虚ろなる邂逅
記憶という現象に色をつけるのならばきっと乳白色になるのだろう。吸い込むとほのかに甘い霧の中を、滑るように進んでいくと山が見えた。その裾に風の家があった。門を開け、玄関を上がると双子が出迎えた。赤い浴衣と紺の浴衣を着ていて兵児帯が金魚のしっぽのようにふわふわ揺れていた。
「ようこそ、お帰りなさい」
「あなたを待っていたのよ」
「さああがって」
「ご飯にする?本を読む?それともかくれんぼする?」
廊下から応接間に通されるまでの間に矢継ぎ早に話しかけてくる。じゃあかくれんぼにしようといわれ
「あなたが鬼ね」
「十数えてから探すのよ」
その提案に素直に従い壁に頭をつき数を読み上げ始めると、背後でキャッキャッとはしゃぐ声とあわただしい足音が聞こえた。十数えてもういいかい?と問うも返事は無く、振り向くと応接間の掃き出し窓が開いていて風が入ってきている。
そこはかとなく人の気配がしたのでそっと近づくと、風鈴が鳴った。窓の外では入道雲がその真っ白な巨体が山を押し潰そうとしている。生温かくまとわりつくような風と遠雷が聞こえた。
応接間を出て、台所、便所、寝室、居間くまなく探すも気配さえ無く、縁側に降りて縁の下を除きこんでみたがただただ湿っぽい闇があるだけで返事は無かった。不意に山の木立を抜けてきた冷たい空気が足元に吹き下ろされた。日が陰り、雨が駆け抜けるように降りだす。慌てて窓を閉めると外は雨粒で満たされた。雨霧が舞い、辺りの森も建物も茫洋とし輪郭を失っていく。
「飛天、の、毒」
声がして振り返ると誰もいなかった。足元に白い魚が泳いでいる。すぅっと窓を通り抜け台所の方へ消えていった。いつの間にか魚は群れをなし方々を泳いでいる。
魚の後についていってはいけない。この世ならざる魚は森の神社のさらに先、鎮守の森の洞窟に誘い込み、そこに封じられたモノがいて魂を一つ抜く。人間は魂が九つあるから一つなくしても死にはしないが、戻って来た時には人が変わったようになってしまう。
魚達は白い椿の種のような塊を吐きだし、掠め取った人の魂を苗床にして青白くほっそりとした植物を育てる。乾燥させ焚くと空にも上るような多幸感を得るので、飛天と呼ばれる。
「魚の後を追ってはいけない。魚が出たら庄屋さんか医家の先生のところに行くのよ」
振り向くと双子がいた。遅い、待ちくたびれた、と詰り、あなたが今度は隠れる番ねと言われ、鬼を交代する。
かまどの陰に隠れじっとしていると、もういいかい?と聞こえたのでもういいよと返事をした。不意に肩をたたかれて振り向くと子供がいた。あの双子ではなく、生成りの着物を黒い帯で縛っている、少し薄汚れた子供だった。
「こっち、お宮さんに行こう。お宮さんが呼んでいる」
手を引かれ風の家を出ると様子ががらりと変わっていた。檜皮葺の簡素な家が小さく不揃いな形の田んぼの間にいくつか立っている。あちらこちらに木が生える緑の濃い風景だった。
「こっち、急いで。あれに見つかってしまう」
うす暗い森の、急斜面を蔦や若木を足がかりに上っていく。一歩進むたびにぼろぼろと足元から赤土が崩れ足場はかなり悪い。
「菰方が禍を開けてしまったんだ。あいつは他所の土地をぶんどることしか考えてねえ。どんどん争いと血を呼びこんでアレを起こしてしまった」
前を行く子供は独り言のようにぼそぼそ呟いている。菰方と言っていたが、風の先祖のことだろうか。
「禍を開けたせいで田んぼは全滅した。山は荒れて何も獲れなくなった」
この子供は双子と違ってよく喋る。
「伏せて!」
草木が踏みしだかれる音と荒々しい息遣いにぎょっとしてじっとしていると、足音はすぐ傍まで聞こえてきた。蹲り息を殺しているとそれは何かにはじかれたように突然奇声を上げどこかへ去っていった。
「狂った獣だ。ああなったら自分が一体何者だったのかも覚えていない」
熟れすぎた桃や梨の臭いに土の匂いがまじる異様な気配纏う山中へ歩を進める。
道中、狂った獣をよく見かけた。何故狂うのかと問うと、飛天の苗床となった自らの魂を探しているからだと答えた。
「苗床は肉体と魂と気脈が重要だ。それらがすべて陰の状態にある時、飛天は芽生える」
「なぜ、走り回って探しているの?」
「四百年、くらい前の守りがしっかりしているからだ。その時から電と雲と霧とお宮さんが上手にやって気脈を管理しているから」
「役はそのくらいしかないの?今も?」
道はなだらかな上り坂に変わり幾分歩きやすくなった。森も天井が幾分明るいので尾根筋を歩いているのだろう。
「・・・・・なぁ、今、というのは一体いつのことだ?」
薄汚れた子供は向き直り、不思議そうに問い返す。その言葉に頭の芯が揺さ振られくらくらした。
そうだ、今というのはどういうことだろうか。観測できない一瞬のことを指すのか、大雑把な時間の区切りのことなのか、あるいは現象が主観的に留まっている状態を指すのか。
乳白色の爛れた淫靡な空気にまとわりつかれ歩を止め、一瞬視界が白に霞む。浮遊感と頭の芯を引っ張られる感触に意識を喪失した。
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