彼方の声

しとしとと真夜中から降り続いている雨と立ちのぼってくる靄に包まれた柔らかな空気が車の輪郭を曖昧にしている。視界が悪いねと霧が車内から声をかけた。

「山に入るのは、久しぶりだ」

「山を降りて以来だろう?」

「・・・・・あぁ」

 靄の中ヘッドライトに白いガードレールがぼうっと浮かび上がり舗装された緩やかなカーブの重なる山道を進む。

「場所の見当はついているのか」

「雨がいた場所のもう一つ山を越えた所らしい」

「どうやって調べたの?」

「私は弁護士だから裁判所の記録を閲覧できるのだけど、先月、フライハイを使ってトリップして暴れたやつが送検されていてね、その資料に載っていた。詳しい位置は調書に載っていなかったけど、大方の検討はついているよ」

「・・・・・そう、そのあとは私がいれば十分だな」

「あぁ、そうだ、頼むよ」

 こちらこそと微笑んだ雨の声音は少しぎこちない感じがした。

背の高い針葉樹の迫るうす暗い道が続いていたが、開けて崖に出た。水のごうごうと流れる音がする。赤茶けた岩や白っぽい岩が露出している所があり、落石注意の看板もちらほら見かけた。途中に不法投棄禁止の立て札から林道が伸びている所があり、そちらへ曲る。未舗装で急に道が悪くなり、轍に溜まった水を跳ねながら進んだ。

「もう少し行けば車一台くらい止められる場所があるそうだ」

「そこからは歩きになる?」

「あぁ。調書にもこの道の先の山中としか書いてなくて。西に二百メートルほど進んだところらしい」

 少し道幅が広くなっている所に車を停めた。レインコートを着てスコップを持たされ、雨に手を引かれてきつい傾斜を上る。雨にぬれて滑りやすくぬかるんでいたので大変歩きにくかった。臭いがするのか?と霧が尋ねると、とてもきつい死臭がすると雨は言った。倒木や枯れ枝に気をつけながら進むと周囲よりうす暗い少し平坦な場所に出た。すぐに異様な臭いに歩みが止まった。

「鼻が曲がりそうだ。髪や服に臭いが付くかもな」

 足元は羊歯が生い茂り、踏みわけて進むとすねやふくらはぎに跳ね返り足元を濡らす。周囲は静かで、時々白い羽虫が飛び立っていく。雨のあとについていくと、窪地に出た。

「ここだな」

 静かに雨は言うと後ろを振り返った。

「これは、どうする?かなり大量にあるぞ。それにしてもひどい匂いだ」

 窪地の一番落ち込んでいる所を中心に青白い、植物と呼べるのか分からないモノが生えていた。図鑑で見たウミエラやウミユリのような、海の生き物の形をしている。ひざ丈くらいの大きさで風もないのに青白い身体をゆらゆらと揺らし不気味に群生していた。

「掘ってみない方がいいね」

「じゃあやっぱり」

「あぁ、この地面の下には死体が埋まっている」

「・・・・・むこうまで続いている」

「不法投棄、というレベルじゃないな。人間性への冒涜だな」

 淡々と霧はカメラを取り出し三枚ほど写真を撮った。そして手じかな白い草を引っこ抜き、そこでもまた写真を摂った。

「見ない方がいい。こいつらは死体を養分にして育っている。根っこが人間だったものに繋がっている」

 霧の方へ近づいてみた。やめた方がいいと雨に言われたが無視して霧の足元を覗いた。一抱えほどの茶色い肉塊を半透明の膜が覆っていて、そこから十本程度の草が生えている。眼堝のようなくぼみと口のような黒い切れ目が見えた。悪寒が一気に全身を駆け巡った。

 体中からべっとりとした汗が噴き出し、どくどくと耳の奥で鼓動の脈打つ音が聞こえる。そして、今ここで何が行われているのか全て認識した。

「煙草とライター、持っていない?」

「・・・・・車の中にあるけど」

「取ってきて。ここでこれを根絶やしにする準備をするから」

分かった、と頷いて霧は車へ戻った。雨に何をすればいいと訊かれたので、全ての根っこを掘りだしてほしいと頼む。

「酷い匂いだが、これを使うといい」

 そう言ってタオルをマスク代わりに巻き、幾分か臭いは和らいだ。

 掘り起こした肉塊は全て黒か褐色で、大小様々だったが、これらは全て胎児なのだ。窪地の周りだけでもずいぶんたくさん掘り返した。臭いとグロテスクな肉塊に辟易し始めたころ、霧が戻ってきた。

「煙草に火をつけて、煙を周囲に充満させて。それから火のついた煙草を六本、等間隔に置いて周りを囲んだら煙の外へ出て」

 窪地と言う特性からか、すぐに紫煙が辺りに満ちる。二人が遠ざかる足音が聞こえ、付近の杉の木の枝を手折り、髪の毛を数本抜いて枝に巻く。霧から借りたライターでそれに火を点けた。枝は湿り気を帯び本来なら燃えないが、今は場所の力で燃えている。そしてその火から肉塊一つ一つに火を移す。紫煙は未だ辺りに満ちており、物の形を失わせていた。この煙はこの場に留まり続け、出ていくことは無い。

 輪郭がなくなるということは、どんなものだろうと形をとれないということだ。存在をあやふやにさせられ不安定な状態へ還元される。彼岸と此岸の見分けがつかなくなる。此岸に囚われていたものが解放される。

「この糸を、この黒い糸をずうぅっと辿っていけばちゃんと帰れますよ。この糸を辿っていくのよ」

 おかあさん、おかあさんと声がする。いたいいたい、きもちわるい、ここはいやだと頭に響く。

「ほうら、この糸を、この糸を辿って。大丈夫、気持ち悪くない痛くないところまで連れて行ってくれる」

 これ?これ?ねえおかあさんは?これ?

 頭皮が引っ張られる感じがして、そうだ、そうだ。これを離さないでと呟く。だんだん髪の毛を引っ張る力が強くなる。悲痛な思いに胸が裂けそうになる。

る。いたいよたすけておかあさんどこ?痛切な声が響く。

六本の煙草を火種としてぱちぱちと青白い草や肉塊に火が灯る。焔の中心に立っているはずだが、熱はなく、息苦しさもない。ただ、辺りに響く、胸が潰れそうになるほどの純粋な思いは、どこか懐かしく親近感さえ湧いた。

あっち?あっちへ行けばいいの?あったかい、いい匂いがする。おかあさんがいるのかな?おかあさんがいるのかな?あったかい、きもちいいね、なんだかふわふわやさしい気持ちになるね。

 頭皮に掛かっていた重量が少しずつ消滅し始める。やがてありがとう、ありがとうと女性の声がして、どっと身体の力が抜けた。火は消え、持っていた木の枝は焼け焦げ、周囲はまだ煙草の煙が満ちていた。二人のところへもどらねばと足を踏み出し、外へ出ようとする。すると、踏み出した足の先にはあるはずの地面がなく、突然天と地が動転し、身体は深い山の中へ落ちていってた。

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