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01-

 目が覚めたときには、日はもうずいぶん高いところまで昇っていた。リビングへ降りると、未那美と綾はすでに起きていたが、何も食べていなかった。二人とも、料理はからっきしらしい。ありあわせのもので朝食兼昼食の野菜炒めを作り、三人で食べた。未那美のぶんは、守哉の三倍の量だ。

「兄貴、帰ってきたってことは休暇なんでしょ? 伊佐ちゃんとどっか出かけてきたら?」

 あたしは仕事だけどね~、と綾はわざとダミ声を出す。

「……出かけても、大丈夫でしょうか?」

 守哉にだけ聞こえるような小声で、未那美が不安げに問う。しかし、大丈夫かどうかなど、守哉には判断がつかない。

「廃棄街は税金も払えないはみ出し者が住むゴミ溜めって言われてるかもだけど、本当はそうでもないんだよ。役人が助けてくれない分みんなで街をきれいにしてさ、のんびりしたもんなんだよ。やんごとないお方にも、ぜひ見ていただきたい!」

 綾は未那美の手をひしと握りしめる。未那美はこういったふざけ半分の態度にはまったく慣れていないようで、

「じゃ、じゃあ……街を見に行きます」

 と、やはり真面目に取り合ってしまう。

 綾は未那美の反応にニカッと笑顔を返すと、守哉のほうに勢い良く向き直り、指をさす。

「そこの衛兵! しっかりと姫をお守りせよ!」

 楽しそうなのは結構なことだが、妙にオーバーな仕草は彼女の癖なのだろうか。

「はいはい。じゃあ、せっかくだから行こう、伊佐」

「うぇへへ、いってらっしゃい」

 食べ終わった食器の後片付けを、不安ではあるが綾に任せ、昨日の服の上に柔らかめのジャケットを羽織って外に出る。

「いってらっしゃーい」

 玄関で見送る綾。守哉は努めて気楽に振る舞ったが、内心は不安でいっぱいだった。


 昨日とは打って変わって、空は清々しい青の一色に染まっている。守哉は未那美を連れ、まずは近くの波止場へと向かった。

「わぁっ……」

 未那美は感嘆の声をあげた。

 春の温もりに包まれた海は、陽を浴びてきらきらと輝いている。彼女の黒い瞳も、光あふれる海と同じように揺らめいていた。

「海って、すごく、大きいんですね」

「当たり前だろ。この星の七〇%は海だ」

「そ、それは知ってますっ。でも、実際に見たのは初めてだったので……あの、ところで」

 未那美は妙にかしこまって尋ねた。

「綾さんから、補助頭脳さんが喋れるようになったって聞いたんですが」

「ああ。新しいパーツをつけさせられた……って、補助頭脳にさん付けはいらないだろ」

「でも、昨日、わたしたちを助けてくれましたし。あの、それで、わたしも補助頭脳さんとお話してみたいんです」

 未那美が興味津々という様子で襟元のマイクをのぞき込んでくるので、守哉はしぶしぶマイクのスイッチを入れた。

「こんにちは。昨日は助けてくれてありがとうございます。今日もよろしくお願いします。えっと、お名前は?」

「機種名はAuxiliary Intelligence for Reproduction of Immunityです」

「えっと、免疫再生のための補助知能、でしょうか? 免疫ということは、あなたは、ライフ・キャンサーに対抗するために作られたんですね」

「はい」

「こいつがライフ・キャンサーに対抗って、どういうことだ?」

「えっと……ご、ごめんなさい。具体的には、わかりません……あ、あと、補助頭脳さんの名前なんですけど」

 逸れかけた話の先も気になったが、未那美の言葉を遮ってまで聞くことではない。あとで補助頭脳に尋ねればすむ。

「あなたには、わたしで言うと未那美とか、そういう個人的な名前はないんですか?」

「ありません」

 そっけなく無機質な返答だったが、未那美は気にしない様子で笑顔を作った。

「じゃあ、補助頭脳さんって呼びますね」

 未那美はマイクに向かって微笑んでいたが、補助頭脳の視界は守哉と完全に共有されている。守哉は、補助頭脳にも未那美の顔が見えるよう、じっと彼女の顔を見た。すると未那美はなぜか、困惑の表情を浮かべる。

「あ、あの、わたしの顔に何かついてますか?」

「いや、そういうわけじゃない」

「……と、ところで、この服、変じゃありませんか?」

 今日も未那美は綾から服を借りてきているようだ。春らしい爽やかなレモンイエローのカーディガンとボーダーTシャツがアンサンブルになっている。下は、足首近くまで隠す薄手の白いロングスカート。昨日と着ているものが全く違う。

「綾に遊ばれてるんじゃないか?」

「どういう意味ですか?」

「なんというか、着せ替え人形扱いというか」

「そ、そんなことはないですっ。綾さん、街の人たちからたくさんお下がりをもらっているみたいで。自分ではあまり着ないものをわたしのために見立ててくださったんです」

「迷惑じゃないならいいんだが」

「迷惑だなんて! むしろ、とても嬉しいです……あの、それで、変じゃないですか?」

 あらためて、守哉は未那美の服装を上から下まで眺めた――が、守哉にはファッションのことなどまったくわからない。自室にあった私物の服も黒いものばかりだったし、どういう組み合わせがいいのかもわからない。やむを得ず、無難な回答を選ぶ。

「別に変じゃない。似合ってると思うが」

「よかった」

 未那美は、ぱあっと頬を紅潮させて笑った。

 その笑顔に、なぜだか胸が締め付けられた。


 波止場を後にして、街へ向かう。ゆるく長い坂道を登っていくと、アーケードがあった。ところどころ白いペンキが剥げ、露出して風雨にさらされた部分が赤く錆びている。アーケードが作られてから過ぎた長い年月を思わせた。

「外なのに、中みたいですね!」

 守哉のそばを離れ駆け出した未那美が、屋根が作る影の中から振り返って手を振る。

 このアーケードの中は、商店街だったのだろう。いくつもの建物が長く軒を連ねている。しかしほぼすべての店がシャッターを下ろしており、廃墟とも思える佇まいだ。

 誰もいない道を、二人はまっすぐに歩いていく。

「結構、長いんですね」

 未那美の声が、高い天井に跳ね返って反響する。

「どこか開いてる店はないんでしょうか?」

 もの寂しい雰囲気に当てられたのか、未那美の声音もどこか悲しげだ。

「二十メートル先、右手に、一軒、開いている店を発見しました」

 守哉の襟元のマイクから音が発された。補助頭脳が、また守哉の視界の端を盗み見たらしい。しかし、昨日のような不快感はなかった。自分の頭の中に補助頭脳が住み着いている今の状況に慣れつつあるのだろうか。

「天橋さん、行ってみましょう!」

 また守哉を置いて未那美がひとり駆け出す。

(追手が来なければいいんだが)

 その考えとは裏腹に、守哉の心はどうしてか安らぎつつあった。


 開いていた店は、『金壱きんいち牧場直営・まきばのアイス』。看板には、パステルカラーのポップな装飾が施されている。店は小さく、中に入るとすぐにレジカウンターがあり、奥は厨房になっているようだ。厨房につながるドアから、可愛らしい看板とは不釣り合いにがっしりした男が現れた。

「いーらっしゃいませぃ」

 青いエプロンを着用した彼もこの街の住人なのだろう。だが、やはり守哉には覚えがなかった。

「おお、ずいぶん可愛いお嬢さんがいたもんだ」

「あ、あのっ。ここはなんのお店ですか?」

「牛乳のソフトクリームさ。昔はプリンとかも置いてたんだが、日持ちしない菓子を廃棄街にまで出荷なんてできないとさ」

「はあ……」

 未那美は言われたことを飲み込めていないようだが、店員は構わずに続けた。

「お嬢さん可愛いから、一つサービスしてやるよ。ほれ」

 店員は慣れた手つきで機械を動かし、コーンをくるくると回してソフトクリームを一つ作ると、未那美に手渡した。

「いいんですか?」

「おう! 遠慮するな、若者。あ、でも彼氏の方は有料だぞ」

 男が歯を見せて笑う。未那美は慌てた様子で振り返り、守哉を見つめた。

「伊佐は友達です」

 そう言うと、未那美は目をぱちくりさせた。何かおかしなことを言っただろうか。

「そうです」

 未那美は店員の方に向き直る。

「友達、なんです」

 大切なものを暖かな優しさで包むような声音で、未那美はそう口にした。

「……そうかあ、友達かあ!」

 店員は、なはは、と陽気に笑った。

「そんな顔されちゃな。じゃあやっぱ、友達の方もただにしといてやるか。ほらよ」

 ちょいちょい、と守哉を小さく手招きした店員は、守哉の手にソフトクリームを押し付けた。

「俺のぶんまではもらえません。ちゃんと払います」

「いいっていいって。この店畳めって本社から言われてるし、閉店前のサービスだ。溶けないうちに食べてくれよな」

 そう言って、店員はまた歯を見せる。満面の笑みだ。

「あ、ありがとうございます」

 人好きのする笑顔に、守哉はとしか言えなかった。

「それじゃあ、いただきますね」

 未那美は店員に頭を下げてから、ぱくっと、ソフトクリームの先端を口に含んだ。

「んっ!? 冷たい!」

 声を上げ、未那美は慌てて口を離した。彼女の驚きようは、今までにソフトクリームを食べたことがないどころか、ソフトクリームが冷たいものだということも知らないと言わんばかりだ。

「でも……甘い」

 一度は驚いたものの、未那美はまたソフトクリームに口をつけた。一口、二口と食べ進める度に、彼女の表情はどんどん緩んでいく。

「牛乳の濃厚な甘みが口いっぱいに広がって……舌に乗せた途端にとろけて、甘さで胸がきゅんとなります。冷たくて最初はびっくりしましたけど、この冷たさが甘さを際立たせているんですね。すごくおいしいです!」

 目を輝かせながら感想を述べ終えると、未那美はまたソフトクリームをぱくつく。もう彼女は食べるのに夢中で、一言も発さなかった。

「そんだけうまそうに食べてもらえりゃ、牛たちもがんばった甲斐があったってもんだ」

 なはは、と店員が笑う。守哉もそのおいしさに密かに感激していた。

「しかしよお二人さん、こんな人気のないところを歩かないで、もうちょっと賑やかなところに行ったらどうだ? 運河橋の近くなら市場もあるし。橋の上から見た運河はキレイだぞ」

〈運河橋――稲穂の中心地。守哉の自宅から大通りを東に七百メートルほど。橋の上から流れる運河を見学することができます。現在は、橋の付近で魚の養殖業者やバイオ・クローン農業の経営者たちが寄り集まって小さな市場を開いています。また、現在地から運河橋へ続く道の途中には、旧時代に歴史的建造物に認定された『神威銀行本店跡地』があります伊佐未那美が興味を示す可能性は高いです〉

 聞いてもいないのに、頭の中で補助頭脳がささやく。驚くほど詳細な説明に守哉は驚いた。同時に、勝手にしゃべりだされてはたまらないからと、店に入る前にマイクのスイッチを切っておいて正解だったとも思った。

「ありがとうございます。行ってみます」

 守哉が短く礼を言うと、店員はカウンターから身を乗り出して、

「がんばれよ」

 と、守哉に耳打ちした。

 この街の住人は、揃いも揃って思い込みが激しいらしい。

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