が…!
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ようこそ、福井県鯖江市へ。スマートレンズ産業の一大集積地にして、Vidro開発のお膝元。「鯖江AR都市化構想」をぶちあげ、行政が主導して巨額の投資で市街全域にVidroインフラを整えた。後には引けなくなってしまった世界唯一の町へ。
死んでしまった拡張現実規格Vidroで遊ぶことのできる、現状唯一の「ゲーム」。いや、「町」。いや、「ゲーム」。それが…、福井県鯖江市です。
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鯖江市が「鯖江AR都市化構想」を掲げたのは、2048年のことでした。かつてはメガネの生産で日本有数の実績を誇っていた鯖江市は、早い段階からAR関連企業の誘致に取り組んでいた地方自治体。行政の主導による補助金制度や土地の安さを武器に、2040年代には日本最大のスマートレンズ開発拠点としての地位を確立していました。想像がつくでしょう。「日本発のAR世界共通規格」が、当時の鯖江にどれほど魅力的に映ったことか…!
Vidroの開発が難航している時期から、市長自ら鯖江のAR都市構想を掲げましてね。鯖江の全土を、地元愛にあふれるブランドVidroのAR規格で埋め尽くそうって計画されたわけです。これまでの鯖江の歴史と、これからの鯖江の技術。二つが交差するARを生かしたゲーム。そんな夢のあるゲームで市街地全域を覆いつくし、鯖江という土地そのものを拡張現実で遊べるテーマーパークにしようと。言ってみれば、鯖江そのものを「お役所考案のゲームのミニゲーム集」にしたってわけです。
2052年の鯖江AR都市宣言は、それはそれは華々しいものでしてねぇ…。市民全員に紙の回覧板で、「あなたの住む鯖江がゲームに!」なんて話が回覧されて。除幕式には日本中から政府役人や経団連のお偉方が集まり、鯖江で一番高いめがねミュージアムのビルの前で、立派な眼鏡型の舞台が設営されまして。目が真っ赤に光る市長があらわれたかと思えば、どよめく報道陣を前に、目をぐわっと見開いて、「今、鯖江の歴史が変わります!」と、こう…高らかに宣言したんですよ。
その瞬間でしたねぇ…、鯖江というゲームの電源がはいったのは…。
それまでただの建築物でしかなかっためがねミュージアムの壁一面に、突如として「メガリス」という文字がデカデカと表示されたかと思えば、それを見ていた全員の手元にバーチャルパッドが表示された!未来はあの時はじまったのだと、あの場にいた誰もがそう思ったはずでしょう。そこには何もなかったはずなのに、拡張現実がそこにゲームを生み出した…! 見えないはずのものが、見えるようになった!
そして「メガリス」を遊び終えたとき、みんなふっと正気を取り戻したような顔をしましてね…。魂の抜けたような声で、口々に、こう呟いたんですよ…。
「あ、これ、メガネが描かれたブロックでテトリス遊ぶゲームだな」ってね…!
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Vidroが忘れ去られた今、鯖江の各地に残されていたVidro規格のゲーム達は、言わば拡張現実の幽霊ともいえる存在でしてね。そこにちゃんと存在しているはずなのに、現在生きているAR共通規格では正しく見ることが出来ない。これが不思議なもんでしてねぇ、実はVidro規格で作られたAR情報ってのは、現在のAR共通規格で完全に見ることが出来ないってわけじゃあないんです。
今私たちが使っているAR共通規格には、過去の規格に対するちょっとした互換性があるでしょう? と言っても、Vidroみたいな早い段階で消えてしまった規格に対しては、気休め程度の互換性でしかないもので。表示座標がずれたり、はたまたぼんやりとしか見えなかったり、ノイズとなって見えてしまうんですよ。
私はねぇ、こう思うんです。幽霊ってのはねぇ、何もそう怖いもんじゃあない。ただ、未練があるだけなんだって。鯖江にあるゲーム達も、「俺をもっと遊んでほしい…」って未練を、生きている私たちに訴えてきているんじゃないかって。でもねぇ、生きている私たちの大半は、死んだ者の考えていることなんか分かりゃしないでしょう…? 見えないものを勝手に恐れて。そんなものは存在しないと決めつけて!
音声のノイズ、映像のノイズ、むしろちゃんとゲームとして表示されているものでさえ。今じゃ鯖江に残ったゲーム達のほとんどは、Vidroを知らない人間たちから「心霊現象」として扱われてるっていうんですから…。
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昔々、めがねミュージアムがあったって場所にねぇ…。今は市民文化会館という巨大な市民ホールが建ってるんです。夜中、この近くを通りますとね、どこからともなくすすり泣く声が聞こえるっていうんです。あたりを見回したって、そこには誰もいやしない。だいたい人の声なんて、そんな大きなもんじゃないでしょう? それだってのに…、歩いても歩いても、耳から泣く声が離れることがない…。
怖いな、怖いな。そう思ってね、市民文化会館の方に向かうでしょう。するとね、丁度午前0時くらいですか。市民文化会館の裏側の壁、だいたい10階くらいまでの高さかなぁ。そこからねぇ…、光が漏れ出すっていうんです。まるで扉が開くみたいに。ビルの壁に、不自然な真四角の光があらわれて、徐々に周囲を飲み込んでいく…!あれを見ちゃった人はねぇ…、「きっとあの世に繋がる扉だ」って、みんな言うんですよ…。すすり泣く声は、あの世から聞こえてきてるんだってねぇ…。
でもねぇ…、実はそんな話じゃないんです。そこにはねぇ、ゲームの幽霊がいるってだけなんですよ…。かつてメガリスが表示されていたはずの座標は、今はちょうど市民文化会館の壁の中。かべのなかにいるメガリスは、かつてと同じようにデモプレイの音楽を流し続けているだけなのに、現在我々の使用しているAR共通規格では単なるノイズが入ったようにしか聞こえない。壁の中からはみ出して、オープニングムービーをピカピカ光らしているのに、誰も気づいてはくれない…!
生きている人間は誰も、幽霊の訴えかけなんて聞いちゃいない。ただただ、見えないものを恐れているだけだっていうんです。
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こんな話もありますよ…? 鯖江駅の近くにねぇ、松阜神社って神社があるんです。ここは縁結びの神様が祀られていましてね…、霊的な力があるって言って、昔っからよくよくカップルが集まるデートスポットなんです。それがねぇ…、噂を聞き付けてやってきた県外のカップルが、罰当たりにも夜の境内に忍び込んで、二人の愛を確かめていたらしいんです。…らしいってのは、実際何があったのかは、当人達にもわからないから。
何ってねぇ、二人とも夜の神社で失神しちゃって、朝になって警察に見つかった。幸いにも命に別状はなかったらしいんですけどねぇ…? 二人ともガタガタ震えちゃって。警察が事情を聞いたところによれば、見ちゃったらしいんですよ。夜の神社に、火の玉が降り注いできたのを…。火の玉は逃げても逃げても追いかけてきて、顔に衝突する…!って寸前に、二人とも気を失っちゃった。残念ながらねぇ、みんなこう言うんです。ああ、彼らは、怨霊に憑りつかれちゃったんだろうなぁ…ってねぇ。
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でもねぇ、残念ながら、怨霊なんかじゃあないんです。実はねぇ、かつてこの場所は、それはそれは評判の悪いゲームが遊べる曰くつきの場所だったんですよ。そのゲームの名前は「顔面ブロック崩し」って言いましてねぇ…。どうせ「どんな人にも一瞬でルールが分かるようなゲームを作れ」とか言って、お役所が無茶な注文でこんなもん作ったんだろうって、遊んだ人間はみーんな噂していたゲームだった。
ルールは簡単ですよ、顔面がブロック崩しのバーで、上空はるか彼方に見える壁が崩すべきブロック。つまりは立体的になったブロック崩し。顔面に向かってボールが落ちてくるので、右へ左へ走ってそれを顔で受け止め、上のブロックに跳ね返すってわけです。これがまぁ、とびきり評判が良く無くてねぇ…。つまりはなんです、上を向いた状態でシャトルランをするってゲームでしょう? その上顔面にははるか上空からボールが落ちてくる…。遊ぶには…、少しばかり勇気がいるんです。
試しに遊んでへたりこんじゃった経団連のお偉方は、それはそれはお怒りになったみたいでしてねぇ…。なにせ上を向いたまま遊ばなくてはいけないゲームで、足場の不安定な地面でシャトルランやらせるゲームですから。怪我の種には事欠かないゲームでしたからねぇ…。このゲームにかかわった開発者、みーんなひっそりと行方知れずになっちゃった。いなくなっちゃったんです。誰も。浮かばれない開発者の霊魂だけが、今も神社に降り注いでいるみたいですがねぇ…。
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鯖江の心霊話で一番有名なものって言ったら、やっぱり弁天橋は外せませんねぇ…。これはねぇ、とびきり恐ろしい怪談話ですよ…。鯖江の心霊現象騒ぎの最初も最初、2080年くらいに起きたことなんです。鯖江には浅水川って川がありまして、そこに弁天橋って橋がかかってるんです。丁度そのころ、区画整理のために、この辺りは再開発が行われていましてね…。いやなんだ、史跡も密集してる場所なんですがね、市民の都合で…地面を掘り返しちゃったんですよ。
ただねぇ…、世の中祟りってのはあるんですねぇ。地面を掘り返していた頃くらいからですか。夜にこのあたりを歩くとねぇ…、良くないものが見えるようになっちゃった。それもねぇ、地面から生えてるって言うんです、生気の感じられない、刃物を持った人の手が。その手を一度見ちゃったらねぇ…、もう逃れられない。見た人の手の動きを真似するように、その手は動く。逃げても逃げても、ツツーとついてくる。
噂に聞いた話じゃ、これがまた曰くつきでしてねぇ…。手の近くを目を凝らしてよーく探してみると、必ず薄ぼんやりとした着物姿の女性の幽霊が浮かんでいるそうなんですよ…。刃物を持った手の幽霊、着物姿の女性の幽霊。二つを黙って見ていると、二つは徐々に近づいていく…!そして最後は…グサッ!と刃物が女性に突き立てられる。女性の幽霊は、うなだれたように地面の中に消え、刃物を持った手も、ふっと消えてしまう…。だーっと、汗が流れて、金縛りからは解放される。
これをねぇ、人は祟りと呼んだんです。昔々、悲恋の末に心中を遂げた二人の思いが、何度も何度も忘れることなく繰り返されている。二人の死体は弁天橋の側に埋められていたって言うのに、再開発で二人の墓は掘り起こされてしまった…。これは、「この世に未練のある者達」の浮かばれない幽霊なんだってねぇ…。
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これはねぇ、まさしく祟りなんです。愛する二人も確かに死んだ。でもねぇ、「この世に未練のある者達」の浮かばれない幽霊なんてもんじゃない。もっと悲しい、「この世に未練のあるゲーム」の浮かばれない幽霊なんですよ…!
かつて弁天橋の近くには、近松門左衛門記念館という博物館がありましてねぇ。郷土の有名人「近松門左衛門」を称えて、2048年にオープンにされたんです。近松門左衛門と言えば、江戸時代きっての人形浄瑠璃の脚本家。なんとかVidroブームに合わせて近松門左衛門の拡張現実のゲームを作れないかって言うんで、記念館の人たちは浄瑠璃用の人形にARチップを組み込みましてね、「人形浄瑠璃シミュレーター」ってのをこさえたんです。
人形浄瑠璃の名作「曾根崎心中」…。それを演じていた人形の操作を、拡張現実の中で体験出来るっていうゲームでしてねぇ。記念館には文楽を模したゲーム会場が作られ、実際の曾根崎心中の一部を演じられるゲームが遊べるようになっていた。こちらが手を動かせば、人形も同じように動く。それを浄瑠璃に見立てて、台本通りに正しく人形を動かすゲーム。どうです? なかなか面白そうなゲームでしょう…? いやしかし、このゲームがまた、評判がよくありませんでしてねぇ…。
ほら、曾根崎心中って言ったら、徳兵衛が愛するお初を最後の最後に殺してしまう物語じゃありませんか…? 人形の徳兵衛を上手く操作して、お初をきっちり刺し殺せると、目の前に「パーフェクトじゃ!」の文字がデカデカと浮かぶ。この手のゲームに、良識のある人々が噛みつかないわけがないでしょう…? 人形浄瑠璃シミュレーターは結局、かなり早い段階で記念館から撤去されちゃいましてねぇ…。
ただねぇ…。2080年、みんなが全てを忘れてしまった頃ですか、記念館の改築がありましてねぇ…。記念館の外壁が、ガラス張りに建て直されちゃったんですよ。それからでしたねぇ…、人形浄瑠璃シミュレーターのAR映像の一部が、勝手に記念館近くの弁天橋付近にまで漏れだしてしまった、よりにもよって刺殺シーンが漏れだしてしまったという事件が起きたのは…。
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人はなぜ、これだけ技術が進歩してもなお、幽霊なんてものが存在すると信じているんでしょうか。まぁ、理由は分かりませんがね。私は時々、人類の歴史に思いを馳せる事があるんです。人は「幽霊が存在する」と信じたいんじゃなくて、ただ「知らないものを知りたくない」だけなんじゃないかって話をねぇ…。
今じゃ人間の脳みそをコピーして人工脳に移し替える事も可能な世の中、止まった息の根もサイバネティクスで蘇ってしまうご時世でしょう? こんな世の中じゃあ、いつからいつまで自分は死んでいて、いつからいつまで自分は生きていたのか、まったく境なんか分かったもんじゃあない。
百年前の人たちは、「いつかは科学で死後の世界が明らかになる」と期待したそうですが、いやぁ、実に馬鹿げた話です。技術が進歩して分かったことと言えば、生死に明確な区別がつけられなくなる事ばかり。目の前の出来事が現実なのか虚構なのも区別のつかない世の中じゃ、他人が生きているのか死んでいるのかなんて、「自分がどう信じているのか」という違いにすぎません。
Vidroという規格は、生まれた直後から「死んでいる」と決めつけられた規格でした。生まれてすぐに人は離れていき、あっという間に忘れ去られ、今じゃあ存在自体が幽霊扱い。かろうじて生き残っているユーザーたちは鯖江市の心霊現象情報サイトに入りびたり、現世に生き残ったゲームの情報を収集しているという始末です。
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ゲームとは、いつ生きていて、いつ死ぬのでしょう。それは…、人の生き死にほど難しい話じゃあありません。遊んでくれる人間がいる間だけ、ですよ。人間が楽しく遊んでいる間だけしか、ゲームは生きていることが出来ないんですから。
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信じない人は信じないかもしれませんねぇ…。かつて「生まれた直後に死んだ」とされたVidroのゲームは、今も鯖江という町で確かに生き残っているんです。皆さんの目から見れば幽霊にしか見えないかもしれませんが…、私たちの赤い瞳から見れば、ゲーム達は今もしっかりと生きている。遊んでいる人間がいる間は、ゲームは死にはしないのですから。
試しにどうでしょう皆さん、SNSで福井県鯖江市の心霊現象を検索してみてください。今もなお一か月に一回程度のペースで、恐怖の体験が報告されているでしょう? 「赤い目を光らせた老人が、鯖江市役所を見ながら泣いていた」とかなんとか。そりゃあ間違いなく、あの日あの時Vidroを見捨てなかった、コアなVidroユーザーの現在の姿。かつてVidroに心酔し、Vidroは死んでなどいないと一生をかけて信じ続けたプレイヤー、今もなお鯖江でゲームを遊び続けている人間たちの今の姿です。
痛快な話じゃありませんか…? 世の人々は皆、かつてVidroは死者の目だと言いました。死んでしまったVidroの目には、生きた現代社会は映らないと。しかし生きている者の目には逆に、死んでしまった過去は見ることはできません。シェア争いに勝利した最新のAR規格では、いかにこの町で目を凝らしたとしても、2115年の鯖江しか見ることはできないでしょう。あの日、あの時、自分達が青春を過ごした2050年代鯖江の姿は、もう二度と見ることは出来ない。
コアなVidroユーザーの皆さんが鯖江市役所を見ながら泣いているのは…。なにも心霊現象ってわけじゃあないんです。彼らがそこに60年前の鯖江の姿を見つけて、今再び青春時代を楽しんでいるから。ただ、それだけの話ですよ。
===
しかしねぇ…、一つ、私にはどうしても引っかかることがあるんです。考えてもみてくださいよ…? Vidro規格のスマートレンズなんて、もう今じゃ手に入らないはずの代物でしょう…? 現役ユーザーの大半は、かつて予約までしてVidro規格のスマートレンズを購入した層、そのものだとしか思えない。とするなら、あれから既に60年。みんな若くても80歳から100歳のはずじゃあありませんか!
そうだと言うにも関わらず、心霊現象の中で語られる「目が赤く光る老人たち」の姿は…、町中をめがねミュージアムの場所を聞いて回っているだの、草木も眠る丑三つ時に鯖江市役所を見て泣いていただの、いやに元気な姿ばかりしかない。ゲームを遊ぶと健康になれるのか、はたまた執念がそうさせるのか…。どうにも、コアユーザーの皆さんはこの世に並々ならぬ執着があるように思える。
いやまさか…、まさかとは思うんですがね…。みんな、自分が死んでしまったことに気が付かずに、幽霊になって今もずっと鯖江でゲームを遊んでるって事は…。
いや…、やめておきましょうか。死んで幽霊になってもゲームを遊んでいる人達の話ってんじゃ、こりゃ怪談話というより自慢話になってしまいますからねぇ…。
2115/6/18 (Article written by Alamogordo)
了
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