<memory time="2056-5-19-0912">

01-

 何かに急き立てられるように、守哉は目を覚ました。体はどこも痛まなかったが、全身に嫌な汗をかいている。

「――夢」

 その余韻は、不気味なほどに鮮明だった。

 上体を起こす。裸の上半身に包帯が巻かれていた。誰かが手当てをしてくれたらしい。

 ここは自宅の、自分の部屋だ。わずかに開いたカーテンの隙間から差し込む光は薄い。外は曇りか雨なのだろう。守哉一人だけの部屋は、寂寥感に満ちていた。

〈守哉、伊佐未那美は無事です。一階で、親衛隊と天橋綾に保護されているはずです〉

 尋ねてもいないのに、補助頭脳が告げた。守哉にとって必要な情報を事前に提供するなど、初めてのことだ。昨日の戦いの最中に、補助頭脳に何か変化が生じたのだろうか。

「……わかった」

 椅子の背にかけてあったTシャツを着て、守哉は階下へと降りていった。


「一之瀬さん、ごめんなさい……多分この街の施設じゃどうにもなりません」

 リビングのドアを開けると、そこにいたのは未那美と綾。それに一之瀬だった。

「相馬さんの怪我は、御角さんの能力でほぼ治ってますけど、体力が回復するまでにはかなり時間がかかると思います。御角さんご自身もお疲れみたいですし、もう少し休まないと。それから、一番困ったのは、鹿島さん。体中の毛細血管が切れて、内出血だらけ。原因もわからないし、大きな病院に連れて行くか、長期の療養をしないといけないと思います」

 綾は眉間にしわを寄せている。恭介の容態は思わしくないのかもしれない。

「そうか、承知した。すまぬな、天橋の妹」

「綾でいいですよ。苗字だと兄貴とあたしどっちを呼んでるのか区別しにくいですし」

 ふうっ、と綾は長く息をつき、ソファに腰掛けた。

「あ、天橋さん……」

 未那美がリビングに入ってきた守哉に気がつき声をかけると、その場にいた残り二人も守哉を見た。

「……恭介は?」

 守哉が尋ねると、一之瀬が驚いた顔をした。

「天橋、記憶が戻ったのか?」

 守哉が恭介を下の名前で呼んだことで、一之瀬はそう考えたのだろう。守哉は首を横に振った。だが、『恭介』と呼ぶ方が腑に落ちる――先ほどの夢は、守哉自身の記憶なのだろうか。

「兄貴、鹿島さんは麻酔打って施術室で寝てるよ。どうしてかわからないけど、毛細血管がズタズタで。体中痛むみたい」

「そうか……」

 恭介のことを考えると、口の中が苦み走る。黒い膿が心の奥底から湧き出てくるような心地がする。

「相馬と御角?」

「施術室。二人とも、鹿島さんの様子が気になるみたいで」

 綾の表情は暗い。未那美も、ずっと俯いている。

「そうか」

 守哉はそれだけ短く言って、キッチンの奥にある施術室へ向かった。


 扉を開くと、部屋の中央に置かれたベッドに恭介が横たわっていた。顔のところどころが紫に変色している。綾の言うとおり毛細血管が切れ、複数箇所で内出血を起こしているようだ。掛け布団に覆われた体にも同様の痕が無数にあるのだろう。

「守哉、目が覚めたんだね。よかった」

 声をかけてきたのは御角だ。相馬と二人並んでベッドのそばに座っている。

「お前が目を覚まさねえから、また記憶を失ったんじゃないかってびくびくしてたんだが……大丈夫そうだな。よかったよかった」

 相馬が守哉に向けた笑みがチクリと刺さる。どうして、彼は安堵の笑みを浮かべるのだろう。

「……恭介は大丈夫なのか?」

「わからない。僕の能力も気休めくらいにしかならないんだ。こんなのはじめてで、どうしてなのか僕にもさっぱり……」

「これなあ……たぶん、融機組織レクシーズの副作用だ」

「え?」

 唐突な相馬の言葉に、御角が驚いて振り返る。

「智長、お前ならわかるだろうが、異常能力を使うと反動があるんだろ? 鹿島は異常能力を融機組織でさらに強化してるから、反動もそのぶんでかくなっちまうらしい」

 相馬は顔をしかめて続ける。

「鹿島の融機組織レクシーズ――『陰陽電極プラズマ・プラント』は、出力が強すぎるんだ。毎日メンテナンスしないと体内の磁気が乱れて体調を崩す。昨日みたいにあんまり使い過ぎると、体が負荷に耐えられなくなって、ごらんのありさまだ」

「それなら、すぐにメンテナンスしなきゃ――」

「無理だ。鹿島を毎日メンテしてたのは淡路博士なんだよ。あの人がいなきゃ、どうにもなんね……っ!?」

御角が突然、相馬の胸ぐらを掴んだ。

「そこまで知ってたんなら、どうして止めなかったの!? 守哉と決闘なんてするなって言えた! メンテしてないのに戦うなって言えた! なのにどうして何も言わなかったの!?」

 声に獣じみた怒りを滲ませて御角が吠えた。だが、相馬は悪びれる様子もない。冷めた目で小柄な御角を見下ろすだけだ。

「あの石頭、俺が何を言ったって聞きやしねえよ」

「だからって!!」

「それに、ナミのことが本当だってわかって、俺も逆らいたくなっちまったんだ」

――『ナミのことが本当だってわかって』。まるで、知っていたかのような口ぶり。

「出生省のこと、お前らのこと、ナミシステムのこと――全部……俺は、知ってたんだ」

「……知って、た?」

 御角の手から力が抜けた。その目は呆然と相馬を見ている。守哉も同様だ。もしも先ほどの夢が守哉の記憶ならば、恭介もナミシステムの真実を知らなかったはずだ。

 なぜ、相馬だけが知っているのか。

「どうして知ってるの、って顔だな。単に、調べただけだ。だって、自分の周りの連中がどんな奴らなのか、自分が何を守らされてるのかわかんねえままなんて、落ち着かねえだろ。まあ、未那美様のことまではわかんなかったんだけどな。ナミについては、人間を機械につないで動く気持ち悪いシステムだってとこまでしかわからなかった」

 補助頭脳が脳裏に映しだした相馬のデータの中に、ひときわ目を引く内容があった。

 『相馬仁は、忍者の末裔である』。

「お前らには調べられないことでも、俺なら調べられる。鹿島の融機組織レクシーズのことも、調べたから知ってるだけだ。ただ、本人が周りに心配をかけまいと言わずにいたから、俺も黙ってた。それだけ。ナミのことも、言わねえほうがいいだろと思って……」

「それ……本当、ですか?」

 聞こえてきた声に、相馬は話を中断した。いつの間にか、ドアの近くに未那美が立っている。

「それなのに、わたし、鹿島さんに、能力を使ってくださいって……」

 今の話を聞いていたのか、未那美の顔は真っ青だ。だが相馬は、冷然とも取れる表情と声音で応じる。

「従ったのは鹿島自身です。そもそも綿津野博士と戦わなくたって、いずれはこうなってたと思いますよ。天橋との戦いの時点で、鹿島は力を使いすぎてましたから」

「それも、わたしのせいです……わたしが宮を抜け出さなければ、天橋さんと鹿島さんが戦うこともなかった……わたしがみなさんを傷つけたも同然です」

 涙声で訴える未那美を見ていられず、思わず守哉は口を挟んだ。

「ケガをしたのは俺たちだけじゃない。伊佐だって同じだ」

 未那美の腕には、蛇が這ったような火傷の痕がまだ残っている。銃弾がかすめた傷痕も生々しい。消えるかどうかは、わからない。

 相馬は、諭すように言う。

「未那美様、戦ってるのは俺たちだけじゃない。あなたもです。ここまで来て逃げたりしませんよ」

「でも、わたしを引き渡せば、みなさんの安全は保証され……」

「戦うと決めたのは、僕たち自身です。だから気にしないでください。恭介もそう言うと思います」

 御角は未那美の言葉を遮って言ったが、やはり未那美の表情は晴れない。彼女はベッドに駆け寄ると、眠り続ける恭介の姿を覗き込み――泣いた。

「ごめんなさい、鹿島さん……」

 心が黒くぐちゃぐちゃに塗りつぶされていく。希望を信じていた心が、泥のような絶望と混ざり合っていく。

(……俺は、伊佐のこんな顔を見たかったんじゃない。伊佐を苦しめたくなんかないのに)

 未那美ははらはらと涙をこぼしている。未だ目覚めない恭介の顔には、ありありと苦悶が刻まれていた。

(本当に、これでいいのか?)

 誰に問うでもなく、心のなかでひそかにつぶやく。

〈補助頭脳は守哉の疑問に答えることができません。その機能は搭載されていません〉

――それきり、誰も何も言わなくなった。未那美の嗚咽だけが、がらんどうの施術室に響く。

「天橋、少し話がある。表で待っている」

 ドアの向こうで、一之瀬が呼んでいる。彼について、守哉は逃げるように施術室を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る