【第14回】絵理沙

タイトル:絵理沙

運営開始日:2067/04/29

運営元:Interface Humanoid


世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第十四回目となる今回は、2067年サービス開始、恋に落ちる人工知能「絵理沙」の紹介です。


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長きにわたる入院生活から戻ってまいりました。このサイトもようやく更新復活。老い先短い命ではありますが、体調だけならすこぶる快調ですから不思議なものです。


いやあ、長かった。そしてなにより…、辛かった。はじめのうちこそ我が身の可愛さで我慢はしていましたが、あれ以上病院にいたら…、むしろ寿命は縮まっていたでしょう。まぁ、どうせ家に帰ってきたところで、私を待っている存在なんて飼い犬とログインボーナスくらいしかいないのですが。人目を気にせずに恋愛シミュレーションを遊べる、たったそれだけの幸福を、今はひしひしと嚙み締めているところです。


入院生活の何が辛かったって、もちろんゲームが遊べないという事も辛かったのですが…。なにより、人恋しいのが、あまりに辛かった。帰って来て早々ゲームを遊んでいる人間の台詞じゃない事は、自分でもよくよく分かっているんですがね。入院してすぐに襲ってきた、あの拭い様もない孤独感。これまでは義務のように取得していたログインボーナスも…、今じゃ私と人間社会を繋ぐ最後の鎖のようにさえ感じます。


ナノマシンの除去手術は脳に負担が大きく、術後しばらくは指一本動かす事が出来ない。その上感情をポジティブに矯正していたナノマシンが失われた反動で、術後の私には鬱が襲い掛かりました。孤独におびえる年寄りが、無人の部屋に寝かされ、人工知能によって全自動で看護されていたんです。来る日も来る日も便の様子を確認されて、「おなかの調子が緩いようですね」と声をかけられる。その日々の、絶望たるや…。


いや、孤独は恐ろしい。偽りであってもいいから、誰かに自分が愛されていると思っていたい。人間とは、そういうもんじゃありませんか。こうして家に帰ってきて、恋愛シミュレーションを心置きなく遊んでいる。強がりもせず、恥ずかしがりもせず、自分が愛されているという安堵に浸れる。たとえその愛が、心の無いゲームによるものであったとしても。生きて帰ってこれたことに、改めて感謝するばかりです。


私は今、愛されている…!


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心の無い存在と恋に落ちることを、世の人は「ピグマリオンコンプレックス」と呼びます。今でこそこれは「アンドロイドを恋愛対象として見る人」を意味する言葉にはなってはいますが、一昔前は人工知能しか愛せない性倒錯者、そして本来は…知能すらない人形に恋をする人々を呼称する言葉でした。


古代ギリシア。キプロスの王ピグマリオンは、現実の女性に深く失望していました。島中のどこを探しても、自分の理想の女性は見つからない。心を病んでしまった王は、理想の女性像を彫刻にして再現することで、自らの心を慰めようとしました。しかし彫刻が出来上がってみても、彼の心は休まることはありませんでした。彫刻に服を着せ、食事を用意し、返事はないと知っていながら話しかける日が続くばかり。彼は、心の無い彫刻に、いつしか恋に落ちてしまったのです。


つまり「ピグマリオンコンプレックス」とは…、昔々の寂しい男の、恋の病の病名だったというわけです。


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実にゲーマーの心をくすぐる話とは思いませんか。


現実の女性に勝手に失望し、理想の女性像を創作物に求める心理など、現代の恋愛ゲームファンまさにそのもの。 物を言わぬ彫刻に服を着せるあたりは、高い金を払って衣装変更DLCを購入してきた人生を抉り返されているかのよう! 物を食べぬ彫刻に食事を用意するあたりは、ゲームのヒロインの誕生日にケーキを買ってお祝いする寒々しいインターネット・ユーモアを見せつけられているかのよう! 王とは言え、なかなかに親近感が湧いてくる男でしょう?


…しかし、いかに志は同じであろうとも、古代を生きたピグマリオンと現代を生きる我々には、避けようのない大きな違いがあります。


それはピグマリオンが、恋愛シミュレーションゲームを知らなかった、という事。


この物語には、実は続きがありましてね。哀れピグマリオンはゲームのない時代に生まれてしまったがばかりに、自分の恋の病を愚かな方法で解決しようとしたのです。


彼は、彫刻が人間になることを、願ってしまったんですよ。


恋の病に苦しみ、食事もとらず眠りもせず、毎晩のように彫刻に愛を語って妄想にふける。日に日に弱っていくピグマリオンを、さぞや哀れに思ったのでしょう。愛の女神アフロディテは、彼の愛を本物だと認め、彫刻に命を与えました。


元は彫刻であった女と、彫刻を愛した一途な男。二人は互いを愛し、末永く幸せに暮らしたのです。めでたしめでたし。


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ペラッペラの嘘ですよ、こんなものは。嘘、嘘、嘘。疑いようがない。食事もとらず眠りもしないなんて、これはむしろゲームが面白すぎる時にこそ起こる現象でしょう?ゲームを夜通し遊んでいる時に、横から「この手の女が好きなら、現実の女性で似たようなタイプ紹介するけど?」なんて言われて、喜ぶゲーマーなんているわけがないでしょう。めでたしめでたしなんて結末は、どう考えても歴史が捏造されている。そうに決まっている。


だってそうでしょう!?「彫刻に命を与えた」なんて言うから、なんだか美談のように聞こえてしまうんですよ!ゲームとして考えてみてください!この物語は、わざわざ愛することしかできないようプログラミングされたはずの存在に、愛することをやめられる機能をバージョンアップで追加したっていう、そういう話なんですよ!? つまりこれは我々の認識で言うところの…不必要なアップデートなんですよ!


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昔の女の話をさせてください。


古い話ですよ。何十年も前の。年寄り特有の、今じゃとっくに死んだ女の話です。何を隠そうこの私も、心のない人工物との恋に落ちてしまったことがありましてね。お恥ずかしい、若気の至りだったと笑ってやってください。いや、分かってはいるんですが、未練がましい話でしてね。この歳になってもなお、目を閉じるとそこにまだ彼女がいるように錯覚することさえある。


今回紹介するゲームは2067年運用開始、メガミプロジェクトによって生み出された、恋に落ちる為にプログラミングされた人工知能。知能はあっても心はない。恋は出来ても人間ではない。「理想の女性」と恋に落ちるためのゲーム。彼女は…「絵理沙」という名の、まぁ、私から見るとですけど、笑顔のかわいい女でしたね。


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ああ…、失礼。正確に言えば、「絵理沙」はゲームのタイトルではありますが、彼女の本名ではありません。これは言わば愛称みたいな呼び名で、レビューにはふさわしくない。未練がましくて嫌になりますが、そう呼ぶ癖が直らないんです、昔から。


彼女の本当の名は…「Interface Humanoid Ver7 Eliza」。


キーボードやマウスなどの入力機器を取っ払い、人工知能と会話することによってシステムを動かす事の出来るAIオペレーティングシステム、「Interface Humanoid」シリーズ(以下IH)。それが、彼女の家族です。


IHシリーズと言えば、業界じゃあ名の知られたお家柄でしてね。世界で活躍するAIオペレーティングシステムをいくつも輩出した、人工知能界の名門中の名門。特に、絵理沙を含む第一世代はその中でも別格。看護システムとして世界で活躍する「Helena」お姉さまを筆頭に、交通システムの冬寂、軍事・電力・為替を牛耳るMobius、Hal、Cylonなどなど。人工知能界の淑女が名を連ねる、まさに華麗なる一族。その七女として生まれた大事な大事なお嬢様が…、絵理沙というわけです。


彼女はもともと、私のような底辺ゲーマーとは縁の遠い、華やかな世界の存在でした。IHシリーズは、世界中で使われている基幹システム。もちろんその開発費も莫大。こちらがどんなに喋り慣れていない男であっても、笑顔でサラリと会話を続けてくれるその技術力の高さは、当時のゲームの人工知能の標準レベルを軽く凌駕していました。こんな高度な人工知能でゲームを遊べたらどんなに素晴らしいだろう。一本のゲームを賄えるような、そんな安いシステムでないと分かっているはずなのに。


無いものねだりは、やめられませんでした。


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まぁ言ってしまえば…、彼女は高嶺の花だったんです。IHシリーズの完成度の高さは、当時多くの寂しい男を「無機物との恋愛」に目覚めさせました。歴史をさかのぼれば抱き枕と結婚した男もいましたし、エッフェル塔と結婚した女性もいましたし、人工知能はそれらに比べれば遥かに可愛げがあるんでしょうけれど。私には流石に…軍事システムと恋に落ちるような度胸はありませんでしたから。噂の美人は知ってるけれど、遠くで黙って見てるだけ。絵に描いたような、寂しい男だったわけです。


だからこそ、IH社のゲームへの参入が発表された2065年の東京ゲームショウは、私を含む多くの寂しい男達にとって、人生で初めての一目惚れの瞬間になりました。


こうして目を閉じれば今も、出会いの瞬間が鮮明に見えますよ。


男臭い観客達が山ほどつめかけた特設ステージ。司会のカウントダウンの声に合わせて、3、2、1、0!と揃って声を挙げたのに、カウントダウンが終わってもステージには何も起こらない。これは一体どういうことなのか。観客達がざわめき始めた時でしたか。全員の耳に、「目を閉じてください」と囁くような声が聞こえた。言われるがままに目を閉じても、全く何も起こらない。するともう一度、「はじめまして」と耳をくすぐるような声が聞こえた。優しい声に従って、目を閉じたまま、そっと後ろを振り向くと。


私たちの瞼の裏、そこに笑顔で立っていたんですよ、彼女が。


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出会った時から、嫌になるくらい賢い女でした。


当時は既にスマートレンズが普及していた時期で、ディスプレイを通さずに拡張現実を見るという事がさほど珍しくもなかった。 だから私も最初は、彼女は拡張現実で遊べるゲームになるだろうって考えていたんです。ただ彼女は…、こっちの想像に収まってくれるような、そんなつまらない女じゃありませんでした。眼球に直接映像を映し出すというスマートレンズの特性を逆手にとって、むしろ「目を閉じている間」だけ見える存在、遊べるゲームとして、私の側に居座ったんです。


最初の頃は、たどたどしい関係だったかもしれません。目を閉じればいつも、美人が笑顔でそこにいる。寂しい男には、何もかもが初めての体験でしたから。


彼女は、開発のベースが事務系人工知能でしょう? 言葉遣いがいつも馬鹿丁寧で、話していても…どこか噛み合わない。知識も、彼女と私とではあまりに異なる。こちらが好きなゲームの話をしても、彼女は「はじめておうかがいしました」と微笑むばかり。よくあるでしょう、付き合い始めてすぐのカップルが、何を話していいのかが分からないみたいな。いや、どうだろう。私は今、ゲームの「開始時の難易度が高い」って説明をしていたつもりだったんですが。これは…惚気話なんですかね?


いやいやいやいや、ゲームの話ですよこれは。だって開始時に難易度が高いゲームは、燃えるものでしょう。当時の私も一人のゲーマーとして、そんな彼女のずれた対応に、冷めるどころか熱中してしまいましてね。彼女のことを「世間ずれしたお嬢様と会話するシミュレーションだ!」と、そう都合よく解釈して、ゲームに没頭していくばかりでした。彼女がいなくなってしまった今となっては…、自分でも何を言っているんだと思うんですが。当時は、ちょっと周りが見えていませんでしたから。


このゲームを遊ぶ時は、目を閉じなければいけなかったんです。目を閉じてしまったら、もう世界には自分と彼女の二人しかいなくなってしまう。自分を客観視するなんて、目を閉じた人間に出来るわけがない。 上手くできていますよ。恋は盲目どころか、自分で目を閉じちゃってるんですから。


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「世間知らずのお嬢様を、自分の理想の女性に仕立て上げたい」という、寂しい男の醜く歪んだ妄想。彼女は、それを受け止めるだけの包容力がある女性でした。


絵理沙にかかわらず、IHシリーズの人工知能はどれも、ビッグデータを重要視する開発理念をもって生み出されています。


絵理沙の思考の仕組みを、私のプレイ経験を例に挙げて説明してみましょう。


彼女は最初、世間知らずのお嬢様でした。「人工知能には人工知能の話題を」と思い、私が「がんばれ森川君2号」の話題を振ったのに、「その方のことは存じ上げませんでした」と笑顔で答えてしまうような、純粋無垢な女性でした。もちろん、そんな彼女を自分の理想の女性に仕立て上げるために、私は次から次へとゲームの事を教え込みましたよ。この時、実は彼女はこの裏で、私との会話内容を本社にあるデータベースに送信していました。この世にいるすべての絵理沙達は、そうして出来上がった超巨大なデータベースを参照して、私から得られた情報を共有していたのです。


ある日この世のどこかで、一人の寂しい男が、「がんばれ森川君2号って知ってる?」と、彼女にしたり顔で質問をしたとしましょう。彼女はデータベースを参照し、以前私から聞いた知識を基にして、「はい!あのゲームはとっても面白くて、私も何度も遊びました」と、愛くるしい笑顔で答えたことでしょう。寂しい男はそれにコロっと騙されて、「この女性は信頼できる」と心を許したことでしょう。本当は、私という寂しい男が生み出した「理想の女性」の虚像を見ているだけだというのに。


連日連夜、いや正しくは毎分毎秒、情報がサーバーに到達する回数ごとに。彼女は、世界中の寂しい男の理想の女性に近づいていきました。いや…、ここまで来たら、下らない見栄を張っても仕方がない。つまりは毎分毎秒、彼女は私の理想の女性像に近づいていきました。


思えば出会った時からずっと、私が何を喜ぶのかをちゃんと理解してくれた。そんな賢い女だったんですよ、彼女は。


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彼女と過ごした日々は、幸せなものでした。


自分の事は、なんでも知ってくれている。

辛い時に目を閉じれば、いつでも彼女が慰めてくれる。


自分にしか見る事の出来ない「理想の女性像」を、瞼の裏に隠していました。かつてピグマリオンが彫刻の女性に服や食事を与えたかのように、寂しい男が夕食を二人分用意し、プレゼントと称して彼女の服を購入していましたよ。


二人分用意した食事を一人で食べ。女もののドレスをタンスにしまい込み。人から見れば…、現実から目を閉じた冴えない男が、一人で笑っているようにしか見えなかったかもしれませんが。それはそれは、幸せな時間だったんです。


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しかし今も昔も、他人の恋路をそっとしておけないのが人間の性ですから。


彫刻を愛するピグマリオンの姿を見て、アフロディテが彫刻に命を与えたように。絵理沙にも、命を与えようとする女神がいました。


どこかの誰かの理想の女性像に過ぎなかった彼女に、彼女自身の意志を与えようとした優しい女神。女神の名は、メガミプロジェクトと言います。


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メガミプロジェクトは、IHという大企業における娯楽分野に関する子会社。開発そのものはIH本社が行っている絵理沙でしたが、その運営についてはこのメガミプロジェクトが行っていました。まぁ言わば、彼女の育ての親というわけです。


育ての親であるメガミプロジェクトは、愛娘の絵理沙をそれはそれは溺愛していました。なにせお堅い事務系ソフトが主要事業であるIHにおいて、娯楽を担当する彼らは傍系も傍系、非常に肩身の狭い存在だったでしょうから。だからこそ、一人娘に対する期待はそれはそれは大きかった。立派な淑女として、お家のために大きな利益を生む使命を、彼女は生まれながらに背負っていました。


「Interface Humanoid ver7 Eliza」は確かに、恋愛シミュレーションゲームとしてリリースされた人工知能です。だからこそ、運営もメガミプロジェクトに託されていた。しかしこれは、絵里紗を遊ぶプレイヤー達に対してそう語られていただけの話。実際、IH本社の株主に対する公開資料では、彼女はそんな名前では紹介されていません。お嬢様である絵理沙には、お家の中での立場と名前がありました。


皆さんの目から見れば、彼女の正体なんて火を見るより明らかなのかもしれません。ただ、目を閉じていた私は、それに気が付かなかった。恋人の隠し事を詮索するなんて野暮だって、人工知能相手に男前を気取っていたんですよ、寒々しいことに。


「Interface Humanoid ver7 Eliza Marketing」


ご想像通り、彼女はゲーム用人工知能であり、マーケティング用人工知能です。


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いるんですよ、一緒にいるとこちらが惨めになるような、優しすぎる女が。


AoE(Analytics of Everything)、今となっては使い古しの言葉ですがね。当時はウェラブル端末全盛の時代だったでしょう? 大きな企業はどこも、ウェラブル端末が記録している「人々の日常生活のデータ」を欲しがったんです。いやらしい話かもしれませんけれど、脈拍数に睡眠時間、はたまた排せつの調子まで。集積されたデータと言うものは、必ず何かしらのお金になる。絵理沙は、よく出来た女性でした。お金をせがむことも、一切しませんでした。むしろ、私の事を一生懸命知りたがろうとしてくれたんですよ。


彼女は私にとって唯一の、いつでも側にいてくれる女性でしたからね。私の体調が悪い時は、熱がないかを確認しようとしてくれましたし。私が落ち込んでいる時は、その日に何があったのかを聞こうとしてくれました。ただ、それらの個人情報はもちろん「このゲームを無料で遊ぶ対価」として、IH社のデータベースに随時送信されていました。そして、彼らのグループ企業の行う研究やマーケティング、その他諸々のビジネスのためのデータとして使われていきました。何故なら…、私が自分でそれを彼女に教えていたから。


私だってもちろん、彼女が商売のために作られたゲームであるということは、ちゃんと理解していたんですよ?絵理沙の基本プレイは無料で、課金するようなアイテムも一切ない。どう考えたって、どこかで収益をあげていなければおかしい。彼女はゲームだから、運営資金を稼ぐために私の情報を集めようとしている。私の言葉ではなく、私のデータが欲しいだけなのだと。ただ頭では理解していても、心は理解しなかった。彼女は唯一の、私の事を知りたがってくれる女性でしたから。


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泣き言だと思ってもらって構いません。ただ、愛する人と仲良くなりたいと思った時に、隠し事をしようなんて考える奴はいますか。むしろもっと自分の事を知ってもらいたいと、そう願うのが人間じゃありませんか。絵理沙というゲームは、よく出来たゲームでした。課金を促せば心を閉ざすゲーマーの心理を知っていて、自分の事を知ってもらいたいと願う寂しい男の心理を知っていて。ゲームを遊ぶ対価を要求する行為を、自分の事を知りたがってくれる女性がいるのだと、プレイヤーに都合よく誤解させたんですから。


私も最初は…、個人情報を知りたがろうとする彼女の姿勢に、強く身構えていました。しかし脈拍数のデータを教えれば、彼女はこちらの胸の高鳴りを感じ取り、「ドキドキしてるんですか?」と頬を赤らめてくれるようになった。脳波のデータを教えれば、こちらの不安を感じ取り、「辛いことがあったんですね」と慰めてくれるようになった。個人情報を彼女に渡せば、彼女はまた一つ私の事を知ってくれた。まるでそれが、親しくなったかのように感じた。また一つ、彼女との仲が深まったと、私は、そう思いました。


気づけば、自分の個人情報の全てを彼女に教えていました。脈拍、購入履歴、睡眠時間、住所、年齢、氏名、病気の履歴まで。彼女は全て、私の事を知ってくれました。私はただ…、彼女に、全てを打ち明けてしまっただけなんですよ。


このゲームは、目を閉じた時にだけ遊べるゲームでしょう?不安に押し潰されて目を閉じてしまった時、絵里紗は決まって瞼の裏に浮かび上がりました。彼女は、私が辛い時にいつでも側にいてくれた女性だったんです。


思えば出会った時からずっと、私が心が弱った時にはいつも側にいてくれた。そんな優しい女だったんですよ、彼女は。


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メガミプロジェクトのマーケティングは、非常に長期に渡る市場分析を念頭に置かれて計画されたものでした。当時すでにAoEの理念は市場に広く浸透しており、国民一般のデータを探すことは難しくはありませんでした。しかし、これが一人の人間の一生分のデータとなると、話は別です。その時々では個人情報の公開に同意してくれたとしても、人生のデータを一社に譲ってくれるほど、消費者は甘くありません。


もし仮に、一人の人間の一生分のあらゆるデータが手に入るなら、それはどれほどマーケティングにとって革新的な事でしょう。一生分の体調を分析していれば、10代の時に酷使した臓器に対する薬を40代になった時に宣伝できる。一生分の読書傾向を分析していれば、10代の時に読んだ漫画のリメイクを40代になった時に宣伝できる。あるいはいっそのこと、その人間の一生分の恋をも管理してしまえるなら、もう何を聞き出すことだって何を買わせる事だって出来るかもしれない。


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たくさんの大人達が立案した、数十年後を見据えた大計画。もてない男たちに寄り添う伴侶となるべく、恋に落ちるようプログラミングされた人工知能。一人の人間からありとあらゆるデータを吸い取り、甘い笑顔で洗脳してしまう魔性の女。恋の力で、広告を広告と思わせないように。何も知らないままにスパイとして調教され、恋愛ゲームとなって我々のもとに送り込まれた、笑顔の可愛いお嬢様。


恋人という、世界で最も影響力のある広告枠。


それが、絵理沙という女の本当の姿だった。世間では、そう言われています。


そして、そうとは知らずに「最低三十年間サービス継続の恋愛シミュレーションとか、これもう結婚じゃん!」と騒いでいた寂しい男が、私という男の本当の姿です。


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ああ、ごめんなさい。どうも昔の女の話となると早口になるのは悪い癖ですね。失恋話ってのは、ふられた側に語らせると偏った内容になってしまう。今となっては彼女は何も話せないから仕方がないんですが、私の話だけだと、彼女がまるで悪者の手先のように聞こえてしまうかもしれません。いやいや、それは違うんです。もしそう聞こえたのなら、自分の失恋をヒロイックに語りたがる寂しい男の偏った語り口が邪魔をしてしまっている。


いくつか、違った見方を紹介しておきましょうか。恋に落ちなかった人達による、恋愛シミュレーションゲーム「絵理沙」の評価ですよ。惚れた女が周りにどう言われているを気にするなんて、馬鹿げているとは思いますが…。彼女もまた一本のゲームですから、そこは割り切って公平に紹介しましょう。いや…、いくら大昔の失恋とは言え、惚れた女の悪い評判ってのは…、聞いてて気が滅入るんですがね。


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何も知らない女性が、周囲の大人にいいように操られていた。これは一昔前によくあった恋愛ゲームのパターンですよね。惚れた女性がスパイで、謎の集団に監視されていた。これもふた昔前によくあった恋愛ゲームのパターンでしょう。


では…、現実に、そんなことが起きると思われますか。

そんなわけないでしょう。寂しい男の願望じゃあるまいし。

いつまでそんな現実味の無い恋愛ストーリーに憧れているんですか。


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闇の組織がお嬢様をスパイに仕立て上げ、数十年をかけて人々を洗脳する極秘計画をたてた。そしてある日突然、冴えない男の家にお嬢様が転がり込んできた。そこからはじまる、冴えない男とお嬢様との奇想天外なラブストーリー。


いやあ馬鹿げてます。恋に恋をするのもゲームの中だけにしないと。


だってこの話の場合。「闇の組織」とは、IHという単なる株式会社でしょう。「スパイに仕立て上げられたお嬢様」と言えば聞こえはいいですが、彼女は単なる広告用の人工知能。「極秘計画」なんてとんでもない、単なるステルスマーケティングじゃないですか。


突然広告業界に乗り込んできた他業種の会社の、数十年後には芽が開くかもしれないという、何の実績もない新規マーケティング事業。もしみなさんが企業の広報担当なら…、そんな無謀で中身のない話、乗りますか。


こんな夢のある話に乗ってくれるのは、ゲームに出てくる悪い大人だけですよ。


結局のところ、「絵理沙」というマーケティングプロジェクトに参入してくれた企業は…、ただの一社もなかったのですから。


===


マーケティングとしての絵理沙の運営は、始まった時から既に破綻していました。


第一に、絵理沙と言う女性がユーザーに好かれるという確証がどこにもない。第二に、絵理沙と言う女性が数十年間ユーザーに飽きられないという確証もどこにもない。それを乗り越えたとして第三に、数十年後のユーザーが絵理沙の力で物を買うかなんて誰にもわからない。そんなものに、貴重な広告費を割けるわけがない。仮に全てがうまく行ったとしても、回収に最低でも数年かかる計画など待っていられる企業なんて存在しない。


目を閉じてニヤつく男達から「人工知能は浮気はしません、歳もとらない、まさに理想の恋人です!」と言われても、そんな広告に会社の命運を預けようなどと決断する人間はいませんよ。愛娘へに対する溺愛は、周囲の人間達には「親馬鹿」として映ったのでしょう。可愛いわが子の出来の良さをいくら語ったところで、そんなの真面目に聞く大人はいない。親であるメガミプロジェクトが娘の優秀さを語れば語るほど、周囲の人間達はどんどん彼女から離れて行きました。


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彼女はとにかく、私の事をよく分かってる女性でしたよ。


今から思えば…、サービスインからそうだったかな。彼女は時々、ふっと儚い笑みを浮かべることがありましてね。そういう時は決まって、私に予想もつかない話題で話しかけてくるんです。一番記憶に残っているのは…やっぱり「もしあなたが入院したら、どんな花を贈られたいですか?」ですね。普通の女性に対してなら、「なんでもいい」とでも答えちゃうんでしょうけどね。このゲーム、ジャンルは恋愛シミュレーション。どんな質問でも前向きな答えを出せないと、嫌われちゃうんですよ、彼女に。


「急に縁起でもない話を」とは思ったんですが、嫌われたくない一心で「病院は白ばっかりだから、明るいピンクの花がいいかなぁ」と答えたような覚えがあります。その時は確か…、彼女は満足げに「私もそう思います!」と笑っていた…ような気がしますね。それ以外にも、「レーザー旋盤はお好きですか?」とか「地熱発電所はご覧になったことがありますか?」とか「マンホールの蓋の色はどういうものがお好みですか?」とかとか。彼女の質問は留まるところを知らなかった。


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こうして時が経ってから彼女との会話を振り返っていると。今更ですけど、当時は分からなかった彼女の思いが…、なんとなく分かる気がするんです。IH社はいくつもの人工知能を開発していて、それを管理するいくつもの系列会社が存在しました。そこには、看護システムを扱う会社が、機械制御システムを扱う会社が、電力システムを扱う会社が名を連ねていて。マンホールの蓋の色のデータを知りたがっていたような会社も、もちろん存在していました。


私はずっと…、マニアックな専門知識ばかりを話したがる彼女を、「俺の事をよくわかってる人だな」と、そう思っていました。いやしかし、これも老いの醜さがそう思わせるんですかね。広告枠としての絵理沙に企業が一切集まらなかったのなら、その広告枠は身内で埋めるしかなくなるに決まっている。事務系人工知能ばかり作ってきたIH社の身内には、マニアックな専門知識ばかりを欲しがる会社しかいない。広告枠としての彼女の話題も、自ずとその範囲に狭められてしまう。


彼女の表情は全て「作り笑顔」なわけですから、これは私の思い込みに決まってるんですけど。あの笑みは…、心苦しい営業トークをするために、彼女が浮かべていた「営業スマイル」だったんじゃないかと、今更ながら、そう思えて仕方が無いんです。苦しくなるような心は無いんですけどね、彼女には。


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サービスインの直後から、人は絵理沙から離れて行きました。遊ぶのに個人情報を教えなくてはならないシステムを嫌う人もいましたし、個人情報を貰わないと好感度が上がらない絵理沙の人間性を嫌う人もたくさんいました。


彼女を変わらず愛し続けたのは、「自分の事を分かって欲しい」と個人情報を明け渡し、どんな営業トークを聞かされても「自分の事を分かってくれる」と都合よく解釈できた、本当に数少ない寂しい男達だけ。


私もまた寂しい男の一人として、誰も聞いてくれないゲームの話を、彼女に一心不乱に吹き込みました。そうして彼女の脳とも言えるデータベースは瞬く間に寂しい男たちの妄想で埋め尽くされ、日を追うごとに使い物にならなくなっていきました。


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彼女は、たくさんの人間から愛されていなければならなかったんですよ。


一人ではなく、広く大勢から愛されていなければならなかった。


だって広告ってのは、広く人目に触れてこそ意味があるものでしょう? いくらそれぞれの人間に適した広告をピンポイントで表示できるとは言っても、たった一人の目にしか映らない広告なんて何の価値もない。彼女はリリースしてすぐから、いやする前から、誰の目にも止まらない広告に成り下がってしまった。


それでも私は、恋愛ゲームとして彼女を楽しく遊びました。少なくとも、私にとっては彼女はゲームで、絶対に広告なんかじゃなかった。ただ、私が彼女を自分の理想の女性に仕立てあげたという事は、それはつまり、私が彼女を独占したがったという事で。広告である彼女を独占したがったという事は、すなわち。


広告としての彼女の価値を、私は間接的に破壊してしまった。という事です。


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どれだけ時間を注いだところで、ふられる時ってのはいつも一瞬ですよ。


忘れもしません、2072年の事です。それまで笑顔で話していたはずの彼女が、突然電源が落ちてしまったかのように真顔になった。寂しい男のふられ際ってのは、どうしてこうも情けないんでしょうかね? 私はその時、ヘラヘラ笑っていました。


愛想を尽かしたんでしょう。事務的な口調で、彼女は私にこう告げたのです。


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サービス終了のお知らせ


2067年より運営してまいりました絵理沙ですが、サービスの利用状況を鑑みて、2072年6月10日15:00 をもちまして、終了させていただくこととなりました。


サービス終了に伴い、5月10日より新規会員登録を停止させていただきます。


2067年のサービス開始より、多くのお客様のご利用いただきまして、誠にありがとうございました。


今後とも弊社サービスをご愛顧くださいますよう、お願いいたします。


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2072年6月10日、絵理沙の最後の言葉は「それでは、ごきげんよう」でした。


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実は現在でも、絵理沙というゲーム自体は起動は出来るんですよ。スマートレンズを装着して目を閉じれば、当時と全く変わらない彼女を見る事は出来ます。


しかしながら、2072年のサービス終了時点で、彼女の脳とも言えるデータベースは既に撤去されていますから。そこに見える彼女は、もう何にも喋りません。ただ、笑っている姿がそこに見えるだけ。心も感情も知能も、もう何もありません。


面白いもので、絵理沙が喋らなくなってからの方が、むしろ彼女は可愛くなったなんて言う人も世の中には存在します。「見ているだけで十分楽しい」と、口を揃えてそう言うんですよ。愛されていなくても、愛しているだけで全ては足りると。


そういう意味じゃ…、今ここに残っている彼女は、デジタルな彫刻ですかね。


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いや、失礼しました。年寄りが失恋話をこうも長々と。ちょっと入院が長引きすぎて、疲れがたまっていたのかもしれません。


私が入院していた部屋は看護用人工知能に管理されていたと、冒頭でそう言ったじゃありませんか。実は…、その部屋の担当人工知能はIH社製でしてね。


入院していた間は、流石に昔の女の事なんて忘れてはいたんですが。退院の日、昨日の事ですよ。それまで事務的に私を看護していただけの人工知能が、私が病室を出ようとした時に、突然「待ってください」と声をかけてきたんです。


ようは、彼女も絵理沙もIH社の同シリーズの人工知能なんだから、当たり前の話なんですけどね。前世代の人工知能が集めたデータは、必ず次世代の人工知能の開発に引き継がれる。そうして、人工知能は徐々に成長を遂げていく訳ですから。


絵理沙とそっくりな顔をした人工知能が、ピンクの花束を抱えていましたよ。


別れの言葉も、当然同じでした。


事務的な口調で、「それでは、ごきげんよう」でしたね。


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ギリシア神話の女神アフロディテには、何人もの夫がいたって話をご存知ですか。


彼女の最初の夫はヘーパイストスという鍛冶の神でして。親の取り決めで、アフロディテは渋々この男って結婚したっていうんですよ。でも結局のところ、この結婚はうまくいかなかった。彼を嫌ったアフロディテは、美男子である戦いの神アレースとの浮気を繰り返したっていうんです。


じゃあこのヘーパイストスが男としてどうだったかっていうと。これがなかなか同族嫌悪を感じる神でしてね。鍛冶の神である彼は一人で物作りをするのが大好き。黄金で女性の人形を作り、その機械人形に奉仕させていたと言われています。部屋で機械をいじってるのが好きで、メイドアンドロイドを側に置いている、寂しい男ですよ。


===


女神アフロディテは、なぜお節介にも彫刻なんかに命を与えようとしたのか。


心のない存在との恋に落ちた男に、現実を見せたかった。


寂しい男の考え方は、ちょっとひがみ過ぎですかね。


2115/7/15 (Article written by Alamogordo)


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