這いよる声
身体がだるく喉が猛烈に痛いと土に説明すると白い小さな錠剤をくれた。身体から汗とともに熱が逃げていく気がして、それがとても気持ちよく、そのまま寝てしまった。
茫洋とした気分のまま頭痛と目眩に脳味噌が揺さ振られ、瞼を開けた。後頭部が痛い。身体が横になっているのに目眩がひどい。
「失礼するよ。具合はどうかな?」
土は慣れた手つきで目、口腔、脇などを調べ、元気になるにはもう少し時間がかかりそうだねと呟いた。
「それで、貴方は私に何か聞ききたいことがあるんじゃないのかな、だからあの日あの場所にいた。そうだろう?」
覗きこまれた瞳には好奇心と僅かな不安が混ざっていた。どう答えたらよいのか分からなかった。戸惑っていると心中を察したのか
「貴方は苗床を枯らしていたね。怒ってないから何でも聞いて」
さらに言葉を重ねて追い詰める。
「雨と、はぐれたんです。それで、アレを見つけて、無我夢中で・・・・・あなたに聞きたいこと」
「そう、あれを見たんだから。何でも聞いてよ」
土はにたっと笑った。笑窪ができ、歯茎があらわになった口もととは対照的に瞳は一切笑っていなかった。かわりに得体のしれない暗闇が宿っていた。
「じゃあひとつ。貴方は何故そのようなことを尋ねるのですか?」
「そのようなことって・・・・・つまり、何故何でも聞いてと言ったのかって?」
「そうです」
土は手を口に当てて黙り込んだ。予想外の質問だったのだろう。彼が予想もしていない質問だろうと思い口にしたのだから当然だった。
「ひょっとして、まだ取り戻していないのか?」
怪訝そうに見つめる目の奥でどろりと黒い霧が動いた。電や風が言っていた魅入られる、とはこのことなのだろうと思っていたら、取り戻すとはどういうことですかとの言葉が口を突いて出てきた。
「うーん、これはちょっと困ったなあ、いやむしろ好都合なのか?」
先ほどの興味深々とした態度と打って変って、急に独り言をぶつぶつと呟きながら出ていってしまった。
土の一貫性のない行動は不安と恐怖とをもたらし、いたずらに焦燥感に駆られた。
あの瞳の邪悪なうごめきに、ここにいてはいけない、いるべきではないと胸中で誰かが訴えている気がしてベッドをおりたがすぐに視界は歪み、頭が大波に揺さ振られたかのような目眩に襲われ、再びベッドへ戻った。
背中に張り付く汗の不快感と重石を背負っている様な倦怠感で浅い眠りから起きると土がやってきた。
「汗かいた?うん、じゃあ熱はそのうち下がるかな。着替えはここに、元気になったら貴方の役目を果たしてもらいたい。いいね?貴方はその為に生まれてきたのだから」
着替えを置いて彼は出て行った。汗で持ち重りのする服を肌触りのよい寝間着に着替えた。今のところ雨たちも土たちも良くしてくれてはいるが、肝心のところを教えてくれない。記憶、記憶、記憶。二言目にはそれを口にする。
まっさらな状態で存在しているだけなのにどうして記憶があろうというのか。
少し、催してトイレを探し部屋の外へ出る。廊下の突き当たりにある小部屋に入り用を足す。おかあさん、と声がしたので振り返ると足元から冷気が這い上ってきた。こわいよ、いたい、たすけて、ここからだして、さむい。無数に蠢くちいさな手に足首をつかまれる。心臓がきりきり痛み圧迫されたかのような息苦しさに苛まれ、蹲る。おかあさんのにおいがする、あったかいんだね、やさしいね、ここちいいな、もっと、もっとほしいな。
「もう一度、会いたい・・・・・お母さんに、会いたい」
苦し紛れに口をついたのは、やや的外れな、だが確かに彼らの気持ちを代弁した言葉だった。蹲る体に、その胸に小さな手が触れると、彼らの気配は痛みもろとも消失した。部屋に戻る途中に階下から金属の擦れ合う音と生臭い匂いが漂っていたのを覚えていた。
土は再びこの場所で、役目を果たされなかった者達の有効活用を試みているのだろう。その善悪の判断は致しかねるが、語りかけてくる冷ややかな気配は怯え悲しみ、猛烈に母性を求めていた。
ベッドの上で目が覚めると、部屋に土とは別の男が二名いた。二人とも中年をやや過ぎたぐらいの容姿で、そのくらいしか分からなかった。彼らはソファに座りながら土に軽い会釈をしたあと、ベッドへ移動してきた。
「気分はどう?」
まぁまぁですと曖昧に答え、もう少し安静が必要そうだと言われた。
「では、少し違うことを聞くけど、菰方と言う男を知っているか?」
その問いかけに身を強張らせる。注意深くゆっくり息を吸い吐く。呼吸するのがつらそうに、熱でぼんやりしているように口を僅かに開けて。
「・・・・・いいえ、雨しか知らないです。大きくて白い犬。唐揚げが好きな」
「それで?」
「あの・・・・・それで、その菰方さんも知らないですし・・・・・山にいたのは雨とはぐれたからです」
「何故山に?」
「それは・・・・・雨には子供がいて、二匹が行方不明で」
「探すために山に入ったのか?」
あぁ、ともはい、ともつかないうめき声で返す。昨晩感じた胸の激痛が再びぶり返し始め、応対が難しくなる。その苦痛を尻目に部屋の空気は張り詰めていた。皆いらいらしているのだ。だが、もう限界だった。日にちがどうのとか、手っ取り早くやってしまおうとか声が聞こえたが、よくわからないままそこで意識が無くなった。
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