鉈と唐揚げと出会い

 あの日も雨が降っていた。雨に日用品を買いに行くからと告げ街へ赴き、買い物を済ませた帰り道で見知らぬ男に襲われた。

 帰る時には雨は上がっていたが空はどんよりと曇っていた。左右を田畑と耕作放棄地に囲まれた一本道で藪の中から黒づくめの男が飛び出してきた。とっさに後ろへ飛び退いた拍子に雨の好物にしている唐揚げが全部地面に落ちてしまった。ごめんなさい雨、あなたが楽しみにしていた唐揚げがだめになりました。

 刃物男とおよそ五歩の間を挟んで対峙し、きりきりと張り詰めていく殺気に少しだけ気分が高揚した。

 重たい買い物袋の中から鉈を取り出し、ビニールケースを乱暴に剥いで男と向き合う。

 何故襲われなければならないのだろうか、何故この男を殺さなければならないのか。よくわからないことになってしまい頭の芯がくらくらする。

 それでも男に隙を与えないように、じりじりと互いの間合いを詰め一瞬の隙をうかがう。

右からの斬撃を払い、首筋を狙った一撃が決まる。浅い。首からどくどくと血を流した男は傷口を押さえながら背丈ほどの藪の中へ飛び込んだ。すかさず後を追う。

 ここで殺さなければならない。断固とした意思と過剰なまでに増幅された怒りがこみ上げる殺意の必然性を裏打ちした。

 藪を打ち払い血痕を辿り追跡する。放っておいても失血死するであろう男に止めを刺さねばならないと、後で思い返しても何故そのような冷静さを欠いた思考をしたのか分からない。 

 藪を抜けた所で男の不意打ちを受け下から斬りあげられる。かわして二撃、三撃と打ちあう。荒々しい息と笹のすれあう煩い音が思考をさらに麻痺させる。殺せ。間合いを取って向き合い、再度相手の出方を伺う。

 さあ決着だ。疲労と血の臭いでくらくらしながら、ここで止めを刺さねばならぬと殺戮を求めている獰猛な本能が告げる。中腰で鉈を構え、乱れた呼吸に下がった剣先。相手も疲れている。静かに気息を整え一気に駆けだす。生と死の境界を跨ぐ舞踏の高揚に酔いしれながら男に襲いかかる。突撃のための一段深く身を沈めた予備動作に一瞬の隙ができた。その隙に男は身を翻し全速で逃げだす。速い。追いつけるか分からないが男の後を追う。全力で走って追いついて、背後から心臓を一突きにしてやる。

 男の背を追い掛けて、野を飛ぶように走った。畑の細かな起伏など意にも解さぬほど足はよく動いた。男も疲れているはずなのに、緩急をつけた動きでこちらの攻撃をかわしてくる。まだ余力を残しているのだ。

 だからこそ、ここで取り逃がしてかならない。柄を強く握り走ることに集中する。速度が増す。間近に男の背中が迫る。あと三歩、二歩まで詰めた。

 心臓に狙いを定め刃を構える。大きく飛んで刃に全体重を乗せる。鉈は深々と背中に突き刺さり、男は絶命した。その場でひざから崩れ落ち動かなくなった。柄を離してよろよろと後ずさりして途方に暮れた。どっと足に重石を乗せられたような疲労感がやってくる。

 息が整うのを待って立ち上がり、死体を放置して田畑を後にした。最初に襲われた地点から闇雲に走ってここまで来たので元の道に戻らねばならない。

 二、三百メートルほど歩いたところで声をかけられた。振り返ると男がいた。しとめた男と同年代の身なりの良い風体に人の良さそうな微笑みを浮かべている。怪訝そうにしていると

「あの死体は私たちが処理をします。後は私たちに任せてください」

 敵意は感じられないが、見知らぬ他人に親切にされるいわれもない。

「いえいえ、結構です。そんな、申し訳ないです。後から片付けておきます」

 茫洋とした笑顔で答えるとそれにつられて男も破顔する。

「そんな、私たちの方がこういったことは慣れていますので」

 そう言って上着の内側を探り、一枚の小さな紙を渡してきた。

「申し遅れましたが私は、菰方、あ・・・・・そうか、貴女は私のことを菰方ではなく風、風とお呼びください。私は風と申します」

 その言葉を聞いてすべてに納得がいった。彼も雨と同じような存在なのだ。雨は白い大きな犬で風は人間だった。つまり彼は味方だ。

「あ、では、すみませんがお願いします」

 おじぎをすると目の前にトラックがあらわれた。作業着姿の男たちが風に死体を回収したことを告げた。風は微笑み、婉に何も心配はいらないと示した。

 その後、どこにも行くあてがないなら私の所へおいでと言ってくれたが、雨が帰りを待っていてくれているので雨の所へ帰るためのお金を貰うことにした。

 都市部の喧騒から遠く離れ、すっかり鄙びた郊外の、森と人の住処がまじる場所。そこに雨はいた。打ち捨てられた建設機材や雑然と放置されたままの橋や道路の部品の入り組んだ迷路が雨の住処だった。敷地を囲むぼろぼろの金網をくぐると雨とその子供たちがいた。

「雨、ただいま。遅くなってごめんなさい」

 白い犬はこちらを向いて尻尾をぱたんと大きく振った。

「どうして帰って来たの?」

 その柔らかな声には驚きが包まれていた。

「あなたの、子供が気がかりだったから」

 あぁと、ころころした子犬に目をやり彼女は

「そろそろこの子たちにも巣立ってもらわないと」

 と言った。

「どうして?まだこんなに小さいのに?」

 子供たちは雨の半分もないくらいで、まだ遊びたい盛りではないだろうか。軽く笑って、雨は子犬達には種を絶やしてほしくないから早めに巣立ち、自立してほしいのだと言う。

「それに、私は貴女の傍にいなければならないものだから、子供もはやく一人前にならないといけない」

 それを聞いて申し訳なく思ったが、少し口をつぐんで考え、軽々しく謝罪の言葉を口にするのはいけない気がした。

 


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