虹に会いに行く

 それから何度か昼と夜がやってきて、たまに殺した男の悪夢を見ながら雨の子供たちが巣立つまで資材置き場で過ごした。巣立つ、と言ってもいつものように山に遊びに出かけるのを見送るだけだったが、雨がこれでもう大丈夫と言うのだから問題ないのだろう。

 翌朝、雨は人間になっていた。ショートカットのすらりとして背の高い女性を見上げると、私は犬でもあり人間でもあるのだと答えた。彼女とともに僅かな荷物を手に都市部へと繋がる幹線道路に向かった。

 間近に大きなトラックが何台も通り過ぎるような道を二人で黙々と歩いて大きなショッピングセンターに至った。ここで化粧水を買いたいと雨が言うので立ち寄った。犬なのに化粧水が必要なんて少し可笑しかったが、大型のショッピングセンターに入るのは初めてだったのでどきどきしながら、彼女と一緒に化粧品売り場を探した。

 中はほんのり薄暗く、ペットボトルの飲み物やトイレットペーパー、カップラーメンなどがうず高く積み上げられているのが珍しかった。ただ、とても雑然としていて化粧品売り場は中々見つからない。中央付近の一番ごちゃごちゃになっている所で、これこれ、と雨はしゃがんでピンクの瓶を手に取った。

 突然、ガラスの割れる音がして辺りに爆音が響く。雨は手に持っていた瓶をカバンにしまうと、来た、と呟いて警戒する。

「暴走族?でも雨あなた」

「お金はちゃんと払うよ。ちょっと面倒なことになったね」

「殺すの?」

「そうだ。殺す」

 雨に手を引かれながらキッチン用品売り場へ向かう。けたたましいエンジン音とたまに悲鳴。ひとつ、大きなエンジン音がこちらに向かってきた。おんおんおんとエンジンが唸りヘッドライトがちかっと光った。

「この紐を向こうの柱に結んで」

 渡されたビニル紐を大きな柱に括ると雨は膝上くらいの高さに平行に張った。

「ここで待っていて」

 言い残すと、バイクの進路に身を晒しながら大きな通路をまたいでキッチン用品の場所へ足早に歩き去った。すぐにタイヤの擦れる音とともにバイクが通路を疾走してくる。が、次の瞬間、突然の衝撃の後、目の前で大きな音と衝撃と大量の品物がなだれ込んできた。

すぐに物陰に隠れじっとしていると足音が聞こえてきて、物が崩れる音がして、よっこいしょ、と雨の声がした。周囲の安全を確認し棚の端から顔を出し、床に散乱した三角コーナーや小瓶、米びつなどをまたいで、雨の元へ這い出した。彼女は黒くて大きなバイクを脇に停めている。

「止めを刺したの?」

「ああ。うまくいった。これに乗って街へ行こう」

 入ってきた方からサイレンの音が聞こえる。何かのうっちゃれる音やけたたましいエンジン音、怒号などもまじっていた。こっちだ、と雨に案内されて裏口から細い生活道へ抜け、人気のない住宅地でバイクに乗った。

 風を切って進むバイクに乗るととても寒く、雨の細い背中につかまってぶるぶるふるえていた。周りの景色はあまり目に入らなかったが、止まったり進んだり曲ったり何度も繰り返して橋のたもとで降ろされた。

 橋を渡り、雨の後ろについていく。雑居ビルが立ち並ぶ飲食街を分け入ったところの虹を越えてと描かれた店のドアを敲く。

「はぁい、郵便屋さん?」

 間延びした声が聞こえてきてドアが開くと、色の白い美しい女性が雨を見てぱっと顔を輝かせた。この人が虹だと察する。

「久しぶりね、待っていたわ。ここまでお疲れ様」

「道中いろいろあったんだ。霧は?」

「今晩風と一緒に来るわ。それまで部屋の二階、使って。二百三号室が空いているわ」

 つややかな腰まである黒髪を億劫そうにかきあげる虹の仕草は大変美しかった。細長く少し筋張った手に煙草を咥えて気だるそうにライターで火を付ける。

「・・・・・何やらかしてきたの?ほら、上がって」

 虹に招き入れられ間接照明が神秘的な店内に入る。カウンターに座りウーロン茶と牛乳を出される。そういえば犬だった雨は唐揚げと牛乳が大好きだったことを思い出す。一息に牛乳を飲みほして乱暴にグラスをカウンターに叩きつける。

「奴らに追われた。警察にも気付かれた」

 忌々しげに舌打ちをして、途中で一人殺した、黒い男、心当たりは?と虹を見やる。

「黒鷹かしらねえ。死体は?」

「ほっぽってバイクだけ拝借した。それも鏡明橋の下に置いてきた」

 紫煙を燻らせながら風に片付けてもらわないとねえ、と虹は呟いた。

「・・・・・それで雨はお店でてくれるの?」

 手に差した煙草の灰が舞い、灰皿に吸い込まれていく。また一口、吸うと火口がとろりとした橙を灯した。

「あ、いいよ。唐揚げの材料ある?」

「冷凍のもも身があるわ。お醤油もお酒もあるけど、生姜は大丈夫だったかしら」

「雨は料理できるの?」

カウンター越しににやりと微笑んで

「あらぁ、知らないの?雨の唐揚げはとっても美味しいのよ」

 それが母の得意料理か何かのように答えた。

出会ってからずっと犬だったモノが突然人になってしかも唐揚げが得意と聞き、それは人を殺すとかバイクを奪って逃げるとかよりも突拍子のない話で、軽くめまいがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます