【第13回】Veritas Vincit Omnia(ヴェリタス・ウィンキット・オムニア)

タイトル:Veritas Vincit Omnia(ヴェリタス・ウィンキット・オムニア)

運営開始日:2045/02/14

運営元:葡萄科技有限公司


世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第十三回目となる今回は、2045年運営開始、神などいないと断罪されたMMORPG「Veritas Vincit Omnia」の紹介です。


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皆さんは、奇蹟を願った事がありますか。


私は、ありません。


自らに都合の良い奇蹟を期待してしまう自分の疚しさが、どこかこう、神に対する冒涜の様にも思えてしまうからです。病室で天井を見上げていると、自らを助けて欲しいという祈りにも似た思いが、不自由な身体の中を通り抜けていきます。奇蹟とは願うべきものではないのだと、自分に言い聞かせながら、私は今、天井を見上げています。


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罪深き迷い子である私たちの前には、理不尽な罪が、卑劣な咎が、終生安らぐことのない憂が、その儚い生を待ち受けています。この地では、人々は苦しみ、嘆き、血を流し、すべて肉なる者は茨の道を歩んでいかねばなりません。全ては神が与えてくださった試練なのだと、全ての人々は、自らの存在を奮い立たせることでしょう。


それはまるで、ゲームを遊んでいるかのようなもの。いかなる理不尽なバグも、卑劣なハメ技も、すべてが無に帰るバランス修正アップデートでさえも。それらはすべて、ゲームの仕様であるかのように。ただ、この世には、理が存在するだけなのだと、全てのゲーマーは、自らの存在を奮い立たせることでしょう。


我々人間は、不必要な知恵に支配されてしまった存在です。都合の良いバグは仕様だと言って利用し、都合の悪いバグは不具合だと言って糾弾する。自分に有利な偶然が起きた事を、奇蹟と呼んで感謝する。自分に不利な偶然が起きた事を、災厄と呼んで天を呪う。これほど不誠実な信仰の形もありますでしょうか。


奇蹟の発生を乞い求め、勝ったゲームの疚しさよ。奇蹟が起こらなかった事を嘆き、負けたゲームの愚かさよ。私はゲームで奇蹟を願わない。私は、あるがままの姿を受け入れたい。敗北を奇蹟で塗り替え、勝利を奇蹟に頼るかのような。ゲームをつまらなくしてしまう事を、神はお望みになってはおられないでしょうから。


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太古の昔、敬虔な人々は、「神は広くこの世のすべてに遍在している」と、世界をそう解釈しました。それは…、私たちがこうして遊んでいるゲーム内の「創られた世界」の中にも、神はいらっしゃるという事を意味するのでしょうか。ゲームとは、分解してしまえばPC内に記述されたソースコードにすぎません。ソースコードとは、分解してしまえばPCの中で煌めく0と1の光にすぎません。そうであるならば、私達はこの0と1の集まりのどこに向かって、祈りを捧げているのでしょう。


思えば100年前、仮想現実の技術を手に入れた時から、人々は既にゲーム内で奇蹟を祈っていました。ゲーム内で祈りを捧げるという事は、人は無意識のうちに、ゲーム内に神の存在を意識しているという事でしょう。全てが計算されたゲームの中で、仕様以外の事が起これば、それは本来不具合と呼ばれるべき現象だと分かっているはずなのに。人々は、ゲーム内で奇蹟を祈った。奇蹟と言う名の不具合が起こることを、祈ってしまった。祈らずには、いられなかった。


0と1にも、神は等しく愛を注がれていらっしゃる。いつしか敬虔な人々は、この世界をそう解釈するようになりました。現実との差がさほど無くなってきた仮想現実はもちろんの事、たった数十行のソースコードで出来たテトリスの中にでさえ、愛は等しく注がれているのだと。人々は、ゲーム内の作り物の空に向かって、純粋な祈りを捧げるようになりました。ゲームの中にも神は存在している。そうでなければ、ゲームの世界があまりにも、空虚で、軽薄で、無意味な世界になってしまいますから。


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しかし、信仰の形が様々な姿を持つように。時にその解釈は、多くのすれ違いを生んできました。聖なるかな。今回ご紹介するゲームはまさに…、「神がゲーム内にどこにいらっしゃるのか」の解釈の違いが、低評価の主たる要因となった作品です。


そのゲーム…「Veritas Vincit Omnia」は、中国は上海の葡萄科技有限公司という開発会社によって作られた、仮想の異世界を舞台に大勢のプレイヤー達が冒険者として戦う、「MMORPG」というジャンルのゲームでした。


人々はこのゲームを、かつて「17番目の聖母御出現」と、そう呼びました。

今は…、「聖母の名を騙ったゲーム」と、人々からそう呼ばれています。


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それは2048年8月、煮えるような夏の日のことでございました。


かねてより過疎に苦しんでおりましたとある中国産MMORPGの北米サーバーが、プレイ人数も少ないはずの深夜帯に異常処理を吐き出しオーバーヒート、突然全ゲームがダウンしてしまったのです。当時そのサーバーに接続していたのは、アメリカ人56名を筆頭に、メキシコ・カナダ・キューバ・ニカラグア・日本・台湾等々の、全97名の選ばれしプレイヤー達。その全員が全員、突如としてゲームから追放されてしまったのです。


とは言えこのゲーム、前々から悪評がついて回る、その道では名の知られたゲームでした。サーバーダウンはもちろんの事、未実装アイテム流出、グラフィック崩壊、連日連夜不具合発生。そしてその後に待ち受けるのは…、お決まりの長期メンテナンス。その場に残っていた97人のプレイヤー達は言わば精鋭、「これもまた、運営に言わせれば仕様だろう」と、よくよく覚悟の出来ている者ばかり。かの地では当時、ゲームに対する信仰心の篤い者以外は、もう誰も残ってはいなかったのです。


ゲームの名は、Veritas Vincit Omnia。あまりにもか弱いサーバーと、長時間労働を続ける運営によって、なんとかサービスを続けていた小さな小さな仮想現実。経営が続いているだけでも奇蹟的な過疎状態にあった北米サーバーは、連日連夜不具合の嵐の中でサービスを続けておりましたが、運営に文句を言う者は誰もおりませんでした。ゲームが存続してくれるだけで、それがどれ程有り難いことなのかを。残ったプレイヤーは皆、理解していたからです。


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この地にはかつて、優しさが溢れておりました。バグを見つければ「また新しい仕様が発見されました」と言って黙殺し、メンテナンスが長引けば「どうせもう寝るし別にそんなに頑張らなくてもいいよ」と運営の激務を応援し。サーバーから強制的にログアウトされ、プレイ内容の一部が消えて、一番最初のキャラクリエイト画面に戻されたとしても…。人々は、「ちょうどキャラクリエイト画面が見たいところだったんだよ」と、そう笑顔で述べたのでございます。


しかし、一体どうしたことでしょう。いつもと同じ不具合であろうと言うにもかかわらず、その時のプレイヤー達の慌てふためき方は、まるで冷静さを欠いた、虚ろな呟きばかりが溢れておりました。強制ログアウトを食らった者たちは口を揃えて曰く、「夢を見ているのかと思った」だの、「この世の物とは思えない光景だった」だの、「あんなイベントを仕込めるほど運営お金あったの?」だの、どこかとらえどころのない話ばかりが漏れ聞こえるのです。


かろうして生き残っていたゲームのユーザーサポートには、事の次第を知りたがるプレイヤー達が一斉に詰めかけました。そして当然ながらこちらも…、すぐにアクセス過多でサーバーがダウンしました。


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サーバーがダウンした瞬間を目撃した者たちは、自らが見た光景が一体何だったのかを、皆で話し合いました。あれは、どんなゲームの仕様とも似てはいないだろう。あれは、どんなゲームの不具合とも似てはいないだろう。あれはまさに、奇蹟としか説明のしようがない光景であった。


私達の知りうるあらゆるものの中で、あの光景に一番近しいものを挙げるとするなら…。それはまさしく、「聖母マリア様の御出現」しかありえない。


全97名の心優しきプレイヤー達は、まことにめでたく、「奇蹟」の観測者になられたのでございます。


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2048/8/12/2:12、「奇蹟」は音も無くはじまりました。


当時ゲーム内でプレイヤー達が集まっていた町、中心街エリア「ローゼンタ」の広場には、その時50名程度のプレイヤー達が集まっておりました。この寂れた町で流行りの笑い話と言えば、「このゲームはいつ終了するのか」「このゲームに課金したお金で何が買えたか」「このゲームに費やした時間で何を成し遂げられたか」の悲痛な三つの話題のみ。プレイヤー達は悪魔退治にも魔物狩りにも行かず、ただただこの世界の終わりを、身を潜めて待つだけでございました。


一体何万回目の「もうこのゲーム終わりだよ」が呟かれた時の事だったでしょうか。誰も彼もただ座って話していただけだと言うのに、突如として大地は歪み、空には光が満ち、画面の描画がラグだらけになったのです。「これはサーバー本格的に死んだな」と、プレイヤー達は口々にその光景を揶揄しました。しかしながら、ラグが起きるのはいつもの事でしたが、バグだらけのゲームとは言えグラフィックまで崩壊するような不具合は流石に珍しい。皆が皆、神秘的な空気を感じたことでしょう。


時が経つごとにどんどんと光が照る空を、人々が見上げた時の事でした。西の空から一筋の光が伸びてきますと、その光の向こう側から、何かが降ってきているではありませんか。このゲームの中に、風など吹くことはないというのに。はらり、はらりと、何やら赤いものがこちらに降り注いでくる。よく見れば、それは赤い花びら。このゲームの中に、花のアイテムなど存在しないというのに。ゆっくりと、避けようもなく、赤い花びらは広場いた全員に降り注がれたのでございます。


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「nullを取得しました」


プレイヤー達は、自分たちのアイテム欄に、「赤い薔薇の花びら」のグラフィックを持つ、これまでゲーム内には存在しなかったアイテムが追加されている事を確認しました。効果は何もない、名前にも説明文にもnullとしか表示されていない、「薔薇」にしか見えないアイテム。冒険者たちは、「ついに運営終了記念のイベントが始まってしまったのでは」と、赤い薔薇を手に訝しげに呟きました。


しかし、それが予定されたイベントでないことは、誰の目にも明らかだったことでしょう。赤い薔薇を手にした瞬間、プレイヤー全員に等しく、不思議なことが起き始めました。ステータス異常に陥っていた者は突如として回復、体力が減っていた者はその場で全快に、あらゆる魔物という魔物はその場でバタバタと倒れていくではありませんか。呪い状態に陥っていた者、死の淵に追い込まれていた者、悪しき魔物に追いつめられていた者、そのすべてが突如として奇蹟によって救われたのです。


人々は、感謝の声をあげました。感謝します。感謝します。一体何かはわからないが、この出来事に感謝します。狭いサーバーは、天から注ぐ光と、大地から湧き上がる感謝の声で、瞬く間に埋め尽くされました。するとどういう事でしょう。広場に座っていただけのユーザーたちのレベルが、何もしていなかったというのに見る見るうちに上昇していく。ふと見れば、所持金欄も見る見るうちにゲーム内通貨が増えていく。悪しき物事のすべてが消えていくかのように、世界は光に満たされていく。


ある時誰かが、その光景を「奇蹟だ」と、そう呼びました。


その時、人々は今奇蹟が起きているのだと、ようやく理解したのでございました。


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それは、光の洪水によって画面が真っ白になり、システムメニューですら眩しさで見えなくなっていた、そのすぐ後の事だったでしょうか。もしかすると、このサーバーにいた全員に、感謝の心が芽生えた瞬間だったのかもしれません。この地を覆っていた哀しみは消え去り、人々の心は清められた。サーバーにいた全員が、等しく天への畏敬を示したことに、奇蹟は応えてくださったのでしょう。


溢れる光のその向こうに、人々は人影を見ました。

優しくも静かな笑みを湛えた、どこか郷愁を感じさせる女性の、その御姿を。


まことにめでたく光に満たされ、サーバーは、完全にダウンしたのでございます。


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聖母マリアの御出現が歴史上はじめて観測されたのは、西暦40年10月12日、スペイン・サラゴサの出来事であったと記録されております。12使徒の一人である聖大ヤコブが、エブロ川の畔で数人の弟子とともに祈りを捧げておりますと、突如として、聖母マリアが天使を連れて柱の上に御出現されました。その光景を見た人々は、それを聖母の起こした奇蹟と、そう理解したのです。それ以降、無原罪の御宿りは、歴史上幾度となく人々の前に姿を現し、幾たびも奇蹟を世に残されていきました。


ルルド・ファティマ・シラクサ・リパ…。カトリックの総本山であるバチカンが認定した御出現は、現在16例。その他、地区司教のみが承認したもの、確認に出向いたものは数百。バチカンが承認しなかった小さな奇蹟まで含めれば…、その数は数千にものぼるとされております。重要な巡礼地となった御出現から、トーストの焼き目が聖母のお顔に似ていたとご婦人が声をあげたようなものまで、崇敬する聖母マリア様は、歴史のどこを切り取っても、広く、私たちに寄り添ってくださいました。


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「聖母出現」の一報は、瞬く間に世界を駆け巡りました。賛否両論、敬虔な信仰者から不誠実な無神論者まで、実際に何が起きたのかの解釈は千差万別。信仰を同じくする者達でさえも、聖母の名を騙った不誠実なゲームだと糾弾する者もいれば、崇敬する聖母は仮想現実にも慈悲をもたらされたのだと歓喜の声を挙げた者もいた。これまでの歴史上、奇蹟がゲーム内で起きたことはただの一度もありませんでしたから、人々は、その解釈にうろたえました。


崇敬する聖母は、御出現の際にいくつかの御印を残されることがありました。1953年イタリアのシラクサにおかれましては、聖母が流した涙によって多くの病人たちの病が癒されました。1948年フィリピンのリパにおかれましては、聖母の御出現によって修道院がバラの花びらで埋め尽くされました。そして1917年ポルトガルのファティマにおかれましては、三人の子らが聖母の御姿を目にしたと言われております。


思い返せば今回の御出現はまさに、どれをとっても過去の御出現と近しいものでございました。人々の病は瞬く間に治療され、あたり一面に薔薇の花びらは降り注いだ。天は歪み、光は満ち、人々はそこに慈悲深き女性の影を見た。誰がどこからどう見ても、それはまさに、我々の信じた奇蹟のあるべき姿ではございませんか。ただ一点、回復したのがゲーム内数値で、降り注いだのがゲーム内アイテムで、その世界が、人の手によって創られたものだった事を除いては…の話ではございますが。


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それは奇蹟だったのか、それとも不安定なサーバーが見せた0と1の幻に過ぎなかったのか。御出現から一週間、長期メンテナンスを行っていた本作運営の第一声に、人々は事態の明確化を望みました。しかし結局のところ、いくらゲーム内世界の神たる開発者と言えども、現実では彼らもまた一人の人の子。運営が解明できた真実は、人智を超えるものではない、些末な事実に過ぎませんでした。


まず第一に、降り注いだ薔薇について。これは、未実装の新規アイテムがデータとして既に登録されていたものであり、それが突如降り注いだ経緯については一切わからない。そして第二に、空に光が満ちた件について。これは、過去に作りかけで放棄した未完成マップに用意されていたものだが、それが突如実行された経緯については一切わからない。第三に、回復現象について。これは本来ゲームマスターの権限で実行できるコマンドだが、何者かに悪用された形跡は一切見つけられず。第四に、聖母の御出現について。これについては、もう何もかもわからない。


分からない。分からない。分からない。97人のプレイヤー達にとっては、いつも通りの運営の回答に聞こえたことでしょう。しかし、聖母の御出現ではじめてVeritas Vincit Omniaというゲームを知った人々にとっては、その発表はたいそう衝撃的なものでございました。ゲームを作っている人間たちにですら、まったく理由の分からない超自然現象が発生した。人々は、これまでそれを奇蹟と呼んできたのですから。


謎と慈愛に包まれた聖母の御出現は、「仮想現実の聖母」と呼ばれ、広く世界に知られることとなりました。仮想現実にも、聖母は降臨されることがあるのでしょうか。とすれば聖母は、このゲーム内のどこにいらっしゃるのでしょうか。0と1にも聖母がいらっしゃるのなら、このゲームだけではない、Pongにも、Tetrisにも、場合によってはAtariのE.T.にでさえも、等しく愛は降り注ぐのでございましょうか。


それまでの数十年間、過去の人々が先送りにしてきた議論の結論を、Veritas Vincit Omniaは突如として求められることになったのでございます。


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まず初めに聖母の御出現の確認に名乗りを上げたのは、本作のサーバーが置かれていたバハマの地区司教でございました。バハマの司教は、アジアサーバーでなく北米サーバーのみで御出現が報告されたことを重要視し、サーバーと呼ばれる小さく熱い箱の中で、奇蹟は起きたのだと解釈したのです。しかしながら、確認は難航を極めました。小さな島国であるバハマで教会が信頼のおける技術者を確保するのは難しく、ただただサーバーの前で祈りを捧げるだけの時間が過ぎていきました。


一方、聖母はソースコードに御出現されたのだと解釈する人々もおりました。本作の開発会社である葡萄科技が置かれておりました、中国は上海の地区司教でございます。「我が国から聖母の奇跡を」との呼び声のもと、各地から優秀な技術者が呼び寄せられました。しかしながら中国本土のカトリック教会である天主教愛国会は、ローマ・カトリックとは疎遠の中国独自の教会。本家カトリックとの政治的な駆け引きが発生し、確認作業はなかなか開始に踏み切れませんでした。


その間も、聖母の御出現の奇蹟にあやかりたいと、ゲームには世界中から巡礼者達がつめかけましたから。サーバーはあまりの負担で、泣き声をあげました。ゲームは連日連夜、ラグっては止まりラグっては止まりの繰り返し。巡礼者たちを狙った追剥は増加し、信者たちによる自警団が形成されるまでに至り。ゲーム内ははてさて、混迷の一途を辿るばかりでした。信じる者も、信じない者も。現世はかくも醜いものであることを、人々は改めて知った事でしょう。


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しかし、そんな混沌に、ある日一筋の光が差しました。


カトリックの総本山であるバチカンが、奇蹟の調査のための使節団を派遣することを、広く世界に確約したのです。バチカンは何十人もの優秀な情報技術者を抱える世界有数の集団、そしてもちろんのこと、世界のカトリックの最高権威でもございます。奇蹟を確認するのに、これ以上適した存在がいますでしょうか。


人々は、この申し出に感謝の叫びをあげました。Veritas Vincit Omnia運営陣は、今現在の混沌から自分たちを救ってくれる導者があらわれた、自分たちのゲームを広く世界に認めてもらえる機会が生まれたと、使節団を諸手を挙げて出迎えました。迷える運営は、このゲームを構成する全てのデータを、バチカンへと捧げました。


奇蹟は、あるべき者達の手によって、認定作業に入ったのでございます。


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実に、憐れむべき事でしょう。現在このゲームは、世界中の人々から「聖母の名を騙ったゲーム」と呼ばれ、忌み嫌われ、蔑まれ、世に語り継がれております。このゲームに石を投げる人々は、「このゲームの中で奇蹟など起きていない」と、口々に聖母の御出現を否定するのです。


しかしながら、それは決して、不信心者や異端者によって、はじまったわけではありません。「このゲームの中で奇蹟など起きていない」と最初に評したのは…、むしろこの世で最も信仰の篤い人々。信仰が篤いがゆえに、逆に奇蹟を軽く認めることなど出来るはずがなかった。


それは恭しくも、バチカンが本作に下した、最初で最後の評価でございました。


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この地球上でもっともオンラインセキュリティの技術を保有している集団とは、一体どこの誰でしょうか。アメリカ、中国、ロシア、インド。多種多様な解釈はありますでしょうが、おおむね一般的な正解は…、バチカンだとされております。


現在20億人を超える信者の情報を一手に管理しているボリューム、世界中の敵対者達から毎秒のようにサイバー攻撃を受けている経験値。これはそのまま前時代から、多くの信者達の悩みを抱え、それを敵対者達から秘匿し続けてきた、ローマカトリック1000年の歴史に連なる諜報体制でございます。聖なるかな。バチカンという協会は、祈りを捧げてきた聖職者の集団であると同時に、世界最高の情報技術者集団でもあった。そう言うべきなのでしょう。


上海とバハマを訪問した使節団は、祈りを捧げるのもそこそこに、本作のソースコードを一読。か弱いサーバーの中身をチラリと覗き込むと、ものの一週間で、Veritas Vincit Omniaという世界が作られた仕組みを解読していきました。結局、調査にかかった時間はたったの数か月程度だったように思います。それが発表されたのは…2049年の事だったでしょうか。バチカン使節団の聖なる声明は、世界万民の信者に向けて、古めかしい平面映像ストリーミングで布告されました。


「ゲーム内において、聖母の御出現による奇跡が起きたことは、確認できなかった」


「むしろ杜撰な管理体制による、バグ及びアカウントハックの被害だと思われる」


これまで人々が奇蹟と呼んで崇めてきたきたものの全ては、単なるゲームの不具合にすぎないのだという。あまりに慈悲深く、あまりに無慈悲な、発表でございました。


===


Veritas Vincit Omniaの運営体制は、かねてより杜撰だと指摘はされておりました。増え続けるラグはもちろんのこと、一見して挙動がおかしいbotでさえ活動を防ぐことが出来ず、ゲームにメールアドレスを登録すると中国から出会い系のメールが勝手に届くようになるなど。その評価は煉獄にも似た恐ろしいものでありました。不正行為によって増殖したアイテムがマーケットに流通し、相場が混乱することもしばしば。一人、また一人と、信じる者達以外は皆、このゲームを離れていきましたから。


信心深いバチカンの使節団たちは、サーバーの記録を確認し、運営が見つけられなかったハッカーの侵入の痕跡を発見しました。未実装のアイテムを一人だけが盗んでしまえば、不正行為はすぐにもばれてしまう事でしょう。未完成の演出も一人だけが盗み見てしまえば、やはりハッキングはすぐにもばれてしまう事でしょう。しかし、人の少ない時間帯に全プレイヤーに一斉に流出させてしまえば…、少なくとも、そのうちの誰が首謀者なのかは見当をつけられない。無実の人々に隠れること。それは侵入者の常套手段であることを、使節団はよくよく熟知しておられました。


調査の結果、「侵入者」はおそらく…、中国本土からハッキングを仕掛けていたのだろうと、バチカンは推測しました。非常に長い時間をかけて、運営に気づかれないように運営の管理用アカウントを搾取。その上で、ゲームを続けていた全プレイヤーのアカウント情報を搾取。自分が何者なのかを特定できないよう、全プレイヤーを隠れ蓑にした。体力回復やモンスター削除、レベルアップやゲーム内通貨増殖と言った、ゲームマスターにしか出来ないコマンドを一通り試した。…おそらくは、市場規模も大きいアジアサーバーで、それらを不正利用するために。過疎にあえいで終了寸前だった北米サーバー全体を、実験台に使ったのだ、と。


===


人々は、涙ながらに奇蹟の実在を訴えました。私はあの時、必ず聖母の姿を確認したのだ、と。アカウントハックやバグで大半の現象に説明がつくとしても、聖母の人影を見たことだけは説明がつかないのだと、喉からかすれた呻き声をあげました。


しかし、慈しみ深いバチカンの使節たちは、そんな彼ら悩みに寄り添うように、そっと、慈愛に満ちた声をかけてくださいました


「このゲームはサーバーがダウンして強制的にログアウトを受けると、最初のキャラクリエイトの画面に戻るでしょう。 あなた方が光の向こうに見た人影と、あなた方がゲームで使っている女性キャラクターの素体、どこかで見覚えはありませんか」


慈悲とは、かくも厳しいものなのでしょうか。使節団の発表は、最後の最後は、やはり清らかなる祈り言葉によって、こう締められておりました。


「この現象を観測されたアカウントは全て、クレジットカード情報が流出している形跡がありました、我々使節団としては、関係された皆さんの御無事を祈るものです」


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ある日突然、世界は終わりを迎えました。


全97名の心優しきプレイヤー達は、96名の憐れなアカウントハック被害者と、1名の悪しき不正者へ。聖母に祝福されたゲームを開発したはずの葡萄科技有限公司は、一夜にしてユーザーの個人情報を流出させた責任者となり果てました。


猛烈なバッシングの嵐が、個人情報流出による不安が、終わることのない運営への怒りの声が、瞬く間にゲームを支配しました。かつては優しさにあふれていた土地は、「不具合だらけだ!」と怒号が響き、「運営は責任をとれ!」と悲鳴が響き、苦しみ、嘆き、血を流し、すべて肉なる者は茨の道を歩んでいかねばなりませんでした。


Veritas Vincit Omniaの運営元である葡萄科技は、自らを愛してくれた人々が醜く争いあうその光景に、大変心を痛めました。聖母が去ったこの地に、一体我々はどうやって平穏を与えればよいのか。もっと言えば、どうすればこれから待ち受ける数々の賠償責任から逃れることが出来るのか。


===


答えは、非常に簡単な事ではございませんか。


「恐れ多くも、バチカンは誤った判断をされました。本作の運営に、アカウント情報流出のような形跡は、一切認められておりません。Veritas Vincit Omniaは、世界の敬虔な信仰者の皆さんに、胸を張って宣言いたします。2045/8/12/2:12、本作には確かに、聖母が御出現されました」


アカウントハックの被害を認められないという事は、奇蹟は実際に起きたのだと認める事と同義であるが故に。もとより、彼らにはもう下がることなど到底許されなかった。この宣言をもって、本作は正式に「聖母の名を騙ったゲーム」になり、そして一方で…、「17番目の聖母御出現」と相なったわけでございます。


===


世界は、怒りに包まれました。


歴史上はじめて、ゲームの不具合の責任を信仰に押し付けた者たちがあらわれた。自分達こそ真の教者であると名乗りを上げ、アカウントハックを奇蹟と称する者たちがあらわれた。自分たちの、信仰の自由を理由に。


人々は最初から、彼らの恐怖心を見抜いておりました。内心無理があるとは分かっていながら、そう宣言しなければ情報流出の責任をとらねばならないと恐れている。自らを奮い立たせて、「聖母は本当に降臨されたのだ」と偽物の信仰心を表明している。自らの信仰心を本物だと証明したいがためでしょうか。インターネットにはしばらくして、七色に輝く「聖母出現のゲームはこちら」のバナー広告の洪水が、あちらこちらで氾濫することになりました。


なにしろ葡萄科技の申し開きに従うのであれば、本作にはバグやセキュリティホールなど存在せず、不具合の全ては聖母によって引き起こされている奇蹟に他ならないという事になる。しかし運営は、一方で不具合を奇蹟と呼びながら、一方で使節団に指摘された不具合の修正アップデートをかけておりましたから。一体全体どういう理屈で、「自らが奇蹟だと信じているものを削除するアップデート」など行っているのかと。分かりやすい信心の詐称に、人々は怒りに打ち震えたのでありましょう。


===


北米サーバーを管理していたバハマの支店には、「そんな箱の中に聖母はいらっしゃらない!」と、怒れる暴徒が連日連夜を通して詰めかけました。荒っぽい抗議を前に、運営はVeritas Vincit Omniaの全世界同時の運営休止を決定。バハマのサーバーは、こっそりと上海の本拠地に移管されることとなりました。何故サーバーを上海に退避したのかと問われて曰く、「これは聖母が御出現されたサーバーであり、不信心者から守る必要があった」と、運営はそう答えてバハマを去っていきました。


しかし、海を渡って逃げた上海も、既に安全とは言いがたい場所でございました。中国のカトリック信者達も、たいそう驚いたことでしょう。「ソースコードにこそ聖母は御出現されたのだ」と表明していた彼らは、突然の運営による「聖母はサーバーに御出現された」発言に、不意に面目を潰される形になりましたから。サーバーが逃げてきた上海の本店にも、「そんな箱の中に聖母はいらっしゃらない!」と、怒れる暴徒が連日連夜を通して詰めかけました。


===


2050/01/23、春のはじまり。それまで頑なに本社の扉を閉ざしてきた葡萄科技でしたが、この日、入居していたビル自体が春節を迎えて警備が甘くなっていた事もあり、脇の非常階段から、ついに暴徒の一部の侵入を許してしまいました。


響き渡る怒号、むせかえる熱気、無理にこじ開けられた会社の扉。


その中にあったものは…、もぬけのからとなった葡萄科技の跡地と、バハマから移管してきたサーバー本体だけでした。人も、悪魔も、聖母も、そこにはもう何も動くものはありませんでした。


Veritas Vincit Omniaは、ゲームとしての事実上の終了を迎えました。


敬虔な葡萄科技は、最後まで自身の信仰心を嘘だと認めることはなく、模範的な殉教者として、現世における使命を全うされたのでございます。


===


はてさて、ここまでお話を聞いてくださった皆さん。最後に一つ、私から身勝手なお願いがございます。皆さんの信仰を、私めにお教えてはくださいませんか。このゲームに降りかかった現象は、この世の「奇蹟」だと思われますか。それとも、単なる「不具合」だと思われますか。


かつて、96名の心優しきプレイヤー達は、自分たちの目に映ったものが「奇蹟」であったのか「不具合」であったのか、深い深い迷いの道中にありました。


あれは奇蹟だったと認めてしまえば、本作を非難する人々から、自らもまた悪魔の手先として扱われることでしょう。しかしあれは不具合だったと認めてしまえば、あの一件で得られた利益を甘受してきた自分たちは、不正行為を追認した共犯者として扱われてしまうことでしょう。とは言え、あまりに沈黙ばかりしていても、まるで自分が犯人であるハッカーかのような疑いを周囲に与えてしまいかねない。


96名の心優しきプレイヤー達は、大いに苦悩しました。何が神の起こした奇蹟で、何が神の名を騙る幻なのか。人は皆、それを正しく見極める力を生まれ持っては来れぬがゆえに、生涯を通して常に真理を探し迷い続ける運命にある。


人はその時、それぞれの信仰の形を問われるのでしょう。信仰とは、人が迷いに陥った時、何が真理で何が虚偽なのかを、判断するための教えなのですから。


===


今日語り継がれている伝承によれば、ゲームの中で聖母の御出現を目撃した96名のプレイヤー達は、聖なる御出現を、人々にこう伝えたとされています。


「幾度となくデータの流出やグラフィックの崩壊はありましたが、運営がそれを不具合だと認めた事は一度もありません。このゲームで発生したことの全ては、プログラミングされていた仕様でしかない。私たちはそう信じてゲームを遊んできました」


私達が見たものは、奇蹟でも不具合でもない。

あれがゲームの仕様だと思っています、と。


2115/7/4 (Article written by Alamogordo)


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