件の言葉、斯くの如く成就候
国際都市を三つ四つまたぎ長距離バスを乗り継いで、ようやく辿りついたうらびれた異国のバスターミナルに、妙齢のアジア人女性とその連れ子と思しき幼子が降り立った。
砂交じりの熱風は容赦なく彼らの頬を叩く。この先の、道の果てには石油プラントと広大な砂漠があるのみで、防砂林の緑とトレーラーの行きかうアスファルトの黒が大地に文明の直線を引いていた。
「お待たせ。一旦戻ることになるけど、街の方の宿まで行きましょう」
麗しい黒髪と黒目の美貌の女性はにこやかに、先ほど捕まえてきたタクシーをひきつれて親子連れと共に砂埃に霞む都市を目指した。
「すごいな、こんな砂しかないところに私たちの街より発展した都会があるなんて」
「オイルマネーで活気があるの。凄いわね石油って」
メーターの上がり方がおかしいタクシーの車中で、眠っていた幼子が目を覚ました。まん丸の瞳にきらきらと高層ビル群の電飾が反射しては通り過ぎ、極彩色の世界を写していた。
「この街の考古学記念館に行けばいいのかしら」
「あそこは主に出土品を展示してあるだけだから違うんじゃないかな?」
フロントにあった観光用の地図を広げ、目ぼしい地点に印を付ける。
「おかあさん、そこじゃなくてここ」
雨の傍に寄ってきた子供を膝の上に抱きかかえ、ここ?と指さしで尋ねた。
「うん、ここ。ここであえるの。あいたかったひとたちがまっているの」
そこはこの砂漠の町と石油精製施設を繋ぐ道から少し外れた岩山の麓であった。紀元前に栄えた文明の跡を示す出土品が数多く発掘された遺跡が残っている地域で、ふっくらとした幼子の指は東側の重要な宗教施設があったとされる廃墟を指していた。
「分かった。早起きできるか?」
こくりと頷くと、地図を畳み雨に抱きついてそのまま寝いってしまった。
「このまま。ずっとこのままだといいのにな」
綿毛の様に繊細でしなやかな髪を撫でる雨にそっと虹が語りかけた。
「ねぇ雨、私菰方邸で件に遭った話はしたかしら」
「襲撃の、蔵に隠れていた時か?」
「ええ、その時にね件というとても恐ろしいばけものから言葉をもらったのよ」
「それで件の言葉は成就したのか?」
「せっかちねえ、あのね、タイバクの果てムキュウにて待ちいたる者終に成就せりって」
雨の胸の中で子供が小さく声をあげた
「どうした?」
「大漠の果て、無窮にて待ち到る者、終に悲願成就せり。滄海の果ての国で望んでいたように、ここ、果てなき渇きの大地でも、再び巡り会えることを切望していた。待っていて、くれていたんだね」
うっとりと、言葉を発し終えると、満足したように深く息を吸い込んでゆっくりと眠りの淵へ戻っていった。その様子に紫は言葉を失い、雨はその言葉の意味するところを察してか、一晩じゅう涙を流していた。
翌日、タクシーを幹線道路の側帯で待たせ、十分ほど荒野を歩き、すべての始まりの廃墟へと至った。人の手で切りだされたと思しき象牙色の砂岩が散在する廃墟にゆっくりと幼子を降ろし、雨はそっとその手を離した。
「おかあさん、ただいま・・・・・あいたかった」
千載の再会に対する欣幸の流啼は、声が枯れ果て疲れて眠り込むまで続いた。そして雨は、我が子の身体からかけがえのない煌めきが失われてしまったことも感じていた。
吹きつける熱砂の中に過ぎ越し方の母親だったものの慟哭と歓喜とが入り混じった叫びが渦を巻き、紫と雨の耳元でありがとうの囁きを残して蒼穹へと去って行った。
「おつかれさま、よく頑張ったね、長い間、一人でえらかったね。もう大丈夫、もう、大丈夫だから」
おだやかでいつくしみにみちた言葉をそっと語りかけながら、突っ伏したままの幼子を抱き熱を帯びた背中をやさしくさすり、タクシーのところまで戻って行った。辛抱強く待っていた運転手は、異国からの旅人の尋常ではない様子にやや怯えながらも、ホテルで乗客が気前よく支払いを済ませてくれたことに安堵し走り去っていた。
砂漠の大都市を離れ、帰国の途に着いてもなお、幼子は雨に抱きかかえられたまま二度と目を覚ますことは無かった。飛行機の窓の外から遠ざかる異国の大地と雲海の果てに登る太陽を眺めながら、雨はあの山中での喪失と出会いをなつかしみ、ここまでの旅路を思い、我が子が再びなにものかの一部に無事帰していったことに安堵した。
「雨、貴方は立派だった。貴方は立派に母の役目を務めたわ。見ていて、辛くなるくらい苦しんで、悲しんでそして、憂い、愛していた。幸いを得ていた。大地に命をはぐくむ慈雨のように貴方はおしみなく愛情を注ぎ、千載の怨念を晴らす力となったわ。ねえ、雨、本当にお疲れ様。あなたの成し遂げたことは、素晴らしいことよ、本当に素晴らしいことだったわ」
何処より生まれ出る 梅戸藤花 @dion_kawaii
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