【第3回】密友(ミーヨウ)

タイトル:密友(ミーヨウ)

発売日:2058/05/10

発売元:紫荆


世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第三回目となる今回は、2058年発売、自分で自分を生み出したゲーム「密友」(ミーヨウ)の紹介です。


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たまには掃除もしてみるものです。実は今日、何年かぶりにBMIのデータ整理を行っていたのですが、整理の途中で面白いものを見つけましてね。当の昔に忘れてしまったはずの、「昔遊んだゲームの記憶データ」が大量に出てきたんですよ。ストロベリーパニック、ハッピーレッスン、シスタープリンセス。次から次へと記憶データを脳にインストールしては、今は遊べなくなってしまったゲームの思い出に浸って。気付けば、今日という一日を、過去の記憶を思い出すだけのことに費やしてしまいました。


良い時代になったものです。BMIの普及以前から生きているゲーマーであれば、誰しも一度は脳の容量不足に苦しんだことがあるでしょう。どれだけ大事な記憶があったとしても、脳は時間と共に記憶を忘れてしまう。当時はそれが当たり前だったのに、「脳に記憶を保管しておかなければならない」生活なんて…、今では想像するだけで寒気がするほどです。現代社会の生活は、脳を限界まで酷使するインフラの恩恵で成り立っている。過去の思い出を保存しておくような空き容量は、我々の脳にはもう残されてはいませんから。


「脳から記憶データを取り出す機械」であるBMI(Brain machine interface)は、かなり早い段階からゲームのために利用されてきたテクノロジーの一つです。大企業が扱っても記憶漏洩が起きる危険な技術ですが、実は最初にゲーム化に取り組んだのは単なる素人。それも個人がインディーズ作品として発売しているっていうんですから、昔の人は恐れ知らずだったとは思いませんか。そのゲームの名は「密友」。60年も前の大昔、2058年にリリースされたゲームなんですが…、皆さんの記憶には、まだ残ってはいませんか。


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そのゲームはもともと、香港に住んでいた中年男の所有物だったと言われています。


開発者の名前は黄偉傑。恋人はおろか友人もおらず、家族は老いた母親ただ一人。そんな母親でさえ自分の部屋には寄せ付けず、正真正銘、孤独な男だったそうですよ。


しかしある日、老いた母親が彼の部屋を尋ねてみると。暗く締め切られた部屋の中から、なにやら親しげな会話が聞こえてきたんだとか。


不思議に思った母親が部屋の中を覗き込むと…、彼は物々しい機械を頭につけて、モニターに映った「友人」と親しげに会話をしていたそうなんです。


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「友人」と喋る彼の顔は…、母親の目には、とても幸せそうに見えたそうですよ。


しまりのない笑顔で、上ずったような声で、どもりの混じった喋り方で。彼は、誰も興味が持てないような彼自身の話ばかりを、夢中になって「友人」に語っていた。


いや…、逆に言えば。彼の表情が幸せそうに見えたからこそ、モニターに映っていた人物が「息子の友人」なのだろうと、母親は思い込んでしまったのかもしれません。


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残念ながら、そこには彼の「友人」など映ってはいませんでした。


そこに映っていたのは…、しまりのない笑顔で、上ずったような声で、どもりの混じった喋り方で。誰も興味が持てないような自分語りに、夢中になって相槌を打っている男。


いや…、正確に言えば。そこには、黄偉傑という男の脳から取り出されたデータをもとに、彼の人格をコンピューター上に再現した人工知能が映し出されていたんです。


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彼は…、脳からコピーした「自分自身」と、会話をしていたらしいんですよ。


まったく同じ顔の男が、まったく同じ声で、まったく同じため息をつきながら。

まったく同じ話題について、まったく同じ意見で、まったく同じように笑っていた。


自分自身とは友人にはなれない、そんなの、当たり前の話だとは思うんですが。

それでも二人の黄偉傑は、お互いをこう呼びあっていたらしいんです。


「嘿 我的好朋友」(やぁ、僕の親友)と。


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「友人のいない孤独な男が、ついには自分自身を友人と呼び始めた」…。歴史上はじめて娯楽目的で開発された人工人格は、そんなセンセーショナルなタイトルをつけられ、笑えるB級ニュースとして世界に紹介されることになりました。驚きのあまり息子を病院に連れこもうとした母親によって、この件は世界中に知れ渡ってしまったんです。友人とちょっとした笑い話をするのに、男の話題は軽く笑えてちょうど良かったのかもしれません。「自分自身と会話する男」のニュースは、瞬く間に世界中に拡散されていきました。


男の知名度が頂点に達すると、誰もやってくることのなかったはずの男の部屋には、毎日のように世界中から人が集まってくるようになりました。「私があなたの友人になってあげます」なんて、お節介な人たちはどこにでもいるものですよ。自分の脳をスキャンして、そのデータを人格として再構築する。その技術は、非常に興味深い。私たちなら、あなたの良い「友人」になれる。私たちの会社でそのソフトウェアを商品化しませんか…、と。男の部屋には毎日のように、「友人」になって欲しいという人々が詰めかけたのです。


まぁ、平たく言ってしまえば、ニュースが世界的に注目されたので、それに目を付けた人々がソフトウェアの権利を買い取ろうとしにやってきた…。という話に過ぎないのですが。結局、毎日のように押しかける「友人」に疲れ果ててしまった男は、自らの開発した人工人格生成ソフトウェアの一般販売に、しぶしぶ了承をしました。2058/05/10…、ニュースの盛り上がりもひと段落したくらいのことだったと思います。人格再現ゲーム「密友」が、中華圏全域で大々的に先行発売されたのは。


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そして…、それに遅れること2ヶ月。丁度、このゲームの世界発売直前くらいのことだったと思います。密友に関する警告めいた文書が、世界中のSNSで出回るようになったのは。


「密友というゲームを、遊んではならない」


密友を遊んだ中華圏のゲーマー達は軒並み精神的に衰弱、既に開発元は何件もの訴訟を予告されており、今や「密友」は中国人の現代病を意味する言葉でしかない。このゲームを甘く見てはならない。それは必ず、世界でも繰り返されるだろうと。概ねそんな内容の話が、警告文にはほのめかされていました。


しかし世界中のゲーマーは…、誰一人として、その警告を真面目に聞こうとはしませんでした。だってこの手の笑えるB級ニュースは、毎日毎日読みつくせないくらいインターネットに溢れるものなんです。ちょっとした笑い話をいちいち真に受けて生きていたら…、まともな神経ではいられなくなってしまいますからね。


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密友は初期のBrain machine interfaceを利用したゲームで、装着したヘッドセットから脳のデータを取り出す「非侵襲式」のスキャンシステムが利用されています。現在我々が使っている脳に直接BMIを埋め込む「侵襲式」とは違って、脳の外部からデータを取り出す非侵襲式は安全な代わりにとにかくダウンロードが遅いのが特徴。それも初期型の密友となると…、初回起動時には実に6時間もの連続装着が必要になります。多忙な現代人には、ちょっとだけ長いローディング時間かもしれませんね。


もちろんその時間を埋める為に、待ち時間の間は接続したディスプレイで「じゃんけん」等のミニゲームが遊べる配慮もあるのですが…。逆にこの配慮が「現代人の6時間をジャンケンに費やさせる暴挙」として語り草となり、ここで諦めたプレイヤー達から「密友のジャンルはじゃんけん」と揶揄される事となりました。しかし「密友はじゃんけん」は、一般的にはにわかの発言としてオンラインでは叩かれる傾向にあります。こんなところで諦めたゲーマーに、本作を語る資格はありませんから。


6時間のセットアップを経て密友がギュインギュインと呻りをあげ始めれば、感動のオープニングのスタートです。真っ暗な闇に自分そっくりの顔が浮かび上がり、自分が人生で一度もしたことのないような笑顔で「ようこそ、密友」と声をかけてこれば…、それが、このゲームのはじまりですよ。オープニング演出は評価が高く、当時からして「まるで鏡に話しかけられたよう!」と、大まかに言えば…薄気味悪いと言われていましたから、是非皆さんにも見逃しの無いようお勧めしたいところです。


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人間の人格をPC上で再現した際の「人工人格」の精度は、一般的に「人格一致テスト」というテストで計測されています。これは、被験者が事前に考えた数十問の質問の中から、ランダムに抽出した問題を「被験者」と「被験者の脳から取り出した記憶で作った人格」に答えさせて、何問同じ回答をするかを計測してその人格の精度を測るというもの。現代の技術をもってしても…、PC上で再現された人工人格は、問題数が42問を超えた場合、必ず一問は誤ってしまうと言われています。


オカルト趣味のある人達にとっては「この42問目こそが人間を人間たらしめている魂なのだ」と騒ぐのがお決まりになっていますが、真相はさておき重要なのは現代でもデータ上で再現された人工人格の精度はそんなものだと言うこと。さてそれでは当の密友の人格一致テストのスコアはと言うと…、40問中せいぜい3問くらいしか正答は出来ません。しかしこれは、密友が脳の情報を読み取り間違えているからではないのです。密友の人格再現機能が…、あまりに露骨すぎるが故の結果なんですよ


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本作は「データ上で再現された人格で遊ぶ」というゲームシステム上、特にシナリオや目標・スコアと言う概念はありません。プレイヤーは自分の分身と一つの空間に放り込まれ、とてもよく知っていて、それでいて初対面の気まずい相手と、いくつかのゲームをこなしていくことになります。とは言え、「ゲームで遊ぶ」と言っても、この空間には自分以外のモノは何も存在していませんから。言葉遊びとか、あるいは会話とか。文字通り、自分自身が一人で出来ることしか本作では出来ません。


まず遊んですぐに、データ上の自分が、何をやらせてもあまりにたどたどしい事に気がつくでしょう。自分という存在はゲームの進行用キャラではありませんから、ゲームの進行がたどたどしいのは当然です。しかし、前述のとおり、本作には自分以外のモノは何も存在していない。システム操作の全ても、データ上の自分にお願いすることでしか操作が出来ません。セーブもロードも中断も、「もうやめたいんですけど…」「わかりました…」というやりとりが、必要になってくるという事ですよ。


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自分自身に気を遣って「あの、良かったら、ゲーム遊びません?」と声をかけて、まずは本作のメインモードであるクイズから遊んでいきましょう。本作のクイズは「脳から読み取った記憶」をもとに、自分についてのクイズが出題されるゲームになっています。言うなれば出題数は無限で、それでいて絶対に自分が知っている事が出題される。クイズゲームとして、奇跡的なバランスを保っているように思えるでしょう?


しかしながら、それで単純にクイズが楽しくなるかと言うと…、それはまた別の話で。


「母親から買って貰った最後の服は次のうちどれ?」

「2/12に酔って倒れた際に私が最後に飲んでいた酒の銘柄は?」

「私は一体何者でしょう?」


確かに、出題数は無限で、絶対に自分が知っている事が出題されている。クイズゲームとしては奇跡的なバランスのゲームだとは言えるんですが…、興味をもって解く気になれないクイズばかりが出題されるんです。どれだけ自己愛の強い人間であったとしても、自分自身のマニアになるような人間はいませんよ。自分自身に好奇心を持てるほど、自分自身に飽きていない人間はそうそう多くはいないでしょうからね。


私個人の経験では…、この系列のクイズでは「イントロクイズ」が一番難しかったでしょうか。実はその昔、私はあるイントロクイズでどうしても曲名を答えられず、悔しさが故に密友を投げ出してしまった事があったのです。だからこそ、衝撃を受けたんですよ。他のゲームのプレイ中、爽快な気分でヘッドショットを決めた時。自分の口から何気なく、イントロクイズで流れたメロディと同じ音程の鼻歌が流れ出したんですから。


いつも私が歌っていた鼻歌は、流行の曲のうろ覚えで、音程もめちゃくちゃでした。タイトルすらも間違って覚えていたので、曲の正体が分かってからも正解にたどり着くのは四苦八苦でしたよ。しかし、いくら間違って覚えていた記憶でも、このゲームでは間違った記憶が正解として出題されてしまう。なにせ密友は「自分の記憶が元となっている」ゲームなんです。記憶には、正しい記憶も間違った記憶も存在しませんからね。


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あやふやでどうでもいい記憶のクイズを攻略できたとしても、次はどうにも思い出したくない記憶のクイズが、プレイヤーに襲い掛かります。


「この女にふられたのはどこの駅前」

「前職で私がもっとも苦しかった人付き合いは誰」

「私が今何を辛いと思っているか分かりますか」


記憶は正しく抽出出来ても、人工人格を正しく生成出来なかった密友は。自分が忘れようとしていた過去を、人生の暗部ばかりを狙い撃つかのように。何の遠慮もなく、クイズとして出題してくるんですよ。クイズの主題者は自分自身ですから、自分自身が思い出したくない話を知っているのは当たり前。相手が答えにくいクイズを出題するのは、クイズの主題者として当たり前。当たり前、当たり前、当たり前。至極当然の論理に、プレイヤーは、日に日に精神をすり減らしていきました。


また面白い事に…、密友はプレイヤーが解答に時間がかかっている問題を「難易度の高い問題」と判断して学習し、答えに困れば困るほど何度も何度も同じ傾向の問題を繰り出してくるようになるんです。「ふられた女性の名前」という問題を苦渋の決断でパスしても…、続く問題には平然と「ふられた女性を好きになった理由」あたりが出題されるでしょう。とは言え、怒っても仕方がありません。ふられて傷ついたのは…、自分自身でしょう。 傷を抉っているのもまた…、自分自身ですから。


プレイヤーの大半も、それはよくよく理解していたのでしょう。当初は新技術への期待とその攻略に燃える人々の集まりであった密友のオンラインコミュニティは、日を追うごとに、人生の不条理を愚痴る人々のたまり場に様変わりしていきました。


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密友の低評価は、「私はこんな人間ではない」という嘆きに集約されます。


それはグラフィック一つをとっても、「私はこんなに小馬鹿みたいな顔をしていない」と憤る理由に。それは音声一つをとっても、「私はこんな苛立つ声をしていない」と憤る理由になりました。自分自身を客観視した時に、自分自身を許せる人間は多くありませんから。「私はこんな人間ではない」と思い込いこんで、自分のイメージを守ろうとするのは当たり前の話。大半の人にとって、密友の中に存在している自分は、自分とは認めがたい不快な存在だった…、という事なのでしょう。


プレイヤーの大半は、自分の不快さを、密友の出来の悪さに求めました。

私たちはこんな人間ではない、このゲームはおかしい。

本当の私は、もっと楽しい存在のはずだ、と。


しかしその主張には残念ながら…、重大な疑問があると言わざるを得ません。だってそうでしょう。人はゲームの中に閉じ込められてしまったとき、素直にそのゲームを遊ぼうなんて思えるのか、という事が分からないではありませんか。


簡単な話です。突然何もない空間に閉じ込められ、画面の向こうの人間とゲームで遊んでくださいと言われたら、皆さんはそれにどういう気持ちで臨みますか。「喜んでゲームに付き合う」と答えた方、密友を遊ぶ資格があなたにはあります。密友上に作られた人格も、快くあなたとのゲームに付き合ってくれるでしょう。しかしながら…、突然人工人格にされて、突然ゲームの中に閉じ込められて。そんな状況でも楽しくゲームを遊ぼうとするゲームジャンキー、そうそういるわけがないでしょう。


大半のプレイヤーにとって密友というゲームは、「態度の悪い不快な自分が、不満そうに画面上に表示されるゲーム」に他なりませんでした。


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そもそもメインのクイズゲームが「よほど自分自身とは思えない不快な態度」と評されたわけですから、他のモードも感じられ方は似たようなものです。


まずは「しりとりモード」。「自分としりとりをして楽しいのか」という疑問については、「一度実際にやってみてください」としか私には言えません。ルールは通常通りのしりとりとほとんど同じですが、中国語のしりとりをベースにしている為、漢字が入った単語だと漢字でしりとりが続くことに注意してください。「「ん」がついた言葉を言ったのに俺が負けを認めない、俺はこんなに無茶苦茶じゃない」というような意見は見受けられましたが、密友の中のあなたは中華圏で育ったあなただと解釈してください。


このしりとりモードの難しいところは、相手もこちらも同じ脳を利用してしりとりを行っているところでしょう。一回ごとに数十秒単位の脳スキャンが行われる為、神経を削りあう耐久戦でもあります。自分が答えを言った後は、とにかく心を無に保ってください。自分が答えを思いつかない出題は、相手も答えることは出来ません。数手先を予測しながら遊ぶだなんてもってのほか、このゲームでは相手に答えを教えているも同然です。1分近い脳スキャンを無心でやり過ごす、瞑想の極地が攻略の鍵と言えるでしょう。


続いて「連想ゲームモード」。これは自分の深層心理に眠っていた記憶を掘り起こし、密友がそれにまつわる単語を徐々に表示していくので、プレイヤーは決められた回数相手に質問を行い、その記憶が何なのかを探るゲームです。しかし「深層心理」に何を秘めているかは人によって異なるところ。私の場合は…、父親に最初に買ってもらったゲームの名前だったのですが。人によっては過去のトラウマがカウントダウン形式で曝け出される事態も起こりうるでしょうし…、人によっては自分の深層心理に「バナナ」なんて言葉を見つけてしまうかもしれません。


分かりやすいものだと古傷が痛み、分かりにくいものだと沼にはまってしまう以上、このゲームの攻略には安全策をとらざるをえないのが実情。では安全策とは何かと言うと、ゲームが開始される前に「解答」となる言葉を強く念じる、というもの。これが出来るようになれば一人前の密友プレイヤーで、うまくなると脳内をその言葉で一色に埋め尽くし、百発百中で出題を誘導することが出来るようになります。ただあまりに強く念じすぎると、密友が本当にうんざりとした顔でその言葉を連呼するだけの挙動になってしまうバグがあるらしく、その点には細心の注意が必要でしょう。


最後は、おなじみ「じゃんけんモード」ですが…、これはとても面白いので、是非遊んでみてください。報告されているケースでは、かなり高い確率で、密友の方から「じゃんけんを自分とやって本当に面白いですか?」と直接聞いてくれるそうなので。


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発売以降ずっと中華圏全体から非難を集めてきた開発元は、発売から四ヵ月後の九月、公式サイトに震えるようなお詫びの文章をのせました。


「密友上に再現された人格が、人を傷つける言葉や態度をとる可能性を、開発段階で把握できていませんでした」


この文章はもちろん、「責任逃れ」として火に油を注ぐものでしかありませんでした。しかしながら私は、この言葉に嘘があったとは、まったく思えません。おそらくは、本当に、開発段階ではこんな問題は起きていなかったのでしょう。


密友は、心優しく気の弱い、たった一人の開発者が。ずっと欲しかった自分の友人を作り上げる為に作った、そんな鬱屈したソフトウェアだったと言われています。開発途中で主な被験者となったのも、もちろん開発者自身。彼の脳から密友へ複製された人工人格もまた、彼の記憶を引き継いで作られた人格。つまり、開発環境で検証に用いられた密友の人格は…、友人を心の底から欲しがっていた寂しい男の人格に他ならない。おそらく開発者が遊ぶ密友には、本当にプレイヤーを心から「友人」として受け入れてくれる、そんな人格だけが表示されていたのです。


しかしながら、密友を遊ぶ大半のプレイヤーは、彼と同じ人格を有してはいませんでした。友達は現実にいる。孤独に苦しんでなどいない。そんな人間を無理やりゲームの中に幽閉して、一生ここで楽しくゲームを遊べと言ったって…。そんな風に生み出された人工人格が、正しく機能するわけがありませんから。


度重なる批判にようやくその簡単な事実に気がついた開発元は、この問題に対処すべく密友に修正パッチを配信することに決めます。しかしながら、「彼と同じ人格」を他人が持っていない事には気がついた開発元でしたが、この時点ではまだ「彼と同じ人格」など他人が欲していない事までは…気がついてはいませんでした。


そうして2058/09/16、世に悪名高い「性善説パッチ」が、登場する事になります。


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密友の人格を「改善」するための修正パッチ「性善説パッチ」は、世に蔓延る性悪説に対して紫荆が放った解答のようなアップデートでした。その効果は絶大で、みるみるうちに世界中の密友の人格は「改善」され、辛い思い出を出すクイズも、封印していた過去を掘り返すジャンケンも、全体的に不満げな態度だったシステムメニューも、あらゆるネガティブな要素は密友から一掃されたのです。


またそれと同時に、ある一つの特大級の改修がはいりました。


それは「性格の改善」。


今までは不満げな対応ばかりでユーザーからの顰蹙を買っていた密友の人格でしたが、「性善説パッチ」の適用からは見違えるように活力に溢れ、画面から乗り出してくる勢いで饒舌に喋るようになりました。


しかしながらパッチの適用以降、密友ではそれまで見られなかった「バグ」と思わしき現象が多発するようになりました。まず起動後からして、何故か密友は頻繁に身体を小刻みに震わせたり、落ち着きなく同じ場所をグルグル歩き回っている。これまでは画面から少し離れたところに表示されていた密友が、パッチ後は異常に画面に近づき、自分の顔のアップでゲーム画面が見辛くて仕方が無い。ジャンケンを誘ってくるようになったは良いが、連続して三度も四度も飽きずに誘ってくる。一言で言って、なんだかハイになってて怖い。


やはりこの世は性悪説が正しい世の中なのか。見違えるほど善良になった密友に、徐々にプレイヤーは疑問を差し込むようになりました。


「密友は、アップデートで完全に狂ってしまった」


もともと自分の記憶を元に人工人格を構成するゲームシステム上、これがパッチによる改変なのか本当に自分の脳がハイになっているのかは判断がつかず、ユーザーコミュニティは混沌の極みに陥りました。「テンプレートのQ&A確認しろ中毒患者」「あなたは電子ドラッグを常用しておられませんか?」全ての混乱は濁流となり、そのまま公式サイトのサポート欄に流れ込むこととなりました。


性善説パッチから一ヶ月、満を持して公式が出した解答は…「現在寄せられておりますご指摘の大半は、パッチにより人格が改善された事によるものです!そのまま安心して、見違えるほど生まれ変わった密友をお楽しみください」という、あまりに誇らしげで、あまりに無邪気な、あまりに問題を理解していない解答でした。何のことはない、パッチ後に確認された現象はどれもこれも、人格が「改善」されたが故の影響。ポジティブで善良で精力的で幸福に満ちた「矯正された」人工人格による、配慮に溢れた素晴らしい行動の結果だったのです!


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開発元はこれを「改善」と呼び、実際人格としては「より良い」存在にはなったのですが、残念ながらユーザーの受け止め方は180度異なるものでした。行動力に溢れて画面中を忙しなく動き回る姿は、良くて「落ち着きが無い」悪くて「中毒患者」と評されました。積極性に溢れて会話にどんどん誘ってくるその姿は、良くて「面倒」悪くて「カルトの勧誘」と評されました。誰が呼んだか、「洗脳された自分シミュレーター」としての、密友のはじまりです。


生理的な好き嫌いは別としても、性善説パッチは密友のゲーム性自体を大きく変えました。二度目となりますが、如何せんこのゲームはシステムメニューの全てがPC上の自分に指示することで進行していくゲーム。ゲームを終わるだけでも「終わっちゃうんですか!もう少し遊びませんか!やりましょう!やりますよね!」と、一操作に対してこの熱量。改善された、よく言えば「積極的」で、悪く言えば「押しつけがましい」人格は、ゲームの進行スピードを著しく下げる要因となりました。


ゲーム部分に目をやってみましょう。パッチ適用前に蔓延っていた配慮知らずの悪しき話題は、確かに消え去りました。では消え去った替わりに新しいルーチンが選び出してくる質問はと言えば、雲の形や、町で見かけた猫や、昨日飲んだカフェラテといったような話題ばかり。悪しき話題を弾くフィルターが非常に強く、失敗談どころか学業・仕事の話題ですら「嫌な体験」として封印される始末で、密友からは文字通り一点の曇りも無くなってしまったのです。


また性善説パッチは思考ルーチンと人格形成そのものを改善するパッチであり、脳から「良かった記憶」のみを取り出すようにするパッチではありません。性善説パッチが特に非難されたのはこの部分、実際の記憶と密友の解釈の違いの部分でしょう。プレイヤーにとっていかなる辛い記憶であっても、性善説パッチを受けた密友の思考ルーチンは「あれがあったから今の私があるんですね!」「あんな男にはふられて正解でしたよ!」と、何もかもをポジティブに捉えてプレイヤーを励ましました。そして当然、以前とは別種の顰蹙を買いました。


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自分とまったく同じ姿の存在が幸福に溢れている姿に、プレイヤーはただただ恐怖を抱きました。ゲームをロードするだけでも「今までの会話がなくなっちゃいますよ!本当に!?」と押し付けがましく一苦労、プレイ中何度も何度も「最高に面白いですよ!」とジャンケンに誘ってくる自分の姿に、いつしかこれは「性善説」によって作られたパッチなのだと、人々はそう呼びました。結果的には「性善説パッチ」で定着したことは幸いだったかもしれません。インターネットを探してみれば、「電子ドラッグ」「洗脳」「ロボトミー」、おおよそ幸福とは無縁の名称が並ぶのですから。


性善説パッチの登場により、プレイヤーは一つの事実に気づかされました。それは性善説パッチの登場前の密友が、少なくとも「自分自身」であったのだという事。かつては「私はこんな人間ではない」と非難していたプレイヤー達にとって、「幸福に満ち溢れた自分の姿」という比較対象を持てたことは、性善説パッチの明確な功績でしょう。いくらやる気がなさそうに見えても、いくら過去の辛い話題を持ち出しても、それは確かに自分自身の一部に他ならなかったのです。


しかしながら…、現実として開発元に寄せられる不正不満の声は、パッチ前もパッチ後も変わらず「私はこんな人間ではない」というものでした。無論、パッチ前とパッチ後では、文にすれば同じ「私はこんな人間ではない」でも内容が全く違うのですが…、それが開発者に正しく伝わることは、ついにはありませんでした。孤独な男の精神状態は、既に限界に近づいていたのでしょう。


年が明けて六月、開発元は最後の最後にもう一つだけパッチを配信し、「深くご迷惑をおかけしました」との謝罪の文章を残して、公式サイトを閉鎖しました。


2059/06/04、密友最終形態とも言える第二のパッチ、「性悪説パッチ」の登場です。


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「性悪説パッチ」は性善説パッチを取り消すパッチであるとともに、人格形成を実際の脳からの情報に即して大幅に正確にしたパッチでした。人格形成が精巧になったため、以前のバージョンでは搭載できなかった「フリー会話モード」を搭載。クイズモードをはじめとする全てのパートでも、密友の方からその時の会話にあわせた話題をふってくるようになり、時間をもてあます事は事実上なくなりました。


性悪説パッチで特筆すべきは、やはり「フリー会話モード」でしょう。かつてセガが生んだ名作ゲーム「シーマン」は、決められたお題の中から決められた会話を再生するという形で、ゲーム内の人格との会話を演出しました。しかし密友のそれは、演出などではありません。人格が記憶を元に話題を選択し、自然な会話を自動生成する、名実ともに会話そのものですから。本作が元々たった一人の男の友達であった頃、狭く汚いアパートのたった二人きりの交流。そんな原始の密友の姿への、原点回帰のようなアップデートだと言えるでしょう。


ただ、それが高く評価されたかと言えば…、答えは残念ながら違います。むしろこの頃になると、プレイヤーの大半は徐々に重要な事実に気付きはじめていました。


「そもそもの話、自分自身と話すって面白いか」


何故自分は密友を遊んでいるんだろうという、その意味についてです。


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性悪説パッチによって劇的に精度が向上し、限りなく正確に再現された自分という人間の話す話題が、揃いも揃ってことごとく全然面白くない。ゲームの途中に度々挿入される他愛も無い話は、よくよく考えてみれば自分も知っている他愛も無い話でしかない。その上そもそも、自分という人間自身が、そんなに面白おかしい存在でもない。PC上に再現された自分と会話すると言う夢の未来の遊びは、「知ってる」と答え続けて出来る限り早く会話をスキップする、単なる作業と化しました。


「フリー会話モード」は確かに画期的なモードでしたが、そもそも自分に話題がなければ密友にも話題は無いわけで。物珍しい話題と言えば、現実の自分自身には打ち明けられる存在がいなかった愚痴だけ。実際にこのモードで出来る事と言えば、PC上に再現された自分自身の愚痴をひたすら聞いてあげる事くらいです。他人の愚痴すら面白くないのに、自分の愚痴など面白いわけがない。しかし密友も分かってはいるんでしょう。自分以外に、自分の愚痴を聞いてくれる人はいないということを。


性善説パッチの後に待っていた第二のパッチ「性悪説パッチ」は、これまでのプレイヤーの数々の要求にほとんど正確に応えた、「限りなく自分に近い人格」を再現するパッチでした。しかしあれほど待ち望んだ場所に待っていたのは、自分が最もよく知っていたはずの全然面白くもない自分自身という現実。公式サイトの閉鎖からも粘り強く密友を遊び続けていたユーザーも、時が経つにつれ、一人、また一人と「自分自身」に飽き、密友を離れていきました。


長きに渡る時間をかけて、プレイヤー達はついに「そもそも自分という人間と話していても全然面白くない」という、当たり前の事実に気がつきました。それはつまり、これまで散々「全然面白くない」と評していた密友が面白くなかったのではなく、その中にいた自分と言う人間自身が「全然面白くない」のだという事実について、やっと気づけた瞬間でもありました。


「つまらない」という言葉を軽く使える人間は、「つまらない」人間ですよ。


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密友は現在、2090年以前のセキュリティ規格の弱さを理由として、脳情報機器処分法に基づいた適切な回収・処分が求められるBMI機器の一つとされています。他のレトロBMI機器同様、古く危険な時代遅れのデバイスとされた密友は、今も日に日にジャンク屋の店先から数を減らしている事でしょう。


ただそれでもなお、オンライン上での個人間の取引は今も活発に行われています。レトロBMIの収集ブームが巻き起こった中でも、特にこの「密友」は高嶺の花とされる一品。ここ数年のネットオークションでは、5000ドル以上の相場が主流となってきました。既に北米・欧州向けバージョンは個人取引すらも稀になっており、以前は比較的市場に出回っていた日本向けバージョンも海外のコレクターの収集意欲の的となりつつあります。


何故コレクター達は、そこまでしてこの密友を欲しがるのでしょうか。彼らほど本作の評価を熟知している存在はいません。この中にあるのは自分自身だと知っていて、自分自身は愚痴や不正不満ばかりが口をつく人間だと、誰よりはっきり理解しているはずなのに。


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それでは最後に、一ゲームコレクターとしての私の答えを述べた上で、このレビューを終わることにしましょう。


嫌がりもせず、面倒がりもせず、鬱陶しがりもせず。コレクターとして、自分と同じ知識を持ち、自分と同じ興味を抱いて、自分と同じ価値観でコレクションを愛してくれる。いつまでも、好きなゲームの話をだらだら喋っていられる。


そんな都合の良い存在は、この世に自分自身しかいないと知っているからです。


2115/5/1 (Article written by Alamogordo)


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