雑記(2115/10/29)

羊を数えるかわりに、この文章を更新しています。


さっきから目だけは瞑っているんですが、寝ようとすればするほどに眼が冴えてくるんですよ。ベッドの上で横になって数時間は経ったかもしれません。この歳になると段々気力も無くなってきますから、大体の悩みは寝れば忘れてしまえるんですが。「眠れない」だなんて、年寄りが言って笑ってもらえる言葉じゃない、そうと分かってはいるんですが。


更新が遅れた言い訳じゃないんですけど。実はここ一か月ずっと、人工脳移植の事前検査に行ってましてね。その結果が…、ご想像通り、あまり良くないんです。あ、誤解はしないでください。別に落ち込むような話じゃないので。ただ、笑っちゃうほど良くはない。正直、手術自体も微妙な状態です。考えれば考えるほど目が冴えて。お恥ずかしながらこうして、枕を噛んで呻いているんですよ。


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何かに悩んで、夜になっても眠れない。こんな時、人は自分のことを「苦しい」という感情で表現するんだと思います。今の私が、まさにそうです。病気を患うと心は弱りやすい。気づけば今日も一日中、ベッドの上で検査の事ばかりを考えてしまいました。うまくいかない検査に悩んで、夜になっても眠れずにいる。私は今、間違いなく、苦しんでいる。


しかし、なんと言ったらいいのか。さっきから苦しもう苦しもうとはしているんですけど、それがどうにもシックリ来なくて。自分から無理して苦しもうとしているだなんて、おかしな話に聞こえるかもしれませんけどね。病人は普通…、検査結果が悪かったら苦しむものでしょう? 私ももっとこう、ちゃんと。自分の病状を真摯に苦しむべきなんじゃないか、そう思ったんです。


が。不思議なことに。何故か全然苦しい気持ちになれないんですよ、これが。


もしかすると…、私は今、「楽しい」のかもしれません。自分の手術の検査結果が酷くて、延命手術が受けられないかもしれないことが。楽しい。寝付けずにいることだって、明日の検査が不安でなのではなくて、明日の検査が待ち遠しいだけなのかもしれない。「ワクワクして眠れない」だなんて、死にかけ年寄りが言って笑ってもらえる言葉じゃない、なおさら分かってはいるんですが。


いや、おかしい。自分で言っていてもおかしい事は分かっているんです。事前検査の結果が悪くて、延命手術が受けられないかもって言ってる時に。患者本人がそれを楽しんでいるなんて…、いくらなんでも、不謹慎すぎますから。


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しかし、残念な事に。私の人生は、あまりに薄っぺらくて。


仕事にしろ、恋愛にしろ、学業にしろ。苦しくなるほど何かに打ち込んだことは、ただの一度もありませんでしたから。私の記憶をいくら辿っても、「何かに悩んで、夜になっても眠れない」なんて感情を抱いたのは…、ゲームを遊んだ時、やっぱり、それくらいしかないんです。心から苦しんだ経験が、ゲームに負けたことくらいしか思い出せない。人生なんて、過ぎ去ってみればそんなもんですよ。


本当、情けない話です。私には今、自分が「苦しい」のか「楽しい」のかも分からない。少なくともこれまで、この感情は私の中で「楽しい」に分類されていた感情でした。だって苦しい時はいつだって、ゲームを楽しんでいる感情の裏返しで苦しんでいただけでしたから。ゲームを楽しんでいたから、うまくいかない時には苦しいと感じた。だからこそ私には、今の感情がどうしても「楽しい」のだとしか思えない。


しかし、そうだとするなら。私は今、一体何が楽しいんでしょうか。酷い結果の事前検査か。人工脳移植自体が楽しいか。もしかすると…私は心のどこか奥底で、このクソみたいな人生を楽しんでいたって可能性もないとは言えません。想像するだけで身の毛がよだつ。人生が終わろうとしているから苦しんでいるだなんて、まるで今までの人生が楽しかったみたいに聞こえる、まったく悪い冗談ですよ。


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もしかすると、これが、「感情が無くなる」って病状なのかもしれません。病が進行して感情が無くなりつつある私には、「楽しい」と「苦しい」の違いも分からなくなってきている。感情と感情の境界が、どんどん曖昧になってきている。


あー、いま…69.4%、感情の残存率は69.4%です。ちょっと前なら見るだけで吐き気がしたはずのこの数値も、今じゃ特に、何の感慨も湧きあがってきません。もしかしたらこれもまた、「感情が無くなる」という病状なのかもしれませんが。


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人間の脳は、思ったよりも複雑にできてるんですね。


お医者様の話では、人工人格にも「アタリハズレ」があるのだそうで。同じ脳から生成した人工人格であっても、その出来には数十%を超える明確な差異が発生するんだそうです。その上どれだけ足掻いても…、現在の科学技術では、100%「完全コピー」の人工人格は、生成できない。


私はこの一か月間、来る日も来る日も、人工人格を生成していました。自分のコピーを生成しては、出来損ないだと判断されて、そのコピーが削除される。毎日のように報われない作業に臨んでは、毎日のように苦々しい検査結果をつきつけられる。


ゲームのキャラメイクで、納得がいく初期値を持ったキャラが現れるまで、何度もリセットとスタートを繰り返すようなものですよ。私は、自分の来世でガチャをひいているんです。キャラの初期性能は後のゲームプレイを大きく左右する。それが自分の人格ともなれば…影響はなおさら。出来の悪い人工知能を頭の中に入れるだなんて、考えるだけで、寒気がしてくるとは思いませんか。


しかしそういった意味では、私はまだ恵まれている。なにせ私はまだ、そんな高尚な話を悩めるような段階にすらいませんから。人工脳移植には、人格一致率75%以上の人工人格しか移植できないという前提条件があるんです。「狂ったサイボーグ」を社会に送り出さないために、お国が制定している手術のルールですよ。つまり、人工脳移植をしたくても、人格一致率には最低ラインがある。


この一ヶ月、私は何百という人工人格を生成しましたけど。ただの一人として、人格一致テストで一致率75%を超えたコピーはいませんでしたから。


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人格一致テストはたくさんの種類のテストが包括された検査ですが、基本的には人工知能を測定するようなテストと変わりありません。しかし、このテストは人工知能ではなく人工人格を測定するテスト。患者本人の主観による自己分析が重要視されるため、そこに一部特殊なテストが追加されています。


手順は難しいものじゃありません。患者が自分自身に関する質問を数十個ほど用意しておき、自分と人格人格、二人一緒にその質問に答えていきます。人工知能の解答内容が、自分と想定していた解答内容と一致していれば…。それがそのまま、自分と人工人格が同一の人格であるという証明になる、というわけです。


テストとは言え、やっぱり死ぬ寸前の病人がプレイヤーだからなんでしょうね。測定用のソフトウェア、本当に良く出来ていましたよ。ソフトを起動すると、BMIが眠る様にこちらの意識を遠のかせてくれるんです。現実がどんどん暗闇に包まれていって…、気が付いた時には、仮想空間の花畑の真ん中に立たされている。


外部からの刺激を遮断したいって狙いなんでしょう。辺りは静けさに包まれていて、花の香りがどこまでも広がっている。あのソフト自体はスイスで作られているらしいですけど…。日本人の私には、まるで死んでもいないのに天国に連れて来られているような感じがしました。まぁ、悪い趣味じゃありませんでしたね。


しばらくすると…、数メートル向こうに人影が浮かび上がってくるんです。最初はモヤモヤしていますけど、輪郭が分かるほどハッキリ見えるようになれば。それが自分自身だっていう事に気が付くでしょう。いや、この説明には語弊があるかな。それは自分自身ではなく…、自分のコピー、人工人格に過ぎませんから。


そこまで来たら、あとはもう自分の意志に従うままですよ。自分のコピーに、自分で作った、自分に関する質問を投げかけるんです。その人工人格から、自分の想像する自分らしい答えが返ってくることを信じながらね。どうです、話だけ聞いていれば、なかなか面白そうでしょう?


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他のプレイヤーと同じクイズに答えて、お互いに同じ答えを導き出せればゲームクリア。よくある、楽しいクイズゲームじゃありませんか。


人格一致テストでも、ゲームシステムの基本部分は変わりませんよ。まず最初に自分が質問を出題。あわせて、自分の解答も述べます。自分の解答が終了すると、しばらくして人工人格にも質問内容が伝わり、人工人格が解答を行います。


人工人格の五感は制限されていますから、こちらが何をしたところで人工人格には何も伝えられない。人工人格は意識も制限されていますから、こちらには何にも伝えてくれない。壁で遮られている相手と、何ら変わりはありません。


単純なゲームですけど、これが結構盛り上がるんです。全く同じ質問をしているのに、送ってきた人生が違うから。相手の人となりを考えれば考えるほど…同じ回答は導き出せなくなる。そんなジレンマの中で…、このゲームは楽しくなる。


まぁ、盛り上がるのは、このゲームの相手が自分自身でなければの話ですがね。


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このテストを受ける直前、最初にルール説明を受けた時。


私はテストのオペレーションAIに、「これまでの患者さんは、どのような質問を出題されたんですか?」と確認をしたんです。ルール確認は、ゲーム攻略の第一歩ですから。返ってきた答えを聞いた瞬間、思わずほくそ笑みましたよ。「人生で一番幸せだった瞬間はいつですか」だの「人生で最も愛した人は誰ですか」だの…、案の定、皆さんセンチメンタルな質問ばかりを自問自答されていたようでしたから。


この手の感情的な質問には「明確な答え」が無いでしょう? 自分が同じ質問に二回連続で答えたって、おそらく同じ解答は出来ない。その時の気分で答えが変わりすぎて、正解が存在しないんです。病人はどうしたって感情的になりがち、その上脳移植ともなれば人生を振り返りたい気持ちになる。これまでの脳移植患者が一時の感情に流されて、わざわざゲームの難易度を高くする質問を自ら選んでいただろう事は、最初から、予測がついていました。


だからこそ私はまず初回プレイで、「あなたの生年月日を教えてください」とか、「あなたの運営しているサイト名を教えてください」とか、明確な答えがある質問ばかりを出題したんです。このテストを攻略するためにはまず、時と場合によって解答が変わってしまうような質問を出題してはいけない。ゲームルールの基本を押さえておけば、たいして難しいシステムのゲームでもありませんでしたからね。


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結果は、無様なものでした。


初回プレイは、40問の質問に答えて正答は4個、一致率17.4%。

二回目は、40問の質問に答えて正答は2個、一致率11.6%。

三回目は、40問の質問に答えて正答は8個、一致率28.3%。

それ以降は…あんまりにもムカついたんで、覚えていません。


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最初、私は花畑の向こうに浮かんでいる私自身に、「あなたの生年月日はいつですか」と聞いたんです。「1991年12月25日」それが、私の生年月日です。どうやったって変わることがない、それしか答えようがない。こんな歳になってしまったから、こんな手術を受けなければならなくなってしまった。だから、そう聞いたんです。


彼はそう聞かれた途端、少し顔を歪めました。なるほど、人工人格もやはり私自身。老いの苦しみからは逃れられないかと、親近感さえ湧きました。しかし、そう思ったのも一瞬でした。彼の顔はそのまま、止まることなく歪んでいった。「自分が何年無駄に生きたかなんて考えたくもない」と、泣き言をわめきはじめたんですよ。


これは不味いなって、思いましたね。もしかすると自分の深層心理に、こういう鬱屈が潜んでいるのかもしれない。人工人格が生成された時に、それが露になってしまったのかもしれない。そうだとするなら…、目の前にいる自分はあまりに弱々しすぎて、落ち着いた答えを望むのは難しいかもしれない。


私は悩んだあげく、二問目として「運営しているサイト名を教えてください」と、私自身に質問をしました。「The video game with no name」、それがこのサイトの名前です。今の私の楽しみと言えば、好きなゲームの話が出来るこのサイトの運営ですから。いくら悲観的とはいえ、落ち着いて答えてくれるだろうと考えたんです。


彼はそう聞かれた途端、一瞬だけ、なにやら迷った顔を浮かべていました。そしてしばらく時間がたつと、こちらをまっすぐ見据え、「あんなサイトは無ければよかった」と言い切りました。その後もなんだかブツブツ不満をつぶやいていましたが…、あまりに不快だったんで、内容はよく覚えていません。


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これはひょっとするとって、思いました。もしかすると私が想像していたよりも、このゲームは難しかったのかもしれない。私が想像していたよりも、私は私の事を知らなかったのかもしれない。私が想像していたよりも、人工人格の技術は進歩していないのかもしれない。いろいろな不安が、一気に噴き出してきましてね。


私はおそるおそる、三問目として「あなたの一番好きなゲームを教えてください」と、私自身に質問をしました。「決めることが出来ない」、それが私の答えです。遊んだゲームの全てが好きだから、一本だけなんて決めることが出来ない。この質問にはいつも、私はそういう風に茶化して答えていましたから。


私の人生は、文字通りクソみたいな人生でしたが。不思議な事に…辛い記憶はほとんどありません。それもこれも、すべてはゲームばかりを遊んでいた人生だったから。どれだけ記憶をたどっても、ゲームを遊んで楽しかった時の記憶しか蘇ってこないんです。ゲームは楽しかった、この長い人生の、何時いかなる時も。もし彼が私であるならば、一番好きなゲームなんて決められるはずが無いんです。


だからこそ…、質問した時は、ちょっと不安だったのですが。

彼は期待通り、「決めることが出来ない」と即答してくれました。


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私は…、あれ思い出しちゃいましたよ。ほら、「管理人に100の質問」。


大昔、ゲームレビューを書くこの手の個人サイトでは、「管理人に100の質問」って企画が流行ったんです。ネットの向こうにいる人間がどんな人間かだなんて、誰も興味が無いに決まっているでしょう? しかし人間ってのは、自分がどんな人間なのかを誰かに知ってもらいたいって気持ちが…、少なからず存在している。


だから、自分で自分に対して100個質問を出題して、それをどんな風に答えるかで、「自分」という人間を読者に伝えようとしたんですよ。それが、「管理人に100の質問」って企画の趣旨。質問に答えるだけで自分という人間を分かってもらおうだなんて、なんて都合のいい話だって…。私は当時、心底馬鹿にしていました。


このテストだって、最初は信用なんてしていなかったんです。こんなお遊びみたいなテストで、人工人格の良し悪しなんか判断なんか出来るわけがない。たかだか数十問の質問の答えを聞いただけで、私という人間が決められるはずがない。いや、決められてたまるかって、そう思っていたはずなのに。


たった一つ、この答えを聞いただけで。私は、彼の事を分かってしまいました。


彼は、私じゃなかった。人間の劣化コピー。失敗した人工人格。出来損ないの人工知能。ゴミデータです。だって、本当に彼が私だったら、本当に彼がゲームを好きだったら、あんなふざけた解答はしないはずなんです。


あんなに苦しそうな顔をして。「決めることが出来ない」なんて泣かれても。そんなのどう考えたって、彼はゲームなんか好きじゃないから、好きなゲームを決めることが出来ないだけなんだって。私には、分かってしまいましたから。


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私だってこの一か月、ただ寝ていただけじゃないんです。何かを変えなければいけない、このまま終わってしまってはいけないって。朝から夜まで悩みに悩み。このテストで良い結果を出す為に、いくつもの攻略法を考えました。


まず最初に試したのは…、「計算」ですね。「明確な答え」のある質問だけを出題するというのは、攻略法として間違った考えだとは思えませんでした。しかしいくら「明確な答え」のある質問を出題したとしても、それが文章で答えられる質問であれば、最初のプレイのように無駄な泣き言を解答にねじ込まれてしまうかもしれない。ですので、まずその余地を潰してやろうと考えたのです。


手始めに40問、「2+3」や「4*5」といった単純な計算だけを聞き続けました。ここまでやったらテストの意味が無くなるかなと思ったので、ギリギリの譲歩として「15-12」とか「7*8」とかも聞きましたが、まぁ基本的には小学生レベルの問題しか出しませんでした。もうこれなら他に答えようがないだろう。私も頑張って暗算しましたよ。私が暗算を間違えたら、攻略法の意味がなくなりますから。


まぁ終わってみたら、それもすべては取り越し苦労だったんですが。私は暗算を一度も間違えませんでしたし。なにより、人工人格は「8*7」の掛け算を間違えましたから。いや、それだけじゃありません。彼は「7*7」も48と間違えましたし、「21-17」も5と間違えました。人工人格は機械で作られた知能。その思い込みが、この攻略法の落とし穴でした。機械であるはずの人工人格は、何度やっても何度やっても、掛け算割り算を平気で間違えやがるのです。


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次に試したのは…、えーと、「相手の答えを真似る」って攻略法ですね。まずは適当な質問を考えて、人工人格に答えさせます。人工人格の解答内容を覚えておいて、次の人工人格に同じ質問をぶつけます。そして前回人工人格が答えた内容と、まったく同じことを私が答える。ただ、それだけ。人工人格が一度答えた解答を、そっくりそのまま真似してやればいい、そう狙った訳です。


しかしこの攻略法も、すぐに破綻しました。人工人格を生成するために脳をスキャンするタイミングは、いつもテストの直前なんです。テスト直前の私は、前回の人工人格の解答解答を暗記しているわけで。その私の脳から生成された人工人格もまた…、前回の人工人格の解答解答を暗記している。もうその時点で、この人工人格は、前回と同じ記憶を持った人工人格ではありません。


解答中に突如として怒り出し、「あのクソAI、ふざけたことを言いやがって、私はそんな事思っていないのに」って発狂しはじめたり。はたまた記憶が曖昧になったのか、「たしか…人工人格はそんな事を言っていた気がする…」とテキトーな事を答えだしたり。人工人格の私は、何一つ私の思う通りには動いてはくれませんでした。


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負けてるんです、私は完全に、この「ゲーム」に負けている。


人格一致テスト。楽しいですよ、楽しい。

いや本当は、楽しいって認めちゃいけないんでしょうけれど。


なにしろ医療用だけあってUIが素晴らしい。ルール説明から結果発表まで、オペレーターAIが懇切丁寧に進行をしてくれますし。脳に直接仮想現実を体験させるタイプのゲームは、起動時の圧迫感が激しいものが少なくありませんけど。このテストはそもそも病人向けのソフトウェアですから、起動時の重苦しさは無いに等しく、まるで眠りにつくかのように安らかにゲームを始める事が出来ました。


また、システムが本当によく出来ている。このテストを通じて自分という人間を理解した時、私は一つ人間として成長しました。しかし私が成長した時、私のコピーである人工人格も、もちろん成長してしまいました。死に覚えで攻略法を編み出しても、対戦相手は常に一枚上手に立ってくる。プレイヤーが成長すればするほど、難易度が上がり続ける。何時までたっても飽きないように、作られていやがるんですよ…!


そしておあつらえむきに…、このゲームには時間制限すらある。ハラハラしますよ。私の脳は、日に日に死に近づいている。運に任せて人工人格を生成し続けるほどの時間は、私には残されていはいません。いつかは私も、不完全な人工人格を脳に入れるノーマルエンディングで妥協するか。脳が感情を失うバッドエンディングにおびえながら、それでもグッドエンディングを目指すのか。決断しなくてはならない。


楽しい。楽しすぎる。楽しまずにはいられないんです。あれだけ悩んで決断した手術が、もしかしたら駄目になるかもしれない。自分の生死が左右されるという時に。脳が、不謹慎にも、それを楽しもうとする。楽しい。楽しくって気が狂いそうになる。ゲームルール、面白い。バッドエンディング、面白い。ご褒美要素、面白い。楽しみたくなんかないのに、脳が勝手に楽しもうとする。


私はこういうゲームを、「楽しいゲーム」だと考えて生きていましたから。


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あの日からずっと、ベッドの上で横になって、検査のことばかりを考えています。何をやっても手につかなくて、何をやっても上の空で。食事も、睡眠も、数十年間欠かしたことのない歯磨きでさえ、おろそかになってしまいました。自分の感情の残存率を眺めてみては、これがタイムリミットなんだとニヤついて。病気の治療法を真面目に考えるふりをして、ゲームの攻略法を考えるようにそれを楽しんで。


それはちょうど、面白いゲームを見つけて、それがうまく攻略出来なかった時みたいで。悔しさで頭がいっぱいになって、何をやってもゲームの攻略が頭から離れないような、そんな楽しい気持ちに似ています。


これはちょうど、酷い病気を患って、それが治る見込みが無さそうな時みたいで。悔しさで頭がいっぱいになって、何をやっても病気の治療が頭から離れないような、そんな苦しい気持ちにも似ているのだと思います。


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どんどん、楽しくなってきているんです、何もかもが。


いや、正確には、感情は別に「楽しい」とは思っていません。

むしろ今現在の境遇を、感情は「苦しい」と思っているはずなのに。

まるで何もかもが楽しいかのように、意識が動いてしまうんです。


自分が楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。時間が経てばたつほど、感情の境界が曖昧になってきている。感情を客観視しようとすればするほど、感情の輪郭はどんどん曖昧になって、溶け込む様に宙へ消えていく。


おそらくこれが、「感情が無くなる」という感覚なんだなと思います。


面白いと思いませんか。私は数か月前、感情が無くなったら「楽しい」ことが理解できなくなるって、あれほど恐れていたのに。今、私は、感情がなくなって、むしろ「苦しい」ことと「楽しい」ことの区別がつかなくなっているのですから。


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私の感情は、間違いなく、薄れつつあります。テスト結果の惨状を見ても何も思わなった時、ようやく違和感に気が付いたんです。病気そのものへの恐怖心も日に日に薄れていますし、自分でも怖いほどに、自分の将来に対する不安がなくなってしまった。かつて私は、感情が無くなってしまう事を、あれほど恐れていたはずなのに。最近では恐れるどころか、考えたって無駄だと思うようになってきました。


感情は薄れているのに、何も不都合は起きていないんです。心も無いはずの人工知能が、まるで感情があるかのように振る舞えるように。日に日に感情が薄れていく私の脳も、感情があった頃の記憶を覚えていて、それを模倣して感情があるかのように振る舞っている。感情が「楽しい」と「苦しい」の判断が出来なくなっても、脳は過去の経験から、それを判断しようとしている。


薄れゆく感情は、おそらく私に、この病気を苦しませようとしています。もうすぐ人生が終わる。死が、一歩一歩と近づいている。人間としての終わりが、もうそこまで迫っている。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜かなければ。何も恐れることは無く、ただダラダラと時間は流れ、私は死んでしまう。苦しまなければ、何もしないまま死んでしまう。だからこそ感情は必死になって、私に病気を苦しませようとしている。


しかし残された記憶は、私にこの病気を楽しませようとするんです。ルールがある。対戦相手がいる。攻略法がある。過去の記憶から判断するに…、これはゲームだ。かつてあれだけお前を楽しませてくれた、ゲームだ。負けて悔しいから、お前は悩んでいて、夜になっても眠れない。お前は今、このゲームを楽しんでいる。だからこそ記憶は必死になって、私にゲームを楽しませようとしている。


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遊べなくなったゲームの記憶ばかりが、蘇ってくるんです。

二度と遊べないはずのゲームが、もう一度楽しんで欲しいって蘇ってくる。

あいつらはかつてと同じように、今の私を楽しませようとしているんです。


酷い結果の人格一致テストに、楽しかった日の記憶が重なり合って。「密友」を遊んだあの日の記憶が、「こうやって自分のコピーから好きな解答をなかなか引き出せないジレンマが楽しかったんだよなって」って、記憶が勝手に感情を埋め合わせる。


機械と取り換えられていく老いた身体に、楽しかった日の記憶が重なり合って。「バトマリ」を遊んだあの日の記憶が、「こうやってパーツを好きなようにカスタイマイズするのが楽しかったんだよな」って、記憶が勝手に感情を埋め合わせる。


感情が失われていく惚けた脳に、楽しかった日の記憶が重なり合って。「そしてまた去りゆくあなたへ」を遊んだあの日の記憶が、「こうやって自分の感情が分からなくなるのが楽しかったんだよな」って、記憶が勝手に感情を埋め合わせる。


楽しさも苦しさも判別が出来なくなってきたこの馬鹿みたいな現実に、アドレナリンや厭世を遊んだ時の記憶が蘇ってきて。脳みそを機械に取り換えなくてはならない地獄みたいな将来に、阿知羅の御鏡を遊んでいた日の記憶が蘇ってきて。老いてなおもゲームに縋り付くしかない惨めな過去に、FoNを遊んでいた日の記憶が蘇ってきて。後から後から、楽しい記憶ばかりがよみがえってきて、現実を覆いつくしていく。


どいつもこいつも、もうとっくに死んだゲームのはずなのに。もう二度と遊べなくなってしまったって、あれだけ別れを惜しんだはずなのに。私の記憶の中だけには、あいつらはちゃんと生き残ってくれていて。


もう何もかもが昔とは変わってしまったのに。私はもう楽しくなんてなりたくないのに。昔と同じように、あいつらは、私を楽しませようとしてくるんです。


感情は楽しいなんて思っていないはずなのに。記憶が、何もかもを楽しいと勘違いさせて。将来も楽しい。過去も楽しい。今が一番楽しくて楽しくて仕方がない。老いて朽ちいくこの身体も、感情が消えていくこの脳みそも、ゲームを遊んで忘れてきた孤独でさえも、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しすぎて、気が狂いそうになる。


===


私は幸せな人生を送ってきました。いつも、楽しいゲームに囲まれていました。


私の脳の中には、ゲームを遊んだ時の楽しい記憶しか残っていなくて。消えていく感情を、記憶が埋め合わせようとして。昔遊んだゲーム達が、苦しむ私をもう一度助けようしてくれて。私に、残りの人生を楽しませようとしてくれるんです。


感情は薄れて、本当は楽しくなんかないはずなのに。ただ記憶が、意識が、脳が勝手に。「楽しかった」時の身体の動きを覚えていて、それを無理やり模倣させて、さも「楽しい」かのように私の身体を動かしてくれるんです。


苦しい。苦しいんですよ。どう足掻いても検査結果は改善しない。延命手術は難しそう。感情は日に日に薄れていって、物事を正常に判断することすら難しくなってきた。満足に眠れる夜すらない。苦しい。苦しいに決まってる。怖い、怖くて怖くて仕方がない。苦しくて苦しくて、身が張り裂けそうなはずなのに。


胸はワクワクして、身体はソワソワして。明日が来ることを、待っているんです。どれだけ苦しくて眠れなくても、それは明日が待ち遠しいからだと脳が語りかけてくる。考えたくもないはずの寿命のことを考えさせられて、ゲームオーバーを想像して顔が勝手にニヤつく。考えたくもないはずの治療法のことを考えさせられて、攻略法を想像して顔が勝手にニヤつく。楽しくて、楽しくて、たまらない。


===


また明日から、病院での検査がはじまります。


文章に書き起こしたら何かが変わるかなと思いましたが…、やっぱり、駄目ですね。「ワクワクして眠れない」だなんて、この歳で言って笑ってもらえる言葉じゃない、そうと分かってはいるんですが。


ちょうど…、ゲームで負けて悔しかった日みたいな感じかもしれません。ゲームに負けたことがどうしても悔しくて、忘れようと思えば思うほど、脳が勝手にゲームの攻略法を考えてしまう、みたいな。


駄目なんです。忘れようと思えば思うほど、逆に駄目だった自分の過去の姿ばかり頭の中に浮かんでくる。よくあるんですよこういうことは。いつも、眠れなくなるんです。ゲーム、負けてばかりなんで。


もしかしたら、このままタイムリミットが来て、ゲームオーバーで死ぬのかもしれない。そう考えるだけで、眠れなくなる。苦しいはずなのに、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて、眠れなくなる。


===


おそらくこのまま、私は、何もかもが楽しくなっていく。

何も楽しんでいないのに、全てを楽しんでいるみたいに生きていく。


ゲームだけを遊んで一人孤独に老いていき、昔遊んだゲームの残骸を抱きしめながら、衰えた脳で「楽しい楽しい」とうわ言を呟き、見事ゲームを愛したまま死んで、幸せな人生だったと胸を張ることが出来る。


なんだ、こうして考えてみたら、それはそれで理想の人生じゃありませんか。


2115/10/29 (Article written by Alamogordo)


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