-06-

 淡路は、これまで目にしたことのない恐るべき形相で返答に代えた。

「そんな怖い顔しないでよぉ。他でもない、あなたの双子のお姉さんの顔じゃない」

 女は、淡路の姉のものだというその顔を、悲しげに歪めてみせた。

「お願い、永子。神威から逃げて。宮はあなたを殺すわ。あなたが、ナミシステムの再起動に反対したから……」

 女は立ち位置を変え、身振り手振りを加えて、大げさに一人芝居をする。

「大丈夫さ、彼那子。私に考えがある。それに、彼那子と修司さんの子供を放って逃げられるほど、私は薄情じゃあなくてね」

 その言葉が淡路のものであることはすぐにわかった。ナミは気分の悪くなる芝居をやめ、甘ったるい口調に戻る。

「今のはね、十六年前の彼那子ちゃんと永子。似てるでしょ? 夫である長官もだまされるくらいなんだから。彼那子ちゃんのフリをして長官をだますところまではうまく行ったんだけどねえ。死んだと思ってた永子がすっかり顔を変えて、別人として出生省に潜り込んでるとは、さすがに気がつかなかったわぁ」

「死んだと思ってた……?」

「あら、未那美ちゃん。わからないかしらぁ? 家族がナミのコアになるなんて嫌でしょう? 反対するでしょう? だったら……」

 女は微笑み、感情のない言葉を紡ぐ。

「殺すしかないじゃない」

「ふざけるなッ!!」

 瞳に怒りをみなぎらせ、伊佐が叫んだ。

「お前は何者だ! どうやってここへ入った。ここへ何をしに来た!?」

「やぁねぇ。さっき守哉くんが言ったでしょう? 私はナミ。庁舎の六階の壁を壊して入ってきたの。目的は『本体』を守ることよぉ」

 伊佐は驚愕と絶望に目を見開いた。

「本体……まさか、貴様、ライフ・キャンサーなのか」

「そんな、種の名前で呼ぶのはやめてちょうだい。私にはナミという名前があるのだから」

 女は哄笑する。その姿は先ほどプログラムの中で見た白い女と瓜二つ――否、明らかに同一人物であった。

 伊佐は冷静に問う。

「その体は、誰のものだ?」

「もちろん、あなたたちの同僚のものよぉ。綿津野くんがシステムを検査してたときにこっそり入り込んで、彼の中に潜伏したままだった仲間たちを起こしたの。そして、脳をもらい受けた」

「綿津野は……どうなったんだ」

「そうねぇ。自我の消滅を死と定義するなら、とっくに死んじゃってたわよぉ。なんで修司くんも永子も気がつかなかったの? どっちも未那美ちゃんのことしか見てなかったからかしら」

 女は頬に人差し指を当て首を傾げる。


――この女は、敵だ。


 アイリから送られてくる警報と、守哉の人間としての本能の両方がそう告げている。

 守哉は、痛みを忘れるよう努めた。自分は十全であると言い聞かせ、刀を構える。

 目の前の女の体が本当に綿津野のものだとするなら、昨夜戦ったときに持っていた武器はすべて持っているはずだ。違法の融機組織レクシーズを装備し、しかも、守哉の視界加速ヴィジョン・アクセルについてこられるだけの"何か"を持っている。

 三人を守りながら、一人で戦わなければならない。親衛隊の加勢は望めない。

「勝てると思ってるのぉ?」

 女は薙刀を華麗に振るうと、その切先を守哉に向けた。

「薙刀は女の武器、なんでしょう? 時間がなくて顔と声しか融機組織レクシーズにできなかったけど、気分だけでも女の子になっておきたかったのよねぇ」

 よく見れば、顔こそ美しい女性のものだが、青いラバースーツは痩せぎすの男の体の線を隠しきれていないーー目の前の人物は本当に、元・綿津野宏なのだ。

 守哉は、との距離を測る。左手で三人をかばいながら、右手で黒刀を握りしめる。震えているのは、気のせいだ。

「未那美ちゃんを渡してちょうだい。そうすれば私は使命を果たせる。未来を担う子供たちを産めるわあ」

「おかしいです!」

 突然、それまで黙っていた未那美が声を張った。

「あなたは自分をライフ・キャンサーだと言いました。それなのに、あなたは子供を産みたいと言う。他でもない、ライフ・キャンサーのせいで人類は子供を産めなくなったのに。矛盾してます!」

「ふふ、さすがは天才少女。頭の中が整理されてるのねぇ。じゃあ、少しだけ教えてあげようかしらぁ」

 ナミはゆるりと刃を下ろし、未那美に向けて語り始めた。

「私たちは、あなたたち人類がつけた名で呼ぶならば、ライフ・キャンサーという種。ここから遥かに遠い星で、あなたたちと人類と同じように文明社会を築き上げた霊長類……ただ、その大きさは、あなたたちの数億分の一。たとえるなら、そう、あなたたちがウィルスと呼ぶ生物と同じくらいのサイズなの。だから人類は最初、私たちのことをウィルスだと思っていたし、今もそう言い続けているのよね。本当はもう、違うと気がついているのに」

 アイリが守哉の困惑を汲み取って脳に信号を送ってきた。

〈真実です〉

「それでね、結構前のことなんだけど……私たちの母星が、ちょっとした手違いで滅んじゃってね。新しいホームを探して宇宙を彷徨っていたら、この地球を見つけたの。そこで私たちは、地球において支配的な力を持つ者たちを滅ぼして、ここを新たなホームに作り変えていくことにした……そのために、私たちは『進化』した」

ナミは自分に酔っているかのように、朗々と語る。

「あなたたち人類はゆるやかに環境に適応していくことしかできないけれど、私たちは『環境を作り変えるために自らを進化させる』ことができるの。この星の支配者たちの中に入り込み、破壊できるように進化した私たちは、まず、そう――。人類に気がついたのは、その後だったわ。機械ではなく人類こそがこの地球の頂点に立つ存在だと気がついた私たちは、あなたたちの生殖能力を奪ってゆっくりと滅ぶように仕向けつつ、あなたたちの社会に入り込む準備を始めた。ところが、私たちの存在に気づいた人々が、対抗手段を研究し始めたのよねぇ。融機組織レクシーズを生き残った全人類に装着させたり、ナミシステムを作ったり……でも、私はそれらを凌駕した。私は三十余年をかけ、融機組織レクシーズにも融草機構シルクィーズにも入り込めるよう進化した個体なの」

 今度はアイリさえも、

〈データがありません。新情報の可能性があります〉

 と告げている。

 守哉には、ナミの語る言葉が遠い夢物語にしか思えなかった。ライフ・キャンサーが蔓延し始めた頃まだ生まれていなかった守哉が、ナミの言葉の恐ろしさを実感できるはずもないのだ。

 だが、伊佐はひどく青ざめていた。その頬には汗が伝っている。

「そう。私は、ナミ! 私の意識はナミシステムを掌握し、さらには分体がライフ・キャンサーと人間のハイブリッド体となった。複数の自我を持つ私は、この地球で進化の先頭を行く存在!」

 ナミは表情を一変させ、鋭い視線で守哉の右こめかみを射る。

「Auxiliary Intelligence for Reproduction of Immunity――ライフ・キャンサーを滅ぼすために人類が作り出した新しい兵器。まったく、永子は罪深いわねぇ。種の存亡を賭けた計画を、たかが姪ひとりの命を守るためだけに利用したんだから……こんな、異常能力者ギフテッドですらないグズを、装着者に選ぶなんて」

 淡路は未那美に上体を支えられたまま、ナミを睨みつけている。しかしその息は絶え絶えで、顔はもはや死人のような土気色だ。

「それは、違う」

 淡路に代わって、伊佐がナミの言葉を否定する。

「補助頭脳の装着者は、異常能力者ギフテッドであってはならない。異常能力ギフトは……からだ」

「えっ……」

「……どういうことだ」

「ふ、ふふ……気づいていたのね、人類あなたたち……アハハハハッ!」

 驚愕する守哉と未那美をよそに、ナミは高らかに笑う。

「そうっ! 人類あなたたちは、もはや私たちに依存せずには生きられないのよぉッ!」

 ナミの足のブースターが火を噴く。猛然と突進してきたナミの刃が、守哉の眼前に迫る。動揺の隙を突く不意打ちに、反応が遅れた。避けられない――

 だが、聞こえたのは肉の斬れる音ではなく、金属と金属が打ち合う音だった。

「……まさか、長官も戦闘用の融機組織を?」

 ナミの振り下ろした刃が守哉に届くことはなかった。守哉の前に立ちふさがった伊佐が、頭上で腕を交差させ、薙刀を受け止めている。

「そんな大層なものじゃない」

 切れたスーツの袖の下に見えた腕が、金属質に赤く光る。

「ただの籠手だっ!」

「くっ……!」

 勢いよく薙刀を弾き返されたナミがよろめく。同時に、守哉の背中に何かがぶつかった。

「博士、何を……」

 真後ろから聞こえた声は未那美のものだ。そして、

「未那美……生きて……くれ」

 切れ切れにだが、淡路は確かにそう言った、そう言って、未那美を突き飛ばした。その手で突き飛ばして――守哉の背に、未那美を託したのだ。

「行け!」

 淡路が叫ぶ。ナミが阻む。

「行かせないわぁ!」

 ナミは姿勢を正すと、再び守哉を狙う。だが伊佐の腕が素早く伸び、薙刀の柄を叩いて軌道を逸らした。

「今だ、走れ!」

 ナミの刃は、空を切った。

「天橋さん……!」

 守哉は迷いなく未那美の手を引いて、一直線にエレベーターに向かって駆け出した。

 振り返らない。決して、振り返らない。

 エレベーターのボタンを推してみると、扉は問題なく開いた。守哉は半ば投げ入れるようにして未那美をエレベーターに乗り込ませ、手を離す。

「長官と二人で先に逃げろ。淡路博士はあとから連れて行く」

「……わかりました」

 未那美の瞳は不安げに揺れていたが、強い意志の光を宿してもいた。

「天橋さん……わたし、待ってますから」

「ああ」

 守哉は、振り返った――戦うために。

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