雑記(2115/9/23)

久しぶりに秋葉原に行って、ゲームを漁ってきました。


昔は秋葉原と言えば、東洋一の電気街として非常に有名な町だったんです。皆さんもご存知でしょうけど、かつてはゲームは実体メディアで供給されていましたから。日本中、いや世界中からゲームが集まってきましてね。一年中ずっと、ありとあらゆるゲームが店頭で売られていたんですよ…。私もかつては暇になるたびに秋葉原に通い詰めて…、あの町に行くたびに、大量にゲームを買い込んでいました。


お恥ずかしい話なんですけど、そうして出先でゲームを買ってしまうと…、家に帰るまでの時間が待ちきれないんですよ。ゲームがデータ販売されるようになってからは、そんな子供は見たことがありませんけど。帰りの電車の中、人が見ている前にもかかわらず、堂々とゲームの箱を開けたりなんかして。あの頃はいつものように、中に入っていた説明書を読みながら、長い帰宅時間の暇をつぶしていました。


あの日とかわらず、今も私は秋葉原に通い詰めています。

ゲームも、秋葉原も、もちろん私も。全ては変わってしまいましたが。


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秋葉原は今も昔も変わらず電気街ですが、今はどちらかと言えば、サイバネティクスと電子骨董の街としての方が有名なくらいじゃありませんか。私がこの町に通っているのだって、もうゲームを買うのが主目的じゃありません。自分の身体の部品を調整してもらいにいくため。毎日毎日、機械の身体はあちこちが軋んでいく。楽しい気分で、この町に来ることは出来なくなりました。全ては、老いた身体の為ですから。


かつては新品として秋葉原に売られていたゲーム達も、今じゃ立派に骨董品の仲間入りを果たしました。今日は一日ゲームを探して秋葉原をまわってはいましたが、もちろんゲームそのものを探していたわけじゃありません。古ぼけたゲームを修理するための、これまた古ぼけた部品たち。薄汚れたネジやら、旧規格のケーブルやら、そんなジャンク品。言わば、ゲームの「欠片」だけです。


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「テセウスの船」という話をご存知ですか。


むかーしむかしそのまたむかし。ギリシャの神であるテセウスは、クレタ島にて怪物ミノタウロスを退治し、立派な船に乗ってアテネに帰還してきました。人々は英雄の帰還を心から喜び、彼の乗っていた船を栄光の証として、アテネの町に永遠に保管しておこうと計画を立てました。


しかし、いかなる英雄の乗っていた船とは言え、時間の経過に抗うことは出来ません。あちらの部品が湿気で軋み、こちらの部品が酸化で崩れ。時間の経過とともに、船はどんどん古びていき。人々の願いとは裏腹に、アテネの栄光の証である木造の船は、あっという間に朽ち果てていきました。


老いゆく船に胸を痛めたアテネの人々は、傷んでしまった船の部品を、新しいものと取り換えて修理する事にしました。愛する人々の手によって、船はみるみるうちに新しく生まれ変わり、まるで新品同様の、かつての輝きを取り戻しました。テセウスの船は新しい体を手に入れ、アテネの町に再び蘇ったのです。


しかし、どうしたことでしょう。船を直したアテネの人々の心は、晴れやかになるどころか、むしろ漠然とした不安が支配していきました。


「船のパーツを全部取り換えてしまったのなら、それはもうテセウスの船と同じものとは言えないんじゃないのか」


「本当のテセウスの船は、私たちが今取り壊して捨てた、そこに転がっているボロボロの木くずじゃないのか」


私たちは、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないのか。彼らは木くずとなった船の残骸を見て、とりとめのない不安に苛まれたのです。


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身につまされる話じゃありませんか。


なにせレトロゲームというものは、遊べば遊ぶだけパーツは劣化する。こちらが愛せば愛するほどに、愛したゲームは死に近付く。私達は日夜、愛するゲームを死の淵に追い込んで暇を潰している!アテネの人々が船を愛したように、秋葉原の我々もゲームを愛して。私たちはこの町で、ゲームのパーツを幾度となく取り換えてきました。


存在として寿命を迎えたはずのゲーム達に、無理矢理パーツの移植を繰り返しているんです、私たちは。 傷んだ部品をあり合わせの部品と交換し、何とかゲームを生きながらえさせている。純正品のパーツが無かったとしても、贅沢は言えません。誰もが誰も、自分の愛したゲーム達を生き延びさせるだけで精いっぱいなんです。


私だってそれは同じですよ。厭世、C9H13NO3、密友…。今回秋葉原を回ったのは、専用デバイスが必要なゲーム達のパーツを買いたかったから。それが理由です。こいつらもまた、いつの間にか壊れてしまっていて。パーツを替えれば替えるほど、かつてあった純正品としての姿は失われていく事は分かってはいたんですが。


ゲームを遊べなくなってしまう事の方が、恐ろしかったものですから。


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いちゲーマーとしての私の解釈を言わせてもらえば。「テセウスの船」なんて問題は、哲学者達がでっちあげた、無用な思考実験でしかありません。


船で考えるからなんだか難しそうに聞こえるだけの話。

これはつまりは、何が「ゲーム」なのか、という問題と同じ話なのです。


私たちは通常、計算機の事をゲームとは呼びません。何故なら、計算機なんて遊んでも楽しくないから。しかし不思議な事に世の中には、計算機と全く同じ事をやらせてなお、堂々と「ゲーム」と名乗っているソフトウェアも存在します。ま、名前はあげませんが、皆さんだったら心当たりがあるのでは?


計算機は物の喩え、世の中にはこんな話はいくらでもありますよ。辛く苦しい「試験」と、手に汗握る「クイズゲーム」はどこが違うのか。今にも逃げ出したい「仕事」と、寝ずに遊んだ「仕事体験シム」は何が違うのか。煩わしいばかりの「恋愛」と、心踊る「恋愛ゲーム」はどうして違うのか。


皆さんは一体、何をもって「ゲーム」を「ゲーム」だと判断されているのですか?


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解答とは言えませんが、私の意見を披露しておきましょうか。


私にとってゲームとは…。「私たちを楽しませるために作られた存在」のことを、「ゲーム」と呼んできました。だからこそ私は、そのソフトウェアが生まれてきた目的にあわせて…、ゲームを楽しんでいる。楽しまずには、いられない。


いかなる存在にも、必ず目的があるものですから。


試験も仕事も恋愛も、私を楽しませるために存在してくれているわけじゃありません。世の中にはこれらの行為が「楽しい」と仰る奇特な人もいるようですが、所詮はそんなの自己暗示に過ぎませんよ。試験も仕事も恋愛も、そもそも誰かを楽しませるために存在しているものではありませんから。楽しくなくて当然なのです。


しかし、ゲームは違う。

ゲームは、人を楽しませるためだけに存在しています。

人を楽しませるため目的のためだけに、ゲームは存在している!


船の部品がいくら交換されようが、船が存在する目的は変わりません。アテネの人々にとって、その船は「テセウスの船であるため」に存在している。横から哲学者が騒いだところで、船の存在する目的は変わりはしません。船から取り外したゴミの木くずに、「うるさい連中を殴る棒」とでも名付けてやりましょう。


ゲームだってそれは同じです。開発者には「このゲームで誰かに楽しんで欲しい!」という開発理念があって、プレイヤーを楽しませるという目的の為に、ただ、私を楽しませるためだけに、この世に生み出されてきている。その目的が変わらない以上、どんな姿でも、ゲームはゲーム。変わることは無いんです!


いや…、無いはずだと、思ってはいたんですがね。


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今回の秋葉原巡りは、駄目でした。


自分の手で修理したゲーム達が、どうにもこうにも、今までと同じ存在には思えなくなってしまって。厭世、C9H13NO3、密友。壊れてしまった彼らには悪いですが、純正でないパーツを使って彼らを修理しようという考え自体が、自分が無理に彼らを延命させているような!まるで、それが、歪な姿のような…!そんな罪悪感が、論理に打ち勝ってしまったんですよ。


よくある話じゃありませんか。レトロゲームマニア特有の、「ゲームは純正品の環境じゃなきゃ遊びたくない!」っていう、論理的とは言えないあの感情。モニターから、ケーブルから、ネジの一本に至るまで。当時遊んだあのゲーム、あの環境そのままでないと。なんだか別物にしか思えてしまう。それが、偽物の存在かのように思えて仕方がない。よく分からない、あの感情。


結局、あれだけ秋葉原の街を歩き回ったって言うのに。何一つとして買わないままに。こうして今、私は帰路についてしまいました。


私は今、彼らを安楽死させようとしている…、のかもしれません。


ごめんなさい。自分で言っておいて、自分に疑問ばかりが湧き出して仕方がないんです。ゲームには「人を楽しませる」という存在の目的があるから、その目的が変わってないなら存在も変わらないって…、なんか腑に落ち無くありません? そもそも「存在の目的」ってなんなんですか。誰かが勝手に決めていいんですか。私が勝手に…ゲームの存在の目的を決めようだなんて。自分勝手だ、こんなの。


だってそうでしょう。そんなことを言いだすから、考えなきゃいけなくなる。

私自身の「存在の目的」ってなんだろうって、考えちゃうじゃありませんか。


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秋葉原は、電子骨董の町であり、サイバネティクスの町なんです。


この町では、ゲームのパーツが取り換えられていくように。

私たちの身体も、パーツが日々取り換えられていく。


「存在の目的」が無かったら、いつか私は私でなくなっちゃうじゃありませんか。


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帰りの電車の中で、待ちきれなくなって説明書を読むだなんて、一体何十年ぶりの事でしょうか。今も昔も、楽しみを後に回せない性格だけは変わらなくて。「これから何が起きるか」が知りたくて知りたくて、ついつい人目も気にせず説明書を読みふけってしまったんです。読んだところで、その場では何も始められることは無いっていうのに。それが分かっているのに、いつだって我慢することが出来ない。


秋葉原のCCで、医者から自分の身体の説明書を渡された時。久しく感じていなかった興奮で、私の胸はいっぱいになりました。年甲斐もなくソワソワして、説明書を大事に大事に胸に抱えて、絶対家に帰って落ち着いてから読もうと決めて、電車に乗ったのに。はずなのに、「これから何が起きるか」が知りたくて知りたくて。結局また、私は今、説明書をこの場で読んでしまいました。


「人工脳移植の案内」


悪い癖なんですよ。ゲームを買う時にワクワクしすぎてしまって、ありとあらゆる展開を想像してしまうんです。そうすると、先の展開がなんとなく見えてきちゃう。


死の宣告かな、脳の停止かな、それとも安楽死のお誘いかな。

一番面白い展開は…、人工脳移植かな?


説明書を開く寸前まで、私はその辺りを予想していたんですけど。いや、まさか。いや、やっぱり、って言う方が正しいかな。一番面白い展開が来てしまいましたね。


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これまでの人生、私は身体の隅々を、サイバネティクスのパーツと入れ替えてきました。ゲームの遊びすぎで腱鞘炎になった腕を機械化し、ゲームの遊び過ぎで視力の落ちた眼を機械化し、ゲームの遊び過ぎで止まりかけた心臓を機械化して、なんとか生きながらえてきました。手足も身体も心臓も、ゲームを気楽に遊べると考えたら…、捨てて惜しいようなモノでもありませんでしたから。


私の身体に残っている生身のパーツなんて、今や脳と性器だけ。親からもらった身体を捨てて、老いて死ぬまでゲームを遊ぶ。私は今、名実ともに、ゲームを遊ぶ機械になりました! 自分で自分を皮肉っているんですから、差別発言とは思わないでください。4Dプリンターで大量生産されているこの身体、キッズホビーと何ら変わりはありません。そうなることに、悔いなど無かったのです。


私にはゲームを遊ぶという目的がありました。

生身の身体に未練など、これっぽっちもありはしませんでした。


しかし、そうであっても、そうであったとしても…、脳は違う。なんと言うか、脳だけは変えてしまう事は出来ない。自分でもよく理由は分かりません。いや、おそらくは、脳はゲームを遊ぶ「楽しさ」を理解する部分だから、それを失うのが怖いのかもしれません…? いや…、それも違う気がする。単に、漠然と、不快感がある。脳を機械と取り換えるってだけで、言いようのない吐き気が身体を支配するんです。


「脳が機械になった人生」が一体何を意味するのかが、私には分らないんですよ。


===


私は、私が私自身でなくなることが嫌だ、と思ってはいません。


私は、私が私自身でなくなることが嫌だ、と思っています。


私はこれまで、ただ、ゲームを遊んできただけの人生でした。

それは何故なら、ゲームが私にとって唯一楽しいものだったから。

私にとってゲームを楽しむことは、自分の存在の目的でした。


ハッキリ言って、機械となった自分と生身の自分が同一の存在であろうがなかろうが、そんなことはどうだっていい。構いはしません。私が死んで消えてなくなり、私そっくりの機械がゲームを遊んで「楽しい!」と声をあげているのだとしても。それはバッドエンドに見えるかもしれませんが、私にとってはハッピーエンドです。


そう、言い切ってやる。


しかし。ただ、一つだけ。こうしている今も、吐き気を催す想像が、私の頭から離れてくれない。離れてくれないんです。


誰でもいい。助けて下さい。答えが知りたい。機械となった私は、今現在の私と同様に、ゲームを楽しむことが出来るんですか?


===


私は今、ゲームを楽しく遊んでいます。


知らないゲームを見つけた時に、それはどんなゲームなんだろうとワクワクしながら手に取り、ゲームを遊ぶことが出来ます。


思い出のゲームを遊んだ時に、昔の思い出と情熱を懐かしみながら、ゲームを遊ぶことが出来ます。


私は今、自分の自由意思によって、ゲームを遊んでいる。私は遊んでいるゲームを、楽しいと理解している。私はゲームが楽しいから、ゲームを遊んでいる。


そうに決まってる。そうじゃなければ、絶対に許されないんです。


===


誰でもいい、教えてください。

機械となった私は、知らないゲームの価値を理解出来るんですか。


いいですか。私が、知らないゲームを遊ぼうとする時。私は決して、Object「video game」をセンサーで感知し、データベースにアクセスして条件検索をかけているわけではないんです。そこには必ず、未知の体験に対する夢があって、希望があって。私は決して、その検索結果が0件あった場合に、「videogame」というクラスの「name」にnullを設定し、言語データベースから「初めて見るゲームだな、楽しそう!」と言う文字列を取得し、音声を再生する関数を呼び出しているわけではない。


ループ構文が既定の回数繰り返している間にskillの値がどんどん加算されていき、tired=100かgameclear=1の条件を満たすまでゲームを遊び続け、その最中にランダムで「このゲーム面白い」と言う文字列を音声化しているわけじゃない。私は、私自身の意志で、ゲームを遊び、脳に刻み付けている。happyの変数が一定の値に達した場合に、脳にomoide01あたりの適当なファイル名を付けてゲーム名を記憶している、違う、そういう事じゃない、そういう事じゃないんですこれは。


いい加減にしてくれ、やめろ、やめてくれもう。


プログラムとなった私の目には…、まだ遊んだことのないゲームは、どう映るんですか? 単なる0と1の集合体、あるいはプラスチック片にしか見えるんじゃありませんか? やめろ。いや…、むしろ私は今、どうやって「ゲーム」を「ゲーム」と判断しているんですか。やめてくれ。機械となった私には、新しい計算機と新しいゲームの違いが判別できますか。二つはいずれも同じソフトウェア、単なるデータにすぎやしない。吐き気がする。そこには「楽しむために作られたものか否か」という違いしかないのに、機械が、「楽しさ」を、本当に判断出来るんですか。


ありえない、そんなことはあり得ない。今こうして生きている自分にすら、何が楽しくて何が楽しくないかだなんてうまく説明は出来ないのに。所詮はソースコードの塊風情が、データにないゲームをソースにない判定条件で「楽しい」と判断するだなんて、そんなこと論理的に起こりうるわけがない。ニューロネットワーク、深層思考経路、人工人格。いかなる思考システムも、所詮はプログラムの集まりに過ぎない。0と1。0と1。0と1!!!!!考えたくない、考えないようにしている自分が既に恐ろしい。やめてくれ、あんまりだ、こんなの。


いや、駄目だ、恐ろしい。よく考えたら、機械となった脳が「楽しい」なんて感想を持てる事の方が恐ろしい。考えない方がいい。だってそれは、いくつかの条件に合致した場合に「楽しい」という感情の変数が再設定され、「楽しい時の行動パターン」の関数が機械的に呼び出されているだけの話。機械となった俺は計算機とゲームの違いもわからず、生きる事も死ぬ事もないままに、1+1を計算機で計算するたびに「なんて面白いゲームだ」と爽やかに笑う。ありえない。ありえなさ過ぎて笑える。笑えるわけあるか。考えるだけで吐き気がしてくる。


私にとって「まだ遊んだことのないゲーム」とは、まだ見ぬ楽しい世界なんですよ…!そこにはまだ見ぬ体験があって、だからこそそれは楽しくて楽しくて仕方がなかった。過去形じゃない。過去形なんかじゃない。楽しい、楽しいんだ今。楽しくて楽しくて、私は仕方がない!これからも!それは決して、名前がnullになっているだけのgameというデータではない!そんな無意味で空虚で単一的で質素で下らないつまらない味気のないものなんかじゃない。決して、そんなものであってはならない。あってたまるか。そんなことは認められるわけがない。わけがない。


===


誰でもいい、教えてほしくない。

機械となった私は、思い出のゲームの価値を理解出来るんですか。


私の身体の全てが機械と入れ替わったって、そんなことはどうだっていいんですよ。私みたいな存在に、価値があるとは最初から思ってはいませんから。しかし、機械となった私が、私の愛したゲーム達を同じように愛せるのか、それが分かりません。分らない。不安。不安なんです。苦しくて苦しくて仕方がない。どうしても想像がつかない。私は今、古くて故障ばかりするようになった愛するゲーム達を、部品を取り換え交換していくことで、なんとか生きながらえさせています。どれだけ部品が変わっても、ゲームはゲームのままだと、そう信じています。いました。


しかし、機械となった私に、本当にその理屈は理解できますか。だって、物体として完全に別の存在なんですよ。ネジは変わり、ケーブルは取り替えられ、外側のプラスチック部分が割れたりしたら、どうですか。機械の私は、壊れたゲームをかつてのゲームと同一の物とは思えなくなるでしょう。壊れてしまった思い出のゲームと、その、ゴミの違いを、どうやって理解できるんですか。私の母親もそうだった。よくよく、私のゲームの事をゴミ呼ばわりしていました。ハハハ、面白い。やはり私も母の子だったか。遺伝は技術を超えるのか。笑えるか、笑えてたまるか。


いや、むしろもっと恐ろしい事もあるかもしれない。思いついてしまった。機械となった私は…、純正品のゲームのデータと、単なる海賊版のコピーのデータ。そこにある違いの意味が、理解できるんですか? だってゲームなんて所詮データの集まりでしかない!海賊版だってデータだけなら完全にコピーはできる。でも違う、それは純正品じゃない、本物じゃない、ゲームというデータをコピーした0と1の集合体に過ぎない!過ぎないことが…!機械となった私にどうやったら説明してあげられるのか、私には、まったく、わからない。


いつかゲームが完全に壊れ、起動しなくなった時。それでもなお機械となった私は、それが自分の思い出のゲームだと、理解できるんですか。理解できる。良かった。本当に良かった。でもちょっと待った。理解できるとするなら、どうやって? 脳内のゲームのデータベースの中にmemoryのフラグとbrokenのフラグがあって、それがどちらもtrueなら「壊れてしまった思い出のゲーム」とみなされる…? 駄目だ、気持ち悪い。想像しただけで気持ち悪くなってきた。なんだそれ、なんなんだそれ。そんな、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い話があるか…!


ふざけるなよ。ふざけるんじゃない。私の人生は、いつもゲームと共にあった。そこには思い出があって、私は人生でゲームの悲しい思いをしたことは一度たりともなかった。私の人生は、ゲームを楽しんできた思い出だけで構築されている。なんだ、それもか、この人生唯一の誇りでさえも、それさえもか。SQLで記憶データを「ゲームの悪い思い出」で抽出すると、0件という結果が返ってくるという、そういう話に成り下がるのか。私の人生は、そうやって、今後の人生は管理されていくのかと、そう、理解しろと、納得しろと、受け入れろと、ふざけるな、ふざけるなよ。


===


私には、自分の脳が機械になるという事が、分からないのです。


ただ漠然とした不安が、ひたすら脳に押し寄せてくる。


本当、ごめんなさい。本当に、自分が、恥ずかしくて仕方がない。こんな事を書くために、このサイトを立ち上げたわけじゃなかったのに。でも、何かを喋らないと、誰かに聞いてもらわないと、今にも吐いてしまいそうで。サイバネティクスの内臓で、嘔吐なんて起こらないはずなのに、もうずっと、不安と吐き気が止まらないんです。


もしかすると、こんなのは全部意味のない心配で、未来の私は今の私を笑って、「あいつは馬鹿な事を考えていたよ」と笑うのかもしれません。人間の脳はチャチな作りの記憶メモリですから、それを正しくコピーできないと心配する方がおかしい。でも、駄目なんです。自分が一体何を怖がっているのかが、自分でもよく分からなくなってしまって。


既に三割は死んでいるはずの脳が、考えたくもない事ばかりを考えさせるんです。未来の私が今の私を笑うとして、未来の私は一体どうやって笑っているんだろう。データベースからひっぱってきた「あいつは馬鹿な事を考えていたよ」という文字列を口にして、表情パターン02に従いサイバネの口角を吊り上げているだけなんじゃないか。


機械化した未来の自分と、生身である今の自分が、どうして違って思えてしまうのか。私には、それが分からないんです。だから、自分が一体何を怖がっているのかが、自分でもよく分からない。でも、こう、駄目だ。自分を落ち着かせようと思って書いているのに、活字にすると、余計に、なんだか分からない不快感ばかりがこみ上げてくる。


ごめなさい。本当に、ごめんなさい。この場所では、もっと楽しい話をしたかった。こんなこと、本当は話したくなかった。好きなゲームの話を語り合って、笑っているだけにしておけばよかった。誰も聞きたくないような話を押し付けるために、私は、この場所を使ってしてしまった。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい。


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脳情報が100%漏れなくダウンロードが出来るようになったと発表されたのは…、2080年代はじめの事だったと思います。そんなニュース、を見たような覚えがあるんです。


しかしそれからいくら時が経っても、「生きた脳から人格を抽出して、同一の人格を機械の上で再現出来た」というニュースは、流れてくることはありませんでした。現在人工脳へ置き換えを行ったサイバネティクスの患者は、日本国内で7名、全世界で87名。87名も、既に世界には人工脳の人間がいるのに。ただの一人として、生きたまま機械になれた人間はいなかった、という事です。


分かりません、分かりませんよ。私には本当、さっぱり訳が分からないんです。科学者の先生方は、人工脳へのデータのアップロードは100%移し替えることが出来ると、そう断言しています。データの上では、人は完全に人工脳に自身を移し替えることが出来る。はずなのに。どんな形式のどんなテストをしたところで、人工脳に再現された人格と、生身の脳の人格は、同一の存在だと認められることが無いのです。


ダウンロードも100%、アップロードも100%。

「脳のデータは完全に移し替え出来ます」と保証する科学者はいくらでもいる。

「全く同じ人格を再現出来ます」と保証する科学者は世界に一人もいない。


信心深い人はたまに…、この事実を指さして、「人間に魂がある証だ」と勝ち誇る事があります。どれだけデータ上正確に生身の脳を再現できたとしても、機械で再現した人格は必ず生身の人格とは異なってくる。現在の技術をもってしても、95%以上の同一性を確保することは出来ない。この5%の違いこそ、人間には魂があり、それは機械には移し替えられない証拠なのだと、彼らは決まって勝ち誇るのです。


馬鹿馬鹿しい、本当、馬鹿馬鹿しすぎる。オカルトにすぎません。魂だのなんだの、人の心をかき乱して、人工脳移植に抵抗感を植え付けるような真似は、止めて欲しい。本当、馬鹿馬鹿しい話ですよ。何が馬鹿馬鹿しいって、こんなに馬鹿馬鹿しい主張だって言うのに、「馬鹿馬鹿しい」以外に何にも反論する言葉が浮かんでこない自分自身が、あまりに馬鹿馬鹿しくて、情けなくて。


===


私が「脳のデータを読み取る技術が開発された」というニュースを見た時。有名な研究者たちは、「シンギュラリティを招く」と興奮していた覚えがあります。


シンギュラリティなんて、今じゃ真面目に語るような人は誰一人としていやしないでしょう。大体落ち着いて考えてみれば、人工知能が人の能力を越えたところで、何が恐ろしいんですか? 遺伝子編集で新人類が生まれたところで、一体何を恐れる必要がある? 身体が機械化されて、何処が恐ろしい? 結局のところそれらは全て人間社会に飲み込まれ、良いように使われて、いまやオモチャ箱の中にあるオモチャの一つでしかありません。


ああ、ごめんなさい。シンギュラリティってのは、「技術的特異点」って意味の言葉です。人工知能、サイボーグ、遺伝子編集。こうやって技術が進歩するうちに、人類は既存の人類を超える知的存在を生み出してしまい、人間の技術の進歩がその存在の技術の進歩に追い付かなくなってしまう。そうして人類文滅は堕落し、破滅への一途を辿る…。そのキッカケとなる「技術」レベルへの到達を、昔の人は「シンギュラリティ」って呼んで、このオバケをそれはそれは怖がっていたんですよ。


特に「人工脳」の技術は…、かつては、最も恐れられたオバケでした。だって考えてもみてください。もし仮に、機械の脳に人間の人格を完全に移し替えることが出来てしまうなら。それはその時点で…、「人類と並ぶ知性を有した機械が生まれた」ことを意味するでしょう? もしそんな存在が、人類特有の能力である自発的意思をもって、機械の演算性能を駆使し、自らを追い抜く知性を開発しようとしたら。もうその時点で、人類には彼らの進化についていけなくなってしまうじゃありませんか。


===


分かりません。ゲームを楽しく遊んできただけの人生だったから。ゲーム以外の事は、私にはよく、分からないんです。しかし、もしかすると。人類に備わっている「本能」という仕組みが、自分たちを破滅に追い込むシンギュラリティを迎えないために、無意識のうちに人類の「人工脳」研究に手を抜かせているんじゃ…とさえ、今の私には、思えてしまう。どうしたって、そうとしか思えない。


だっておかしいでしょう。生身の脳からのダウンロードは100%、機械の脳へのアップロードは100%。双方完全にできていて、なんで「再現された人格が同一のものです」と誰にも保証が出来ないんだよ。自分たちが機械に追い付かれた事実を認めたくなくて、いまだに「機械の知能は人間には及びません」とみんなで口裏を合わせている。そうじゃなきゃおかしい。おかしいよ。おかしいん、だこれは。


===


私という存在の目的は…、ゲームを楽しむこと、なんです。


脳停止になれば、脳から感情がなくなっていく。そうなれば徐々に、私はゲームの楽しさが理解できなくなる。それがどれほど恐ろしく、どれほど寂しいことなのか。ゲームを遊んで楽しさが分からなくなるのであれば、ゲームを遊んで楽しむことが目的だった私の存在は、ここで、終わり。最早私とは言えないタンパク質の塊が、ゲームを遊んでうわ言をつぶやくだけ。新しい部品と取り換えられて木くずと化した古いテセウスの船みたいな、目的もないゴミ、ゴミ、ゴミ!それが嫌で嫌でたまらないから、私は他の方法を探していたのに…!


代わりに出てきた唯一無二の方法は、脳を機械と取り換える事。脳を機械に取り換えたら、これから永遠にゲームを遊び続ける事が出来る。遊んだゲームの一覧をデータベースに登録し、ゲームを遊ぶと笑顔になるプログラムを仕込まれて、合成音声で「楽しい!」と声をあげる第二の人生が始まる。機械になった自分にはおそらく、「楽しさを理解できていない」という事さえ理解できなくなる!偽物の部品ででっちあげられた新しいテセウスの船みたいな、存在が偽りのゴミ、ゴミ、ゴミ!もう今から、嫌で嫌でたまらない…!


なんだこれは、なんなんだ。罰なのか、罰を与えられているのか。誰かこれがゲームだと言ってくれ。私は「ゲーム」と呼ばれただけで、どんなものでも楽しいと思って遊んできた。これはゲームなんだと、そういうゲームなんだと言ってくれ。何故ならゲームは楽しいものだから。楽しむために作られているものだから。


私は今、ゲームを遊んでいない。遊んでいないから苦しんでいる。


そうに決まっている。


私の人生、ゲームはただの一度も私の事を、苦しめたりはしなかった。


===


簡単な話なんですよ。この物語は、マルチエンディングだ。


衰えた脳が失っていく感情、それを大事に大事に削るように楽しんで、それに縋って死ぬのを待つのか。


機械の脳に仕込まれたプログラミング、ゲームが楽しいのか楽しいのかもわからなくなってなお、ゲームを遊び続けて生きるのか。


どちらか一方を、選ばなくてはならない。


===


少なくとも、分かる、私の死にかけの脳みそにだって、分かることはある。


機械の脳になったら、今あるゲームの多くは、たぶん、楽しめなくなる。


BEYOND THE INFINITEも、厭世も、C9H13NO3も。もう二度と、遊ぶことは出来なくなる。機械の脳で夢を見ることは出来ない。機械の脳は瞑想なんてしない。機械の脳に…苦痛を感じさせるような必要はない。機械の脳になるってことは、こいつらを、捨て去るってことだ。これまでの自分の人生を構成してきた多くのゲームを、自分の人生に残されたかけがえのない思い出を、生き残りたいなら、捨て去らなくてはならない。


うんざりだ。もううんざりなんだ、ゲームを失うことに、もう、私は、疲れ切ってるんだよ。ゲームは思い出なんだ。人生の一部だったんだ。それでも捨てなきゃならない。助かりたいという気持ちがあるのなら、過去の全てを捨てなければならない。未来のゲームを遊びたいのであれば、まずは他の全てを捨て去れと。これまで散々ゲームを失ってきたのに、また、そんな選択を迫られている。


ゲームが遊べなくなってしまった時に、それを遊んでいた自分の人生の一部が、削られたような痛みが走るんだ。比喩じゃない。本当に、人生の一部が削られる。私の人生は、常にゲームと共にあった。ゲームが一つ遊べなくなるたびに、私がこの世に生きてきた証拠が、この世から一つづつ消滅していく。自分でも、自分がどうやって生きてきたのか、いつかは思い出せなくなってしまう。


もう耐えられないんだ。これ以上、自分と言う存在が空っぽになっていくのが。だから、せめて、私は、疑っているんだ。機械の脳になった自分が、本当に、ゲームを「楽しむ」ことができるのかを。ただの一本としてゲームを楽しく遊べなくなって、自分の人生が完全に空っぽになってしまう前に。未来の自分が、機械の脳で、自分の好きなゲームが楽しめるのかどうかを、私は今、疑っている。ただ、疑っているだけなんだ。


===


ただ。Acaciaは。

彼女は間違いなく、機械の脳でゲームを楽しんでいた。

ゲームを楽しく遊んだまま、死んでいった。

それは間違いない、そう確信している。疑いようもない。

ゲームを楽しく遊んだまま死んだ彼女を、羨ましいとさえ思った。

そうなはずなのに、そうだったはずなのに。


自分が機械の脳になると想像するだけで、吐き気がしてくるのは何なんだ。

今の私には、機械の脳が「楽しさ」を理解できると思えない。


つまり私は今、Acaciaの人生そのものを、疑っている。


===


彼女は…、世界で最も楽しくゲームを遊べるゲーマーだった。死ぬ時も笑顔で、ゲームを遊んでいた。私は、彼女の事が羨ましかった。ずっとずっと、彼女のようにゲームを遊びたいと願っていた。あんなに天真爛漫で、ただ、ひたすらに、ゲームを楽しんでいたゲーマーを、私は他に、見たことが無かったから。彼女の死を、彼女の人生を、ゲームのためにあった彼女の全てを、私は、ただ、羨ましいと思った。


でも、それなのに。さっきから、止まらない。さっきから、必死になって口を閉じているのに、少しでも口を開けると、彼女に対する謝罪の言葉がこぼれそうになる。ごめん。Acacia。本当にごめん。さっきから、喉の奥が焼け付いて仕方が無いんだ。私が今、何故彼女に謝ろうとしているのか、自分でもよく分からない。何に対して? 何の償いで? 私は何故、死んだ彼女に、謝ろうとしてしている?


おそらく今、私は、疑っているんだ。彼女の死に方を、彼女の生き方を、ゲームを楽しんでいた彼女の人生の全てを。彼女の脳は機械の脳だから、彼女はゲームを楽しんでいたんじゃない。Acaciaはプログラミングによって笑顔を浮かべていただけで、Acaciaはゲームを楽しんではいなかったんだと。私は今、そう、疑っているんだ。だから、謝ろうとしている。謝る事で、彼女に自分を許してもらおうとしている。


彼女はゲームを楽しんでいた。それは間違いない。そんなことは、私が一番よく分かっているんだ。私は、彼女の笑顔を疑わない。そうしないと、全てが壊れてしまいそうだから。彼女には、意志があった。ゲームを楽しみたいという意志が、彼女にはあった。機械の脳であったとしても、彼女にはゲーマーとしての確固たる意志があって、彼女はゲームを楽しんでいたんだと、私は、確信している。


彼女の死を疑っていないと言うのなら、人工脳も疑ってはいけないんだ。機械の脳になってもゲームを楽しめると信じなければ、機械の脳だった彼女がゲームを楽しんでいたと信じられるわけがない。分かっているんだ、分かっている。それは、はっきりと分かっている。分かっているはずなのに、おかしいんだ。さっきから、震えが止まらなくて。自分が何故、君を疑っているのかも、よく、分からなくなってしまって。


===


なんで私は、ゲームを楽しく遊んだまま死ぬことが出来ない?


ゲームを遊んで笑顔で死んだ連中が、羨ましくて、羨ましくて。

今にも、死にたくなる。私には、それが許されはしなかったから。


人は、目的無く生きてはいくことは出来ない。

自分で自分の存在の目的を、作るしかない。


2115/9/23 (Article written by Alamogordo)


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