不穏と因縁の伝承

ジョッキの底に溜まった泡と一緒にビールを飲み干すと、霧はそれで、と話を切り出した。

「増えたね、物騒な事件が。ここ半年くらい?」

「雲のとこでもちらほら。それに知人のカウンセラーもその手の相談で忙しいそうだ」

「ん?どういうこと?」

「心を病んでいるとしか言いようのない患者が前年の倍以上とかなんとか。カウンセラーの先生も理由の分からない被害妄想や無気力感の人が増えたとか」

 そうか、と雨が呟いて部屋の入口に目を向けた。ガチャリと音がして虹が入ってくる。風は内側から彼女を招き入れ、虹が持っている飲み物を受け取った。

「お店はいいの?」

「えぇ。莉沙ちゃんが出ているから。ねぇ、さっきまで警察の方がいらしてたけど、やっぱり今日の事、広まっているみたいねえ」

 雨がぎゅっと眉間にしわを寄せた。

「私が処分した段階で証拠になるようなものは何も残してないよ」

「そうじゃない。奴らにとってこれがいい狼煙になる」

「そうだねえ。でも私たちには隠し玉がある」

「向こうにもそれが伝わっている」

 雨の子供の話あたりから話題についていけなくなった。話を聞き続けるのに少し飽きてしまって軽く欠伸をする。

「あぁ、つまらないわよねえ。ごめんね」

 虹が微笑んで顔を向けてきたので、えぇっと、と声を漏らす。

「雨の子供の話だけど。子供は四匹じゃなかったの?喰われるってなんなの?」

「あなたを見つけた日に、よくないモノにも見つかって、二匹は食べられてしまった。私の不注意だった・・・・・子供たちに言っておくべきだった」

伏せられた双眸に落胆と哀惜の翳りがあった。尋ねてはいけないことだったかもしれない。

「そうだね、雨があなたを見つける前から山は不穏な動きがあった。猿がバラバラに引き裂かれて打ち棄てられていたり、内臓を喰い荒された鹿が見つかったり。それに、知り合いの業者が村の猟師さんに聞いた話だと言っていたけど、イノシシの件が出たそうだとか」

「件?」

「化物の一種で悪いことが起こりそうになると不吉な予言をして死ぬものだ。イノシシの件は初めて聞いた」

「それで、先月の頭くらいから街中でも奇妙な事件が何件か起きた」

「原因は?なんなの?それに・・・・・」

 しぃーっと唇に人差し指を当て言葉を途中で遮られる。皆の表情は微笑んだり険しい表情だったりバラバラだった。

「口に出してはいけないの?」

「みだりに言ってはならない。ここに集まれなくなるからね。雨があなたのことを詳しく教えなかったのも一緒」

「そうなんだ。でも、なんでみんなはその、風とか雨とかそういう名前で呼び合うの?」

「あなたを守るものだから。私たちの事もあなたの役目もその時になれば分かる」

「よく、分からない」

「それでいいんです。まだ多くを知る時じゃない・・・・・そうですね、私たちの仲間は、他にも雲や電とよんでいるものがいます」

「今日は用事があってきてないの?」

「そうです」

「・・・・・雲は人間。お医者さんで、電は雨みたいなやつ。人間の形をしているけど、白くて大きな蛇?本人は龍って言っていたけど」

「蛟。このあたりで一番長く生きている」

「それに、むこうにも似たような呼び方があるのよ。土、木、金、火、あとはねぇ玉だったような」

「そういうことは話しても良いの?」

「まぁ、ここに集まって話す分はね」

「出来事の本質に踏み込まなければ感知されない」

「・・・・・伝承も本質になるの?」

「含まれないから大丈夫だ。歴史資料館でコピーしてきた資料を見せよう」

 霧は黒いバッグの中から人数分のクリアファイルを取り出して配った。黄ばんでいてぐにゃぐにゃの地形が書かれた地図と、漢字がずらっと並んだ文章にマーカーが引かれたものや、ふせんが貼られているプリントがなかに入っていた。

「まぁ私、ぐにゃぐにゃした文字で昔の文章が書かれたものだと思ってたわ」

「まさか。今どきの古文書はちゃんと書き下してあるよ。みんなのパソコンに同じデータを送っておくね」

 あぁ、後で確認しておくよとプリントに目を通しながら風は途中で手を止める。

「延喜式まで遡ったのかい?」

「ああ。詳しい裏付けをとっていたら大分遡るみたいだ」

「延喜式ってなぁに?」

 虹に尋ねられて、霧は鞄から銀色のタブレットを取り出す。指で少しいじってから差し出した。

「ウィキペディア?」

 指でスクロールさせてからこの辺を読んでと指し示す。

「成立は九百五年でいいのかしら?とっても昔ねえ」

「そう。そしてこの延喜神名帳にここの山の神社が載っていた」

「街のは?山王権現だっけ?」

「あれは中世に勧請されている。この件とは関係ないだろう。ただ、地図はかなり苦労した。散々探してなんとか延久年間に作成された物と嘉永年間に作成された物を見つけた」

「うーん、だいぶ作成時期が離れているねえ」

「どのくらい?」

「延久はだいたい千年前で、嘉永は三百年くらいかな?」

「山のモノは国津神?」

「そうみたいだね。それで、古いほうの地図だと山一帯は全て神社のものになっている。時代が下って嘉永年間になると山の中腹まで入会地になっていて、神社が持っていた土地はかなり無くなっている。ほら、神社の土地は敷地と鎮守の森の一部だけになっているだろう?」

 ふにゃふにゃの山全体は水色に着色され読めない文字が脇に添えてある。もう一枚はそれよりもややまともな形をした山の頂上が薄桃色に塗られ、また読めない文字が書いてあった。ほかにも境界線や何かを表している印が書き込まれていたがすべて意味が分からなかった。

「一宮とかはこことは関係ないのかい?」

「三宮まで調べたけど全部違うところだね。延喜式にも記されているような古い神社なのに。まぁ、中世戦国期もここら辺は頻繁に領主が変わっていたみたいだしそれも関係あるんじゃないかな?」

「それで、こっちの漢字ばっかりのやつは?」

「江戸初期にまとめられた地方史だね。今回の件と関係ありそうなところを抜粋してきた」

「うーん、よくわかんないけど」

「色がついたところだけ読もうか」

「お願いできるかい?」

「まぁ、電ほどじゃないけど長く生きているからね」

軽く微笑んで雨は色がついている所だけねと言って一部を朗読し始めた。

「とても昔、恐らく天文年間頃に山が乱れて災いを振りまいた。街道沿いの村々に疫病がはやり大勢が狂い死にをした。また、特に大変だったのは山に暮らすもので獣は何事か乱れ騒ぎ入会地に踏み入ることができなかった。田畑も実り少なく水は涸れえっと、一帯は飢饉に陥った。これを鎮めるため、村の代表者、は祭りごとを行いこの災いを取り除くことを達成した。あぁ、成し遂げたかな?まぁ、それで、この話は爺さんの爺さんに聞いた話で云々となっている。これだけ?」

 プリントから顔を上げると雨は霧に顔を向けた。

「これだけ。たぶん潜ればもっと出てくると思うけど流石に面倒だ。あとは菰方家が中心となって江戸時代に似たようなことを解決したということ。私たちが把握しているのはこの二例だけ。もっと昔にもあったのかもしれないし山の神社が権威を失ってから起こったことなのかもしれない」

「その辺りは電に聞いてみたの?」

「いや、都合が合わなくてね。それに、どうしてだか山の神社はどうも由緒がはっきりしない。古い神様なのに、ご神体も曖昧で延喜式に少し書いてあるだけだし宮司がいるのかどうかも史料にも載っていない。そういう史料がごっそり廃仏毀釈の時に失われてしまったのかもしれない」

「廃仏毀釈って?ごめんなさい歴史苦手なのよ」

「明治時代になって神社とお寺を分離したんだ。その時によく分からないお寺や神社を統合したり壊しちゃったんだね。それで縁起が失われた物もけっこうあるんだ」

「ふぅーん、なんだか面倒くさいのね」

「ああ、とっても面倒くさい」

「話に飽きているならお店に出ていていいよ」

「そうねえ。じゃあお言葉に甘えて」

 しゅるりと衣擦れの音を残して虹は出て行った。

「ほかにも何か説明しておきたいことは?」

「あぁ、この黄色でマーカーを引いている所だが・・・・・」

 霧はプリントを二枚めくりその中ほどの部分を説明し始めた。雨の言っていた伝承の部分で、昭和初期に口伝を採集したものだった。曾爺さんの代に山が騒がしいので様子を確かめに入ってみると、齢十四、五の全裸の真白い人をみつけた。連れ帰ってみるとどうも自身のことを何一つ覚えていない。駐在さんや役所と相談し地主の菰方家がこれを養子に迎えた、他に詳しいことは語られず、その後その人がどうなったのかも書かれていなかった。

「私からは以上で、後は適当に資料に目を通してくれればいいと思う。こんな時間だし、カウンターで少し飲んで戻ろうかな」

「付き合おう」

「では、私も」

 霧が資料やタブレットをしまい、風と雨がテーブルを片づけてから皆で退室した。ぱちりと雨が部屋の明かりを消して扉が閉まる。結局具体的なことは何一つ分からなかったが、切実に知りたいと思っていなかったし、こういうものか、と心の中で納得できたので落胆もしなかった。逆に、熱心に調べてくれる協力者が増えたので情報は外堀から埋まっていくのだろう、焦らず待とうと思えた。

「あなたは厨房の奥にいて。出てこなくていいわ」

 雨に指示されて厨房の隅、お店が見通せる所で皆の様子を見学していた。雨と虹ともう一人、金髪で紫のひらひらとしたロングドレスの人が店を切り盛りしている。ゆったりとした音楽が流れ、紫煙のたちこめるホールに客が十人ほどいた。その数が多いのか少ないのか分からなかったが、二組のグループとカウンターに何人か座ってめいめいにお酒を飲んだりお喋りしている。

 風は気さくに客に話しかけたり話しかけられたりしていて機嫌がいいように見えた。霧はカウンターの端に座り、置かれた唐揚げと日本酒に手を付けずにタブレットをいじっていた。

 店内はしばらくその状態が続いたが、夜も更け、客の入れ替わりが何度かあったものの、霧も風も他のものも二時過ぎくらいには全員帰ってしまった。

「じゃあ、ママ私も上がらせてもらうわね」

 金髪の莉沙ちゃんも退店し、三人だけになった。虹と雨はテキパキと店内を掃除し、レジを閉めた。何か手伝おうか?と尋ねるとやんわりと断られた。

「今日もありがとう雨。いつものようにあなたが作った唐揚げはあっという間に売り切れちゃったわ。ふふふ、お蔭でお酒もよく入ったし」

「儲けたならなによりだ。着替えて床に就いていいか?」

「ええ。お疲れ様。明日も出てくれる?」

 いいよと雨は返した。食器洗浄機の稼働音を背に二人は着替えを済ませ、店を出る。

「大変だった?」

 シャワーを浴び、寝室に入ると化粧水をつけている雨に言われた。

「そうでもない。みんなを紹介してくれてありがとう。沢山話を聞くことができてよく分からないけど安心した」

「そうか。残りはまた後日集まってくれる。しばらくここで寝起きすることになるけど」

「いいよ。昼夜がひっくり返るのも大丈夫」

 そうか、と穏やかに呟いて雨は明かりを消した。布団をかぶり目を閉じると、隣からいびきが聞こえてきた。ぶぅーとぐぅーの混じった音は雨が犬だった時と全く同じ鼾だった。子供たちにもそれは遺伝していて、彼らの合唱を聞きながら資材置き場の隅で身を寄せ合って寝ていたころを思い出した。

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