小石の行く先
もう、こぶし一つほど伸ばせばあの子に手が届いた。無慈悲にも異形の魚に突き飛ばされ、雨は掛けがえのないものを失う絶望を再び味わった。
あの子が物の様に扱われるのを黙ってみているしかなかった。洞窟の闇がうごめいて、憎たらしい人間達が立ち去ってもなお、雨の体は地面に横たわったまま動かなかった。動かせるだけの力がなかった。
地面を舐め、降りしきる雨が絶望と屈辱と悲壮を一層濃くした。三歩先で横たわる玉は指先一つ動かない。白い鯰が乱杭歯をあらわにその喉もと目がけて突き進んできた。雨にはもう、我が子を守れるだけの力は無かった。天から降り注ぐ氷雨が力を洗い流してしまっていた。
三度、我が子を失う悲しみを目にして、雨の心は無事ではいられないだろう。全てがお終いになるのだ。
ごめんなさいと短くつぶやいた口に生臭いものが広がった。果たして、それは返り血であった。玉を喰らおうとした鯰は、一閃で二枚におろされ、刺身になっていた。
「ま、間にあった」
ぜいぜいと肩で息をしながらずぶぬれの霧が玉の傍にへたり込んだ。遅れて銃声が響き、ヤッケを被った風が雨に肩を貸す。
「ヤッケ貸してよ。風邪ひきそうなんだけど」
スラックスはふくらはぎがあらわになるまで折り曲げられ、真白だったカッターシャツは泥と返り血で赤茶けた斑があちこちに飛んでいた。
「もう持ってないよ。私より走っているし私より若いんだから平気でしょ?」
「いや、下着までずぶぬれで気持ち悪い」
霧は抜き身のままカフスボタンを外して袖を肘まで折り曲げ、眼鏡についた水滴を鬱陶しげに振り払った。
「私たちはあの子に言われた通りなんか岩?みたいな物を六個壊してきたけど、雨大丈夫?」
「間に会わなかった。連れて行かれた。ごめん」
「うん、大丈夫。こっちは電が看護婦さんを回収したよ。雲と虹も避難誘導のために先に山を降りている」
どうする?と風が口を開きかけたとき、おかあさん、とか細く呼び声がした。
「あっち、あっちへいかなきゃ。あの子が連れていかれたところ、いか、なきゃ」
もう一度、雨は我が子を取り戻す機会を得たのだ。その足元を泥で濁った水が流れ下っていく。
「風、風は先に降りていて」
「えっ?なんで?」
「弁護士の出番はこの雨が止んでからしかないが土建屋の社長は今が出番だからだ。私は重機を扱えないし土嚢を効率よく積み上げることもできない。雨には射手でも剣士でもどっちでもついてやっていていいが、今のこの街には土建屋の社長が必要だ。弁護士の出番なんて水が引いてからしかない」
意図を汲んだ風は不敵に笑う。足元を流れる水に砂礫がまじり始めている。
「死ぬなよ。この雨でうちの土場もやられているんだ。保険掛けてあるからあとで書類ちゃんと作れよ」
霧はあい、あいとうなずいて雨と目くばせする。風は電話をとりだして誰かに連絡をしながら山を降りて行った。
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