-04</memory> <sleep>
自室のベッドに仰向けになり、天井を見つめた。むき出しの梁には見覚えがあるような気もする。しかし、いつも寝ていたのはこのベッドの上ではないと直感した。
(俺はどこで暮らしてたんだ?)
〈守哉は神威地区郊外にある出生省の職員寮で暮らしていました〉
聞いたつもりはなくても、補助頭脳は答えを返してくる。守哉は、そっと右手でこめかみに触れた。
(聞きたいことが山ほどあるんだが)
〈データがあることならなんでもお答えします〉
この補助頭脳は融通がきかない。守哉は尋ねたいことを整理し、彼女がもっとも効率的な答えを返してくれそうな順序に並べる。
(なぜ誰もが
〈ライフ・キャンサーの感染を防ぐためです。ライフ・キャンサーには、完全な生物または完全な機械にしか感染しないという特徴があります。機械製の義手・義足を装着していた人々は、一切ライフ・キャンサーに感染していなかったというデータが得られたことから、この特徴が判明しました〉
(そうか――ライフ・キャンサーが滅ぼしたのは生き物だけじゃない。機械文明も滅ぼしたんだ)
〈はい。電気的仕組みのみで動く機械は暴走、のち稼働不能となりました。現在は
その例が、キッチンの奥にあったツタの絡んだ冷蔵庫、ということか。
補助頭脳は、説明を続ける。
〈人類は、あらゆる人の体の一部分を機械化しました。結果、ライフ・キャンサーの蔓延する環境でも生きていけるようになりました〉
(……伊佐は完全な生身だと言ってたが)
〈突然変異などの稀有な事例の可能性があります〉
(伊佐は何者なんだ? 親衛隊があるなんて普通じゃない)
〈伊佐未那美は……〉
(どうした?)
〈過去の学習データから、伊佐未那美の素性について守哉に知らせるべきではない可能性があります〉
(どういうことだ?)
〈守哉は以前、伊佐未那美の素性を知ったことがきっかけで、ひどく悩み、正常な判断能力さえも失ったという記録があります〉
(また記憶をなくす前の俺のことか)
〈現在の守哉が、以前の守哉を別人のようにとらえていることは理解しています。しかし記憶に障害が生じたのみで、天橋守哉という人間の連続性が失われたわけではありません〉
(……機械は気楽でいいな)
補助頭脳は何も言わない。皮肉は理解できないのだろう。
守哉は息をつき――もっとも気が沈む質問をした。
(じゃあ……ナミ、ってなんだ?)
〈
補助頭脳はすらすらと答える。守哉の感情などまるで考慮しない、今までとまったく同じ、滑らかで淡々とした口調だった。
(そいつはライフ・キャンサーに感染しないのか?)
〈はい。
補助頭脳の説明を聞いた限りでは、ナミシステムというのはこの世になくてはならないものであり、忌避すべきものではないように思える。
だが――得体のしれない何かが背中を這いずるようなおぞましさは消えない。
まだ、何か、大事なことを忘れている。
次の問いを探していたとき、部屋のドアが控えめにノックされた。
「兄貴、ちょっといい?」
ベッドから起き上がりドアを開けると、さわやかなライムグリーンのパジャマを着た綾が、ランプを持って立っていた。
綾について階段を降り、廊下を歩く。
夜は暗く、静かだった。明かりは綾の手にあるランプだけ。戸を開けて入ったリビングの照明もおさえられている。
「お風呂入ったあと、疲れたのかすぐ寝ちゃってさ」
ソファの上で、未那美が眠っていた。綾から借りたのであろう、橙色のパジャマの袖が余っている。
「あたしの部屋のベッドまで運んであげてくれないかな」
「わかった」
守哉は頷き、昼間と同じように、未那美の細い体をひょいと抱え上げる。
「お前はどこで寝るんだ?」
「床の上に布団敷くよ」
「そうか」
再び廊下を通り、今度は階段を昇る。綾の部屋は守哉の部屋の向かい。中は意外なほど片付いていた――というよりも、守哉の部屋と同じく、殺風景だった。
「ベッドはそっちね」
真っ暗な部屋の奥に佇むベッドを綾のランプが照らす。二段ベッドの片割れのように見えるそれに、静かに未那美を寝かせ、タオルケットをかけてやると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「これでよし、と。さて、兄貴の融機組織のメンテしよっか」
再びリビングに戻り、キッチンの奥に進んでいく。コンロ台のさらに向こうに扉があり、内鍵を開いてその先へ。
中はまるで病院の手術室のような風情だった。白い壁に、リノリウムの床。整頓された棚や、得体のしれない器具の数々。ここが本来の綾の仕事場なのだろう。
「下着になって、そこに座ってくださいね~」
言われたとおりに服を脱ぎ、丸椅子に腰掛けると、綾は守哉の体に電極をつけ始めた。
「ぺた、ぺた、ぺた、はい、大きく息を吸って~、吐いて~」
抗わず、言われたとおりにする。
「目を閉じて~今日の夕飯のことを思い出してくださ~い」
オムライスを思い浮かべたが、一瞬未那美の顔がよぎってしまった。
「ん……? もう一回お願いしま~す、今日の夕飯のことを思い出してくださ~い」
(オムライス、オムライス……)
「……はい、終わりで~す。脳信号テストの結果が不定だったので、近日中にもう一度検査に来てくださいね~。あとで日程決めましょ~……兄貴、伊佐ちゃんのこと考えたでしょ」
「な、何を根拠に」
図星を突かれ思わずどもると、綾は、うぇへへっとからかい半分の笑いをこぼした。
「補助頭脳はあたしじゃ全部はわかんないけど、多分大丈夫。身体の方は、なんかやばい訓練でもしたの? ちょっとガタついてるところあったから、もっと時間あるときにゆっくりメンテしよ。それから、肩の傷。もう治ってるけど、銃で撃たれたんでしょ。猟師の免許持ってる人、一之瀬さんだっけ? その人の弾が間違って当たったとかなんだろうけど、いくら兄貴でも内臓撃たれたら死ぬからね。過信しないでよ」
綾は慣れた手つきで電極を取り外していく。手際の良さに感心してしまうほどだ。
「はい、終わりで~す。もう服着ていいですよ~」
「……どうも」
間延びしているのは仕事用の声だからなのか。守哉も思わず礼を言い、そそくさと服を着る。
「さて、次は兄貴に頼まれてたやつのテストね」
「ああ、頼む」
反射的にそう返したが、何のことかはわからなかった。
「うまく動くといいんだけど」
綾は部屋の奥にある棚から小さな箱を取り出し、机の上に置くと、ふたを開けた。
中に入っていたのは、機械に取り付けるコードに見えた。
「黒い方がこめかみに取り付けられるようになってるから。ピンマイクは襟とかにてきとうに付けて」
コードの一端には黒いジャック、一端には小さな白いマイク。ジャックにはなにやら黒いガラス細工が取り付けられており、マイクを留めるピンには『AYA』の意匠が彫られていた。
「ずいぶん凝ってるな」
「常に身につけるものがダサかったら嫌じゃん? あとその盾のモチーフでこめかみのごっついの全部隠せるから。親方に頼んで一緒に作った超強化ガラスだからまず割れないし、安心していいよ」
綾に促されるままに、守哉は謎のコードを装着する。黒いジャックは、こめかみに埋め込まれた補助頭脳にぴたりとはまった。襟元にピンマイクをつけると、右こめかみから右の襟元へ、黒髪に紛れてコードが伸びる。
「はい、鏡。見える?」
綾が掲げた手鏡に視線をやると、右のこめかみに小さな黒い盾がつけられていた。一見すると、まるで髪飾りのようだ。
「これは……」
「んー、まあ、補助頭脳を守るための盾であり、兄貴のこめかみのグロさを軽減する、一石二鳥の工夫だよ……なんてね」
「デザインもお前がしたのか?」
超強化ガラスとは言っていたが、その黒い輝きは、見た者を吸い込みそうなほどに美しい。その黒を金の繊細な模様が飾り、縁取っている。方向性こそ違えど、居間に飾られていたリースや造花を思い起こさせた。
「ま、まあね」
「洒落てるな。ありがとう」
素直に礼を言うと照れたのか、綾はぷいとそっぽを向いて話題を変えた。
「じゃ、じゃあさ、補助頭脳になんか命令してみてよ」
「なにかと言われてもな……」
「じゃあ、おいしいカレーの作り方でどう?」
「オーダー受理」
襟元から、女の無機質な声が聞こえた。
そう、聞こえたのだ。
「材料、カレールー、玉ねぎ、牛肉または鶏肉。お好みで、ジャガイモ、人参などの野菜類」
「ありゃ、あたしの発言をオーダーだと判断したのか。兄貴以外の命令も聞けるんだね」
「まず鍋にバターを熱し、玉ねぎを炒めます。ここで、飴色になるまで炒めるのが重要なポイントです。あらかじめ玉ねぎをレンジで温めておくと時短になります」
「……なんだこれは」
「あははは! ずいぶん細かいなあ。兄貴、なんかカレーに思い入れでもあんの?」
「知らん」
「兄貴~、あたしカレーも食べた~い」
「材料がないだろう」
「今度の話! 次帰ってくるときには材料用意しとくからさ」
「……わかった。しかし、よくできてるな。頭の中に聞こえてる声とほぼ同じだ」
「うぇへへ、お褒めにあずかり光栄ですよっと。これであたしも補助頭脳と会話できるし、鹿島さんも兄貴の不気味な独り言に悩まされなくて済むわけだ。今のでわかったと思うけど、補助頭脳の声はそのマイクから出るからね。いやー、我ながらナイスな仕事だわ」
照れて笑いながらも、綾の表情はなぜか曇っている。
「何か問題でもあるのか?」
「……ホントは、補助頭脳と音声会話をするのは、オススメできない」
「なんでだ?」
「ちょっと面倒な話になるけど……学習機能をもつプログラムに自我が芽生えた場合、そいつは人間の敵になり得るから。つまりね、自分の意志で、主人である人間に反抗する可能性があるってこと。だからプログラムに名前とか、唯一の個性……自我の萌芽につながる個性を与えるのは禁忌とされてる。この補助頭脳も、兄貴以外の人間との会話が可能になったら、自分を兄貴のオプションじゃなく、一個人として認識し始めるかもしれない」
綾の表情は真剣そのものだ。
「自我を持ったプログラムが、自主的に人間に協力してくれるなら、それは理想的な共栄関係だけど……まあ、理想は理想。
早口で話を終えると、綾はふうっと深く息をついた。
「いろいろやって疲れちゃったわ。兄貴も疲れたでしょ。ちょっと早いけど、寝ちゃいなよ」
時計を見ると、あと少しで午後九時というところだった。
ランプを持った綾が、先にリビングから廊下に出る。守哉はドアを後ろ手で静かに閉めた。
「……兄貴」
「なんだ?」
綾が振り返る。
「兄貴、よかったね。前に帰ってきたときと、全然違う。伊佐ちゃんに感謝しなきゃ」
「なんの話だ?」
「んー、こっちの話、かな」
綾は、寂しそうに笑う。ごまかし笑いなのは明らかだった。
「……おやすみ、兄貴」
ランプの光が綾とともに遠ざかっていき、薄闇が廊下を包んだ。
◆
白衣の女が、淡々と説明する。
「もともと
女が手にしているパイプの先から、紫煙がゆらゆらと立ち上った。
「……おかしいと、思ってたんだ。俺がなぜ、親衛隊に、選ばれたのか」
ベッドに横たわる守哉は、息を切らしながら、懸命に喋ろうとしている。
「人体実験が、目的、だったんだな」
「そうだ。ネオ・ロボトミーと呼ばれている。過去のロボトミーは精神疾患を治療するために脳にメスを入れる手術方法だったんだが……ネオ・ロボトミーは、ライフ・キャンサーに対抗するために人類の進化を促す希望、だそうだ。事実、お前の力は常人を遥かに凌駕するだろう」
視界がぼやける。守哉の意識は中空を彷徨い、眠りへと落ちた。
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