【第12回】そしてまた去り行くあなたへ
タイトル:そしてまた去り行くあなたへ
発売日:2081/05/01
発売元:Observer
世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第十二回目となる今回は、2081年発売、時代遅れとなったテキストアドベンチャー「そしてまた去り行くあなたへ」の紹介です。
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何十年かぶりに、紙の手紙を受け取りました。今の子供の大半は、生まれた時から脳同士で情報をやりとりしていて、もう文字で書かれたメールすら見た事がないらしいじゃありませんか。文字じゃあ真意が正しく伝わらないこのご時世に、まさか直筆で紙の上にメッセージとは。いや、たまには良いものです。あまりの「時代遅れ」な方法に、むしろ手間をかけてまで何かを伝えたいという強い思いを感じたのですから、まだまだ文字も捨てたものではありません。
ざらついた紙の手触り、封筒をハサミで切って開ける手ごたえ、真新しいインクの香り。まるでタイムトラベルをしているような気持ちで手紙を開くとそこには…「早急に精密検査を受けてください」と、医者からの思いのこもったメッセージがデカデカと記されていて。そのあまりの思いの強烈さに、悲鳴をあげました。
文章の力は甘く見たものではありません。脳に直接送信されてくるメッセージなら容易に無視できるのに、一文字一文字執念のこもった文章は、どうしたって書いた人間の執念を感じ取らせてしまう。何度も何度も医者のメッセージを無視してきた身なんです。その文章から「ただならぬ怒り」が漂っている事は…、言われなくても分かりました。
やはりゲームは身体が資本。意を決して、全身の精密検査を受ける事にしました。一時的に入院した上で、全身を隅から隅までチェックするんだとか。家に残すことになる愛犬は気がかりですが…、我が身の大切さには変えられません。時代遅れと言われても、思いのこもった文章は時に人の心を動かす。ローテクノロジーに、完敗です。
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いやしかし、世間では恐ろしい話になっているものです。これまで散々無視してきた医者からのメールに目を通してみると、ここ数年、昔投与したナノマシンが引き金になった死亡例が相次いでいるのだとか。旧型ナノマシンの存在を忘れたまま新型ナノマシンを投与してしまい、二つのナノマシンが体内で競合を起こして人体に致命的なダメージを与える、そんな恐ろしいケースが国内だけで実に数百件。特に古いナノマシンを多く注入している高齢者が危険だそうで、かく言う私も他人事ではありません。
哀れな年寄りの昔話を聞いてやってください。かつて我々が体内に投与していたナノマシンは、むしろ寿命の短さが問題視されたぐらいの代物だったはずなのです。一年は機能すると言われて投与したら、たったの6時間でナノマシンが全滅したなんて話がザラにあった。 それが今じゃ、そんな虚弱な人工生命風情が何十年も生きている事を心配しているだなんて。そんな殺生な。自分の体内が住みにくい環境であることを祈る哀れな年寄りに、これも時代の流れなのだと、人はそう声をかけるのですか。
私も人間、どうしたって命は惜しい。天を呪うような気持ちでチェックの結果を聞きました。残念ながら、私の体内環境は、ナノマシンにとっては極楽だったのですが。
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その品番を見て、一目で分かりました。忘れていたわけではないのです、まさか、生きていたとは。JPN000275540、これは今から実に33年前、私が自らの意思で体内に投与したナノマシンで間違いはありません。時代遅れの人間の体内に、時代遅れのナノマシンが生き残っていた。あまりにお似合いで、笑えてくるじゃありませんか。
2081年発売、ObserverよりウェラブルBMI向けに発売された、時代遅れのテキストアドベンチャー「そしてまた去り行くあなたへ」。
JPN000275540。これこそまさに、かつて本作とセットで販売されていた、世界初のゲームの付属品のナノマシン。今じゃ絶滅したとされていた人工生命体。もう手に入らない幻のゲーム。そして…時代遅れの技術です。
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読者の皆さんは、本作のゲームジャンルである「テキストアドベンチャー」のゲームを、遊ばれたことはあるでしょうか。
テキストアドベンチャーとは、文章のみを読み進めていく事で進行するゲームの総称を言います。その多くは数個の選択肢から正しいものを選んで、最良のエンディングを目指す事がルール。文章を読み進めるゲームとは言っても、大体の場合において画面には絵が表示されるのですが…、これは言わば小説の挿絵のようなもので、最低限の演出でしか表示されることはありません。つまるところ、面白さを伝える手段が「文字」だけに制限されたゲームジャンルと言ってよいでしょう。
どうです、説明を聞くだけで古臭いシステムでしょう? おそらくここまでクラシックなゲームとなると、皆さん思い当たる節すら無いかもしれませんね。
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古典的な叙述トリックに正しくひっかかってくださり、私の予想通り「そんなもの遊んだことが無い」と思われている皆さん。ありがとうございます。皆さんを試すような質問になって申し訳ないのですが…、実はこの手のゲーム、日本国民だったらほぼほとんどの人間が遊んだことがあるはずなのです。
遠い記憶を掘り返してみてください。おそらくは皆さんも、学生のころに現代文の教科書で「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」や「Ever17」、「ナイトゥルース #01 闇の扉」の一節を読んだことがあるのでは? あれらの作品、実は小説なんかじゃありません。あれこそまさに、テキストアドベンチャーの古典達。つまり日本人は皆、義務教育でこのジャンルのゲームを必ず読んでいるはずなのです。(※)
私たちの世代が勉強から逃れて遊んでいたはずのゲームが、いまや若い皆さんが勉強で無理にでも覚えなくてはならない作品になっている。月日の流れとはわからないものです。かつては愚にもつかない冗談だったはずの、「学校でゲームを遊ばされる時代」が本当に来るだなんて! 本当に、心から羨ましい話なのですが。 いや、やめておきましょう、年寄りの嫉妬はいつの世も醜いものですからね。
※この世の果てで恋を唄う少女YU-NO
1996年発売。菅野ひろゆきが企画を担当し、エルフが開発販売したSFアドベンチャーゲーム。名誉ある「現代文の教科書に載ったゲーム」第一号。
※Ever17
2002年発売。KIDが開発を手掛けたDC・PS2用SFアドベンチャー。文学の表現様式としてのテキストアドベンチャーの名を世に知らしめた名作。
※ナイトゥルース #01 闇の扉
1996年発売。ソネット販売のSFアドベンチャー。ゲーム界のアンリ・ルソーと呼ばれた独特の世界観が評価された怪作。美術の教科書にも掲載されている。
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1976年、BBN Technologiesの開発者ウィル・クラウザーは、愛する娘のために一本のゲームを開発しました。そのゲームの名前は「Colossal Cave Adventure」。ケンタッキー州にある実在の洞窟を舞台にしたこのゲームは、それまでこの世に生まれたゲームとは大きく異なる部分がありました。それは、文章のみによって構成されたゲームである、ということ。現実の洞窟は、少女にとっては非常に危ない。ゲームとなった洞窟でも、少女にとってはまだ危ない。文章のみの洞窟なら…文字が読めれば誰でも冒険できる。彼の幼い娘でも問題なく遊べるゲームだった、という事です。
親心が生んだゲーム「テキストアドベンチャー」は、誕生からすぐに世界に広がっていきました。文字を読めるなら誰もが遊べるうえに、ゲームとしてシンプルでマシンスペックを要求しない。こんな自由で気軽なゲームが世に広まるのは当然の話でしょう。1990年代後半から黄金期を迎えたテキストアドベンチャーは、徐々に「新しい形の文学」としての現在の地位を確立。いまやゲームが堂々と国語の教科書に載るようにまでなった。なるほど、文章に込められた父親の深い愛情は、文章を通して正しく世に伝わったというわけです。
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本作を開発を手掛けたObserverもまた、2030年代からテキストアドベンチャーを開発し続けてきた、老舗と呼べるスタジオの一つでした。しかし本作が発売された当時と言えば…、テキストアドベンチャーは既に、「時代遅れ」と化していました。
往年の存在感はすっかり薄れ、毎年毎年十数年前の作品のリメイクを発売するのが精いっぱい。そのリメイク作品も、一年前と比べて立ち絵が新規に十枚追加されただけという作品という始末。そんな作品ですら、出なければ出ないで「テキストアドベンチャーの生存が確認できない」とファンから危ぶまれる有様だったのですから…。どんな文章ならあの頃の惨状を伝えられるのかが、私には言葉がありません。
それも仕方がない話なのです。後の世の人は、この2080年代をテキストアドベンチャーの「暗黒時代」と、そう呼びました。文章を通して思いを伝えるのが時代遅れになった時代だと、人々はあの時代をそう解釈しているのです。
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テキストアドベンチャーが暗黒時代を迎えた背景は、今も往年のファン達がヒートアップする議論の一つです。
2080年代は脳に直接装着するBMIが普及を見せ始めた時期でした。脳同士で通信するテレパシーが一般化に近づいていた時代に、文章で思いを伝えることは古臭く見えたのかもしれません。今でこそ一世紀前のクラシカルな教養文学であるテキストアドベンチャーも、当時はまだ数十年前のゲームジャンルという、オールドなだけでクラシックまでは至らない懐古趣味でしかありませんでした。
70年代に教科書の題材としてテキストアドベンチャーが採用されると、「ゲームが文学として認められた!」とファンが歓喜に沸いたこともありました。しかし今から思い返せば…、この頃からテキストアドベンチャーは、ゲームでなく勉強へと変わっていきました。登場人物の気持ちになって遊ぶからこそ面白いゲームも、「登場人物の気持ちを考えなさい」と上から命令されては、それは興ざめもすることでしょう。
これは、現代人の抱える病なのです。脳通信技術が進歩すれば進歩するほど、日に日に文章を読む機会は減っていく。文字を通して思いを伝えようとしなくても、脳と脳とで直接思いは共有できる。そんな時代に、ひたすら文章を読んで登場人物の気持ちを考えて選択肢を選ぶなど…、あまりに難解で、面倒すぎる。
時に相手に誤解を与え、時に思いを正確に描写できない、文章という不完全な感情伝達ツール。そんな時代遅れの技術で、何を他人に伝えられるというのです?
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現代人の大半が、文章の中に存在する主人公の感情を理解出来なくなってきているという事実は、テキストアドベンチャーの老舗であるObserverにとって深刻な問題でした。最初のうちは開発者も、文章をいかに面白く叙述するかで、プレイヤーの感情を動かそうとしていたのです。しかし結局のところ、どれだけ文字を並べたところで、「文章を通して感情を動かす」という事自体が難しい世の中になってしまった。
面白い文章演出のあるゲームで、プレイヤーの感情を揺さぶろう。そうした努力の全ては、時代に逆らうだけの無意味な行為として、歴史の中に消えていきました。
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ところで皆さん。今更な話ではありますが、皆さんは何故、ゲームを楽しいと感じているんですか? 是非皆さんの言葉で、私にその思いを伝えてみてください。
謎解きがあって爽快だから、手に汗握るストーリーがあるから、熱いアクションがあるから。なるほど、すべては正しいと思います。私も、まったくの同意見です。
しかし、時代遅れな意見です。
もっと端的に、もっとつきつめて言えば、ゲームを面白いと感じる直接的な原因は、実はただの一つの理由しかありません。
それは、「脳内物質が出た」です。
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ゲームを遊んで「面白い」と感じている時、ゲーマーの脳ではいくつかの神経伝達物質が働いています。まずは快楽を司り、ゲームに対して満足を感じたときに発生する「ドーパミン」。続いて生存本能を司り、ゲームに対して闘争心を感じたときに発生する「ノルアドレナリン」。安定を司り、ゲームに対して安らぎを感じたときに発生する「セロトニン」。もちろん他にも多種多様な神経伝達物質は存在しますが、大きく三種類ほど覚えておけば本作を理解するのに支障はないでしょう。
我々ゲーマーは、様々な言葉を使ってゲームの面白さを他者に伝えようとしてしまう、時代遅れの哀れな生き物です。感情が動かされた。手に汗握る駆け引きがあった。美麗なグラフィックに目を奪われた。文章で思いが伝えられないはずの世の中で、なんと愚かな言葉の数々か。全ては脳内で起きている電気信号に過ぎないのに、言葉でそれを正しく認識できるわけがない。ネットに溢れる時代遅れなゲームレビューの数々も、現代的に解釈すればたったの一言にすぎません。
それは、「脳内物質が出た」です。
面白さの尺度は人それぞれ、好みのジャンルも難易度ももちろん違います。どんなゲームを作っても、この世の全員に面白いと言われる作品を作ることは難しい。しかし、脳内物質によって感情が変化する人間の脳の仕組みは、世界100億人誰一人として異なることがありません。
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2074年、薬事法の改正によりナノマシンが医薬部外品として薬局に並べられるようになった時。Observerの開発陣は、ゲーム開発の一つの真実にたどり着きました。
ゲームの演出によってプレイヤーの感情を揺さぶる開発努力は、全プレイヤーを満足させる最終的な解答とはならなかった。ナノマシンによってプレイヤーの感情を操作する開発努力なら、全プレイヤーを満足させる最終的な解答となりうる。文字は既に、時代遅れの感情伝達方法となってしまった。ナノマシンは、これからの時代の新しい感情伝達方法になりうる。そう、なりかねない。
2081年、無意味な努力を止めてしまったObserverは、新たな時代の新たな発想によって開発された「そしてまた去り行くあなたへ」というゲームを、全国各地の薬局に流通させました。「JPN000275540」という名のナノマシンと、その投与キットを付属品につけて。
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「そしてまた去り行くあなたへ」は、主人公が愛する女性を看取った、その瞬間から物語が始まります。最後の最後、彼女は残された命を振り絞って、あなたの耳元に何かを呟こうとしました。 しかし彼女の声は既にあなたの心音よりも弱弱しく、何を言おうとしているのかはまったく聞こえてきません。機転を利かせたあなたはペンとメモ帳を用意し、彼女の震える手にそれを握らせました。
「おねがい」
病室から出たあなたの手元に残されたのは、たった一言「おねがい」と書かれたメモ帳だけでした。命を懸けて伝えようとした彼女の最後の思いは、結局あなたには伝わらなかった。死の刹那、彼女は一体何を思ったのか。彼女の望みをかなえてあげられなかった人間に、あなたはなってしまったのです。
葬儀の日の夜、あなたの夢の中に、一人の悪魔が現れました。死神に連れていかれた哀れな女と、その女に何一つしてやれなかった無力な男。そんな滑稽な二人を見て、高笑いするためにやってきた悪魔でした。
「お前が望むなら、時間を巻き戻して、直接女と話す時間を与えてやってもいい」
「ただし、過去の世界でもしお前が未来のことを喋ってしまったら、歴史が大きく変わってしまう。お前は過去に遡っても、一切喋る事は出来ない。そのかわりに、お前が持っているメモ帳、そこに10枚だけなら、何か書いて過去に持っていくを許してやろう」
なんと愚かなことでしょう。悪魔の善人じみた提案に惑わされ、気づいた時には、あなたは首を縦に振っていました。
悪夢から目覚めたあなたは、悪魔の指示に踊らされ、過去へもっていく言葉をメモ帳に書き始めました。「ありがとう」「俺は未来からやってきた」「最後の言葉が何だったのかを教えてほしい」…10枚のメモを埋めた時でしょうか、メモを持っている手は指先から徐々に薄れていき、あなたは2081年から姿を消しました。
「そんな月並みな文章だけで、はたして思いが正しく伝わるもんかねぇ」
ヘラヘラと見世物を眺める悪魔を、一人部屋に残して。
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本作はテキストアドベンチャーというジャンルであるため、ゲームとしては随所に挟まれる選択肢を選ぶことで物語が進んでいきます。本作の特徴は、まさにこの「ゲームジャンルとしての当たり前の仕様」をメタ的に解釈したシステム部分でしょう。選択肢を選ぶ機会ではすべて、最初にメモ帳に書いた10個の言葉が常に選択肢として表示されます。「選択肢を選ぶ」というクラシックなゲームシステムに、物語としての説得感を与えているというわけです。
時に「選択肢を選ぶだけのゲーム」と評され、時に「もっと他の選択肢があれば話は解決するのに」と不満を持たれがちなテキストアドベンチャー…。ゲームジャンルとしてのその「もどかしさ」を、物語として逆手に取ってくるとは天晴。まるでこちらがゲーマーとして試されているかのようで、不敵な笑みの一つもこぼれるってものじゃありませんか!
物を買う時も、職務質問を受けた時も、愛の言葉を騙る時でさえ、「10枚の言葉」という選択肢の制限を受ける本作は、遊んでいてどこかパズルゲームに近い感触さえをも感じさせます。またこのパズルのような選択肢の制限が、悪魔の力で何度も何度も同じ一日を繰り返すという、この手のゲームでお約束の「ループもの」の世界観に非常にマッチしているという部分も見逃せません。
最初のループで職務質問中に「ありがとう」を選択して署に連行された展開を見たのちに、次回のループで「愛しています」を選んで警官の追及を切り抜けた展開を見た時の、あのループもの特有のトライアンドエラーの爽快感と言ったら! 「死ね」の紙を見せて即刻バッドエンドに突入した時の、あの良い意味でチープな「昔こんなゲームあったわ」感と言ったら…!
ああ…ごめんなさい!なんだか思い出していただけで笑えてきてしまって、一人でヒートアップしてしまいましたね。いや、せっかくのことです。ジャンル復活の狼煙の名に偽りなし。私のこの笑顔を見ていただいて、愛好家の皆さんならば必ずニヤついてしまうゲームである、その証拠とさせていただきましょう!
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ただしかし、テキストアドベンチャーを愛する皆さんであれば、もしかすると本作の「問題点」に、もうお気づきかもしれません。この手のゲームは主人公が置かれている状況があまりに特殊すぎて、シリアスなシーンを読んでいて笑っちゃうほど主人公に感情移入出来ない。 そのうえ本作は物語設定的に、主人公が一切の言葉を喋ることが出来ません。これ、実は単なる設定ではありませんよ。地の文ですら、主人公の思いが描写されることは全くないのです。ただでさえ文章では思いが伝わらないこの時代に、主人公の思いが文章ですら一切説明されない!
昔の人は立派なものです。物語の主人公とプレイヤー、その両者の感情をリンクさせるために、その橋渡しに文章を利用しました。もちろん文章による感情伝達は不完全なものでしたから、結果としてテキストアドベンチャーの歴史には、「主人公の気持ちが理解できない」という低評価が呪いのように付きまといました。しかし!よくよく考えてみればそれも仕方がないこと。そもそも文章などという時代遅れな感情伝達ツールに頼っていたこと自体が原因だったのですから。
本作に付随したナノマシン「JPN0000275540」。このナノマシンは言わば脳を操作するナノマシンで、法のもとに効果が制限された範囲内ではありますが、脳内物質の生成を促すことで人間の感情を操作することが可能です。腕からナノマシンを注入すれば、たった数分であなたはゲーム内のキャラクターに早変わり。主人公が驚けば驚くよう脳が操作され、主人公が喜べば喜ぶよう脳が操作される。文章から感情を推測するなんて高尚なお遊びは、無用の長物となりました。
ナノマシンがあれば、美麗な文章なんて時代遅れの演出はもう必要ありません。いやもしかすると…、盛り上がる音楽や、場面を補足する画像や、はたまた考え抜かれたルールでさえも、もう時代遅れなのかもしれません。だって、そんなものなくても感情は伝わる時代じゃありませんか。ゲームの本質が人の心を動かす娯楽なら、これぞまさに人の心を動かす娯楽そのもの、誰が本作をゲームとして否定をできるのか。
時代は変わったのです、新しい時代へ!
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熱心なテキストアドベンチャーのファンたちは、ナノマシンで感情を操作されてしまうゲームの登場に、笑えることに恐怖の声を挙げました。テキストアドベンチャーを知らないゲーマー達は、ナノマシンで感情を操作できるゲームの登場に、これまた笑えることに歓喜の声を挙げました。
つまりこれは、「ゲームが脳に強制的に面白いと思い込ませるゲーム」なのだと、人々は本作を解釈しました。ある人は本作をゲーム文化の終わりなのだと、ある人は本作をゲーム文化のはじまりなのだと、口々に評しました。なんで人間はこういう時にすぐ大げさなことを言ってしまうんでしょうね? 面白いからいいんですけど。
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皆さんご承知の通り、現在我々の生きる2115年において、ゲームという文化は過去から何も変わらず続いていて、特に終わっても始まってもいません。
非常に残念な話です。このゲームが低評価で終わってしまうくらいなら、いっそゲーム文化自体が終わってしまってもそれはそれで面白かったのに!
本作は、ゲーム文化を変えはしなかった。現在、「そしてまた去り行くあなたへ」という作品についている評価は、たった一つしかありません。
「面白いけど、面白くない」です。
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本作が低評価になった要因は様々ありますが、その主たる理由は「感情は同じであっても、感想は異なる」という事に集約されます。
せっかくですので、一つ実例を挙げてみましょう。本作のシナリオはオールドファンには感涙物の黄金パターン「ダブルヒロイン制」を採用していまして、主人公の愛する女性の「亞里亞」と、主人公を愛する女性の「エレナ」、二人の攻略ルートが存在します。亞里亞は守ってあげたいあどけないタイプ、エレナは勝ち気でツンデレなタイプと、キャラクターの組み合わせとしても抜群。当時は当然のごとくヒロイン論争が起き、どちらの二次創作が多いかでメインヒロインの座が争われたりしたものです。
が、しかし。今画像検索ができる方は、二人の二次創作を是非検索してみてください。だいたいの場合、亞里亞はだらしない格好で寝ていて、エレナは何かを食い散らかしているでしょう?これは別に、作中にそんなシーンがあった訳ではないのです。実は本作、主人公のヒロインに対する感情を表現するため、ヒロインとの会話パートでは常時ナノマシンを通じてプレイヤーの感情が操作されています。亞里亞に対しては、穏やかな愛情を持つように。エレナに対しては、肉欲的な恋心を持つように。
もちろんプレイヤーと主人公はナノマシンによって全く同じ感情を共有できているはずなので、ヒロインに対するプレイヤーの感想も主人公と同じでなくてはならないはずなのですが…。ゲーマーという人種に、愛だの恋だのという感情の理解を期待する事が、そもそもの間違いのはじまりだったのでしょう。
ナノマシンの力によって穏やかな愛情を持たされたプレイヤーは、自分の中に芽生えた感情が愛であることに気が付けませんでした。あろうことか彼らは、「この女見てるとなんか眠くなってくる」と、穏やかな愛情を眠気と受け止めました。そしてもちろん恋なんかしたことのないこの無粋な連中は、自分の中に芽生えた肉欲的な恋心を、「この女を見てるとなんか腹減ってくる」と、平然と評したのです。
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仮に一つの文章を読んで、全員に全く同じ感情が沸き上がったとして。全員が全員、全く同じ感想を述べることはありえるのでしょうか?
もちろん、ありえません。
一本のゲームを見て、二人のゲーマーに喜びの感情が沸き上がったとしましょう。一人は、今まで遊んだことのないゲームだから喜んでいるのかもしれない。一人は、過去に遊んだゲームに似ているから喜んでいるのかもしれない。同じ感情を共有したとしても、人それぞれの人生経験は、出てくる感想を異なるものにしてしまいます。ナノマシンは脳は操作できても人生は操作出来ない。これはつまり、ナノマシンは感情は操作できても感想は操作出来ない、という事に他なりません。
ゲームの販売開始からすぐ、本作のコミュニティは混乱の極みに陥りました。テキストアドベンチャーの醍醐味と言えば、登場人物たちの行動や感情、そこにつながる伏線をプレイヤーが考察するのがお決まり。しかし本作は特殊なシステムとナノマシンの演出が混ざり合い、いつまでたっても攻略ルートすら解明されることがない。その上ネタバレがご法度であるゲームシステムの関係上、限られた範囲でしか情報を共有できず、混乱が新たな混乱ばかりを生み出していきました。
物語の最初、過去に戻ってすぐ、主人公は古い男友達と再会します。もちろん主人公の心には「懐かしい」感情が浮かび上がるのですが…本作を遊んだ人の大半は当初、この「懐かしい」感情を男友達に対する恋心なのだと解釈しました。この考察は、あっという間にインターネットに拡散。「LGBTの悲恋を扱ったゲームなのでは」と勝手に深読みされ、「ナノマシンで男に恋心を抱かされた」と見当違いの文句をつける前時代の化石のような人や、「何故本作は男友達をメインとして扱わないの」と不満を語る人まであらわれはじめる始末。
本作が物語の仕掛けとして「感情のミスリード」をあえて誘導していた部分もあるだけに、問題はさらに深刻でした。本来であれば物語終盤、主人公が亞里亞に抱いている愛情が、実は恋人に対する愛ではなく実妹に対する愛だったのだと分かり、両親に交際を許されなかった過去の伏線に気が付くようになっているのです。しかし当のプレイヤーと言えば、何がミスリードで何が勘違いなのかも見分けがついていない。「亞里亞を見ていると眠たくなるし、もしやこいつが黒幕なのでは…?」と見当違いな考察ばかり繰り広げていたのですから、そりゃ、ゲーマーという人種が人の心を理解できない訳でしょう!
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ああ…ごめんなさい!いや、笑えてしょうがないものですから、一人で盛り上がってしまいました…!本当無茶苦茶ですよ、このゲームの話は。
いやでもね!これは笑うなと言う方が無理な話なんですよ!皆さんご存知の通り、我々が薬局で購入できるナノマシンは、薬事法で効果が意図的に制限されているでしょう? はっきり言って、感情を操るナノマシンと言っても「のど飴」程度の効能ですよ! それに輪をかけて当時はまだまだナノテクノロジーが未発展な時代、人間が基本的に持っている感情に抗えるほどの力は…、このゲームには存在しないはずなんです!
ゲームの攻略がうまくいかなければ、自然な感情として、ゲームに対する苛立ちも募ったことでしょう。ただしかし、当時はプレイヤー達はまだナノマシンの効能をよく理解してはいませんでしたから、それが自分自身の「ゲームに対する苛立ち」だとさえ気が付かなかった!この苛立ちもナノマシンによって演出された感情なんだと解釈し、それを基準に選択肢を選んだ! 結果!どこまでも攻略は出来なくなっていく!
いや…、まったくもって傑作でしょう!笑うなって言う方が無理ですよこんなの!誰だって、自分の感情は自分が一番よく分かっているつもりで生きているんです。だからこそ、自分とは違う相手の感情を理解しようとして苦しむ。それなのに…、相手の感情を理解出来るようになったら、自分の感情の意味が理解出来なくなってしまっただなんて…。こんなに話を笑い話にしないんじゃ、あんまりにも悲しすぎますからね!
つまり彼らは、このゲームを熱中して遊んでいるという、自分の感情すら本物とは理解できてなかったんですよ!
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笑いをこらえて聞いてください。このゲームはですね、発売前から、「ナノマシンによって感情が操作されるゲーム」だと大々的に宣伝されていたゲームだったんです。華々しい広告でしたよ。それを聞いたゲーマー達は…、人によっては大げさに恐れたり、人によっては大げさに喜んだり。まぁリアクションは様々ありましたが、皆が皆に共通していた反応もありました。それはこの目新しいゲームが、「ナノマシンの力で脳に強制的にゲームを面白いと思い込ませるゲーム」だと、そう解釈されていたということです。
ネットに残る本作の評価は、今見ても笑えます。その大半が、「面白いけど面白くない」みたいに書かれているでしょう?実際、彼らはこのゲームを遊んで「面白い」と思ったらしいのです。でも彼らはこのゲームを「ナノマシンによってゲームを面白いと思い込ませるゲーム」だと解釈していますから、ゲーマーとしてのちっぽけなプライドが邪魔をして、「ま、面白かったけど、それはナノマシンの力で面白いと思い込まされているだけであって、ゲーム自体は面白く無かったよね」と、したり顔で評したという訳なんです。
面白すぎるでしょう…!考えてもみてください。「感情が操作されるゲーム」と、「ゲームを面白いと思い込ませるゲーム」は、当然同じものではありませんよね? 本作に付属しているナノマシンは「楽しい」という感情は操作出来るかもしれませんが、「このゲームは面白い」なんて感想を植え付ける事は出来ません。現代のナノマシンだって、そんな高度なことはできやしない!それだと言うのに彼らは、自分の感想は作られたものだと思い込み、自分自身の感性をしたり顔で批評していた! あ、だめだ、面白すぎる。
つまり彼らは、このゲームを面白いと思って遊んでいるという、自分の感想すら本物とは理解できてなかったんですよ!
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それじゃあ最後に笑い話のオチとして、このゲームの最期を紹介しておきましょうか。このゲームの圧倒的な難易度を前に、プレイヤー達は2081年の冬、最終的にある要望書を販売元に送るようになったんです。このゲームを楽しく遊ぶためには、主人公の感情を理解するには、要望書に書かれたものがどうしても必要になるって。
なんだと思います。想像してみてください。新しいナノマシン、違いますね。演出を強化するDLC、いやーそれも違いますね。大丈夫、当たるわけないんですよこんなの。本当冗談きついですよこれは。ようはこれ、今まで自分たちが捨て去ってしまった「文章」というコミュニケーションツールそのものを、もう一度欲しがったって事なんですから。
「主人公の感情が文章で記述されたテキスト」ですよ…!!!
あ、だめ、ちょっと、笑いすぎて脳がクラクラしてきた…。
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ゲームが楽しいって、一体全体これはどういう事なんでしょう。私たちは何をもって、今までそのゲームを楽しいと判断してきたのか。演出?システム?はたまた人気声優の出演数? 言われてみれば、うまく文章にはできません。いやもっと言うなら、私たちは本当にそのゲームを楽しいと思っていたのか、最早それすら疑わしい。笑っちゃうような話ですが、それは事実でもある。
「そしてまた去り行くあなたへ」は、そんなゲームの楽しさの根源に挑んだ、野心的な作品でした。ゲームの楽しさとは、つまるところ人間の感情の揺れ動き。演出も、システムも、はたまた人気声優の出演数でさえも、結局のところ脳内物質を出すための手段の一つに過ぎない。 それなら、ナノマシンを使って感情を操作することは、ゲームとしての楽しさの正解になりうる…はずだった。
皆さんも、自分の感情に素直になって笑ってやりましょうよ。このゲームが教えてくれたことは、言葉じゃ「楽しさ」を伝えることが出来ないなんて、ありきたりな教訓じゃなかったんですから。ゲームの「楽しさ」をあれほど口にしていたゲーマーたちが、本当は自分が何を楽しいと思っているのかさえよく分かっていなかったという、笑えるような事実だけだって言うんですからね!
===
ああ…笑った笑った…。いや、笑い疲れました。ああ…、そうだそうだ。笑い疲れる前に一つだけ、このゲームを遊ぶ上で注意があるのを忘れていました。まぁ…、おそらくは、今更言葉にしなくてももう伝わっているかもしれませんが。言葉にしなきゃ分からないって可能性もありますから、一応、レビューとしての形式上ってことで!
皆さん、本作は絶対、最後まで遊んでくださいね。このゲーム、ちゃんとクリアまでゲームを遊んでスタッフロールを見ると、最後の仕掛けとしてナノマシンが「強く」作動するようになっていまして。プレイ後一週間は、ゲームのエンディングを見た時のあのワクワクが、ずーっと続くようになっているんですよ…!
ただこれも…、「ゲームの事を思い出して一週間ワクワクし続ける」みたいな、そんな高度な脳操作はナノマシンには出来ませんから。結果としては…一週間近くこの世のすべてが笑えて仕方がない状態になるんですよね!もうお分かりでしょう?ちょうど、今の私みたいな感情になるってことですよ!
いや、プレイ後の余韻が素晴らしいゲームは、やはり良いゲームですね!
===
それにしても、実に残念です。だってこのゲームレビューは、時代遅れのテキストサイトの記事でしょう? 文章みたいな時代遅れの手法に頼っている以上、この面白さは不完全にしか伝わらないでしょうから。
ま、ゲームは遊んでみないと面白さが分からない、そんなもんですよ!
2115/6/23 (Article written by Alamogordo)
了
※以下ネタバレ
どうしてもこのゲームを攻略できない方の為に、ネタバレを含んだヒントです。
本作は確かに、10枚のメモ帳しか過去に持っていけません。それ故に、選択肢も10個しか出てきません。しかし、実は11枚目のメモを、主人公は最初からアイテム欄に持っています。それが、トゥルーエンドへの鍵になります。…分かりませんか? ほら、貰ったじゃありませんか。彼女の死に際に、「おねがい」とだけ書かれたメモを!
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